8日の夜、お義父さんから電話がありました。
お祖父さんが危篤だと。意識がはっきりせず、もって二日位だと。
そして9日に日が変わった頃、亡くなったと伝えられました。
先日お見舞いに行った時はベッドに寝た状態とはいえ、まだしっかりされててお話もゆっくりだけど出来たのに。
水を飲むもトイレも自分でされていたのを見て、まだこの夏が終わるまでは大丈夫だと思ったのですが。
その数日後癌の痛みが出始め、それからあっという間だったようです。
でも、痛みが長く続かず、自宅で家族皆に手を握られ足を擦られ見守られながらの最期は、悲しい事だけど幸せだったのではないでしょうか。
享年91歳、ご冥福をお祈りします。
一報を聞き、家族三人帰省して通夜に並びました。
やさしいお顔の写真が真中に飾られています。
粛々と皆が手を合わせる中、美咲も真似て合掌してました。
何かがわからずとも、そうする気持ちが微笑ましかったです(^-^)。
通夜振る舞いの時、お義母さんは淋しさを紛らわせるかの様にずっと美咲を抱っこしてました。
伯父さんも自分の孫娘を抱っこしていて。
こういう時、子供の存在は温かいんだろな…なんて思いました。
旦那は火の番で残る為、私は美咲を連れて自分の実家へ。
普段はなかなか懐かない父に抱っこされたり激しくはしゃぐ辺り、子供心ながら普通じゃない事を敏感に察してたのでしょうね。
安心しきって走り回って…あちこちで滑って転んでました(--;)。
翌日、葬儀に参列。
初めての曹洞宗のお葬式に色んな意味で驚きつつ(^^;)、ご冥福をお祈りしていたのですが。
焼香・読経が終わり、もうすぐ終わるという時。
美咲が「ちっち(お乳)」と泣き出しまして(-_-;)。
仕方なく外に出て授乳して、戻ったら出棺間際となっていました。
…私もお花を手向けたかったですわ。
まぁでもちっち大好きっ子にしては頑張ったね。
そして火葬場で最後のお別れ。
やっと拝見したお顔は、やさしい寝顔でした。
美咲は「ねんね」と囁いて。
そしたら急に実感が沸いて来て、涙がぽろぽろ出てしまいました。
一時経った後お骨を拾い、お寺に移動して初七日の法要。
読経が済んだところで甘えん坊の美咲が限界らしく喚き出したので、食事をお断りして帰宅したのでした。
この日は旦那の実家へ。
私達が泊まるとお義母さんが落ち着いて偲べないかなと、私の実家に二泊するつもりでしたが、逆に美咲がいた方が気持ちが落ち着くとの事。
お言葉に甘えてお世話になりました。
美咲はいつものハイテンションであちこちウロウロ、インコに餌をあげたりコーヒーメーカーでカフェオレを淹れさせてもらって、楽しそうでした(^-^)。
お義母さんも少しは気が紛れたでしょうか。
13日の朝、お盆なのでご先祖様のお墓参りをして、東広島に帰宅したのでした。