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2011年3月23日(水)
トリックアート
三回に渡った登園日を経て、今日は体験入園日でした。
4月に入ればいよいよ入園。
その前の準備だとか式の案内などがあり、クラス分けも発表されました。
ママ友のTさんと「一緒だと良いね〜」と神頼みしていたのですが、残念、分かれてしまいました(;_;)。
母娘共にクラスの人達と馴染めたら良いな。

さて、体験入園の後、家族三人で福富の道の駅へ。
以前から興味のあったトリックアートが催されているのです。
受付でチケットを渡し、いざ中へ。
入ると不思議アートがいっぱい!
一見違和感ないのだけど、良く見たらありえない橋。
クルクル回る円を見た後に見たら、動いてるように感じる雲。
面白かったです(^^)。
どこから見ても目が合う、見る方向で太さが変わる、などは良くあるトリック。
そしてメインでもある、飛び出してるように見える絵。
イルカに触ってるように見えたり、立体の石膏像に見えたり。
 
今にも襲い掛かって来そうな恐竜に、美咲は終始怯えまくりでした(^_^;)。


そこに立って見ると、普通の平面なのだけど。
写真に撮ると浮かび上がってくる。
不思議で楽しい体験でした(^^)。
まぁ、美咲には良く理解できなくて「ふぅん?」て感じでしたが。
ちょっとまだ難しかったかもね☆
2011年3月22日(火)
リトミック
4月に入会して毎月2回通っていた3歳児リトミック。
ピアノや音楽に合わせて身体を動かしたり。
ボールやスカーフ等色々な道具を使って遊んだり。
リズムに合わせて木琴を鳴らして。
パズルや塗り絵、ビーズの紐通し、縫い取りも。
優しく穏やかな先生の指導の元、様々に取り組んで来ました。

毎回美咲も楽しみにしていたのですが、とうとう今日で最後。
一年を通して美咲の成長を感じられる時間だったので。
なんだか名残惜しいです。
先生も最終日という事で、あれもこれも楽しい事全部!という感じでした(^^)。

そして、最後に修了式。
先生が一人一人に修了証とチューリップのお花を手渡ししてくれました。

美咲の初めての修了証、なんだか感無量です(^_^;)。
リトミックの教室に通う事で、先生の話を聞く、何かに集中して取り組む事が、出来るようになったと思います。
素敵な先生に感謝!紹介してくれたYkさんにも感謝(^^)。
愉しく通えて良かったな♪
2011年3月11日(金)
東日本大震災
その時間、私はママ友とお茶をしていて。
東広島でもわずかに揺れたらしいのだけど、それすら知らず。
そのまま夕食の支度などをしていて。
テレビを付けたのは一息ついた頃でした。
その時は今でいう「大津波」に纏わる全てが終わった後で。
既に個人の生き延びた方々が撮影した瞬間が放映されていました。

M9.0という大地震自体も、激しく長い揺れだったそうだけど。
テレビ越しに見る大津波の状況は、言葉を絶するモノでした。
始めは仙台市若林区荒浜の、畑を黒い濁流が埋め尽くしていく様子でした。
以前スマトラ島沖地震の際の津波映像を見て、津波とはこれ程早い水流で、こんなに様々なモノを内包して、あらゆる物を切り刻んでいくのかと。
ただ膝まで浸水する、というのでなく立っていられない状況なのだと初めて知って。
荒浜の状況も同じようなものだと思っていました。
が。
そんなのは私が何も知らないだけでした。

今回はそれ以上に酷い映像が次々に放映されていきました。
大船渡市や陸前高田市などでの映像は。
船が、コンテナが、車が流されていく。
だけでなく。
そこに人がいるかも知れない家々が、流されて、ぶつかり合いながら崩れ、水流に飲まれていく様。
本当に、絶句。
まさか家が押し流されるなんて。

時間を置くと、黒いカーテンのようなデカイ塊が、突如道の向こう側に湧いて、道路を走る車に今にも襲いかかる瞬間・・・という映像が流れました。
テレビで観るだけでも相当な恐怖。
夜の闇に赤赤と燃え盛る気仙沼市の火事の映像。
阪神淡路大震災を思い出しました。
火事で多くの方が亡くなった事を。
気仙沼の方々の無事を祈るしかなくて。

朝、すぐにテレビを付けると。
映ったのは、壊滅状態の町の画でした。
そこにあったであろう家屋が見当たらない。
ただ、瓦礫の山が点々と。
4階部分にまで津波が達し、土砂に埋もれたビル。
10メートルもの大津波であった事を知りました。
そして、こんな時に何も雪が降らなくても・・・。
どこかでなんとか生き延びている人達の体力を奪うような寒さが、どうしてこんな時に。

時間を過ぎる毎に増えていく死者の数。
阪神淡路大震災の6000人に近づくかと思った頃。
山田町や大槌町と連絡が取れない、とか。
町民1万人が行方不明とか。
桁が違う事実が伝えられて。
もう、涙がこぼれて胸が潰れそうでした。

同じ日本に住んでいるのに、こんなに違う過酷な現実。
何も出来ない自分が歯痒くもあり。
せめて義援金だけでも・・・。
今もまだ福島原発は落ち着かず、余震も多く大きい。
被災者の方々が安住できるのが何時なのか、誰にもわからない状況。
「津波てんでんこ」という言葉、初めて知りました。
協力し合う事は尊い。間違っていない。
だけど、「てんでんこ」であらねばならない状況は・・・人には過酷過ぎる。
最早生死を分けたのは「運」だったとしか。

被災された方々にお悔やみ、そしてお見舞い申しあげます。

2011年3月日(土)
卒乳?
甘えん坊の美咲は3歳になってもお乳大好きで。
周りの「おかしいよ〜そろそろ止めたら?」という声は完全無視でお構いなし。
まぁお乳吸うのが下手で痛い訳じゃないし、腕の中で安心してる美咲の顔は可愛いvv。
栄養としては既に役に立ってないけど、精神安定剤みたいなもの。
何度か止めさせようともしたけど、号泣するのに可哀相かなと。
他でたくさん我慢させてるから、授乳くらいは美咲の気持ちを大事にしようかな〜と思ってました。
それでも流石に一日中暇さえあればお乳くわえてるのもどうかと思い、3歳の誕生日過ぎて「お乳は寝る時だけ」と決めて。
幼稚園の間に卒乳できたら良いな〜と思っていたら。

1月末に私が風邪をひいてしまいました。
症状は咳と喉の痛み。
最近毎年のように喉の炎症に悩まされていて。
でも授乳中は強い薬は飲めないので、治るのに時間がかかります。
弱い抗生剤では効き目が足りず、声が枯れた時もありました。
そこで今回、試しに「お薬飲まないと風邪治らないの。しばらくお乳飲むの我慢してくれる?そのかわり手を繋いで寝ようね」とお願いしたら。
「うん、いいよ」と。健気な返事が(^^)。
それでもいざ寝る時にはごねるかな?と思いきや。
「お手々つなご」と言って、繋いだら安心したのか、コテンと眠りました。
翌日もその翌日も。
やけにあっさり。
まぁ今までもお乳くわえた瞬間寝てたし。
もう大丈夫なんだなぁ。

風邪が治ってもお乳を求めて来ないので、成り行きに任せていたら。
3月に入って「ねぇお乳は〜?お乳飲みたい」と。
・・・忘れてた訳じゃなかったのね(^_^;)。
そしてある事実が判明。
乳、出なくなった☆
「なんで〜出るもん〜飲みたい〜!!!」
美咲にめちゃくちゃ怒られました。
いや、お母さんもビックリしてるんだよ。ごめんね(^_^;)。

結局お乳出なくなったので、自然断乳?卒乳ぽい感じになったのでした。
まだたまに欲しくなってくわえる時もあるけど、本当に稀。
今まで泣いたらお乳で泣き止んでいたのが、抱きしめるだけで満足するようになりました。
やっと赤ちゃん卒業だね。頑張ったね(^_^)。



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