Canada 「おい、カナダ」 ヨーロッパで行われた会議が紛糾しつつも僕的には滞りなく終わって。誰にも気付かれず、気に掛けられず、ひっそりと退室して廊下を歩いていたら、突然彼に呼び止められて驚いた。 なんせ自分では普通にしているつもりなのに、隣国が良くも悪くも目立つ兄弟であるせいで間違えられる事が多い。 目立ちたがりで派手好きで自分が世界のリーダーであると言って憚らない兄弟は、関係ないことにまで口やら手やらを出した挙句落ち着きかけたところを土足で踏みにじって事態を悪化させたりする。正義のヒーローだと言う割に悪辣なことも結構してるし、しかもそれが正義の名の下に彼的には正当化されてしまうから性質が悪い。僕のことも便利に使える道具のように扱ってくれるものだから、他の国々にアメリカのオプション扱いされて謂れのない恨みまで買う羽目になってるんだ。そう文句を言うと、君の存在が薄いだけだなどと、責任転嫁も甚だしい発言をする。とにかく何でも面倒を僕に押し付けるのは止めて欲しい。いい加減に僕だって怒ってるんだぞ!その怒りさえ脳天気な兄弟には伝わらないけども。本当にどうしてあそこまで傍若無人に振る舞えるのか教えて欲しいよ!少しは遠慮とか控え目とかいう言葉を覚えて欲しい。 あっと・・・つい兄弟の事でヒートアップしちゃったけど、それは置いておいて。意識を表に戻すと、イギリスさんが戸惑ったように僕の顔の前で手をひらひらさせている。 「あ、イギリスさん。どうかしましたか?」 「お、戻ったか、良かった・・・」 首を傾げると、ほっとした顔をした。そうだ、彼に呼び止められたんだった。 英連邦の一員にも関わらずいつもアメリカと間違える元保護者は、今日は珍しく間違えずに名前を呼んでくれた。その事に周りの国達も驚きを隠せないらしく、ちらちらとこちらを窺う好奇の視線を感じる。とりわけ強烈に感じるのは、イギリスさんの真後ろの位置に立つ兄弟から。興味なさそうな顔してるくせに、視線は至極不穏なものだ。相変わらず独占欲が強いんだから。それにしてもイギリスさんが僕に声を掛けるとは一体どうしたのだろう?首を傾げて彼の言葉を待つと。 「なぁ今度の週末、お前んち行っていいか?」 「え?」 「見たいもんがあるんだ。都合悪いか?」 「あ、いえ大丈夫です」 慌てて言ってにこりと微笑むと、安心したように「そうか」と言って。彼もはにかんだように微笑んだ。その背後からは最早隠しようのない殺気を送られて来て。僕はひっそりと溜息を吐いた。 にしても。何が見たいんだろう?聞いても彼は微笑むばかりで答えてくれなかった。 リビングの中を適当に片付けて軽く掃除機を掛けて、クッションのカバーを綺麗な布に替えて、お茶の用意をして。もちろんメープルシロップは欠かせないよね。他に足りない物はないかな?部屋を見回しながら幾度目かの確認をする。たまにしか来ない彼に少しでもくつろいで欲しいから、居心地が良いように一生懸命準備する。 はっと気付けば彼を空港に迎えに行く時間。あぁうっかりしてたな。慌てて・・・それでも走ったりはしなかったけど、家を出て空港に向かう。行くと彼は壁にもたれて本を読んでいた。 「す、すみません・・・っ」 「あぁカナダ、今日はいつもより早かったな」 嫌みでなく本当にそう思っているらしく、笑っている。 「すみませんすみませんっ、気がついたら時計が止まってましたっ」 「そんなに謝らなくていいって。ここまで急いで来てくれたんだろ?ありがとな」 イギリスさんはそう言ってにこりと笑う。遅れたのは僕なのに、責めもせず逆にお礼を言う彼の優しさは、昔から変わらない。この人の傍にいるとほっとするのは、彼が纏う空気が優しいからなんだろうな。 僕が住んでいるこじんまりとした家に案内して、ソファに座るイギリスさんの為に紅茶を淹れる。メープルシロップをとろりと垂らすと甘い香りがふわりと漂った。 「お待たせしました。どうぞ」 かちゃりと紅茶のカップをイギリスさんの前に置くと、彼はソーサーを添えてカップを口元に運び、香りを愉しんでから一口含んだ。 「あぁ、良い香りだ。ありがとな、カナダ。美味いよ」 「えへへ、この茶葉はイギリスさんが好きかなって思ったんです。メープルシロップも今年は出来が良かったですし」 美味しいと喜んでもらえて素直に嬉しい。彼の為に、彼を想って準備した甲斐があったな。そう思いながら僕も自分の分の紅茶を口に含むと。 「・・・お前は今でも紅茶を飲んでくれてるんだよな」 ちらりと視線をイギリスさんへ向けると、彼は嬉しそうに微笑んでいた。誰が、今は飲んでくれないのか。それを口にはしないけど、つきんと胸が痛んだ。 イギリスさんは僕の心中に気付くことなく、クッションを抱えてソファに身体を預ける。しばらく無言で窓の外の景色を眺め、そっと瞳を閉じた。身じろぎ一つせずにそこに在る彼の姿は、そこだけ時間が止まってしまったように静かだった。その静寂を破るように、ぽつりと彼が漏らす。 「お前はいいな・・・穏やかで、ほっとするよ」 ・・・誰といると落ち着かないのか。 「ありがとうございます」 意地でにこりと笑みを作る。彼の遠くを見るような目。僕に投影する存在。それは・・・。胸の中を駆け巡る哀しみを、一人、気付かれないように耐える。 いつもいつも、イギリスさんの話はアメリカのことばかり・・・。 辛いな・・・。間違われるのは悲しいけどもう慣れた。間違えるのは彼だけじゃないし。でも。こうして比べてあちらの方を想われるのは・・・辛い。それはイギリスさんにとって特別な存在なのが、僕ではなくアメリカの方であることを否応なしに僕に突き付けるから。 あの今では騒がしくてごういんぐまいうぇいな兄弟は、彼に求められ腕に抱かれて一身に愛情を注がれていた。彼は心からあの兄弟のことを愛していた。もちろん一緒に育てられた僕のことも目一杯愛してくれていたのは知ってる。イギリスさんとしては変わらず接していたつもりなのも知ってる。でも、僕の目からすれば雲泥の差だった。彼の瞳が、触れる手が、紡がれる言葉が、アメリカを慈しんで止まなかった。僕にはそれらを向けることはなかった。アメリカだけが特別だった。 何故なら、アメリカが彼を選んだから。敵の多い彼を純真な心で選んで・・・その心を奪っていったから。だから、イギリスさんにとってアメリカは、今でも唯一の存在なのだ。 あんなにひどい別れ方をして、あれ程までに傷付いたというのに・・・彼は兄弟を想うことを止めない。兄弟のことだけを見つめ続ける。――傍に、僕がいるのに。 言葉少なに二人過ごしていると、日が暮れ始めた。夕日を浴びて翠の瞳が金緑色にキラキラ輝いている。静かに物思いに耽る横顔を、綺麗だなと思いながらそっと気付かれないように見つめていると。 「・・・星が見たいな」 イギリスさんがぽつりと言った。 「食事をテラスに用意しましょうか?」 星空の下で食事を取るのはロマンティックで良い考えかもしれない。そう思って言うと、彼は頭を振った。 「いや、見たい場所がある」 「どこですか?」 「ノバスコシア」 今いる場所の近辺かと思いきや、大西洋に面した東部の州を言われて驚き焦る。 「い、今から・・・ですか?」 「フライトすれば3時間くらいで着くだろ?」 「いやまぁそうかもしれませんけど、そんな急に・・・」 「・・・無理か?」 なんとも残念そうに肩を落とすから。 「あ、いえ、なんとか手配します」 「悪いな」 イギリスさんが喜ぶ顔を見たくて安請け合いをすると。彼はふっと笑った。 上司にちょっと無理を言って許可をもらって、様々な手続きをした。フライトしてハリファックス空港へ。そこから用意されていた車に乗り換えて移動する。イギリスさんが言う州立公園に向けて車を走らせる間、彼は何を思っているのか、終始無言で窓の外の暗闇を眺めていた。 「あの・・・イギリスさん」 迷いに迷って彼に声を掛けると、ふっと視線をこちらにくれる気配がした。 「どうしてそこなのか、聞いても良いですか?」 「・・・・・・」 返事はない。 「いえあの、別に構わないのですけど、星ならここらでも僕の家からでも十分見れたと思って・・・」 「あそこで、見たいんだ」 ぽつりと感情を窺わせない声で呟く。そしてまた視線を窓の外へ向けてしまうから、それ以上は聞けなくなってしまった。 程なくして目的の州立公園に到着する。本来はゲートが閉じられている時間だけど上司に無理を言って開けてもらっていて、その代わり警護の人達があちこちに配置されている。なんだか大事になってしまった。ただ星を見るだけなのに・・・。 公園内のパーキングに車を停めるなりイギリスさんは降りてさっさと何処かに向けて歩き出すものだから、慌てて追い掛けて横に並んだ。薄暗い深夜にこんな広い公園ではぐれたりしたら、もう会えないような気がするんだ。そっと溜息を忍ばせてちらりとその顔を見遣ると、彼は何かに引き寄せられるように真っ直ぐ虚空を見つめていた。 どれくらい歩いただろうか。段々彼と僕の間に距離が生じていった。僕としては一生懸命付いて行こうとしたのだけど、どうにもイギリスさんの歩くのが早過ぎて。 「あ、あのイギリスさん・・・」 声を掛けても彼は振り向かない。 「あまり、奥に行くのは危険では・・・」 周囲は何人をも拒むかのように広がる漆黒の森。どこからかコヨーテの鳴き声が聞こえてくる。警護されている身とはいえ、ちょっと怖い。なのにイギリスさんはどんどん奥へと突き進んで行く。仕方なく後を追い続けるけど、とうとう彼の持つランタンの光を遠くに認識するだけになってしまった。 彼は振り向いてくれない、僕を見てくれない――ちりっと胸に焼けつく痛みを感じるのを、歯を食いしばって堪える。ひたすら微かな光を追って足を動かし続けると、一寸先にイギリスさんが立ち止まっているのが見えた。彼は僕が追いついたのを確認すると、ゆっくり微笑んで再び歩を進める。 突然、彼はふわりと光に包まれた。光の中に浮かぶイギリスさんは儚げで、今にも消えてしまいそうだ。不安に駆られて思わず手を伸ばす。その手を、振り返ったイギリスさんに取られ、ぐいっと引っ張られた。途端、自分も光に包まれる。驚いてイギリスさんの顔を見つめると、彼はにやりと笑って空を指差した。 「見ろよ」 言われて指が示す方向を見遣ると・・・そこには満天の星空が広がっていた。 空に煌めく宝石は圧倒的な光を放ち、僕らに降り注ぐ。どうやら此処は森が開けた場所のようで、頭上に星々が輝き瞬いているのが見えた。星屑を散りばめたような夜空は、ロマンティックというよりむしろ厳かで、人も僕たち国も取るに足らない存在であるような畏怖さえ感じさせる。 吸い込まれるように眺めていると、くいっと僕の手が引かれた。驚いて視線を下げるとイギリスさんが穏やかに笑っていた。星に魅入られて忘れていたけど、そういえば手を繋いだままだった。恥ずかしくなって慌てて放そうとする僕の手を、イギリスさんはぎゅっと握り締める。 「えっと、あ、の・・・?」 繋いだ手から彼の温もりを感じて、胸がどきどきする。緊張で手が汗ばんでいく気がする。べとべとになって嫌われたらいやだな・・・なんだか泣きたい気分になって立ち竦んでいると。彼はついっと空を見上げて言った。 「カナダみたいだよな、この空」 「え、僕はこんなキラキラしてないですよ。むしろアメリカの方が」 「あいつは北極星だ。明るくて目立ちたがりで・・・いつだって揺るがない」 「・・・成程」 流石は育ての親、良くわかってる。 「でもお前はさ、そんなあいつすら包み込める、この空みたいだ。俺のことも、あの日からずっと・・・」 「・・・・・・」 あぁ、そうか。だから此処に来たのか・・・僕たちは、此処で出会ったから。 「あの日もこんな星空だった。お前はそこら辺の木の傍に立っていて、俺をびくびく怯えながら見ていた」 イギリスさんは夜空を見上げながら滔々と語る。時折懐かしむようにくすりと笑いながら。 「俺がフランスの野郎をぼこぼこにしたらさ、お前、あいつを助けようと飛び出して来て・・・俺の背中叩いたよな」 どんってガキのくせに力任せに叩くから、結構ダメージ来たんだぜ?なんて言うから。 「あああそうでしたっけ!?すみませんすみません」 思わず謝ってしまった。その僕の頭をくしゃりと撫でて、彼は申し訳なさそうに微笑む。 「無理矢理フランスから引き離しちまった。悪かったな」 「そんな・・・僕はイギリスさんの傍にいられて良かったですよ?そりゃフランスさんの事も好きでしたから、離れるのは辛かったですけど・・・」 確かに突然保護者がフランスさんからイギリスさんに代わって混乱したりもしたけど。 「でも、僕は貴方と共に在れて幸せですから」 偽りない正直な気持ちでにこりと笑いかける。彼はほっとしたような表情を浮かべた。 「お前は変わらないな・・・変わらず穏やかで、人を安心させてくれる。俺も、お前が傍にいてくれて嬉しかった」 ――過去形。つきんと胸が痛む。そうか、彼は・・・。 「これから憲法を制定したら、お前は完全に俺から離れる。一つの国として俺と対等の立場になる。もちろん自治領を任せた段階で既に独立プロセスは始まってたし、俺のとこが憲章を制定した時、完全に離れたも同然だったけどな」 彼は、別れを告げるつもりなんだ。 「あの日から、ずっと傍にいてくれてありがとな」 寂しそうに、でも決然としてそんなことを言うから、胸がぎゅっと苦しくなった。 「そ、そんなお別れみたいなこと言わないでください。僕は貴方から独立して一つの国になりますけど、それでも貴方から離れるつもりなんてないんですからね!?」 僕はずっとずっと貴方の傍にいたい――。でも、言葉だけじゃ彼には伝わらない。もどかしい想いに突き動かされるように、何も考えずに抱きついてしまった。 「お、お、おい、カナ、ダ?」 突然の僕の行動にイギリスさんが慌てふためいてる。それでも腕を解くことができず、ぎゅっと抱き締める。 「ずっと、傍にいたい。いさせてください・・・」 やっとの思いで声を振り絞ると。 「・・・ありがとな、カナダ」 そっと僕の背に手が回って、労わるように撫ぜた。 僕たちはこの場所で、また新しい関係を作り出す。彼はその為に此処に来たんだ。・・・なんてまどろっこしい。初めからそう言ってくれたら良かったのに。でも照れ屋の彼のことだから、言い出せなかったのかな? この人は懐古主義だなんて揶揄されるくらい、過去を振り返ってばかり。背負う重い過去ばかり見て・・・いつも苦しんでる。そんな自虐的なことしてないで、過去なんて捨ててしまえばいい、忘れてしまえば良いのに・・・なんて思っていたけど。 こんなふうに思い出してくれるなら、悪くないな。そう思ってしまう自分は、兄弟に負けず劣らず自分勝手なのかもしれない。 |