France


 気怠い身体に何をする気も起きず、ただぼんやりとソファの上に転がっていた。目を閉じれば記憶の片隅に追い遣った歴史の様々な瞬間が濁流の如く湧いてくるので、ただひたすら天井の模様を凝視する。差し込む光によって変化していく色を辿って過ごすこと数時間、癒しを求めて焚いたアロマキャンドルの香りに、ふと湿った土の匂いが混ざった。
 雨が降り始めたのかと思って窓の外を見れば、先頃から変わらず澄んだ青い空。けれど馴染みの湿った空気は、ぞわりとした感触と共に強まっていく。その発生源の存在を脳裏に浮かべて苦笑した瞬間、来客を知らせるチャイムが鳴った。


「・・・おう」
 ドアを開ければ案の定のイギリス。仏頂面でジメジメした空気を辺りに撒き散らしながら背筋をぴんと伸ばして尊大に立っている。その姿にふんと鼻を鳴らして軽く首を傾げると、我ながら意地が悪いと思いつつ、わかりきったことを一応尋ねてみる。
「どうしたの、坊ちゃん。今日来るとか聞いてないんだけど?」
 言えばあからさまに嫌そうな顔をして、ちっと大きく舌打ちした。姿勢も崩して斜に構える。そうすれば裏通りにたむろするガラの悪い連中と変わらない。こいつのどこら辺が紳士なのか心底問いたい。
「うっせーな、どうせ暇なんだろうが。つべこべ言ってんじゃねぇ」
「アポ取れってアメリカに煩く言う割に自分は何なんでしょうね・・・あいたっ!」
 痛いとこを突かれたらすぐ暴力に訴える癖なんとかならないんですかねー。思い切り踏みつけられた足をさすっている間に、イギリスは勝手にあがってしまう。そして部屋中の窓を片っ端から開けていって新鮮な空気を迎え入れると、リビングテーブルに俺が放置した食器を流しに持って行って片付けを始めた。
 カチャカチャと陶器がぶつかる音を聞きながら思わず溜息を漏らして、新しいボトルを取り出そうとワインセラーに手を伸ばせば・・・冷蔵庫が勢い良く開け放たれて、殺気と共にブンッと顔面に向けて何かが飛んで来た。
 すんでのところで引っ掴んだのはミネラルウォーターのボトルだ。・・・ガラスの。
「ちょっ、こんなの投げないで!当たってたら今頃お兄さんの顔血まみれだよ!?」
「あ?何か問題あんのかよ?」
「大有りです!お兄さんの顔に傷だなんてマドモアゼル達が大号泣・・・やめてっフォーク投げないで!危険極まりないです!!」
 俺の耳元を掠ったフォークは、そのまま壁に刺さってびよんびよんと揺れている。イギリスの本気が怖い。ゾッとして揺れるフォークを眺めたまま立ち尽くしていれば、イギリスはガサゴソとキッチン周りを漁ってから衣擦れの音をたてた。慌てて振り向けばエプロン姿の可愛い・・・いやいや殺伐とした空気を醸し出す悪評高い料理オンチの姿が降臨していた。
「ったく、いいからおとなしく水飲んどけ。夕飯は俺が作ってやるから」
「・・・ナニソレ、お兄さん誕生日目前にして殺されちゃう訳?」
 ありがた迷惑な世話につい本音を返すと、途端にぴくりとこめかみを震わせたイギリスに羽交い締めにされた。首を締めあげられながらずるずるとキッチンに引きずり込まれる。
「わかった。回りくどいことなんざしねぇ、今すぐその首根っこ掻っ切ってやるからまな板の上に頭乗せろ」
「止めてお兄さんの麗しい髪掴まないでーハゲちゃう!!」
「いっそハゲろよ!!無駄に気障ったらしい髪型しやがって、暑苦しい!」
「えーお兄さんのこの髪型、坊ちゃん好きでしょ?・・・嘘、何も言ってませんお願いだからその包丁仕舞ってください」
 包丁片手にぎらぎらと剣呑な眼差しを向けてきた奴は、ふんっと鼻を鳴らすと乱暴に俺を解放した。そのままくるりとイギリスの手の中で一回転した包丁はダンっとまな板に叩きつけられて玉葱を一刀両断にする。流石お兄さんの調理器具、研ぎ具合は完璧、これが俺の頭じゃなくて良かった。
 ざーっと青ざめながらさり気なくイギリスの腰に手を回してエプロンのリボンを解く。
「おい、何する・・・」
「ねぇイギリス、お兄さんはせっかくお前が来てくれたんだから、クソマズ・・・もとい片手で足りるレパートリーを振る舞って貰うより俺の料理を食べて欲しいんだけど」
「・・・今何か非常に失礼な台詞吐いたよな?」
「言ってませーん。ね、どう?食べてくれる?あぁそうだ、坊ちゃんには食後の紅茶を淹れて欲しいな。あの味はお兄さんには出せないんだよね」
 ギラッと底光りする翠を意に介さずにこりと微笑めば、イギリスは言葉に詰まってぷいっとそっぽを向いた。不機嫌そうな表情に見え隠れする喜び。その証拠に真っ赤に染まった耳。
 まったく素直じゃない。けどそこがまた可愛いんだ・・・なんてこと口にしたら全身鎖でぐるぐる巻にされた挙句、1tの錘付けてドーヴァー海峡に沈められそうだけど。
「・・・腹減った。簡単なもんでいいから早く作ればか」
「はいはい、じゃあ坊ちゃんはリビングでちょっと待ってて。あ、ドレッシング作りは手伝ってね、振って混ぜるだけだから不味くならな・・・」
 がつん!
 思い切り脛を蹴られた。悶絶した。最凶の料理オンチをキッチンに入れてやろうと最大限の譲歩を口にしただけなのにひどすぎる。お兄さん泣いちゃう!


 ディナーが終わるとイギリスはすくっと立ち上がって食器の片付けを始める。俺はリビングでぼんやり雑誌をめくりながら紅茶を待つ。テレビは付けない、今は静かに過ごしたい。
 来訪時はアポなしを責めたけど、本当はイギリスが来るとわかっていた。なんたってこの坊ちゃんは毎年欠かさずこの日に来るのだから。喧嘩の最中でも何食わぬ顔してひょこっと訪ねてきた。どの面下げてとは言わない、イギリスが来るのは俺の為だと知っている。俺がひとりで明日という日を迎えないように。だからもう、この日に会うのは暗黙の了解だ。
 そう、明日はキャトルズ・ジュイエ。今の俺の誕生日。建国を祝して様々な催しが行われ、フランス全国民が自由に感謝する日。
 同時に昔の俺が死んだ日。フランス革命によって王政と旧体制が廃止され、多くの血が流された。その発端となったバスティーユ監獄襲撃と一周年式典を記念する日。
 あの時の大きな喪失感と燃えるような高揚感は今も胸の奥で消えずに燻っている。あの日が近づくと未だに頭の中がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられ、身体が書き換えられるような感触を覚える。泣きたいのか笑いたいのかすらわからない、二律背反の想いに振り回されて息ができない。
 革命は多くの民が選んだことだ。彼等の尊い選択を国である俺が否定することはない。素晴らしい歴史の岐路。彼等の掲げた自由・平等・友愛という理念は今の俺を形作る重要な要素だ。すべての者を愛さずにいられない俺にふさわしい思想。それとも民が望んだ姿に俺が書き換えられなのか?どちらでも構わない、俺は今の国の姿、民の意思、俺自身を誇りに思っている。
 けれどあの革命によってかけがえのない人達が命を落とした。断頭台の露と消えた。多くの民が命を落とした。俺の中に住まう者達が寿命を全うすることなく死んでいった。民の幸せを願うのは国の本能なのに、王の側近くにいながら民の蜂起を止められなかった。そこまで追い詰めていた――俺の罪だ。
 今の自分を、国の有り様を、俺は胸を張って誇れる。素晴らしい愛の国。愛おしい民達。けれどその為に失われた人が、姿が――ある。
 単純じゃない、どうしたって整理しきれない感情がぐるぐると脳裏を駆け巡る。何時になれば、とは思わない。俺は国だから、この国の歴史を、その時に生きた人達の慟哭を、真実を・・・いつまでも背負い続けなければいけない。


 ふっとやさしい香りが鼻孔を擽った。
 途方も無い時間の向こう側で出会い別れた人達の元へと馳せていた思考が、急激に引き戻される。目の前にはあたたかな湯気が立ち昇るティーカップ。それを持つ腕を辿れば、静かな面でこちらを見詰めるイギリスがいた。
 俺がふっと笑みを作れば、イギリスも感情の読めない翠の瞳をぱちりと閉じて。次に開けた時にはいつもの不遜な表情を浮かべてティーカップを押しつけてきた。
「ほらよ」
「メルシー」
 受け取って顔に近づければふうわりと紅茶の香りが漂ってくる。ゆっくりと口に含めばその香りが鮮やかに広がっていった。琥珀色の透き通った液体が、全身に凝った澱をすべて洗い流していく。
「・・・美味しい」
「ふん、当たり前だろ。俺が手ずから淹れてやったんだからな」
 知らず強ばっていた身体から力が抜け、ソファに身体を預ける。横にイギリスも座って姿勢良くカップを口へと運ぶ。
 二人無言のまま、静かに紅茶を飲み続ける。壁に掛けてある時計がカチカチと時を刻む音だけが部屋に響く。カップが空になればまたイギリスが紅茶を淹れる。俺の様子を窺うイギリスに苦笑しながら、受け取って華やかな香りに身を委ねる。
 そうして日付が変わった瞬間、どこかで花火があがった。どこかで何かが砕けた。
 解放を求める声が聞こえる。違う、今在る自由を歓ぶ声だ。
 旧弊を破壊する音が暴力的に響く。違う、これは記憶の音。
 わからなくなる。どうしようもなく歴史の奔流に飲み込まれる。
 ぎりっと奥歯を噛み締めて身体が千々に裂かれる感覚に耐えていたその時、そっと誰かの掌が俺の手を包んでくれた。
 我に返れば俺は俺でしかなく、全身にびっしりと汗を掻いてソファに座っている。繋いだひんやりとした手からは微かな温もりが伝わる。
 のろのろと視線を隣に座るイギリスに向ければ、奴は我関せずと涼しげな顔を正面に向けたまま、紅茶を飲んでいた。けれど常ならばソーサーを片手に添えて持つスタイルのイギリスが、今は利き手と逆の手でカップのみを持っている。そうしてもう片方の手は・・・しっかりと俺の手を握っている。俺を此処に繋ぎ止める為に。
 イギリスの掌の中で手の向きをくるんと変えて指を絡めると、ぎょっとしたイギリスが真っ赤な顔をしてこちらを振り向いた。「調子に乗るな!」と叫びながら慌てて逃げようとする手をしっかりと握り込んで捕らえて、悠然と笑ってみせてから再び目を閉じる。
 意識を己の裡に向ければ、重苦しさから解放へと国の有り様は変わっていった。
 湧き上がる民衆の歓声。
 同時に突き抜ける僅かな痛み。
 呆気無く霧散した哀しみを愛おしく思いながら、さよならと心の中で呟く。


 ふうと溜息を零して肩の力を抜けば、イギリスはあっさりと俺の手を振り払って立ち上がった。
「え、坊ちゃんどこ行くの?」
 思わず手を伸ばしてイギリスの腕を掴んでしまった。だってまだ一人になりたくない。記憶の中の人々にさよならを告げたばかりで心が弱っていて。繋いだ温もりは存外心地好く、失えば急激に心が冷えていく。だからまだ行かないで、此処にいて、傍にいて欲しい・・・お前に。
 けどイギリスは顔を背けたまま振り向きもせず、ぶっきらぼうに言い放つ。
「寝る」
「ちょ、待って・・・」
 俺の手から腕を引き抜いて、そそくさと客間へと向かおうとするイギリスの肩を掴んで強引に振り向かせれば、奴は耳まで真っ赤に染めてこちらを見返してきた。その顔に見えるのは不安と戸惑いと・・・羞恥。
 ああ、そういえば。
 昨年はこの流れで思わずキスしちゃったんだ。あんまりイギリスがいつになく優しくて、つい甘えるようにそっと唇を奪ってしまった。初めて触れるイギリスの唇は少しカサついていて、リップクリーム塗ってやりたいなと思った。
 呆然とするイギリスに、「誕生日プレゼント貰っちゃった」なんて茶化して気持ちを誤魔化せば、「ふざけんな」とボッコボコにされたのは良い思い出・・・なのかねぇ?
 結局あの後イギリスは何もなかった風に接してくるし、俺とのキスなんざこいつにとってはどうでも良いこと、犬に噛まれた程度にしか思われてないんだろうなーと認識していたのだけど。
 でも違った。
 今年もまたキスされるかも、なんて思ったんだ?
 揺れる翠の瞳に入り交じる不安と戸惑いと逡巡。
 そんな可愛い顔しちゃダメでしょ。悪い男に付け込まれちゃうよ?
 苦笑しそうになるのを必死に堪えて、細い腰に腕を回して強引に引き寄せる。同時に重心を後ろに置いてソファに身を投げ出せば、「うわっ」と悲鳴を上げながらイギリスが落ちてくる。その痩躯を受け止めて、静かに唇を重ねた。
「・・・ぅ・・・んっ」
 瞳を覗きこんで視線を絡めても、金の睫毛の影が落ちて色を濃くした翠は拒まない。ノックするように何度も啄むけれどイギリスは黙って受け入れる。
 きっと今のイギリスは俺が何をしても許してくれる。今日だけは俺が弱っているから、誕生日だから、そんな言い訳が用意されているから。俺が望めば身体すらくれるかも。いや、流石にそれはないか。でも泣いて頼めば抱かせてくれる気がする。
 けど俺はそんな風にイギリスの身体を求めたくない。無様に縋って譲られるなんて御免だ。愛の国らしくちゃんと愛を説いて心を通わせて抱きたい。・・・今日でなければこいつがそれを許すこともないと知っているけれど。
「ん・・・ふ、・・・ぅんん・・・」
 イギリスを味わうように深く口付けると芳しい紅茶の香りがした。舌を差し入れれば誘うように絡めてくる。そしてそのまま世界一キスのうまい国の技を存分に披露されてしまった。気付けば差し入れた舌を押し返されて俺の口内を奴の舌が蹂躙している。
 なんでそんなにやる気なの。そんなに俺弱っているように見える?同情しちまうくらい凹んでいるように見える?万年仮想敵国として普段は暴力三昧なのに、今日に限って何をしても許されるだなんて、そんな。慰め方まで不器用すぎる。
 くちゅくちゅと卑猥な水音が響いて、荒い吐息と共に耳を侵す。触れる場所からじんじんと熱が生じては身体の奥で痺れるように疼く。飲み干し切れない唾液が唇の端を伝って零れるのさえ気持ち良くて。
 おまけにイギリスの舌遣いがエロ過ぎる。的確に性感を煽りながら唐突に焦らすとか、何これ冗談じゃないよ、身体に火がついちゃう。流されて関係持つなんてお兄さんの美学に反します、だからちょっと待って待って待って。
 必死に主導権を取り戻そうと舌を暴れさせたらイギリスは心底嬉しそうに目を細めた。見事としか言い様がないタッチで宥めるように裏を舐め取られてしまって、ぞわりと快感が背を走った。


 もう無理!
 少しだけ惜しいと思いながら未練を振り切るようにぐいっと両肩を押し返す。ぷはっと離れた顔を見れば、すっかり蕩けた翠がキラキラと光りを放ち、蠱惑的に揺れている。慌てて視線を外すけど間に合わない。完全に、勃っちゃった・・・。
 どうしてくれんのこのエロ大使!本気でぶっ挿しちゃうよ!?俺の理性だってそろそろ限界なんだからね!後で死にたい死にたい言って泣くのはお前だよ・・・いや、その前に第三次百年戦争布告されて俺の存在諸共なかったことにされそうだ。怖すぎる。そうだ、こいつのぶっとくてもさもさの眉毛見てたら落ち着くはず。・・・・・・。うん、今日も見事なゲジ眉ですね、ちょっと萎えた。
「どこ見てんだゴラァっ!!!」
 ゴッ!!!強烈な頭突きを喰らった。イギリスの石頭は何気に凶器だ、真っ赤に染まった視界がぐわんぐわんと揺れる。
「いっ・・・痛ぁっ!!ちょ、お前ね、急に何す・・・」
 ようやく焦点が定まって見遣った先に、イギリスの怒った顔。ふーふーと毛を逆立てて威嚇する猫みたい。元ヤン降臨とでも言いたげな凶悪な目付きで睨んでくるけど、その瞳の奥が傷ついた色してるの、俺にはわかる。こいつはいつだって、どんなに悪辣な顔していても孤高を気取って凛然としていても、本当は。
 ぶるぶると戦慄いたかと思えば翠の瞳が大きく揺らいだ。あ、泣くかも。思わず慰めようとした俺の手がイギリスに届く前に。
「こんの腐れワイン変態ド畜生がぁぁぁぁっ!!!」
「ぐふっ、がはっ!!」
 みぞおちに膝が鋭角に刺さった。息もできない俺に構わず左右の頬を連続殴打、とどめに顎を捉えようとする拳を必死になって掴んだ。そりゃもう必死に。
「ちっ・・・抵抗してんじゃねぇよ、殴らせろカスが!」
「待ってなんで殴られなきゃいけないの!お兄さん今日は誕生日ですよ!?」
 イギリスの腕をしがみつくように捻り伏せて、ブンブン首を横に振りながら止めてと懇願する。けれど奴の目は眇められて剣呑な光を帯びている。さっきまでキスで蕩けていたのは誰ですか、別人ですか。
「だから殴ってやってんだろうが、誕生日プレゼントだよ、沈めよクソ髭!」
「何それ意味わかりませーん!つうかどうせなら愛を贈ってみせろクソ眉毛!」
「贈っただろ!なのに逃げたのは誰だよ!?はっ、愛の国が笑わせる!!」
「はあ!?いつお前が・・・え、ちょっ・・・何、坊ちゃん・・・?」
 今、予想外の言葉が聞こえた。気のせいじゃなければイギリスは俺に愛を贈ったって・・・。それって、さっきのキスのこと?濃密で積極的だったあのキスはもしかして同情じゃなくて――。
「死・ね」
「うわぁ止めてお願い!その刃物どっから出したの!お前そんな物騒な仕掛けまだ持ってんの!?」
 じっくり反芻しながらキスの意味を理解しようとした俺に、イギリスはこれでもかというくらい満面の笑みを浮かべて、ジャキッと細身のナイフを・・・たぶん、靴底から出した。銀の刃の切っ先を俺の心臓に振り落とそうとする腕を掴んで一進一退の攻防を繰り広げる。
 いやいやいやおかしいから、お前本気出すとこおかしいから!隠そうともしないマジな殺気とか意味わかんないから!どうせなら愛をくださーい!お兄さんはお前の愛が欲しいですっ!!
 あのキスが慰めじゃなくてイギリスの愛なのだとしたら。
 素直じゃないこいつのわかりにくい愛情表現なのだとしたら。
 押し留めたのは間違いだった。きっとこいつは俺が拒んだと勘違いしている。
 拒絶されるのが何よりも怖い、臆病で寂しがり屋の泣き虫イングランド。
 なぁ、俺は自惚れてもいいのか?求めてもいいのか・・・お前を。毎年たった一日だけ、傍にいてくれる特別な日が永遠になるように。お前も、それを望んでいると――。
「ねぇ、ちょ、坊ちゃん―――っ話、聞いてっ!」
「なんだよクソ髭っ!今際の際の台詞なら聞いてやるぜ!?」
 僅かでも気を抜けばナイフが俺の胸に突き刺さる、そんな怖ろしい状況で必死に呼び掛ける。イギリスはギラギラとした凶暴な目付きでニヤリと嗤った。
 もしかしてこいつ事の成り行き忘れてない?俺の誕生日だとかそういうの、すっぱり忘れてるんじゃないの!?お前ほんと刃物持ったら人が変わるよね!さすが元ヤン!
 この凶暴眉毛と恋人になるなんて、五体満足で生きていける気がしない。押し倒したらエッフェル塔もぎ取られそう・・・やだ怖い。今なら引き返せる。けど、こういうとこも含めてイギリスだから。そんなお前を俺は、ずっと好きだった訳だから。
「愛してるよ」
「・・・・・・っ」
 簡潔に一言告げれば、ゆるゆると見開かれる翠の瞳。脱力して引き戻されるナイフ。ほっと一息ついた――その瞬間。ひゅんっと銀の軌跡が走り、風を切る音が聞こえた。ぷつりと俺の幾筋かの髪が失われたのを感じる。恐る恐る視線を向ければ、間違いなくナイフを持つイギリスの手が俺の頭の横に突き刺さっていた。
「え、えぇと・・・イギリスさん?」
「遅ぇんだよ、ばか・・・」
 見上げるイギリスの顔は拗ねた子供みたいに口をへの字に曲げていて。あやすようにそっと頬を撫でたらみるみるうちに真っ赤に染まっていって。翠の瞳が潤んで涙に沈んだ頃、イギリスはぽつりと呟いた。
「俺も・・・愛してる」


 身体の中には新たな息吹が駆け巡っている。そうして只々国の建国を祝う声だけが俺の中で響く。俺の誕生日を祝ってくれる声に、自然と口元が綻ぶ。
「もう日も変わったし寝ましょうかねー」
 式典まであと数時間、一眠りくらいはできるはず。ふぁーと欠伸をした瞬間、げしっと脛を思いきり蹴られた。ゴホゴホ咽ながら睨みつければ、いつも通りのイギリスの顔。あれ、さっきまで俺にしがみついて泣いてたのは誰だっけ?
「晴れ晴れした顔しやがって、ムカつく」
「だって誕生日だもん、新しい一年が始まるんだよ?それにお前との関係まで新しくなったなんて、目出度いじゃない」
「知るかばか」
「なぁに?それとも朝まで俺とイチャイチャする?やぁだ坊ちゃんたらお盛ん・・・うぼわっ!」
 殺気を感じて慌ててしゃがんだ俺の頭上をイギリスの足蹴りが横切った。やはり関係が変わろうとも暴力三昧は変わらないらしい。このままじゃベッドの上でも取っ組み合いになりそうだ。ナニソレ美しくない!これはじっくり教育し直さねば。
「言っとくけどな、俺は裏切りは許せないタイプだ。今までみてぇに爛れた性生活送ってみろ、てめぇのエッフェル塔に火ぃつけてやる。覚えとけ」
 晴れて恋人となった千年の腐れ縁の隣国は、ニヤリと尊大に笑ってそう宣告した。それはそれは心底愉しそうに。





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