Russia


 窓の外は今日もどんよりとした雲に覆われ、吹き荒ぶ風に舞い散らされながらも、しんしんと降り積もる雪だけが視界に映る。白しか色のない僕の国。すべての命を拒絶するような寒さに畏れて誰一人歩く者はいない。動物さえも暖かな寝床から出てこない。こうして閉ざされた空間にいると、自分は一人なのだと、寂寥感に苛まれる。
 冬将軍くんは僕の味方だけど、友達じゃない。僕ですら制御できない。自然の脅威の前に人は、人を象る国は、無力だ。
 だからこそ人肌が恋しくなる。恋しくて渇望して狂う。今の僕のように。
 どうしようもない気持ちを吐き出すように一つだけ溜息を零して、傍らで眠っている、大きな身体の割にあどけない寝顔へと視線を向ける。さっきまで僕の身体を誰かの身代わりにして愛していた、可哀想な彼。
 夢の中では想い人に会えたのだろうか?微かに緩んだ口元が誰かの名を呼ぶように動くのに気付いて、そっと目を逸らす。愛おしそうに呼ばれる名が、僕じゃないことくらいわかっている。だから傷ついたりしない。期待などしない。
 誰も僕を愛してなどくれないのだから。


 初めて会った時、ずるいって思った。
 イギリス君に連れられて僕の家に来たカナダ君を、一瞬だけ見間違えた。柔らかなウェーブを描く蜂蜜色の髪、思慮深さを感じさせる深い紫紺の瞳。それは彼の色にとても良く似ている。
 僕の憧れのフランス君。
 長きに渡るタタールの侵攻をようやく打破したと思ったら、今度は上司による強権支配が始まり、国内は流血と粛清の嵐が吹き荒れた。独裁者と呼ばれる彼の死による混乱の後、現れた上司は立ち遅れた僕の国を甚だ憂いた。まぁ確かに西欧の発達した技術に比べたら、僕の持つ道具なんて原始的で古過ぎたんだけどね。説明書が要らない道具は扱いやすくて良いと思うのに。
 上司は積極的に西欧の進んだ技術を取り入れ、華やかな宮廷文化を真似て・・・田舎者と揶揄される僕を高めようと必死だった。毎日言葉やマナーを勉強させられて、そんな時、フランス君と出会ったんだ。
 滑らかな白磁の肌に輝く金の髪、形のよい薔薇色の唇、愛らしい薄桃色の頬、透き通った瑠璃色の瞳。眉目秀麗とはこういう人のことを言うのだろう。其処にいるだけで誰もが目を奪われる、美しいお人形のような姿。
 それが、フランス君。美しく華やかで豊かな国の化身。細かな装飾が施された豪奢な衣装を身に纏い、完璧な作法で振る舞う彼は上品でいて蝶のように軽やかだった。
 見惚れて呆然と立ち尽くし、ふと薄汚れた襤褸を纏う自分の姿が恥ずかしくなった。これでもフランス君に会うというので僕の国なりに精一杯着飾ったつもりだったのだけど、彼の前では乞食みたいだ。僕とフランス君の国力の差、技術の差、文化の差・・・ありとあらゆる己の未熟さを思い知って、かなしくなって、深く俯いた。そうしたら。
「綺麗なプラチナブロンドだね、光に透けてキラキラしてる」
 細い指が僕の髪をさらりと掬った。驚いて顔を上げると、目の前に立つフランス君はにこりと笑って、僕の瞳もアメシストみたいで綺麗だと褒めてくれた。そうして顔を寄せて、頬に、キスをくれた。
 人の唇の温もりを知ったのはそれが初めてだったんだ。誰も僕にキスしてくれなかった。そんな甘やかでやさしい気持ちで触れる人はいなかった。キスではなく暴力を、蹂躙され支配され侵され続けてきた僕の心は、いつも書物にあったかいと書かれている愛に飢えていた。
 だから、フランス君に恋をしたのは当然なんだ。
 でも同時に彼が僕の恋人になることもないと諦めていた。だって僕とフランス君じゃ格が違う。欧州の辺境の僕に彼は気紛れなやさしさをくれただけ。彼にはきっと同じくらい華やかで優美で知的な女性が似合うと思うから。
 僕はこの恋心をひっそり胸のうちに仕舞いこんで、大事にしようって決めた。


 それなのに、フランス君に愛された子がいたなんて。
 フランス君が新大陸の子を保護したとは聞いていたし、やさしい彼のことだからその手に抱いて慈しんだのだろう。僕に色んなことを教えてくれて、僕の国花でもあるひまわりをもたらしてくれたように、その子にも様々なものを与えて大切に育てていたのだろう。でもその後イギリス君に喧嘩で負けて、その子は奪われてしまった。それだけのことだと思っていたんだ。なのに。
 彼の色を戴いてるなんて。そんなの、ずるい。そんなの、僕が欲しかった。
 カナダ君でなく僕を拾って欲しかった。寒い荒野でタタールに追い回される日々、フランス君に護って欲しかった。愛されたかった。彼の腕に抱かれて安らぎたかった。
 僕の欲しかったもの、彼の愛、彼と過ごす時間、なにもかも与えられながら、カナダ君はイギリス君の家に行ってしまった。フランス君を忘れてイギリス君に忠誠を誓って・・・そして彼に恋してる。
 フランス君の愛を一身に受けた子がイギリス君に恋してるなんて、そんな莫迦な話がある?
 しかもイギリス君はアメリカ君を好きだから、カナダ君の想いは報われない。諦観にも似た表情で、離れた場所からそっと彼等を眺めている。
 一方通行の恋ばかり。
 だから。
 ちょっとだけ魔が差したんだ。


「ねぇ君さ、僕のものになりなよ」
 氷の礫が襲い来る極寒の地、風は冷気を伴いそれだけで人を死に至らしめる。そんな僕の国に仕事で訪れたカナダ君を家に招いて、温かな紅茶とヴァレーニエを振る舞いながらそう提案した。
「それは・・・どういう・・・?」
 彼は紫紺の瞳をぱちぱちと瞬かせ、少し首を傾げた。思慮深く僕の意図を探るように見つめながら、僅かに身体を強張らせる。そんな様子さえモヤモヤと苛立ちを覚える。フランス君ならそんな風にあからさまに身構えたりしない。彼なら僕の言葉を茶化す余裕さえあるだろう。
「そんな警戒しないでよ、別に君の国をどうこうしようなんて考えてないから。そうじゃなくて僕と君個人の話。僕、君のこと気に入っちゃったんだ」
「気に入ったって・・・それは、その・・・」
「好きってことだよ」
 にっこりと微笑みかけながらシンプルな言葉を口に乗せれば、カナダ君は面白いくらいにまん丸く目を見開いた。かちーんと凍ってしまったように固まって、そのまま数秒経っても動かない。部屋の中は暖かいのに本当に凍っちゃったのかな?と心配し始めたその時、僕の言葉の意味をやっと理解したのか、突然ぼっと全身を朱に染めた。
「あ、ありがとうございます・・・」
 あわあわと狼狽えて手を上げたり下げたりしながら、彼はやっとそれだけを告げた。なんだか素直で可愛いな。フランス君みたいな優雅さも知性も見受けられないけれど、カナダ君からは素朴で純情な人柄が窺える。
 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけど、フランス君への想いとは別に、彼の人となりに惹かれた。好奇心と言ってもいい。だから。
「ね、僕達付き合おうよ。いいでしょ?君がイギリス君を好きなの知ってるよ、それでもいいんだ。僕はただ君に傍にいて欲しいだけ」
 でも、と拒絶を示されるのを遮って恋人ごっこへと誘った。
 僕がカナダ君をフランス君の身代わりにするように、カナダ君も僕をイギリス君の代わりにすればいい。叶わない想いを抱く者同士わずかな温もりを分かち合って慰め合えばいい。馬鹿げたお遊び、だけど魅力的じゃない?だって一人は淋しいでしょ?愛されないのは哀しいでしょ?僕が相手してあげる。だから君も僕の相手をしてよ。
 僕の内心を知らないカナダ君は益々困惑して紫紺の瞳を揺らしている。僕の言葉を真に受けて、僕が傷つかない断り方を考えてるみたい。そんなの必要ないのにね。君はただ僕の提案に乗っかるだけでいいんだ、それだけで楽しい恋人ごっこが始まるんだよ?
「ごめんなさい、僕は・・・」
「じゃあ友達でいいから。たまにこうして二人で会いたい。ね、それならいい?」
 逡巡を振り切るかのように頭を一つ振ってから意を決して口を開いたカナダ君に、僕はふわりと笑いかけた。まずはお友達から。少しハードルを下げてあげるとカナダ君も拒否する意味を失った。
「友達でしたら・・・むしろ光栄です。よろしく、お願いします」
「わぁい、嬉しいなー」
 警戒されないようにさりげなく手を差し出せば、彼は見るからに安堵の表情を浮かべて握り返してきた。その手をぎゅっと掴んで引き寄せて、すかさず唇を奪う。
「・・・・・・んっ!?・・・っ、や、めてください!」
 ぎょっとして思い切り僕の肩を押して距離を取るカナダ君に、僕は悪戯っぽく声を上げて笑った。
「あはは、勘違いしないでよ。今のはロシア式の挨拶だよー。これからよろしくね」
 僕の顔を凝視して警戒するカナダ君に、肩を竦めて見せる。まぁ、もちろんわざと勘違いするように仕向けたんだけどね。僕のこと、少しは意識すればいい。
 ロシア式の挨拶のキスは唇に、というのは国体で各国の文化に精通するカナダ君も知っているはず。だから焦りと戸惑いに満ちた紫紺の瞳はすぐに納得して静穏を取り戻した。心の内を雄弁に語る瞳は、色こそフランス君に似ているけどまったくの異質だと、既に気付いていた。一目見た時は見間違えた容姿が、実はそれ程も似ていないことにも。
 なのに不意にキスしたくなったのは、この悪戯を続ける気になったのは・・・何故だろう?


 お友達として始まった交友関係が見せかけの恋人に変わったのはいつだっけ。
 時々互いの家を行き来して一緒に食事したりデートしたりティータイムを過ごす間、少しずつ僕は彼に愛を囁いていった。カナダ君の叶わない恋心を刺激して淋しさと辛さを増長させつつ慰めて、僕が仕掛けた罠に落ちるよう促す。
「イギリス君はひどいね。君がこんなに尽くしているのに、彼は恩知らずのアメリカ君にぞっこんだ。君が傍にいることにも気付かず、アメリカ君と見間違えるなんて最低だよ。可哀想、カナダ君が可哀想」
「僕はそれでいいんです、あの人が幸せならそれで・・・」
「いつだってイギリス君はアメリカ君のことばかり。さっきの会議だってアメリカ君のフォローばかりで君の意見なんてこれっぽっちも聞き入れてくれなかったじゃない。その癖君には負担ばかり強いて。ずるいよ」
「僕は、あの人のお役に立てるならそれで十分なんです。だって弱かった僕がここまで大きく育ったのは、イギリスさんのお蔭ですから」
 イギリス君に一途な恋を捧げるカナダ君はなかなか思うように動かない。叶うことのない想いを胸に抱いて大切そうに育んでいる。恋をしている、それだけで幸せなのだと。微かな甘酸っぱさを含みながらふわりと笑うカナダ君は、とても輝いて見えた。
 フランス君に似たやさしい眼差しで、イギリス君を見守るカナダ君の目が僕を映してくれたらいいのにと、どうしてだか思うようになった。少しばかり意地になったのかもしれない。だって誰も僕を愛してくれない、傍にいてくれない、僕を見てくれない。そんなの嫌だ。せめて同じ想いを抱えているカナダ君くらい僕のものになってよ。


 友人として彼と過ごす時間は十分に楽しかった。こまめに連絡を取り合って、都合が付けば互いを訪ねる。会えばゆったりと寛ぎながらおしゃべりしたりドライブに行ったりショッピングしたり。誰かと行動を共にして思いを共有するということは、心をあたたかなもので充たしてくれた。
 そして、普段は物静かでいるのかいないのかわからないカナダ君が、時折ツボにハマると熱くなることを知った。
 一緒にスキーをした時はフォームにうるさかったし(でも僕の方がうまかった)、カヌーをした時も手にマメを作ってまで必死になった(でも僕の方が早かった)。カーリングした時は、いつもの穏やかさはどこにいったのかというくらいの口論になって、びっくりしたよ(あれは絶対に彼の言い分がおかしかった)。
 争い事は嫌いと言いながら、スポーツ観戦では髪を振り乱し拳を突き上げて応援し、得点が入る度にジャンプして持っていたドリンクやポップコーンを周囲に撒き散らした(その後お気に入りのラグの汚れ様にしょんぼりしていた)。 
 この間はスクラップブックの素晴らしさについて延々語った挙句、僕と交換する約束まで取り付けたっけ。実際交換した彼のスクラップブックは見事な物だったけど――被写体がすべて彼といつも一緒のシロクマ君だったのは、なんというか・・・仲睦まじいね。
 そんな風に過ごすうちに、気取らずおおらかなカナダ君の魅力に僕は虜になっていた。恋人ごっこなんてしなくても、触れ合うことがなくても、こうして一緒に友人として過ごすだけで十分なんじゃないか、幸せなんじゃないかって。そう思い始めた。
 けれど。
「会いに行ってもいいですか?少しだけ、お話したい」
 冷たい風雪が吹き荒れる中、カナダ君は暗い表情で僕の家を訪れた。


 全身雪まみれのまま、悄然と俯いて玄関前に立ち尽くしていたのに驚いて、慌てて家の中に招き入れた。彼の頭や肩に積もった雪を払い除けながら、そっと様子を窺う。
 マグカップに淹れたあったかい紅茶に少しだけウォトカを垂らして、無言のままソファーに座って身体を丸めているカナダ君に差し出す。彼は弱々しくそれを受け取って一口だけ含むと、両手でマグカップを包み込んで暖を取り始めた。彼の横に僕も座って、紅茶を飲みながら事情を打ち明けてくれるのを待ち続ける。
 どれくらい経っただろう?ケーキも紅茶も幾度となくおかわりして、暖炉の薪も足して、気付けば窓の向こうは漆黒の闇に覆われていた。
「今日は泊まっていくでしょ?僕、客間の用意をしてくるね」
 そう言い置いて立ち上がった僕の手首を、カナダ君は思いの外強い力で掴んできた。驚いて振り返った先、彼は・・・親とはぐれて心細い迷子のような、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
 此処にいて、という言葉に促されて座り直した僕に、ようやく彼は重い口を開いた。
「アメリカの家に用事があって行ったんです。そしたらイギリスさんがいて・・・」
 言い淀みながらもぽつぽつと語られるそれは、応対した二人の姿がどう見ても最中、もしくは事後だったと。彼等の関係がただの友人関係ではなく恋人関係であると、はっきり見て取れる状況だったのだと――。
「僕、わかっていたんです。あの二人の関係なんて、傍で見ていたらわかります。えぇ、知っていましたよ。だけど、だけど・・・」
 耳を澄ませないと拾えない程の小さな声で紡がれる絶望。両の手のひらで覆われた表情は見えないけれど、きっと泣いているに違いない。ぶるぶると身体を震わせて悲嘆にくれるカナダ君の痛ましい背を見つめて、僕はただ、沸々と腹の底から沸き上がる激しい怒りに身を任せた。
「――僕、アメリカ君嫌い。イギリス君も嫌い。大嫌いだよ」
 嫌い嫌い、カナダ君をこんなに哀しませるなんてひどい。こんなにやさしくてあったかくて純粋なカナダ君を傷つけるなんて許せない。許さない。いなくなっちゃえばいいのに。
「ロシアさん・・・そんなこと、言わないでください」
「彼等の肩を持つの?こんなにひどいことされたのに?君は許せるの?」
「許すとか肩を持つとか・・・そういうのじゃないです。ただ、あの二人だってわざとではなく偶々だった訳ですし・・・」
 それに、と一言置いてから、カナダ君はそっと僕の方へ手を伸ばしてきた。あたたかな手のひらが僕の頬に触れて、其処を濡らしていたものを拭ってくれる。そうして彼は、ふわりと穏やかに微笑んだ。
「やさしい貴方が僕の為に誰かを恨むのは嫌です。・・・僕のせいで泣くのも」
 その言葉に僕の心は攫われて、胸の奥底に鍵をかけて仕舞いこんでいた恋心が溢れ出た。全身が愛おしさに震えて胸が苦しくて、堪らずにカナダ君の唇に僕のそれを重ねた。彼は驚いていたけれど、そっと僕の身体を引き寄せて、ゆっくりとキスを深めていった。


 ―つづく―





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