France/USA/UK




 
 目の前には透明で粘度の高い卵白が入ったボウル。俺はその中に、ふるいにかけてきめ細やかなパウダー状になった粉と砂糖を勢い良く放り込んだ。
「なぁ、この粉全部入れちまっていいんだよな?」
 アメリカと二人がかりで縛り上げてリビングに転がした奴に声を掛けると、ぎゃあああと悲鳴があがった。
「先に泡立てるって言っただろうが!!何してんの、それじゃ泡立たないでしょ、ばか眉毛!!」
 ぎゃんぎゃん喚きながらドッタンバッタンのたうち回っている。陸に打ち上げられた鱈みてぇだ。つうか入れちゃまずかったのか。あー・・・そう言えばさっき聞いたような気がする。いや聞いてねぇな、うん聞いてねぇ。
 ぎゃーぎゃー騒ぐフランスを横目にがしがしとボウルの中を泡だて器でかき混ぜる。
「んだよ、混ぜてりゃいつか泡立つだろ」
「お菓子作りは工程が大事なの!だから俺が作るって・・・」
 シャクトリムシよろしく器用に這ってキッチンに入ってきたフランスが恨めしげに俺を見る。その背をアメリカが踏みながら通り過ぎた。ぐぇっと蛙が潰れたような声を出すフランスに構わず俺はひたすらかき混ぜる。
「いい加減諦めろよ、今日は俺とアメリカで作るっつっただろ。てめぇはそこで昼寝でもしてろ」
「のんびり寝てられる訳ないじゃない!俺の聖域で食物兵器が作られてんのに!」
「あ!?失礼なこと抜かすな、今んとこ問題ねぇから安心しろよ」
「嘘つけ!初っ端からしくじったよね!?」
「メレンゲ作りは気合と根性だろ。為せば成る」
「そんなのなくてもきちんと手順踏めばできるんですー・・・ぐふっ!」
 腕の中のボウルに対してはレディのあそこを愛撫するかのようにやさしくかき混ぜ、同時に床に這いつくばってるフランスのどてっ腹に靴先を捩じ込む。悶絶した奴がやっと黙ったことで、キッチンの中には俺がメレンゲを泡立てるシャカシャカという音のみが響く。
「そろそろコレ入れるよ?・・・わお、クールな色になったんだぞ♪」
 なんとか存分に泡立ったメレンゲを3つのボウルに分け、それぞれにアメリカが着色料を入れていく。青と赤と黄色。水に溶いたそれを少しずつ入れていくはずなのだが・・・。
「おい、アメリカ・・・ちょっと入れ過ぎじゃねぇ?」
「えーこれくらい入れた方が綺麗じゃないかい?」
 皿に溶いた着色料を一気に投入するだけじゃ飽きたらず、着色料の瓶を逆さまにして振っている。ボウルの中は鮮血と見紛うごとき朱に染まっている。青と黄色も同じ状態で、ボウルを並べれば自己主張の激しい信号機のようだ。・・・ま、まぁ、鮮やかでいいか。
「ちょ、こらアメリカ!坊ちゃんに入れ過ぎって言われるくらい着色料入れちゃダメ!お兄さんは可愛い色が好きなんです!」
「え、これ可愛くない?」
 首を傾げたアメリカがボウルを片手に持ってフランスに見せる。途端に奴は目を見開いてマジ泣きし始めた。床に頭を打ちつけながら盛大に不平を漏らす。
「なんでそんなに原色が好きなの、お前はぁぁぁっ!!可愛くないし、美しくない―――っ!!」
「君のとこの色は中途半端なんだよ。これ可愛いと思うんだぞ」
 アメリカは愉しそうにボウルの中の着色料とメレンゲを混ぜ合わせ、見事な赤い生地を生み出した。
 生地を天板に絞り、乾かしてからオーブンで焼いている間にガナッシュも作る。俺の好みでちょっとだけブランデー多めだ。ガナッシュの香りだけで気持よく酔えそうだ。


 オーブンから出る煙が部屋中に立ち込めた頃、こんがりきつね色・・・より少しばかり濃い焼き色のマカロンが焼き上がった。ガナッシュを絞り出し2つを一組にすれば、マカロンの出来上がりだ。
 俺とアメリカで作ると宣言した途端、暴言を吐きながら断固拒否したフランスを縛り上げてから数時間、ようやく完成した。
「ぶー・・・せっかくクールな色の生地だったのに・・・」
「クールだろうが今でも。ほら見ろ、この辺とか鮮やかな青じゃねぇか、こっちもほら!」
 がっくりと肩を落とすアメリカを慰めるようにマカロンを手に取って、綺麗に色付いた場所を指さして見せる。けれどアメリカは不満気に口を尖らせてふいっとそっぽを向いてしまった。
「一部分だけ辛うじて色が残ってるけど、全体的には黒一色だよね。君が温度設定間違えたから!」
「ああ!?黒くねぇよ色が残ってるだろ、成功だろ!?」
「いっつも思うんだけど、君って菓子作りの時の志がこれでもかっていうくらい低いよね」
 はぁと、これみよがしに溜息を漏らすアメリカの脛をげしっと蹴り込めば、涙目になりながら思いきり睨まれた。その視線を完璧に無視してマカロンを盛りつけた皿をトレーに乗せると、アメリカに押し付ける。
「つべこべ言ってねぇで、これ先にリビングのテーブルに運んどけ。俺は紅茶淹れるから」
「えー、マカロンなんだからコーヒーがいいんだぞ」
「うるせ、苦い水なんざ飲めるか」
 まだ文句をつらつら論うアメリカをキッチンから蹴り出してケトルを火にかける。そうして紅茶を注いだティーカップを持ってリビングに行けば、ソファでフランスが項垂れる姿が目に入った。
「坊ちゃん、食べ物に対する冒涜ですよ、これは・・・」
「んだよ、ちゃんとマカロンぽくなってるだろうが」
「炭でガナッシュ挟んでる状態をマカロン言うな!世のパティシエが泣くわ!それ以前にお兄さんが許しません!」
 ぎゃあぎゃあ煩いフランスの髪を引っ掴みながら強引に食わせようとすると、後ろから美味しいんだぞーというアメリカの呑気な声が聞こえた。
「あ、お前何一人でガツガツ食ってんだよ!こういう時の作法はだなぁ!」
「うるさいな、出されたものはさっさと食べるのがマナーなんだぞ」
「アメリカ・・・お前の胃袋ときたら相変わらずね・・・お兄さんのもあげます」
「てめぇは食えっつってんだろ!?クソ髭ぇっ!!」


   二つのココロ


 少しばかりヒースロー空港の中をうろついて時間を潰してから、重い腰を上げてロンドン郊外の彼の家へと向かう。入国した当初晴れていた天気はいつの間にかどんよりと重苦しい雲に覆われ、先程から冷たい雨がぽつぽつと俺の肩を濡らしている。さすが一日に四季があると言われる国。
 彼の心もこれくらい軽く移ろえばいいのに。いつまでも過去に囚われてないでさ、俺を見てくれたらいいのに。
 俺に、恋してくれたらいいのに。
 遣る瀬ない想いを吐き出すように溜息を漏らして、頭を軽く振る。髪についた水滴が跳ねて飛んでいくのを見ながら、思考を切り替える。明るく、前向きに。そうしてしのびやかに心の内で神に祈る――彼の笑顔を見れますように。昔のように穏やかに笑ってくれますように。
 けれど、くすんだ金の髪に翠の瞳のその人が微笑む顔を思い浮かべようとすればする程、その顔は黒く黒く塗り潰されていく。
 泣きたい気持ちを封じ込めながら重い鉄の門扉を押し開け、様々な種類の花が雨に濡れて沈む庭を踏み行き、玄関に辿り着く。一呼吸の後チャイムを鳴らす。
 今日は傷つけるようなことはしない、ただ会いたいだけ。会って一緒に過ごして、少しだけ触れて。あぁでも君が嫌なら触れないから。だから出ておいで、イギリス。俺を迎え入れて。
 がちゃり。
 扉は俺を受け容れるかのように開かれた。


「やぁイギリス、相変わらず君の家の天気ときたらどんより薄暗いし突然雨は降ってくるし、最悪だね!」
 大袈裟なくらいに明るい声でいつも通り声を掛ける。途端に家の主はムッとしたように口を曲げてぎゃんぎゃん喚きだした。
「いきなり来てなんだその言い草は!」
「いきなりじゃないぞ?ちゃんと今日行くって言っただろう?」
「・・・時間守らねぇアポはアポって言わねぇんだよばかやろう!」
「仕方ないじゃないか、うっかり間違えちゃったんだよ」
 ぺろりと舌を出して誤魔化しながら彼の横を擦り抜けると、イギリスは慌てて制止の声をあげた。そこから絶対に動くなと厳命を下して彼はバタバタと廊下の奥へと走り去り、戻って来るなり手に持ったタオルを容赦なく俺の頭に被せた。次いでガシガシと拭き始める。
「こんなに濡れちまって・・・風邪ひくだろ、ばか」
 視界を遮るタオルの向こうでイギリスが心配そうに言う。まるで母親みたいだ。やわらかなタオルの感触に温かな気持ちになりながら、同時に苛立ちがちりちりと胸の奥を灼く。
「君だって雨の中傘差さないで歩くじゃないか」
「俺はいいんだよ、英国紳士だから!」
「なんだいそれ」
 呆れたように言えば彼は押し黙ってしまった。そのまましばらく無言で俺の濡れた服を拭いていく。背に回られてしまえば表情も見えなくて、何を思っているのかわからない。まぁどうせ碌なこと考えていないんだろうけど。
 居心地が悪くて何か明るい話題でもと口を開いたのと同時に、イギリスがぽつりと呟いた。
「・・・全然来ねぇから、今日はもう来ねぇのかと思った」
「俺に、会いたかった?」
「べ、別にそんなんじゃねぇけど・・・せっかくスコーン焼いたのに、お前いなきゃ食いきれねぇし」
「無理しなくていいよ、本当は――来て欲しくなかったんだろ?」
 背後でぎしりとイギリスが固まるのを感じた。図星を指されてうろたえる様を見たくなくて、ぎっと廊下の先に飾られている花瓶を睨みつける。彼の手によって世話をされて美しく花開いた赤い薔薇たち。いつだって彼の愛は献身的でありながら利己的だ。
「ち、がう・・・」
「・・・もういいから、お茶にしよう。アフタヌーンティーには間に合っただろう?紅茶淹れてよ」
 振り返らずにそれだけを言い捨てると、その場に彼を置いてリビングへと足を向けた。花瓶の横を通り過ぎる時、一輪の花がはらりと散った。彼の傷ついた心を示すように。俺を、責めるように。


 始まりは欧州の金融危機だった。
 ある一国の財政問題が明るみになると瞬く間に市場の混乱は欧州全体へと広がり、各国は金融不安に喘ぐようになった。基盤の弱い国はデフォルトの危機に陥るだけじゃなく実体経済まで打撃を受け、不景気からの相場下落へと悪循環を繰り返してしまった。欧州を取り纏める地力のある国達でさえ引き摺られるように財政状況が悪化してしまい、当然欧州の一端を担うイギリスも、英国の不況と共に体調を崩していた。
 けほこほと乾いた咳を時折しながら、見るからに痩せ細ったイギリスが二国間会議の後に俺の執務室を訪ったのは夕刻のことだった。今でも良く覚えている、あの空の色。藍と朱が入り交じって紫を成し、たなびく雲を複雑な濃淡で染め上げていた。落日の太陽は血の滲んだような色をして、各国の悲鳴と狂気を吸い取っているようだった。そんな、黄昏時。
 イギリスは俺に頼みがあると、一人やって来た。
「具合はどうだい?まぁ、見ればわかるけど」
「悪くはねぇよ、これでもな」
 彼の体調を気遣って早々に椅子を勧めると、彼はゆったりとした歩調で近づき行儀よく腰掛けた。姿勢を正し、まっすぐに俺を見る。けれど疲弊は隠しようもなく、微かに震えるその身体は彼自身の精神力と一本の杖によりなんとか支えられている状態だった。
「強がるもんじゃないよ、おっさんが。今回の騒動には俺でさえ困り果てているんだ。欧州にいる君の状態なんて簡単に想像がつくさ」
「さすがの合衆国様も煽り喰らったな」
「まったく迷惑千万な話だよ。・・・寝てなくて大丈夫なのかい?」
 くっと口の片端を持ち上げて皮肉げに笑いながらも、その顔色は土気色で覇気がない。今にも倒れそうな様子が気がかりで、つい慮るような台詞を口にしてしまった。プライドの高い彼は、他人に心配されても素直に頷くことはないと、わかっているのに。
「俺は大丈夫だ」
「米英間は特別な同盟関係にあるからね、言ってくれれば俺にできる限りの援助をするよ」
「俺は、いい」
 案の定彼はぴくりと頬を震わせるとより一層姿勢を正し、頑なに俺の配慮を固辞した。言い方を間違えたな、と内心臍を噛む。それでもイギリスは何かに迷うように視線を彷徨わせ、思いを巡らせている。そもそも彼は此処に何しに来たのか?俺に、米国に救済処置を頼みに来たのじゃなければ、何を?
 彼の言葉を待つうちに、辺りはすっかり夜の帳に覆われ、朧な月光のみが儚げに彼を照らし出している。灯りを点けようと席を立ったその時、イギリスが俺に向けて縋るような瞳を向けた。あの誇り高く常に毅然たる態度を崩さないイギリスが、俺に、救いを求めるように。
「お前に、頼みがある。アメリカ・・・」
 迷い子のような脆い危うさを伴って、彼は微かに震えながら傍に立つ俺を見上げてきた。見たこともないイギリスの姿に思わず息を呑む。心細げに揺れる翠の瞳を見つめるうちに――嫌な予感が、胸をよぎった。
「なんだい?」
「俺はまだ、なんとかこうして立っていられる。問題ない。けど、あいつが・・・」
「・・・・・・」
「フランスが、ヤバいんだ。ずっと寝込んでいて、最近意識も・・・なくすこと、あって」
「・・・へぇ」
 途切れ途切れに紡がれる言葉は俺の胸を切り裂いて、心の奥底に黒々としたシミを作っていった。
 成程ね、フランスか。助けたいのは英国じゃなく仏国。いや、間違いなく彼が俺に縋ってでも救いたい存在はフランス個人なのだろう。あの、千年の腐れ縁。顔を突き合わせれば軽口の応酬、気に食わなければ殴り合って蹴り合って、大喧嘩に至れば容赦しない。その癖いつだって・・・彼等は愉しそうに笑っている。そんな相手の、為。
 本来なら頼りたくもない元植民地の俺に、頭を下げるんだ。
 通常より数段低い声で唸るように相槌を打てば、イギリスは慌てて取りなすように軽口を叩く。
「あ、あのワイン野郎がこのままくたばるなんざ思えねぇ、なんだかんだしぶといからな!むしろこのままくたばっちまった方が汚物見なくて済むかもな!」
「汚物、ね」
「いやその、えぇと・・・。けど、さ、そういう訳にもいかねぇだろ?あいついなきゃ欧州全体ヤバいし。俺もかなりヤバくなる。それだけは避けたい」
 綺麗な翠の瞳が真摯な願いを乗せて、まっすぐに俺の心を射抜く。それがどれ程俺を傷つけるかも知らずに。
 俺の想いを知らない、それ自体が罪だ。こんなに傍にいて、同じ時を過ごしてきて、ずっと大切にしてきたのに気付かないなんて、ひどすぎる。挙句、この始末。他の男を助けろだなんて。
 ぎりっと奥歯を噛み締めて胸の痛みを堪え、内心を悟られないように表情を消し、ゆっくりと返答を口にする。
「米国の方針は変わらないよ、必要以上の援助はできない。こっちも必死なんだ」
「わかってる!お前ができる限り手を尽くしてくれてんのは、知ってる。けど、できれば追加融資を・・・」
「メリットがない」
「お、俺が払う・・・追加分の利は少しなら高利でも構わない・・・」
「君にそれが支払えるの?そんな状態で?」
「いつになるかはわかんねぇけど、今のままじゃ欧州全体死んじまうんだ。頼むよ、アメリカ・・・」
 弱々しく項垂れて懇願する姿に苛立ちが募り、目を逸らした。それでも脳裏に焼き付いたイギリスの顔が俺の心を揺さぶる。フランスの為に英国の不利益すら蒙るなんてね、随分と献身的じゃないか。いっそ素晴らしい純愛だと拍手喝采を贈ってもいい。・・・くそっくらえだ!
「・・・君が助けたいのは誰?欧州?仏国?違うよね」
「え?」
「君が助けたいのはあくまでただ一人、フランスだけだ」
「何言ってんだよ、俺は別にあいつがくたばろうが沈もうがどうでも・・・」
「そう?俺はてっきり、君が愛するフランスの身を案ずるが故に、俺の処に駆け込んできたのかと思ったんだけど」
 彼の心中を暴くように言ってやれば、イギリスはきょとんと目を瞬かせた。数秒、俺の言葉を噛み砕くように思考を巡らせて、ようやく言われた意味を理解した途端ぎょっと身体を竦ませた。彼の手のひらから離れた杖が床に転がって、からんと乾いた音を立てた。
「あい・・・っば、ばっかじゃねーの!?んな訳ねぇだろ!!気色悪ぃっ!!」
 ぺぺぺっと白目を剥いて吐くような仕草でおどけてみせても丸わかりだよ。君が愛しているのはフランス。もしかして千年の時の間に既に情を通わせたことあるのかも。病床を見舞ったくらいだものね。それとも付きっきりで看病していたのかな?俺が知らないだけで。・・・その想像だけで腸が煮えくり返りそうだ。
 だけどごめんね、俺は君のことが好きなんだ。彼には譲らない。
「違うの?じゃあ構わないよね」
「何が!?」
「追加融資の見返り。米国の基金で欧州を救済してあげる。その代わりに、俺は君を要求する」
「・・・・・・、は?」
 意味がわからないと首を傾げる姿に、思わず笑みが漏れた。リラックスと言えば聞こえはいいが、真っ暗な部屋の中に俺と二人きり。無防備にも程がある。
 きょとんと見上げる瞳に視線を絡めながら、ゆっくりと近づいていく。距離を縮めてもイギリスは微動だにしない、ただ不思議そうに見ているだけ。俺の気持ちを知らないから。いや、知ろうともしないから。
 腕を伸ばせば触れられる処で足を止めて、威圧的に見下ろしながらやさしくわかりやすく言ってあげる。
「君が俺のモノになるなら、フランスを助けてあげるよ。まぁ、彼に死なれては米国も困るからね」
「何、言ってんだ?お前・・・言っている意味が」
「わかるだろう?言葉通りだよ。見返りは君だ」
「それは・・・英国に51番目の州になれっつってんのか?」
「違うよ、俺が言っているのは君個人のことだ。ねぇイギリス、俺は君のことが好きなんだ。君が、欲しい」
 鈍い彼は何度も見当違いな言葉を重ねたけれど、はっきり言ってやれば、ひゅっと息を呑んだ。身体を強張らせ、困惑げに顔を歪ませながら、俺の本音を探るようにじっと覗き込んでくる。
「俺は男だぞ・・・?」
「知ってるよ。君の貧相な身体なんか幾度となく見てきたからね」
「じゃ、じゃあ・・・ゲイ、なのか・・・」
「別に、そうでもないよ。単に他の誰にも興味を持てないだけ」
「お前のその、好き、は、家族としてじゃないのか?」
「そんな訳ないだろう。そもそも君とは既に家族じゃない」
 冷淡に言い放つとイギリスは唇を噛んで泣きそうな顔をした。悄然と俯いてしまった彼の後頭部を見ながら、苛立ち紛れにちっと舌打ちをする。落ち込むのはそこか!
「別にわかってくれなくていいけどね、フランスを助けたいなら俺の言う通りにするんだ。俺に抱かれて好きなように弄られて、喘いでみせてよ」
 露骨に性的な台詞を吐いてみせれば、ようやくきちんと俺の意図を汲み取ったらしいイギリスの肩がびくりと震えた。顔を上げてゆるゆると目を見開き、唇を戦慄かせて信じられないと、力なく首を横に振る。
 ショックを受けた様子が面白くなくて思わず手を伸ばせば、真っ青になったイギリスは反射的にがたんと椅子を蹴って立ち上がった。床に転がった杖を踏んで体勢を崩したその隙に、彼の腕を掴むと強引に引き寄せて、キスをした。
「・・・・・・っ、ん、んっ!」
 虹彩さえはっきり見える距離にある翠の瞳が、混乱のあまり、じんわり涙を浮かべる。痩せ細った腕を必死に突っぱねて抵抗するから、腰に手を回して閉じ込めると、ぼろりと溢れて零れた。拒絶するように固く閉ざされた唇をねっとりと舐ればびくびく震える。開けろ、と歯を立てると痛みに喘いで、ひ、と啼いた。
 僅かに開いた隙間から舌を差し入れると、仄かな紅茶の香りに包まれた。逃げ惑う舌を絡め取って吸い上げ、上顎をなぞって歯列を愛撫する。咥内の敏感な粘膜を擽れば、イギリスは快楽に弱いのか、頬を朱に染めて徐々に抵抗する力を失っていった。
 長年恋をしてきた彼が、今、俺の腕の中にいる。恋人のように寄り添って唇を重ねている。甘い彼の唾液を味わうだけで俺の神経は焼き切れそうだ。もっと欲しいと口づけを深めて貪れば、イギリスは苦しそうに身を捩った。
「ふ・・・う、・・・っ・・・」
 唇が腫れる程押し付け続けて、ようやく離した時には互いの唾液で口の周りはべとべとだった。荒い息を吐きながら俺の身体をぐいっと押しやって、袖で唇を拭うと、イギリスは泣いた。
「・・・返答は今すぐとは言わない。けれど、君の決断が遅れればそれだけフランスの身は危うくなる。心を決めたら俺の処に来るといいよ」
 感情を殺して、これはビジネスだとそっけなく言い放つと、その場に崩れ落ちた彼を置いて部屋を出た。


 程なくして彼は俺の手中に落ちた。
 実のところ、俺は提案したもののうまくいくはずないと諦めていた。キスでさえ彼は泣いて拒んでいたし、そもそもフランスを好きなら他の男に抱かれるのは死ぬ程嫌だろう。たとえフランスを生かす為とはいえ。
 けれど彼はやって来た。俺の提案を受ける代わりに欧州を救ってくれと。思わず哂ってしまった。この期に及んで「欧州」だなんて。俺に犯されてでも救いたいのがそんな広範なものなのかい?そんな訳ないだろう。素直に「フランス」だと言えばいいのに。まぁ言われたらその場で殴っていたかも知れないけど。
 初めて抱いた夜には高揚する俺の心と裏腹に、身体を丸めて啜り泣いていた。最中に吐くこともあった。けれど彼は俺を拒めない。俺に命じられれば足を開くし、声を出してと言えばあられもなく喘いでみせる。契約だから、融資返済まで彼は俺のモノだ。愛するフランスが生気を取り戻して明るく振る舞うのを幸せそうに見ながら、好きでもない男に身体を開く。なんて献身的な愛。
 米国の基金によって欧州の財政問題は危機を脱し、仏国も危うさは孕んでいるとはいえ落ち着きを見せている。英国も順調に回復していき、国民は明るさを取り戻した。だけど、イギリスは笑わなくなった。少なくとも俺の前では。ただ、諦めたように俺を受け容れるだけ。
 昔のように子供を見る目で笑って欲しいわけじゃない。この関係になる前、たまに愉しそうに笑ってくれた、その顔が見たいだけ。
 笑って欲しくて花を贈ったこともある、菓子を持って行ったこともある。けれどそれらを手にしてもイギリスは唇を噛んで哀しそうに俯くだけだ。自分が欲しいモノは違うと言わんばかりに。
 悔しくて、それからはあちこちに痕をつけるようになった。君は俺のモノなのだと、忘れるなと――白い身体に所有の証を刻み込む。見える処は嫌だと抵抗するから強引に首筋につけてやれば、泣き喚いて一週間屋敷に引き篭ってしまった。あのワーカーホリックが!
 それ程までにこの関係をフランスに知られたくないのか。そう思うと嫉妬で狂いそうになって、一度フランスの前でキスを仕掛けた。彼は卒倒してしまった。
 彼を抱く度に思い知るのは、その心を永遠に失ってしまったということ。彼が惜しみなく与えてくれた愛情も信頼も、すべて失ってしまった。こんな酷いやり口で身体を手に入れた以上、心まで求めちゃいけない。彼が俺の腕の中にいる、それだけで満足すればいいんだ。彼は俺を裏切らない、裏切れない。契約だから。
 だけど――どうして、こんなに心が乾くのだろう?


「う、うわ、あ、あああああっ!!」
 耳につんざく悲鳴で目が覚めた。それが自分の発したものだと気付いて、はぁはぁと荒い息を肩でしながら見慣れた天井を眺める。此処はイギリスの家、それは夢の中と変わらない。まだ中空にある月はカーテンの隙間から淡い光を差し入れ、部屋の中を朧に照らす。辺りは深閑とし、誰もが皆深い眠りについている。
 そろりと身体を起こして傍らに視線を遣る。くすんだ薄い金糸をシーツに散らして横たわるイギリスは、疲れきっているのか、俺が身動ぎしても目を覚まさない。その目元は僅かに腫れ、情事の痕の色濃い身体には昨晩俺がつけた赤い華が惨たらしく咲いている。
 やさしくしたかった。笑っている顔が見たかった。なのにまた、傷つけてしまった。彼の流す涙は俺の心にしとどに降ってきて、冷たく重苦しい池になっている。俺はその池に嵌り込んで抜け出せない。溺れて息ができない。
 そっと彼の細い腕を掴んで恭しく目の前に持ち上げる。祈る思いでその白い肌をなぞる。そこに、傷はない。綺麗なままの彼。心の底から安堵して、手首の内側に新たな赤い痕をつけると、再びシーツの中へと潜り込ませた。
 夢を、見る。
 彼が血を流して倒れている、夢。
 現実と見紛う程リアルな鮮血に塗れて、イギリスは意識を失っている。
 俺は――彼を、失いたくない。


  ×××


 そろそろかな、と思って遅めのディナーを作る手を止めたところで呼び鈴が鳴った。あまりにも定期的過ぎて溜息すら出ない。
 明日からまた一週間が始まる、日曜日の夜。翌日の仕事に備えて来客の予定など入っていない。けれどここのところ毎週のようにこの時間、奴は来る。いつも通り、ロンドン発ニューヨーク行きの飛行機が飛んだ後、ユーロスターでパリまで移動して俺の家に着くまで、無駄な時間は一切ない。寄り道一つしないその律儀さを褒めてやればいいのか・・・アポを取っていないのだから褒めるってのもナイな。
 前述訂正、やっぱり溜息が零れる。今作っている二人分のディナーが無駄にならないのは喜ばしいけれど。
「なぁんか最近さー、お前が来たらまた一週間が始まるんだなって思うようになったんだけど」
「へー」
 玄関のドアを開けると案の定のぶっとい眉毛。もとい、イギリス。不機嫌そうなしかめっ面で俺の横を通り過ぎると、勝手知ったるなんとやらの如くキッチンの冷蔵庫を勝手に漁ってクロネンブルグを取り出し、そのまま一気に飲み干して証拠隠滅を図るかのように瓶を片付ける。そしてさっさとリビングのソファに身を沈めるとテレビを付けてぼんやり番組を眺め始めた。その流れるような動きに、思わずここは俺の家で間違ってないよね?と自問自答してしまった。
 いや、別にいいんですよ?クロネンブルグだってエールはないのかと喧しく騒ぐイギリスの為に用意していたのだから。けど・・・もうちょっと、遠慮とか、ね?ないね、うん、知ってる。千年の付き合いだもの。
「お前さ、アメリカが帰って寂しいのか知らないけど、毎週来るなよ。あっちは時差あるけど俺達はこのまま朝が来たら仕事でしょうが。お兄さんの貴重な睡眠時間削るの止めて。お肌が荒れちゃうじゃない」
「むさ苦しい髭に埋もれた肌がどうなろうと知るか」
「いやいやむさ苦しくないから、この髭はエレガンテだから!」
「飯、まだかよ」
「・・・・・・、できてますよ。セットするから手伝って」
 当然のようにディナーを強請るイギリスにがっくりと肩を落として見せるやり取りも毎週繰り返されること。やれやれと首を振りながら再びキッチンに立てば、イギリスも続いて入って来てダイニングテーブルに慣れた手つきでランチョンマットとカトラリーをセットする。冷蔵庫に入れておいたアントレ・フロワドを取り出して、お互いのグラスにワインを注げば腐れ縁二人の晩餐が始まった。
「今日の前菜は小海老と柑橘のカクテルでーす・・・って、せめて聞いてから食べて!!」
「んだよ、さっさとスープ持って来い」
「俺まだ食べてるんですけど!?」
 俺の苦心のソースを禄に味わいもせずぺろりと飲み込んだイギリスは、きょとんと俺の顔を眺めると可哀想なものを見るような視線を寄越して、これ以上なく失礼なことを抜かした。
「・・・年か?顎が弱くなったんじゃねぇ?食うの遅くなったよな」
「お前が食べるのが早いだけですぅーアメリカの悪い影響受けちゃって良く噛まないから!」
「あいつの話すんな」
 ぴしゃりと言い切るイギリスの顔を思わずまじまじと見つめてしまった。いつ頃からだろうか、こんな風に時折微かな違和感を覚えるようになったのは。アメリカとうまくやっているものと思っていたけれど、たまに首を傾げたくなる。イギリスの態度に、甘さがないから。
 それとも立派な三枚舌と完璧なポーカーフェイスで隠しているだけだろうか?確かにかつて自分が育てた子供と恋仲になったというのは、外聞が悪い話だ。薄れたとは言え血の繋がりだってないわけじゃない。倫理的にも道徳的にも頂けない。バレたらこいつが敬愛する女王に反対されて二人の仲は引き裂かれるかもしれない。それを怖れてのことだろうか?
 良くわからない。やれやれと肩を竦めると、言葉を慎重に選んで軽口を続ける。
「なぁに?思い出したら寂しくて泣いちゃう?なんならお兄さんの胸貸してあげ・・・あいたっ!」
 テーブルの下で思いっきり脛に蹴りを入れられて悶絶する。足を抱えて涙目で睨むと、イギリスはふんっと鼻を鳴らして悠然とワインを口に含んだ。
「気色悪ぃこと抜かしてんじゃねぇ、ばーか。んなわけ・・・・・・」
 意図的に潜められた言葉は俺の耳に届かず、美酒と共に奴の内側へと飲み込まれていった。


 イギリスのことなんかガキの頃から知っている。
 狡猾で凶悪で陰険で、その上日本が嬉々として語る二次元でなら萌えキャラになりうるツンデレ属性。そんなのリアルでは甚だ迷惑で面倒くさいだけだ。生意気で口が悪くて手が出るのが早くて、それ以上に足癖が最高に悪い。
 それだけの条件が揃うと、ちょっとくらい顔が好みだからと言って手を出そうなんて気にならない、なる訳がない。顔を寄せたら眉間に銃口がめり込みそうだし、腰を引き寄せれば股間に膝蹴りが入りそうだ。お兄さんの麗しいエッフェル塔がばっきり折れるなんて冗談じゃない。
 だけど地理的には隣同士な上に長い付き合いなので、他国の知り得ないイギリスの内面だって知っている。一番に理解していると言っていい。
 孤高を気取るあいつが実はへそ曲がりの寂しがり屋だって誰よりもわかっている。兄達から疎まれ傷つけられていたあいつは、いつだって確かな愛情を欲していた。あたたかな腕の中に抱き締められて親愛のキスを貰う。ただそれだけのことを、あいつは与えられていなかったから。
 だから俺が初めて面白半分で抱っこしてキスしてやったら、目をぐるぐるさせて真っ赤なトマトみたいになったっけ。なにしやがんだ!って頬をごしごし拭った挙句、湖に顔突っ込んでバシャバシャ洗い始めた時は失礼な奴!て思ったけど・・・実は俺に見られないように泣き笑いしていたんだ。
 素直じゃないあいつが可笑しくて、からかえばコロコロ変わる表情を見るのが楽しくて、良く会いに行った。そうして顔を見せればいつも、憎まれ口を利きながら嬉しそうに頬を緩ませるんだ。まぁ、あいつの目当ては俺のお手製の菓子の方だったのかもしれないけど。
 湖のほとりで一緒に菓子食ってぼんやり空を見上げて、そんな風に穏やかに過ごしておきながら、結局は対立して剣を向けた。あいつは涙も流さずにただ虚ろな瞳で俺を見て、同じように剣を構えた。  
 だって仕方ない、俺もあいつも国なんだから。征服欲もそれに呼応する自衛も、本能だ。そこに甘い情を絡めていたんじゃ生き残れなかった。時に手を組み、時にその手を翻して刃を向ける、それが当たり前だった。
 でも・・・俺だってイギリスを哀しませたかった訳じゃない。剣を振るいながら、それでも幸せになって欲しいって思ったのはほんと。笑って欲しかった。――決してあの憎たらしい居丈高な高笑いじゃなくて!
 結局、何度も小競り合いと大喧嘩を繰り返しながら千年の時間を掛けて築いたものは、いくら殴り合って憎み合っても切るに切れない関係。まさに腐れ縁。俺はそれで十分だと思っている。
 もうね、好きだとか嫌いだとかそういうレベルじゃないの。張り合って罵り合って殴り合いながら、あいつが愉しそうに笑っている。俺も笑う。ただそれだけなんだ。そんな時間が何よりも大切で愛おしいんだ。そしてあいつにそう接してやれるのは俺だけだ。
 あいつが俺に求めているのは愛じゃない。何をしても変わらない、安心できる関係・・・なんだと思う。


 だけど、イギリスが大好きなお子様には難しすぎるようで。見当違いな嫉妬に駆られたアメリカは、わざわざ釘を差しにやって来た。
「おーアメリカ、今回は助かったよ。お前さんのお蔭でうちの財政破綻はなんとか回避できそうだ」
 仏国の状況が落ち着くと共に身体の不調から立ち直り、起き上がれるまで回復した俺は、自宅でのんびり香りを楽しみながらコーヒー豆を挽いていた。手挽きのミルでごりごりと豆が粉砕されていく様をちらりと見て、アメリカは呆れたように溜息を吐いた。たぶん、今時電動ミルを使わない俺と、金融危機を招いた欧州に対して。
「まったくおっさん達ときたら大きな顔しといて体力ないね。俺にまで火の粉が降り掛かって甚だ迷惑だよ。今後こんなことにならないよう、きちんとしてくれよ」
「わかってるって。もうちょい正常に戻ったら今後の対策含めて協議に入る。・・・よし、お前キャラメルオランジュとエクレール、どっちがいい?」
 トントンと軽くミルを叩いて粉を纏めながら、本日のお茶請けにと作り置いたケーキの種類を口にすると、案の定アメリカの瞳がきらりと輝いた。そういうところは大変素直でよろしい。ちなみに返答もわかっている。
「どっちも食べるんだぞ!」
「だよねー用意するから待ってな。美味いエスプレッソ淹れてやるからさ」
「俺はカフェオレがいいんだぞ」
「はいはい」
 もちろんアメリカがエスプレッソのような濃いカフェを飲めないことも知っている。お子様向けにたっぷりのミルクを注いだカフェオレと山盛りのエクレール、大きめに切り分けたキャラメルオランジュを添えて出してやれば涎を垂らさんばかりに喜んだ。隣国譲りの味音痴でも俺のケーキの美味さはわかるらしい。
「それで?わざわざ欧州くんだりまで超大国様自らお説教しに来た訳じゃねぇんだろ?」
 デコレーションにまで拘った美しいケーキを両手でがつがつと無造作に頬張るアメリカに、それとなく本題を尋ねる。エスプレッソ片手に足を優雅に組んで余裕をもって接すれば、お子様はぴたりと固まって低く唸った。
「・・・まぁね」
 俺のペースに乗せられてなんだか面白くないと顔を歪めるアメリカに、思わず苦笑してナプキンを手渡す。チョコレートでベタベタになった手を拭いながら、アメリカは俺の顔色を窺うように視線を向ける。にこりと笑って首を傾げてみせると、心底嫌そうな顔をされた。まったく、仕草の一つ一つが可愛らしい。
 超大国にのし上がり時折冷徹な面も見せながら、アメリカの本質は幾らも変わっていない。純粋で素直でやさしい子だ。他国から怖れられるのは、そのぶん敵と見なした者に対して容赦がないからだろう。味方を、大切な者を護る為にアメリカは冷酷非道になる。アメリカが信じる正義のヒーローである為に、敵を完膚なきまでに殲滅する。
 やり口はどうあれそういう情に厚い処は好ましい。あいつの子育てはそんなに悪くなかったと思うんだけどな。
 俺がつらつらと考え事をしている間、何事かを逡巡していたアメリカは意を決したのか、ようやく口を開いた。内容は至極つまらないものだった。
「君は、イギリスのこと、どう思っている?」
「くそ生意気な眉毛」
 即答してやった。アメリカは苛立たしげにちっと舌打ちをしたけど、考えずとも口を突いて出るのだから仕方ない。
「茶化さないでくれよ、俺は大事なことを聞いているんだ」
「真面目に答えているさ、くそ眉毛のことだろ?足癖の悪い大英帝国様、三枚舌の陰険野郎、えぇとあとは・・・」
「オーケーわかったよ、聞き方を変える。君はイギリスのことが好きか嫌いか」
「お前なぁ・・・」
「答えて、フランス」
 真剣な眼差しで心底くだらないことを聞いてくるアメリカに、呆れて大きな溜息が零れたのもやむを得ないだろう。この問答は一体何度目だ、何度俺に違うと言わせたらお前は安心するんだ。それとも――俺がイギリスのことを好きだと、そう言えば満足するのか?違うだろう。
 首を振って遣る瀬ない気持ちを吐き出しながら、口を利くのも億劫な自分を叱咤して彼に伝わることのない言葉を紡ぐ。
「・・・何度も言っているだろう、俺達の間にそういう甘ったるい感情はねぇよ。好きも嫌いもない、単なる腐れ縁だ」
 幾度となく繰り返した台詞でアメリカが満足するはずがない、いつも通り思い切り顔を顰められて更に追求されると思って身構えた。けれど。
「そう――なら、いいんだ」
 アメリカは、予想に反してにこりと笑った。
 どこか薄ら寒い心地のする笑顔に思わずぞっとした。澄んだ水色の瞳が昏い光を放ち、何も映していないことに気付いて、背を冷たいものが走る。
 一体どうしたっていうんだ?こいつに、何が起きている?
 ごくりと喉を鳴らして唾を飲み込み、平静を装って微笑み返す。アメリカはいよいよ笑みを深めた。
「納得、してもらえたのかな?」
「そうだね、うん、君の気持ちがイギリスにないなら良いんだ。君に断りを入れる必要ないとわかればね」
「断り?」
「うん。俺とイギリス、付き合うことになったから」
 それこそ予想外の台詞だった。イギリスが、アメリカの想いを受け入れた?マジで?
 いつだってイギリスはお幸せな過去の思い出に囚われていて、目の前の男の情愛に少しも気付いていなかった・・・いや、無意識に目を逸らしていた。独立して袂を分かった子が自分の傍に戻って来てくれた、やさしい子だ、と喜ぶだけで、アメリカの想いにはとことん鈍感であった。かつて自分が育てた子に愛されるというのは、あのエロ大使と言えど看過できない禁忌なのだろう。
 だけど、此処に来て何か心境の変化があったのか。それともアメリカの情熱に負けたか。まぁこいつ黙って何も食ってなければイイ男だしな。元々イギリスはこいつに甘いしな。絆されても仕方ないよな。
「へぇ・・・とうとう念願叶ったのかよ。良かったな」
「うん」
 えへへ、と照れ臭そうに笑うアメリカは正真正銘幸せな恋をしている若者の顔だった。先程の悪寒はどこへやら、じんわりとあたたかな気持ちが湧いてくる。俺は愛の国、皆のお兄さん。だからお前らの幸せを願ってやまないんだよ。
「なんだよ、惚気に来たのかよ。それとも俺に牽制かましに来たのか?お兄さんはお前らの邪魔なんかしませんよー馬に蹴られて死ぬのは御免です!」
「あはは、その台詞を聞いて安心したよ。・・・君のお蔭で彼を手に入れられたようなものだからね、一応報告しに来たんだ」
「俺?何かしたか?」
「うん、君は気付いていないけどね。これでも感謝しているんだぞ」
 にこにことアメリカはいつになく上機嫌だ。三百年に及ぶ片想いを成就させたのだから当然か。その恋のキューピッド役を俺がしたらしいが、一体どういうことだろう。俺、何かしたっけ?ここの処臥せっていたので身に覚えがない。意識が混濁した時に見舞いに来たイギリスに、何か言ったのだろうか?
「ふぅん?ま、いーか。とりあえずあいつネガティブで面倒くさい奴だけどさ、仲良くやれよ」
「君に言われるまでもないよ。俺は彼を――本気で愛しているんだから」
 アメリカは若者の特権のような一途さで、清々しい程にきっぱりと言い切った。


 愛されたくて泣いていたイングランド。可哀想にと思っていたのに、愛しいと思っていたのに、俺は自分のことしか考えていなくて、結局あいつにやさしくしてやれなかった。むしろ懐いてきたあいつを裏切って傷つけた。それがずっと心に引っ掛かっていた。だから俺はいつだって、あいつが確かな愛に包まれて幸せに笑えるよう願っていたんだ。
 アメリカがあいつを幸せにしてくれるなら――あいつが、それを選んだのなら、俺はその幸せが永遠に続くよう見守るまでだ。


 そう、思っていた。
 けれど本当にイギリスは幸せなのか?どうしてこいつは俺の処に来るんだ?毎週アメリカが帰国した後わざわざユーロスターに飛び乗って、俺の家で寝て朝になればそのまま再びユーロスターに乗って職場に向かう。そんなのおかしいだろう。
 寂しいなら酒でも飲んでさっさと寝ちまえばいいんだ。大好きな妖精さん達だっているだろう。近いと言っても2時間以上かけてまでわざわざ来ることはない。自宅でのんびりすればいいじゃねぇか。
 なのにイギリスは――まるで、アメリカと過ごした時間を上書きするかのように海峡を渡って来る。
「お前さ・・・なんで俺のとこ来るわけ?」
 つい、ぽろりと胸の内の疑念が口を突いて出てしまった。完璧な所作で肉を切り分けていたイギリスは動きを止め、俯いてきゅっと唇を噛んだ。肩を落としてカトラリーから手を離し、一瞬だけ俺を瞳に映すイギリスに、くらりと目眩がする。嫌な予感にぶわりと総毛立つ肌を必死に宥めていたら、奴はぽつりと零した。
「上司に言われた・・・痩せ過ぎだから美味い料理でも食って栄養つけろって」
「はぁっ!?お兄さんちはレストランじゃないですよ!?」
「けどさ、店行ったら金掛かるだろう」
「お、お金・・・取りますよ、今度から・・・っ!」
「ケチケチすんじゃねぇよ。あとはまぁ・・・俺の好き嫌い言わなくてもわかるし、まぁ味は一応認めてやらなくもないし」
「お前ねぇっ!!」
「てめぇの一人寂しい食卓に着いてやってんだ、ありがたく思え」
 にやりと、これ以上ないくらい憎たらしい顔で笑うと食事を再開する。唇についたソースを舐め取る赤い舌がやけにいやらしい。
「お前に来てもらってもね・・・どうせならもっと可愛いお嬢さんがいいです!」
「んだよ、ひらひらしたスカートでも穿いて来ればいいのか?」
「なんでそうなるの!女装したお前が来ても嬉しくなーい!」
「つべこべ言ってねぇでさっさと食え。そんでデザート持って来い」
「・・・・・っ」
 くそ眉毛め。言い包められたようで悔しい、けど、絶対何かあることはわかった。唇を噛みながら一瞬だけ見せた――縋るような、顔。
 アメリカとうまくいっていないのか。真反対な性格の二人だ、衝突することも多いだろう。けれどそれ以上に何か、きっとある。こいつが抱え込んでいるもの。ポーカーフェイスの裏で慟哭するイングランドが透けて見える。刹那、胸が軋んだ。
 幸せになってくれたらいいのに。こいつの泣き顔は――いい加減、見飽きた。
 本日のデザートはクレメ・ダンジュのフランボワーズソース添え。ふんわりとろけてコクがあるのにさっぱりしている絶妙なそれは、俺の苦心の作。イギリスの為に作った甘い甘いお菓子。一口食べれば厚い面の皮も剥がれて頬が緩む。幸せそうに食べてくれれば俺も幸せ。
 デザートも食べ終わってディナーは終わり。食器を片付けたらイギリスが紅茶を淹れてくれる、それが日曜の夜の習慣になった。
「手伝う」
 ぼそっと呟いて腕捲りをしたイギリスが、食器を洗う俺の横に立つ。その手首の内側に赤い痕があるのがちらりと見えた。きっとそれは愛の証。俺以外の男から愛されている証拠。そう実感して、何故だかぎゅっと胸が締め付けられた。けれど。
 その理由は考えないことにした。








APH TOP