France/USA/UK




 あいつは光の中にいた。
 燦々と降り注ぐ陽光を浴びて透けるように淡く輝いて。
 麦穂色の髪がやわらかな風にさらわれる度に光を放つのがとても綺麗だった。
 仕立ての良いジャケットに覆われた広い背中は頼もしく、逞しい二の腕は自由と正義を掲げて世界を導く。
 若く瑞々しく、それでいて二百数十年の歳月に培われた知性は十分なまでに成熟している。
 揺るぎない信念の元、超大国としての道を歩むあいつは、ただ輝かしい未来だけを見据えていた。

 そんなあいつ――アメリカの誕生日、俺から独立して二百年を祝う日。賑やかなパーティー会場で、主役であるアメリカは最高の笑顔を浮かべていた。

 毎年招待状を送られていたにも関わらず体調不良を理由に欠席していた俺は、初めてのあいつの誕生パーティーを前に、変に緊張していた。今になってどういう心境の変化かと呆れられそうで、直接会場に踏み込めず、周辺をうろついていた。
 このまま帰ってしまおうか、いやでも俺は紳士だし、いい加減大人だし。あいつの誕生日くらい笑顔で祝ってやりたい。その一心で来たんだ。陛下にも出席すると宣言してしまった。逃げ帰ったら英国紳士の名折れだ。
 そう自分を奮起してゲートへ向かおうとするけれど、あと数歩というところで気後れして立ち止まってしまう。見えない壁にぶつかったかのように先へ進めない。地に縫い止められたかのように脚が動かない。そしてそんな俺を嘲笑うかのように、会場からは俺との戦いに勝利した歓びの歌が聞こえてきた。
 The Star-Spangled Banner――合衆国国歌。それに重ねてどこからか軍靴の足音が響く。立ち込める血と硝煙の臭いが鼻をつく。晴天にも関わらず、しとどに降りしきる雨に打たれているような気がする。あの決別の日のように。
 あぁ本当にアメリカに嫌われたものだ。全身全霊を掛けて愛したというのに、すべてを振り払って出て行ってしまった。俺のことを煙たがって苛立ちを隠そうともしないで、よりにもよって反旗を翻した。あの恩知らず、何もかも俺が与えてやったのに、育ててやったのに、この俺に銃を向けるなんて。くそっくらえだ。俺だってお前のことなんか嫌いだ、勝手に道を誤ってくたばっちまえ。
 ・・・違う、そんなこと、思っていない。独立された直後は憎くもあったけれど、あれからもう二百年も経ったんだ。アメリカは未だプライベートでは子供っぽい表情を見せるが、表舞台では世界のリーダーとして立派にやっている。子供の巣立ちを誇りに思えど、恨むなど笑止千万だ。
 余計なことを考えるな、幻覚に惑わされるな。アメリカとは共同戦線を張って以来、それなりに良好な関係を築いている。きっと俺を快く迎えてくれるに違いない。たぶん。
 顔を上げて植栽の隙間から中の様子を窺えば、そこに、光を浴びて嬉しそうに笑うアメリカがいた。
 おめでとう、その言葉を当然のように与えられ、俺から独立したことを祝福され、差し出されるプレゼントを少しだけ照れくさそうに受け取って。しつこいようだが俺から独立したことを招待客と共に喜んでいた。
 ――誕生日おめでとう、か。
 幸せそうなその顔を見ていられなくて空を仰いだ。神でさえ祝福しているかのような晴天。抜けるような青空、雲一つない。イコールめちゃくちゃ暑い。年寄りには辛いっつーの。
 別に羨ましくなんかない。俺の国だって7月は晴れる。たまに雨が降ったら寒いけれど、俺にはちょうど良いくらいだ。人間だって動植物だって太陽光さえあればいい訳じゃない。雨だって天の恵みだ。太陽は顔さえ出してくれれば十分だ。
 こんな無闇矢鱈な暑さはやたらめったらスケールばかりデカイアメリカによく似ている。あいつはもうちょっと分別を付けるべきだ。大雑把過ぎるんだ、楽天的過ぎるんだ。もっと慎重に事を進めろ、強引にやれば何事もうまくいく訳じゃない。実際最近の施策はどうなんだ。あと何もかも派手過ぎる。なんでおとなしくできないんだ。俺のことを地味だと笑うな、英国紳士のスタイルこそ素晴らしいだろ!レジメンタルストライプタイは右上がりが正解だ、なんで右下がりなんだよばかぁっ!
 話が逸れた。
 とにかくアメリカは笑っていたんだ、俺がいなくても。
 昔、俺が帰ると言えば泣いていた子は、俺一人来ていないことなど気にもとめずに多くの国に囲まれて楽しそうに談笑していた。
 俺から独立したことを寿ぐ日。二百年経っていい加減俺も紳士的に祝ってやるべきかと思ったけれど、皆に祝福されて笑うアメリカを見たら、俺がいなくてもいいんじゃないかって気がした。まぁあいつにとって俺なんか口煩い元宗主国、覇権を奪った後は用もないだろう。むしろ喜ばしい誕生日に俺の顔なんか見たくもないかもしれない。毎年しつこく送られて来る招待状は義理でしかなく、マジに俺が来るとは思っていないのかもしれない。
 脳裏に「鬱陶しいのが来た」とアメリカが顔を顰める様が浮かんだ。
 ――帰ろう。
 踵を返そうとして、持参した大きな鐘に舌打ちをする。
 せっかく陛下の許しを得て造らせたのだ、持ち帰る訳にいかない。けれど直接アメリカに渡すことも躊躇われた。そもそもひび割れたのを直そうとしたのだって断られたんだ、この鐘も受け取ってもらえないかもしれない。ただでさえ可愛い愛し子を失ったこの日にプレゼントまで拒絶されたら、二百年の年月を経てようやくパーティーに顔を出せるようになったのが元の木阿弥になる。お目出度いパーティー会場で吐血するのはなんとしても避けたい。
 そうだ、鐘はスタッフに預けて帰ろう。流石にパーティーが終わってから気付いたモノを送り返したりはしないだろう。
 どこまでも後ろ向きな思考でスタッフの姿を探し始めた時。
 プレゼントを積み重ねている一角に受け取ったそれを運ぶアメリカが、不意に笑みを消した。そうして代わりに浮かべたのは、さっきまで楽しそうに笑っていたのが別人のような――寂しそうな、泣きそうな顔。
 切なげに金の睫毛を震わせ口元を歪めて、幼い迷子が途方に暮れたように立ち尽くす。
 俺はその姿から目を離せなかった。
 どうしたというのか、なんでそんな顔をするのか。さっきまで馬鹿みたいに笑っていたくせに、最高にハッピーな一日なのだと、よりによって俺に向かって言う癖に。重苦しい溜息を零したりして、まったくあの脳天気なアメリカらしくない。
 袂を分かったとはいえ、俺にとってあいつが大切な存在であることに変わりはなく、哀しそうな顔をされれば心配してしまう。心の底から疎まれても、結局俺はあいつを気にかけることを止められなかった。
 だから息を呑んで様子を見守れば、アメリカは積み上げられたプレゼントの山を掻き分けるようにして、何かを探し出した。けれども目当ての物が見つからなかったのか、すぐに手を止めて再び溜息を漏らした。
 ・・・もしかして俺からの誕生日プレゼントを探しているのだろうか。例年は欠席の返事と共に誕生日プレゼントを送っていた。けれど今年は直接渡そうと思ったので持参している。あの山の中にあるはずもない。欲張りで我儘なあいつのことだ、俺のことは嫌いでもプレゼントがないとそれはそれで気に食わないのかもしれない。
 いつだったかバレンタインにチョコレートを贈らなかったという理由だけで拗ねて軍を引き上げようとした。何処の世界にチョコレート一つで戦線離脱する馬鹿がいるんだ。本っっっ当にあいつは昔から勝手過ぎる!
 ともあれアメリカの憂いの元が俺からのプレゼントだとしたら、此処は紳士らしく早急に渡してやらねばならない。そう決意をして重い鐘を引き摺りながらゲートを潜れば、アメリカはすぐに俺に気付いて目を瞠った。
「イギリス・・・?」
「来たぞぉぉおお〜〜〜ちゃあんと誕生日プレゼント持ってなぁぁぁ」
 ギギギと唸りながらアメリカの前に立つと、驚きに固まっていたアメリカの顔がくしゃりと歪んだ。すぐにいつもの生意気な顔で憎たれ口を利いたけど、間違いなく俺が来たこと、俺からのプレゼントを喜んでくれたんだ。
 嬉しそうに笑って、透明な涙を流した。
 その瞬間、俺の胸の中をあたたかな風が吹き抜けた。心臓の鼓動がどくどくと早まって全身に響いた。どういう訳か息苦しく、頬が上気して、アメリカが放つ光が眩くて正視できなかった。
 そう、俺はこの時恋に落ちた。
 相手と自分の関係なんか頭になかった。ただ目の前に立つ一人の男の純真さが愛おしくて堪らなかった。あんなに多くの祝福を受けていた癖に、俺なんかを待っていた――嬉し涙まで流して、最高の笑顔を向けてくれた。
 涙を浮かべる空色の瞳がキラキラして綺麗だった。逞しい肢体はこんなにみっともない惨めな俺でさえも受け止めてくれる気がした。あぁそうだ、こいつはヒーローなんだ。誰もが憧れる存在。愛情に無縁だった俺が好きになってもおかしくない。
 アメリカが、好きだ。
 生まれた恋情は一気に俺の意識を支配して、理性なんか何処へやら、アメリカの一挙手一投足に過剰なまでに反応した。なんせ恋をしたのなんか何百年振りだ。動悸が激しく全身に熱が篭り目の前がぐるぐる廻る。あぁ世界はこんなに色鮮やかで綺麗だったのか。アメリカの瞳に似た色が視界に広がった。
 ・・・結局俺は吐血してぶっ倒れてしまい、目を覚ましたのは翌日だった。最悪だ。


 アメリカに恋してからは、あいつのことをそういう風にしか見れなくなった。単にハグされただけでも心臓跳ね返るし、横に並んで歩いて肩が触れるだけで赤面してしまう。仕事中は冷静であろうと努めたけれど、実際はまともに顔を見ることもできなかった。
 一緒に飯食いに行ったり、休日に互いの家を行き来して過ごすのがそれまで以上に嬉しかった。アメリカに会えるのが楽しみで、顔を合わせると胸が高鳴った。ニヤけそうになる顔を必死に取り繕って、態度に出ないように平常心を保って。そんな風にふわふわと浮ついた気分になる自分が可笑しかった。
 あぁ本当に俺はアメリカに恋しているんだ。恋心が胸の奥底でぽかぽかしている。そんな温かくもこそばゆい想いが、自分の中にあることが幸せだった。
 それ以上何も求めることはない、想いを通わせようなんて発想すらなかった。憧れのヒーローに想いを伝えてどうなる。そもそもアメリカにはとうの昔に嫌われて煙たがられている。恋破れるとわかっていてアタックする程俺は莫迦じゃない。それに遅まきながら気付いたけれど、俺達は元とはいえ兄弟なんだ。あいつだって血の繋がりある兄からの告白なんか聞きたくないだろう。俺だって気持ち悪いとか言われたら立ち直れない。
 俺はこの想いを抱いてるだけで幸せなんだ。ただ勝手に恋しているだけだ。他には何も要らないんだ。
 そう、思っていたのに。
 あの時、アメリカに俺が欲しいと言われて、何もかもが狂ってしまった。あの瞬間、確かに俺の中に欲が芽生えた。罪深い、背徳の希いが。
 兄弟で情を通わすなど、不道徳で非倫理的で破廉恥な行為、許されざる蛮行だ。全身の血が騒いでけたたましく警笛を鳴らす。
 だから必死に誤魔化してアメリカの意識を逸らそうとした。俺達は家族だと、アメリカを諭した。俺の歪んだ想いにアメリカを巻き込む訳にはいかない。弟が間違った道を進もうとしているならば、兄である俺は正してやるべきなんだ。よりにもよって過ちを望むなど――あってはならない。
 頭ではわかっていたのに。あの逞しい二の腕にあっさりと拘束され、制止する間もなく口付けられた。赦されざる触れ合いに恐怖を覚え混乱しながらも、初めて感じるアメリカの熱に俺の理性は灼き切れて。口内を情熱的に弄られれば快楽が生まれ、気付けば愚かしくも自ら舌を差し出していた。
 まったくもって自分のだらしなさに反吐が出る。アメリカにキスされて、俺は仄暗い歓びを感じていた。


 ゆるりと瞼を開ければ俺はベッドの上に一人横たわっていた。部屋には穏やかな陽の光が差し、窓の外の木々の葉陰が壁に映しだされている。耳を澄ませれば葉擦れの音や小鳥のさえずり、人々の暮らしの音が聞こえてきた。うららかな午後、今日は休日だったかとぼんやりしながら再び目を瞑り、すぐさまがばっと身体を起こして――ベッドに逆戻りした。
「痛ってぇ・・・」
 呻きながら内心頭を抱える。やべぇ、休日じゃねぇよ、仕事だった。
 もちろん出勤するつもりだったのに不測の事態が起きたんだ、自分は悪くない、サボるつもりはなかったと言い訳した処で、無断欠勤に変わりはない。秘書は二日酔いかと激怒しているだろう――別に、前科がない訳ではないようなあるような、そんな感じなので。千年も生きていればミスも失敗もあって当然だ。別に開き直っている訳じゃない、反省はしている。俺は悪くないけどな!
 勢いよく起き上がったせいであらぬ処に走った激痛が尾を引き、息をするのも辛い。歯を食いしばってそれをなんとか遣り過ごすと、ゆっくり自分の身体へと目を向けた。
 衣服を何一つ纏っていない身体にはあちこち鬱血と噛み痕が散らばり、軋む手首には太い指の形をした痣が、見事なまでにくっきりとついている。肌には残滓がこびりついていて気持ち悪い。少しばかり熱でもあるのか、気怠く動くのも億劫だ。叫び過ぎたせいか喉が引き攣れたようにヒリヒリと痛む。
 誰もこの姿を見て愛し合った後だとは思わないだろう。誰に見せる訳でもないけれど。
 はぁと溜息を漏らしながら眠る前の記憶を辿る。
 そもそも眠っていた訳でもない。俺への一切の気遣いのない行為を延々と繰り返され、たぶんブラックアウトしたんだ。後ろから両腕を掴まれ奥を深々と抉られたのを最後に、記憶が途切れている。
 再びうっそりと吐息を零して身体を丸めると、胸に渦巻く遣り場のない怒りと哀しみに耐えた。
 だって俺が悪いんだ。また間違えた。あいつのことを傷つけた。だからあいつはあんなに怒って――。
 瞼の裏に浮かぶのは俺を見下ろす男の顔。俺が恋したあのキラキラと眩い青空のような瞳は光を失い、欲を孕んで膿んでいた。口角を歪めて嗤う、その厭らしさに背筋が凍り、俺の身体をじっとりと舐めるようなその視線に肌が粟立った。荒んだ空気を醸しながら、あいつは俺に愛をぶつけてきた。
 そう、間違いなくアレはあいつの愛なんだ。もう俺にだってわかっている。気紛れだとか契約だとか、自分の都合のいいように目を逸らした処でどうなる訳でもなかった。逃げてもあいつは何処までも追い掛けて来るし、むしろあいつの想いを理解しようとしない俺に益々苛立って、酷く扱うようになった。
 そうして怯える俺から愛の言葉を引き出して――あいつは泣くんだ。何度も謝りながらボロボロ涙を流すんだ。
 レイプまがいのことをしといて俺に愛してると言わせるなんて、莫迦だろ。普通はそんなことされたら逆に嫌うっつーの。恐怖に混乱している時に言わせた言葉なんて真実味もあったもんじゃない。あいつも頭ではわかってるんだ、莫迦なことしてるって。心が通わないセックスなんか虚しいだけだって。だから泣くんだ。可哀想なアメリカ、俺なんかに惚れちまったせいでこんな茶番を演じている。
 ・・・でも、酷くされても嫌いになれない俺こそが、一番愚かで、いっそ滑稽だ。
 こんなに求められてる、それが嬉しいだなんて。狂ってる。
「ほんっと、俺って・・・莫迦だな」
 よりによって自分が育てた愛し子に恋するなんて。
 ははっとわざとらしく自虐的に嗤おうとすると、乾いた喉が引き攣れて咳込んだ。余計に凹んで溜息を吐き、ゆっくりと慎重に身を起こす。ふらつきながら立ち上がると、股の間からどろりとしたものが零れ太腿を伝った。その何とも言えない気持ち悪さに身震いして見下ろせば、赤と白が混じったモノが床に垂れていた。
 やっぱり傷ついていたか。そりゃローションもなしに無理矢理突っ込めば怪我してもおかしくないよな。しかも後始末さえしてもらえなかったらしい。余程あいつのことを怒らせちまったんだな。まぁ当然か、フランスと付き合ってると言えばプライドの高いアメリカが怒るのはわかっていた。契約違反を責め、俺の不義を詰るだろうなと思っていた。けれどそれで俺のことを嫌いになってくれたら、この関係が終わると思ったんだ。
 ・・・終わった、のだろうか。俺を組み敷いて報復とばかりにヤリまくって、そうしてもう俺なんかに用はないと捨て置いて、あいつは帰国したのだろうか。
 関係の終わりは俺の失恋と同義で、それ以上にアメリカとの穏やかな時間を永遠に失ったことを意味する。もう二度とアメリカは俺に親しく接してくれないだろう。挨拶さえ拒まれるかもしれない。顔を見るのも不愉快だと嫌悪を露わにするかもしれない。
「・・・・・・っ」
 自分が望んだことだ。こんな禁忌の関係なんか終わらせなければいけない、アメリカをこれ以上汚したくなかった。だから嘘をついた。俺に泣く資格なんかない。アメリカの愛はもっとふさわしい相手に送られるべきだ。
 唇を噛み締めてじわりと浮かぶ涙を堪えると、足元に落ちていたぐちゃぐちゃのシャツを纏い、軋む身体を引き摺るようにして浴室へ向かった。
 シャワーを浴びてナカのモノを掻き出してしまわなければ、腹を壊してしまう。既にぐるぐるしている気もするけれど、・・・あいつがくれた最後のモノだと思うとナカに留めておきたい気もするけれど。この期に及んでまだそんな未練がましいことを考えてしまう自分がつくづく嫌になる。全部掻き出して排水口に流して、そうしてちょっとだけ泣いたら、元の俺に戻ろう。
 あいつが俺を嫌っているのは今更だ。ほんのちょっと愛された想い出ができただけマシだろう。そうだ、随分マシだ。だって初めて他人から愛されたんだ。あいつは俺にやさしい時間と温もりをくれた。辛いことも多かったけど、愛された記憶は今でも俺の胸をあたたかくしてくれる。俺にしちゃ上出来だろう。幸せな夢を見たのだと思えばいい。アメリカには申し訳ないけれど、俺は感謝してるんだ。
 だからアメリカ、俺のことなんか軽蔑していいから、嫌ってくれて構わないから、今度こそお前にお似合いの相手に恋して幸せになってくれ。
 そう祈りながら浴室のドアを開いた。
 そこに、アメリカはいた。


「ア、 メリカ・・・?お前、帰ったんじゃ――」
「イギリス、どうして・・・」
 互いに顔を見合わせて息を呑んだ。一対の青が俺を映して瞠目する。俺も驚いて入り口に突っ立ったまま固まってしまった。束の間、互いに微動だにせず見つめ合う。
 ふっと、先に我に返ったのはアメリカだった。浴室のカーペットに跪いてバスタブの縁に両腕を突っ込んでいるアメリカは、幾度か目を瞬かせると、心底嫌そうに顔を顰めた。俺と顔を合わせたことを嫌悪するその表情に、胸がチクリと痛む。
「そっか・・・いつもなら気を失ってそのまま眠ってしまうけど、流石に朝ヤったら寝れないよね」
 あーあ、と自嘲気味に笑って、気怠げに前髪を掻き上げる。そんな何でもない仕草にさえときめいてしまう自分を内心ぶん殴りながら、ふと視線を巡らせると、その先に、鮮やかな赤い粒が散っていた。
「・・・・・・?」
 バスタブに撒き散らされた赤。なんだろう、昨日使った時にはなかったのに。
 不思議に思って浴室内に足を踏み入れ、バスタブに近づいて行く。底に広がる赤をじぃっと凝視する俺に、アメリカの顔が歪む。
 ぽたり。
 また一滴真っ赤な雫が落ち、微かに水面を刻む。
 よく見ればそれはアメリカから滴っていて。
 じんっと頭が痺れる。脳が見たくない、理解したくないと拒絶するのに瞼を閉ざすことも叶わず、思考は停止することなく状況を把握しようと急ピッチで巡る。目の前には常より血の気のない白い顔、足元には刃先を赤く染めた――ナイフ。
「・・・お前、何して」
 声が震えた。
「何してんだ・・・アメリカ」
 見下ろす男は哀しげに睫毛を震わせ、困ったように微笑む。どんな顔をすればいいのか悩んで、そうするしかなかったかのように、笑みを貼り付かせて。一言、応えにもならない言葉を返す。
「見たらわかるだろう?」
 ゆっくりと左腕を持ち上げて、俺にその傷口を晒した。手首に走る鮮やかな赤い線。また一滴、ふるりと溢れて落ちた。
「――――っ!」
 その瞬間、頭を鈍器で強烈に殴られたかのような衝撃が走った。何も考えられず、身体が勝手に動いて棚からシーツを引っ張り出すと帯状に裂き、アメリカの手首にぐるぐると巻きつけた。シーツに赤が滲むのが見えなくなってようやく、俺は手を止めて俯き、深々と息を吐いた。
 ずっと息を止めていた、否、息ができなかったから酸欠状態で、少しばかり目眩がする。歪む視界がじわりと滲んで霞んだ。ぱた、ぱた、と透明な雫が落ちてカーペットの色を濃くしていく。拳を固く握り締めて俺は、声もなく泣いた。
 アメリカが自分の身体を傷つけた。
 俺が育てた子が、俺自身より大切な、かけがえのない存在が、その手首に自ら刃を充てた――・・・。
 こんな、哀しいことって、ない。
「大丈夫だよ、国だから死ぬことはない」
 あっさりと吐く、その投げ遣りともとれる発言に、目の前が朱に染まった。気がつけばアメリカの頬を思い切り張っていた。
「馬鹿野郎!!国だから大丈夫だとか、そういう問題じゃねぇっ!」
 怒りのあまり声が震えた。身体の震えも止まらない。激昂した頭の中を埋め尽くすのは――どうして。
 どうして、どうして、どうして。・・・どうして、こんなことを。
 お前はバカみたいにポジティブな奴じゃないか。いつだって楽しそうに笑って、明るく朗らかで、自分大好きな奴じゃないか。自傷なんて、するような奴じゃないのに。
「仕方ないだろ」
 俺の中に渦巻く疑問に答えるかのように、アメリカがぽつりと呟いた。
「俺は罰を与えなきゃいけない」
「・・・は?」
 言っている意味がわからない。頬を赤く腫らした横顔に向かって眉を顰めるけれど、アメリカは何も応えずにただ俺へと向き直る。諦観したような落ち着き払った表情が、凪いだ水面のように澄んだ瞳が、何を考えているのかわからなくて空恐ろしい。
 これは本当にアメリカなのだろうか。
 あの晴れ渡った空のような眩しい笑顔は何処にいってしまったのだろう?俺が恋したあの笑顔は・・・もう、随分と見ていない。笑わなくなったアメリカ。俺のせいで。
 哀しみに胸を灼かれながら呆然と見返すと、アメリカはその目を伏せて俺の手を取った。壊れものを扱うようにやさしく手のひらを返し、指先でそっと手首に触れて、安堵したかのような笑みを浮かべる。
「・・・良かった」
「良くねぇよ、血流してんのは俺じゃなくてお前だろ。なんでこんなことを」
 誤魔化しを許さないとばかりに睨めつけながら詰問すれば、アメリカは肩を竦めて吐息を零した。
「夢を見るんだ。君がここから血を流して倒れている、夢」
「はぁ?」
「何度も何度もね、俺が君を抱く度に、夢の中で君は死んでいくんだ。とてもリアルで――血に染まった君の冷たくなっていく体温さえ感じるんだ」
「つっても夢だろ、今俺はこうしてピンピンしてるぜ?」
 吐き捨てるように言えば、アメリカは微かに睫毛を震わせた。
 面を伏せたまま、繰り返し俺の手首に指を這わすアメリカの考えていることがさっぱりわからない。苛々する。まったくなんだってんだ。夢で俺が死んでるからなんだ。お前がこうして自傷に走る理由になんかならないだろう。
 そう思うのに、アメリカはふるりと首を横に振った。
「いつか現実になってもおかしくないだろう?君の苦しみはよくわかっている。俺に抱かれることがどれ程辛いのか、男に犯されることがどれ程の屈辱か。だから・・・」
「耐え兼ねて死に逃げるってか。んな訳ねぇだろ、俺は国だ。国の命運と多くの民を背負っている。それを放棄するなど有り得ない」
「うん、わかってる。君は国である自分を誇りに思っているし、その生き方に信念を貫く人だ。自害なんてしないだろう。・・・でも、もし本当になったらと思うと眠るのが怖くてね。どうしようもなく怖くて、ふと気付いたんだ。本当に血を流すべきは俺だって」
「――――っ」
 不意に顔を上げたアメリカの瞳に、奇妙な光が浮かんだ。虚ろでありながらギラギラと熱っぽい、まるで狂気の色。
 硬直する俺に構わず、アメリカは感情を削ぎ落したような声音で、滔々と言葉を紡ぐ。
「悪い子は罰を受けなければいけない、かつて君はそう言って幼い俺を叱ったよね。今こうして君を傷つけている俺は罰を受けるべきだ。そして俺はヒーローだから悪い奴を野放しにできない」
「・・・お前、何言って」
「だから俺は、こうして俺に罰を与えているんだ」
 ぱんっ!
 アメリカの頬にまた朱が走る。荒れ狂う激情のままに、俺が再び手を上げた。
「ふざけんな、ふざけんなよ・・・お前、莫迦か。んな理由で自傷するくらいなら、俺なんか放っときゃいいだろう!?」
「放っとけるものか!ずっと君だけを見てきた、子供の時からずっと、君が欲しくて堪らなかったんだ!」
「いい加減にしろ、このばかっ!俺はお前が思う程ご立派な奴でも綺麗なモンでもない、みっともなく碌でもないただの男だ。ガキの頃の幻想なんか捨てちまえ!」
「黙りなよっ!それ以上俺の想い人を愚弄するなら君自身だとしても許さないんだぞ!君がみっともなくて碌でもないおっさんだなんて、とっくに知ってる!けど好きなんだ!」
「アメリカっ!」
「君が好きなんだ!君じゃなきゃダメなんだ!」
 縋るようにアメリカの腕が伸びてきて、あっという間に俺の身体に絡みつく。
「・・・っ、離せっ!」
「やだっ、フランスになんか君の髪の毛一本だってあげないんだぞ!」
 振りほどきたくてもアメリカの手首の傷に障ると思うと抵抗できない。逡巡する間にカーペットの上に押し倒されてざっと血の気が引く。もしこのまま行為に及ぶとしたら、アメリカはまた手首を切るのだろうか。また自分自身に罰を与えるのだろうか。
 そんなの、嫌だ。
 唇を塞がれる。いつもは熱い程のそれが冷たい。
 ぬるついた舌が歯列を割って侵入してくる。大きな掌が身体を撫ぜ回す。足の間に入り込まれてしまえば身動きが取れない。
 怖い。
 数時間前に乱暴された記憶が、身体を怯ませる。
「・・・んっ、アメ、リカ・・・っ」
「ふっ・・・うう・・・イギリス、好き、好きなんだぞ・・・」
 頬に、額に、唇に、繰り返しキスが落とされる。うなじを擽られてぞくっと震える。
「俺だって、本当は君に笑って欲しいんだ・・・こんな風に傷つけて泣かせたい訳じゃない。もう自由にしてあげなきゃって、ちゃんとわかってるんだぞ。でも、できないんだ・・・君を失ったら、俺は生きていけない・・・」
 ポロポロと、あたたかく透明な雫が止めどなく降ってくる。デカい身体を丸めて慟哭するアメリカに、俺の胸も潰れそうだ。
 だって愛してる。俺だって好きなんだ、お前のことが。
 汚したくない、貶めたくない。元兄への不毛な恋なんて忘れて、綺麗なままで太陽みたいに笑っていて欲しい。
「だから、ちゃんと罰を受けるから、俺を・・・嫌わないで・・・っ」
 だけど、お前が傷ついて血を流すのは、もっと嫌なんだ。


「・・・アメリカ」
 俺の肩口に顔を埋めて泣きじゃくるアメリカの背中に手を回し、そっと撫ぜる。ぴくりと震えて様子を窺う気配に少しだけ頬を緩ませ目を閉じると、やさしくさすった。
「落ち着けよ、このばか。デカい図体してびーびー泣きやがって。ガキか」
「うっ・・・ぐすっ、き、君だっていい年したおっさんのくせにすぐ泣くじゃないか、ドン引きなんだぞ」
「うるっせぇ!ったく、口の減らない奴だな。あのな、悪い子は嫌いなんて、ガキの頃の躾の方便だろ」
「・・・・・・」
「お前が悪いことをしたら正すのが兄である俺の役目だった。けどな、たとえお前が心底どうしようもねぇ悪ガキだったとしても俺はお前を愛してた。愛さずにいられるかってんだ、お前マジで天使だったからな」
「・・・このタイミングで天使とか、微妙過ぎるんだぞ」
 ぐしっと鼻を啜りながらアメリカが身を起こす。俺の意図がわからずに眉を寄せて鼻白む。その鼻先をぴんっと軽く弾くと、アウチッと悲鳴を上げた。素直な反応に思わず噴き出すと、恨めしげに睨まれたのでとりあえず謝っておく。
「あの日、幼いお前はワイン野郎じゃなく俺を選んでくれた。落ち込む俺を慰めてくれた。そんなお前を愛しいと思うのは当然だろう?だから俺はお前に何されたって嫌いになんかなれない。乱暴に扱われるのは痛いし辛いけど、それでも嫌ったりしない」
「つまり君は、あくまで俺を――・・・」
「けど、自分を傷つけるお前は大っ嫌いだ」
 弟としか見ていないのか、そう尋ねようとしているのを遮って、強い口調で言い切る。睨め付けるように見上げれば、アメリカはぐっと言葉を詰まらせて、再び瞳いっぱいに涙を浮かべた。
 肩を落として項垂れる。目の前に晒されたつむじを眺めながら、俺は祈る。
 ――わかってくれただろうか。わかって欲しい、自傷がどれ程罪深いことか。どれ程、俺が哀しかったか。
 身を捩ってアメリカの下から這い出ると、一呼吸して、ぽんぽんと目の前の金髪を撫ぜた。背を丸めて小刻みに震える身体に腕を回して抱き締める。愛しさを込めて。
「なぁ、ヒーロー、頼むからアメリカを傷つけるのは止めてくれ。そいつは俺の大切な家族なんだ。俺はそいつを愛してんだ。それに、恋もしている。家族としてじゃない、一人の男として惚れてんだ。・・・好きなんだ」
 沸き起こる背徳感を捩じ伏せながら、ぽつりぽつりと言葉にする。アメリカの震えが止まった。
「・・・・・・え?」
「元々契約なんだからアメリカは悪くない、ちゃんと受け容れられない俺が悪かったんだ」
「え、君、何言って・・・」
「俺の覚悟が足りなかっただけだ」
 アメリカが戸惑いがちに俺を引き剥がす。互いの呼気を感じる距離、水色の瞳に俺の姿が映る。弟に恋した無様な男の顔。苦笑するしかない。
「なぁ、お前が欲しがってる男は面倒くさいし嘘つきだし、酒癖悪くてどうしようもねぇ奴だ。素直に想いを告げることもせず、愛しい男を泣かせてしまうような臆病で卑怯な奴だ。それでもいいのか?」
 ひゅっと息を呑む音がした。肩に乗るアメリカの手指が食い込む。構わずに俺は、俺の覚悟を口にする。
「そんな最低な奴でもいいって言うなら、全部くれてやる」
 驚愕に揺れる瞳が大きく見開かれた。唇をはくはくと開けたり閉めたり忙しない。こいつ息してるか?心配になって口元に指先を充てると、ぶわっとアメリカの顔が朱に染まった。そりゃもう首筋から腕まで露出している処全部、真っ赤。そんな自分を見られるのが恥ずかしいのか、アメリカは両腕を交差させて顔を隠してしまった。なんだこいつ、可愛いじゃねぇか。
「・・・君が、鬱陶しくて泣き虫で見栄っ張りで料理は壊滅的で、元ヤンの癖に少女趣味だしファンタジーに生きてるし酒癖悪い眉毛だなんて、わかってるんだぞ」
「・・・おい」
 腕の隙間から漏れ聞こえる言葉は可愛くなかった。思わず半眼で睨めば、ふにゃりと緩んだ口元が見えた。
「けど、愛情深くてやさしい人だって、俺は知ってる。だから恋したんだ」
 ゆっくりと交差した腕が解かれる。透明な雫がカーペツトに落ちては吸い込まれていく。
「君が好きだよ、イギリス――君がいいんだ。だから俺に、全部頂戴」
 そこには、俺が恋した眩い笑顔があった。


  ×××


「あーやだやだ、信じらんない!」
 今しがた、スピーカーから残念なお知らせを吐き出したスマートフォンをポケットに仕舞うと、ソファにずるずると沈み込んだ。傍にあったクッションに顔を押し当ててしくしく泣いてみる。・・・反応はない。
 ちらりと覗き見れば、斜め向かいの三人掛けソファに陣取るイギリスと、その骨張って硬い膝の上にででーんと寝そべって頭を乗せているアメリカは、俺のことなんかガン無視。イギリスの刺繍をする手付きに乱れはなく、アメリカのゲームへの集中力はそれを会議の時に見せろと言いたくなる程見事なものだ。
 こいつらほんっと俺に対して冷たいよね!ちょっとくらい「大丈夫?」なんてやさしい声を掛けてもいいと思うんだ。マジに言われたら気持ち悪いけど!ていうか膝枕とか、今日も相変わらず仲がよろしいことで!
「ねぇねぇ聞いて!今の電話の相手、誰だと思う!?この間カフェで隣り合って愉しいひと時を過ごしたものの、なかなかお兄さんのデートの誘いには乗ってくれないCAやってる知的美女!」
 仕方ないからお兄さん、自分から愚痴を零しちゃうよ!この本日一番の悲劇の顛末を!
 コスチュームフェチのイギリスがCAってとこにぴくっと反応した。それに気付いたアメリカがむくれて眼光を鋭くする。なんならCAの衣装貸してあげようか?あ、今セックス断ちしてたんだっけね、ざーんねん!
「ガードが固くて連絡先教えてくれないから、彼女がいつもいる時間に合わせてお兄さんカフェに通ってたの!それでやっとこの間デートに漕ぎつけたの!なのに、この誠実で情の深い愛の国たる俺がドタキャンしなきゃいけないなんて!」
「行けばいいじゃねぇか」
 感極まってわあっと泣き伏せたら、イギリスがサラッと宣った。
「お前がそれ言う?それ言っちゃう!?誰の為に断ったと思ってんだよ、クソ眉毛!」
 腹立ち紛れに奴の頭部目掛けてクッションを投げつけた。ぼすっとクリーンヒット。やったね!イギリスは顔色ひとつ変えない。やりかけの刺繍を丁寧な仕草でテーブルに置くと、自分の膝の代わりとばかりにアメリカの頭の下にクッションを滑り込ませ、おもむろに立ち上がる。
 次の瞬間には俺の側頭部に奴の脚が襲い掛かっていた。
「うぉ・・・っ」
「チッ・・・避けてんじゃねぇよ、ハゲが」
「ちょっと、聞き捨てなりません!お兄さん禿げてない!見てこの見事なキューティクル!」
「汚物は隠せっつってんだろうが!」
「汚物じゃない!自分が残念な頭してるからって僻まないでよね!」
「僻んでねぇぇぇっ!ざけんなゴルァっ!毟んぞ!!」
「やれるもんならやってみなー!」
「お腹すいたんだぞー」
 一挙手一投足が致命傷になりかねないギリギリの攻防を繰り広げる俺達のことなど我関せず、携帯ゲーム機からこれっぽっちも目を離さずに、図体ばかりデカいお子様は口を挟んだ。
「お前はさっき大量に昼飯食ったでしょ!?ちょっとはそのメタボ腹を気にしなさい!」
「こ、これは筋肉なんだぞ!まったく君は失礼だな!」
「ちょっと早いけどアフタヌーンティーにするかぁ?」
「お前は甘やかし過ぎ!」
 アメリカにデレっとした顔を向けるイギリスが、即座に俺の喉元目掛けて拳を振るった。
 あっぶねぇな、俺の言うこと間違ってないだろうが!ベタベタに甘やかして独立されて、懲りずに甘やかしたらバックバージン奪われちゃって、それでも懲りずに甘やかして元兄弟現恋人なんて関係を許しちまったんだから、心底この男はどうしようもない。お前何か、アメリカを甘やかす運命でも背負ってんのか。
 どうせまだ、そんな禁忌の関係を受け容れられずにいる癖に。
 だから俺の家に来る癖に。
 互いを傷つけることを怖れる恋人達。デートの場所を俺の家に指定しているのはいつもアメリカだ。
 もうイギリスを傷つけたくない、怖い思いをさせたくない、誰かがいれば理性が効くから、そう言って。それでもって、俺に対しては遠慮する必要ないから思う存分イチャイチャできるしね!とかも言ってた。遠慮はすべきだと思うんだ。この半年間こいつらの仲睦まじさをたっぷり見せ付けられて、お兄さんそろそろ砂吐きそう。
 それでもゆっくり甘い時間を過ごしたいという二人の為に場所を提供して、ついでに美味しい料理も出してやって、お兄さんなりに気を遣ってきた。ほんと俺ってば優しいよね。
 だってさ、うまくいって欲しいんだよ。いっぱい苦しんで泣いてる姿、すぐ傍で見てきたからさ。もうこれ以上愛に傷ついて欲しくないんだよ。
 けど、そんな俺の気遣いなど一切無視してあろうことか楽しそうに蹴りつけてくるイギリスは、ふと思い出した、と呟く。
「そういやさっき淹れたので茶葉が切れたんだった。ヒゲ、お前買って来い」
「はああ!?なんでそうなんの!お兄さんカフェオレ飲むから別に紅茶なんていらな・・・ぐふっ!」
「つべこべ抜かしてんじゃねぇよ、紅茶の味もわからねぇ田舎者が」
「それ聞き捨てならな・・・あいたっ!ちょ、耳引っ張らないで!もげる!!」
「・・・ついでにさっきのCAに土下座でもしてデートさせてもらって来い。女の機嫌なんざ薔薇の花束でも贈ればイチコロだろ」
 鳩尾に一発ぶち込んだ挙句、前のめりになる俺の耳を無茶苦茶に引っ張った凶悪眉毛は、意味不明な言葉を密やかに耳打ちした。
「ナニソレ、言ってる意味わかんない。・・・俺がデートして来ていいのかよ」
 暗に、俺が此処にいなくても大丈夫なのかと、視線を交わして尋ねれば、イギリスは尊大に鼻を鳴らした。
「おう、今日はもう帰ってくんな」
「何言ってんの、お前・・・」
 イギリスの真意がわからない。ソファに寝そべったアメリカも、ゲーム機から手を放して呆然とこちらを見ている。ちらりとそちらに目を遣れば、アメリカはびくりと震えてブンブンと首を横に振った。まぁ無理だよね、まだプラトニックラブに昇華できてないもんね。
「あいつと付き合い始めて記念に買った茶葉がなくなったんだ。もうそろそろ、いいだろう」
 俺達の懸念など気にする風でもなく、イギリスは翠の瞳に強い光を湛えて囁く。
 揺るぎない不退転の決意。
 それって――。
「・・・ほんとにいいんだな?」
 俺の念押しに、イギリスははっきりと頷く。
「そっか」
 この半年間、アメリカはひたむきなまでに誠意を示し続けた。それに甘んじていたかに見えたけど、こいつはこいつで心の整理をしていた訳だ。じゃあ邪魔者は退散するから恋人同士向き合えばいい。
「わかった、お使い頼まれてやる。ついでに可愛い女の子とデートして来るから、明日の昼まで留守番頼むな」
「おう」
 束ねていた髪留めを外してお出掛けの準備に取り掛かる。けど、その前にもう一度だけ、おまじない。アメリカの視線が痛い程に突き刺さるのを感じながら、イギリスの肩を抱いて耳元に唇を寄せる。
「なぁイギリス、俺は前も言ったと思うけど、やっぱり愛は尊いものだと思うわけよ。だから世界中の誰もが否定しても、俺はお前らを祝福するよ。心の狭い神様が赦さなくても俺が許す。存分に愛し合え」
 言うだけ言って顔を覗き込めば、イギリスは心底不服そうに唇を歪めていた。眼光鋭く俺を睨む目元がちょっぴり赤い。泣くのを我慢している顔。やだこの子可愛い・・・なんて、柄にもなくときめいてたら、ゴンッて後頭部に物凄い衝撃を受けた。
「いっ・・・痛ぁぁぁぁぁっ!!!ナニコレ、棍棒?じゃない、お兄さん家のテーブルの脚ぃぃぃっ!!お前、お兄さんのお気に入りに何してくれてんのぉ!!!」
「ヘイ、フランス、そろそろその汚い手を引っ込めなよ。でないと今度はその腕へし折るんだぞ」
「やめて!わかったから、お兄さんお出掛けするから後はお前の好きにしなさい!」
 家財破壊だけは止めてよね!と懇願して辿り着いた玄関先、あ、と呟いてちょいちょいとアメリカを手招きする。ほんとにさっさと行きなよ、と文句を垂れながら近づくアメリカに、一言。
「キャポット・アングレーズは忘れずにな?マナーだからな」
 自国語以外に疎いアメリカは、意味が掴めずきょとんとする。その横を風のようにすり抜けたイギリスは。
「うっぜぇな!!さっさと行けよ、くそったれ!!」
 なんとこのアパルトマンの家主たるお兄さんを蹴り出しました。
大事なことだから言ってやったのに!お兄さんの優しさがわからないなんてほんと失礼しちゃう!


 長い時間を掛けて愛を育んだ二人。
 きっともう、大丈夫。だから俺は、俺の愛を囁きに出掛けよう。

 でもね。
 翌日の昼に帰ったらもう指輪の交換が終わってたとか、展開が早くてちょっとびっくりしました。


  ――おわり――






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