France/USA/UK 今日も我が愛しのパリは麗しい。窓から見下ろす光景は額縁に入れて飾られた絵画のように美しい。空気は凛として澄んでいるし、街を行く人々の表情は明るく愉しく活気に満ちている。彼等が奏でるは優雅で完璧な旋律を持つ言葉。それを用いて愛を囁き合う――愛の国。 生憎の雨模様ではあるけれども、空から落ちる水玉が光を受けてキラキラと輝くのも、また美しい。陽光さえも優雅に煌めいている。この雨をもたらしたのが俺でないのが残念でならない。 そう、雨をもたらしたのは愛の国たる俺ではない。たぶん、朝っぱらから人の家に押し掛けて来てソファに陣取ったまま黙ってワインを呷り続けている、雨の多い隣国――イギリスだ。 何なの一体。朝から幾度目かの疑問が脳裏を過る。 腐れ縁のこの男は、いきなりやって来たかと思うとずかずかと部屋の中に入り込んで。勝手にワインセラーを物色するなり一番上等なワインのボトルを取り出して。あろうことかそれを直接口に付けて一気に呷ろうとしたところで・・・思い切り張り倒してやった。 「それ俺の一番のお気に入りだろうが!何ラッパ飲みしようとしてんだ、くそ眉毛!!」 「なんだよ、いつ来てもあるからいらねーんだと思ったんだよ。親切に処分してやろうってのがわかんねぇのかよ」 「このワインは熟成向けなの!俺のとっておきの記念日に飲むつもりだったのに・・・っ」 マナーのなってない自称紳士サマは手癖も激しくよろしくなくて、あっという間に開栓してしまった。もう飲むしかない。ぎりぎりと歯軋りしてボトルを眺めていると、イギリスはふふんと鼻を鳴らして。 「開けちまったからには飲むしかねぇな。なんなら付き合ってやるぜ?」 勧めてもいないのにソファにどかっと座ると、悠然と足を組んでにやりと笑った。その口振り身のこなしすべてが憎たらしい。 「うちの醸造家が丹精込めて造ったワインなのに、お前みたいな味音痴に飲ませるなんて・・・っ!」 「酒の味なら俺にだってわかる。早くグラス持って来いよ」 「招かれた客でもないのに、なんでそんなに偉そうなの・・・」 嘆息しつつキッチンに向かう。せっかくのワイン、相伴するのがくそ眉毛というのは気に食わないが、どうせなら美味しく頂きたい。簡単につまみを作って綺麗に皿に盛り付けると、リビングテーブルの上に置く。グラスも二つ用意して、そこに赤い液体を注いだ。 そうして朝っぱらから始まった酒盛りは、イギリスのピッチが異常に速くて昼過ぎには数本のワインが床に転がる状況となった。ちびちび口に含んで味わいつつ、横目で向かいのソファに座る眉毛を見る。イギリスは流石に酒が回ったか、シャツを肌蹴させてとろんとした瞳でぼんやりしている。 まったく厄介な。どうせアメリカと喧嘩したか何かのヤケ酒だろう。文句があるならアメリカに直接言えば良いだろうに・・・。この男は俺に対しては遠慮の欠片も見せないくせに、何故かアメリカに対する時は感情ばかり昂って言葉に詰まるらしい。千年も生きてるくせに、とんだ恋愛初心者だ。 「で、どうしたの。アメリカと喧嘩でもしたのか?」 面倒くさいが、いつまでも居座られても困る。さっさと解決の糸口を見つけてもらってお引き取り願おう。そう思って尋ねると。 「喧嘩っつーか、別れた」 イギリスはソファに身体をだらしなく預けると、天井を見上げてなんでもないことのように、ぽつりと零す。 「は!?」 予想外の台詞にぎょっとして、思わず手にしたフォークを取り落としてしまった。口に運ぼうとしたチーズがぼとっと床に落ちて転がる。 「え、何の冗談?」 「冗談じゃねぇよ、マジだ」 「いやだってお前らついこの間までラブラブだったじゃない。見てるこっちが恥ずかしいくらい」 「別れは突然来るもんだ」 しみじみと肩を竦めながら言う。いやいや、お前なんでそんなに平然としてんの。 独立された直後は落ち込んで廃人のようになって、ちょっと関係が修復しても辛辣な言葉を吐かれただけで凹んで大泣きして、いまだに奴の誕生日たる独立記念日にはしつこいくらいに体調崩して血を吐いて。要するにアメリカが絡むと途端にメンタルが弱くなるくせに。その度に湿った空気が海峡を越えて俺の国に流れ着いて来て、うっとうしいことこの上ない。付き合うことになったと聞いて、やっと収まるところに落ち着いたかと胸を撫で下ろしていたのに――別れただって?なんで? 「そんな強がり言っちゃって。あのアメリカが別れるなんて余程のことでしょ。お前何やらかしたんだよ」 呆れたように言うと、イギリスは不機嫌そうに眉を寄せて俺を睨みつけてきた。 「俺が悪いみたいに言うな。何もしてねぇよ、むしろさせてもらえなかったんだ」 「何を?」 「セックス」 「・・・はぁ?」 まさかまだ一度も身体の関係を持っていなかった?そんな訳ないよな、やってる気配あったし。首筋にキスマークを付けて会議に臨んだこともしばしばだ。大体気持ち良いこと大好きなこのエロ大使が、付き合って数年経つのにセックスしてないなんて有り得ない。 「やってたけどさ、俺の希望は聞いてくれなかったんだ」 俺の怪訝そうな表情を見て、イギリスが口を尖らせて疑問に答える。 「お前、どんだけ特殊な趣味持ち出したんだよ・・・」 「特殊じゃねぇ、いたって普通のことだ」 そうしてイギリスは事の次第を説明し始めた。 ××× イギリスと別れた。いや、俺は別れたつもりはない――だけど、彼はそのつもりなのだろう。そのつもりで、あの日、この部屋を出て行ったのだろう・・・。 それはお互いのオフが久し振りに重なって、イギリスが俺の家に遊びに来た、ある昼下がりのことだった。 玄関でドアが閉まるかどうかというタイミングで我慢できずに抱き締めてキスして。縺れ合いながらリビングに入ってソファに押し倒したところで、慌てたイギリスがストップをかけた。正確に言えば腹に足蹴りを食らわされて、待てと言われた。 「・・・相変わらず足癖が悪いね」 「お前がいきなりがっつくからだろ?」 若干ムッとしながらその足を掴むと、彼は悪びれなく言った。 「ずっと会えなくて・・・我慢してたんだ。久し振りなんだから当たり前だろ?」 「その前に話があるんだ。とにかく退け、重い」 「少しはムードを読んでくれないかな・・・」 渋々身体を避けると、彼は身を起してソファに座った。その横に座ると彼は翠の瞳を真っ直ぐ向けて俺の顔を見据える。俺は、そのきらきらと光を反射して輝くその双眸に目を奪われた。あぁ、いつ見ても綺麗だ・・・。 「なぁ、頼みがあるんだ」 「頼み?なんだい?」 「お前にしか頼めないんだ・・・聞いてくれるか?」 あまりに真摯な瞳で頼んでくるから、これは余程のことなのだろうと思った。英国に何か問題でも発生したのだろうか?特にそんな報告は受けていないけど、他国に知られないように必死に隠しているのかもしれない。だとするとそれなりに深刻な問題だろう。彼が困っているのなら、俺はもちろん持てる力のすべてで助けるつもりだ。合衆国を動かすにはそれなりに様々な機関を通さなければならないけれど、その程度の労力は厭わない。他ならぬ、イギリスの為なら。 だから。 「いいよ、俺にできることなら何でもするよ」 そう答えた。それは俺に取って当然の答えだったから。 「ありがとう、アメリカ・・・」 彼は嬉しそうにそう言って笑って、はにかみながら俯いて。続けた言葉は・・・俺を至極驚かせた。 「それじゃ今日は俺が挿れるからなっ!!」 「は!?」 あまりに唐突で予想の遥か斜め上をいく提案に、驚き過ぎて目が飛び出るかと思った。あんぐりと口を開けたまま呆然とする俺に、イギリスはこれ以上ないくらいに良い笑顔で言った。 「俺の為なら何でもしてくれんだろ?」 「・・・紅茶なら茶葉がないよ」 とりあえず思い付いた「いれる」動作を彼に伝える。 「違ぇよ、紅茶が淹れたい訳じゃねぇ」 「コーヒーが飲みたいのかい?俺が淹れ方教えてあげても良いんだけど・・・君は機械音痴だからね、コーヒーメーカーを壊されるのは御免だよ」 「誰が機械音痴だ、ばか。そもそもあんな濁った苦い水なんざ飲みたくもねぇ」 「今君、世界中のコーヒー党を敵に回したよ」 「だからそうじゃねぇって、アメリカ、俺が言ってんのは・・・」 「アイスのトッピングかい?チョコチップとキャラメルとゼリービーンズがあるよ。好きなだけ入れると良いよ」 「んなもん食ってるからお前はメタボなんだ!また重くなったんじゃねぇか?」 「失礼だね!俺の体重は筋肉質だから重いだけで、メタボな訳じゃないよ!」 「脂肪もたっぷりついてるだろ・・・って、そうじゃなくて!」 「夕食のスープの材料かい?好きな物入れてくれて構わないよ」 「好きな物ったってお前冷蔵庫の中すっからかんじゃねぇか!今から買い物行かなきゃ・・・」 「よし、じゃあ買い物に行こうじゃないか!」 そう言って強引に彼の腕を掴んで立ち上がらせると、慌てて手を振り解いて喚いた。 「違うって!お前わかってんだろ!?俺はお前に挿れたいんだ!!」 「・・・・・・」 「・・・・・・」 二人の間のこの微妙に生ぬるい空気をどう表したら良いのだろうか。常に妖精さんだの魔法だの幻覚ばかり口にするイギリスの脳を、俺は昔から心配していた。真剣に精密検査を勧めたことも一度や二度ではない。でも今はそれ以上にイギリスが遠い。そうか、とうとう精神病院へ送り届ける日が来たのか。 つうっと涙を流しながら微笑むと、現実逃避してんじゃねぇ!と殴られた。Ouch!君、ほんとにその手とか足とかすぐ出る悪い癖はなんとかしてくれないか。俺のこのパーフェクトな筋肉でなかったら大怪我してるよ。というか恋人の頬をよくもまぁそんなに気安く殴れるね。俺はマゾじゃないぞ。どっちかというと・・・。 「いいからつべこべ言ってねぇで挿れさせろ!」 俺の思考を読んだのか、目を吊り上げて迫って来た。胸倉を掴むその手を逆に掴み上げて、思う様に怒鳴りつける。 「珍しく真剣な顔で言ってくるから何かと思えば・・・真っ昼間から何エロいこと言ってるんだい!」 「さっきいきなり押し倒した奴に言われたかねーよ!」 「あ、あれは挨拶みたいなものじゃないか・・・」 「お前の挨拶は押し倒すのかよ!?誰でもやんのか、あぁ!?」 「ううううるさいなっ!君にしかしないよ当たり前だろ!?」 久し振りに会って甘やかな時間を過ごすはずが、どうして言い争いしてるんだろうか。こっそり溜息を吐いたつもりが、しっかり見咎められて余計に彼の怒りを助長させてしまった。それでもこの原因はわけのわからない提案をした挙句、目の前でぎゃあぎゃあ喚き立てているイギリスにある。 溜まりかねて、その口煩い唇を塞ぐようにキスをして抱き寄せる。 「ふ・・・んん・・・・・・」 彼は悔しそうな表情を浮かべつつも素直に目を閉じて、俺の求めに応じて舌を絡めてきた。そうして力が抜けた彼の身体を支えてやりながらソファに座らせて圧し掛かると。 「・・・あ、待っ・・・ん、や・・・ぅん・・・」 慌てて抵抗し始めたけど、もう遅いよ。逃れようとする唇を追い掛けて口づける。身体をまさぐって感度の良い胸の突起を服の上からぐりっと親指で潰してやると、びくりと震えて甘い息を漏らした。このまま快感に飲まれてしまえば、自分が挿れたいなどという戯言は忘れるだろう。そう思って彼の弱いところを責める手を緩めず、身ぐるみ剥いで事に至ると・・・彼は女の子のように艶やかな嬌声を上げて果てた。 「そんなに睨まないでくれよ」 荒い息を吐いて力なく横たわる彼をバスルームに運んで身体を綺麗にしてやって。バスローブに包んでリビングのソファに下ろしたところで、はぁっと吐息混じりに言う。身体を洗ってあげている間に我に返った彼は、それからというものぎりぎりと俺を殺気の籠った目で睨み続けている。 「・・・悔しい」 「なんで」 マグカップに淹れたコーヒーを彼に手渡しながら尋ねる。まぁ、答えは聞かなくてもわかるけど。イギリスは受け取ったマグカップの中の水面を眺めながらぽつりと呟く。 「俺が挿れるって言ったのに」 「まだそんなこと言ってるのかい」 呆れたように肩を竦めると、彼は悔しそうに唇を噛んで俯いた。相変わらずしつこいなぁ君は。俺はもうこれ以上この話続けたくないんだけどな。横目でちらりと彼を見遣ると、イギリスは納得できないのか、ぷるぷると身体を震わせている。 「する前に言わなきゃ流されちまうと思って言ったのに・・・結局流されちまった」 「気持ち良かったんだろ?それで良いじゃないか」 ずずっとコーヒーを啜りながらぼそっと漏らす。いい加減馬鹿なこと言うのは止めてくれないか。そう心の底から願うのにイギリスは勢いよく顔を上げてぎっと睨み上げてきた。 「良くねぇよ!俺だって男なんだ!たまには挿れてぇ!」 「言っとくけど俺は君に敷かれるなんて嫌だからね」 「じゃあお前が上から・・・」 「体位の問題じゃないよ!俺は挿れられたくないんだっ」 物わかりが悪いようだからきっぱりはっきり言ってやる。冷え冷えとした心地でイギリスを見つめると、彼はマグカップをテーブルにがんっと叩きつけるように置き、ぶっとい眉を吊り上げて怒鳴った。 「なんでだよ、俺の為なら何でもするって言ったじゃねぇか!」 「そんな事だとは思わなかったんだよ!どうしても挿れたいなら、そーゆー処に行ってヤって来たらいいだろ!?」 瞬間イギリスがぴたりと動きを止める。大きな瞳を見開いたかと思うとゆっくりと眇められて、翠の双眸から光が失われた。見つめているとブラックホールに吸い込まれるようで、ひやりとしたものが背筋を伝う。 「そーゆー処ってなんだよ・・・俺が女抱いても良いのかよ」 顔色をなくして、感情を抑え込んだような静かな声音で彼は呟く。それが嵐の前の静けさのようで逆に怖ろしかった。心がざわざわとするのを、ぐっと奥歯を噛み締めて堪える。俺自身言ってはならないことを口走ったとわかっている。でも口から出てしまった言葉は戻らない。仕方なく自分の気持ちとは真反対の、肯定を示す。 「・・・別に、構わないよ。君は会議中にエロ本読むような人だからね。いつか女性の身体が懐かしくなるんじゃないかと思ってたよ。一回ヤって君の気が済むなら好きにすれば良いよ」 思いもしない言葉を吐くのは辛かった。イギリスが女性を抱くなんて嫌に決まってる。だって彼は元々ノーマルだ。女性の滑らかな肌に触れ柔らかな胸に顔を埋めて・・・男の性に則って抱いて得られる快感を思い出したら・・・彼はそれでも俺の処に戻って来るだろうか?再び同性に身体を暴かれて、本来の用途と違う使われ方で無理矢理抱かれることを、赦してくれるだろうか? とは言え、抱かれることを仕事とする女性と心を通わせることはないだろう。そこにせめてもの希望を繋いで、一回とさりげなく制限を付けておくと。イギリスは俺の心中を図ったかのように口元を歪めて言葉を紡いだ。 「そうかよ・・・じゃあ、男を抱いてくるって言ったらどうだ?」 「そんなにアナルが好きなのかい?変態」 俺を試すような言い様にかちんとくる。苛立ちは言葉になってつるりと喉を通って出て行った。音声として自分の耳で聞いて我ながら驚く。こんな、イギリスを傷つけるようなこと――。 「・・・・・・っ!!言ってくれるじゃねぇか・・・そういうてめぇはどうなんだよ、俺の後ろに突っ込みまくってんじゃねぇか、変態!」 案の定イギリスはぎしりと身体を強張らせた後、わなわなと戦慄いて昏い笑みを浮かべた。 まずいな、この流れは良くない・・・このままじゃ喧嘩になる。いや、既に喧嘩してるのか。そろそろ爆発寸前のイギリスを宥めないと大泣きされるだろう。彼の泣き顔は苦手だ、見たくない。女役をするのはどうしたって嫌だけど、愛するイギリスの為に一度くらい我慢するべきか。 頭の片隅ではわかっているのに、素直じゃなくて意地っ張りなところは彼譲りで・・・こんな時に自覚するのもどうかと思うけど、自分が自分で抑えられない。零れる言葉は刺だらけで彼だけでなく自分も傷つける。 「俺は君みたいに穴ならなんでも構わないような節操無しじゃないよ」 「俺だって相手くらいは選ぶっつーの」 「へぇ、君の相手をしてくれるような奇特な人がいるのかい?」 怒りに満ちた双眸でじとりと睨んでくるイギリスを、小馬鹿にしたようにせせら嗤う。いやいや、こんなことを言いたい訳じゃなくて――片隅にいるもう一人の自分が泣きそうになっている。こんな口論したくないのに・・・。でも、脳裏に浮かぶのはイギリスが腐れ縁と言いつつ結局仲良しの隣国。冷静な自分すら嫉妬でおかしくなっていく。 「馬鹿にしてんじゃねぇぞ・・・俺のテクでいくらでも落としてやらぁ」 「ふぅん、あっそ。でもそれって浮気だよね?」 そうだね、フランスなら君の相手してくれるかもね、彼も君と一緒で性別とか役割とか気にしなさそうだから。とんでもない条件も付けてくるだろうけど。一回と言わず、そのまま付き合うとかね。セフレでも構わない、くらいは言いそうだ。なんたって、彼はイギリスの顔は好きだそうだから。でも・・・俺は、君が彼とそういう関係になるなんて、赦さないんだぞ。 「んだよ、お前が先に言い出したんだろうが」 「そうだけど、君がそんなにふしだらとは思わなかったんだ。俺はフリーセックス主義じゃないからね、他所に行くのはこちらの関係を清算してからにしてくれよ」 「・・・それは何か、別れようってことか」 「そうは言ってないよ」 そうじゃないよ、俺を愛してるなら――他の人を抱くとか言わないでくれよ!そう言ってるつもりなのに、どうしてもイギリスに真意が伝わらない。俺自身も何を言ってるのか訳が分からない。もう泣きたいよ本当に! 「言ってんだろうが!俺の相手はしきれないってか、あぁそうかよ!エロくて悪かったな!!」 言うなり彼はばさっと勢いよくバスローブを脱ぎ捨てた。白くて細い肢体が陽の光の元に晒される。 「な、何してるんだい・・・?」 呆然と立ち尽くす俺に構わず、彼は着て来た衣服を身に纏い始めた。そうしてきっちりネクタイまで締め直してからポケットの中をまさぐって、何かをテーブルの上に叩きつけると。 「じゃあな!」 短く吐き捨てて、そのまま玄関に向かって出て行ってしまった。あまりのことに俺は一言も発せられなかった、一言も。ゆるゆると視線を落としてテーブルの上を見ると、そこには一本の鍵。恐らくそれは俺の部屋の合い鍵。もうここに来ることはないとの意思表示か。――本当に? 「・・・・・・っ」 本当に帰ってしまったの?本当にもうここに来ないつもり?本当に・・・これで終わりなのか?俺と、別れるの?どうして――君はそれで平気なのか? ××× 「という訳だ」 「・・・・・・」 成程。このエロ大使がよくもまぁおとなしくアメリカの下に敷かれてるものだとは思っていたが、案の定おとなしく敷かれてるだけでは気が済まなかったか。 「それで悔しいからさ、晴れてフリーになった訳だしマジで一度男を抱いてみるのも悪くないかと思ってさ」 「好奇心旺盛なのは結構だけど、アメリカと別れてお前、本当に大丈夫なの?」 「へーきへーき、どうせそう長く続く関係じゃないと思ってたし。あいつとはさ・・・そういう運命なんじゃねぇ?」 明るく振る舞って淫奔な様を演じているけれど、心に傷を負っているのが目に見えて分かる。まったく、厄介にも程があるよ。お前ら独立絡みで懲りたんじゃねぇの?下手な別れ方したらお互い傷付くだけってわかってるでしょうが。背負い込んだ深いトラウマすらまだ癒えてないだろうに、ここでまた新たな傷こさえてどうすんの。 「・・・何も別れなくても良かったんじゃない?お前、そこまで役割とか気にしてないでしょ。本気で挿れたかった訳じゃないだろ?アメリカに愛されて――それで満足だったんじゃないの?」 「確かに俺はどっちでも構わなかったんだけどさ・・・あいつが――・・・。つうか、いいんだって。どうせこのままじゃ嫌われてあいつからフラれるのわかってるから」 「はぁ?」 何訳わかんないこと言ってんだ。元来ネガティブなのは知ってるけど、あのアメリカが・・・あのアメリカだぞ?独占欲の塊のようなあいつがお前をフるだって?万が一にもねぇだろそんな可能性。そう言おうと口を開いた瞬間、これ以上アメリカの話を俺としたくないのか、イギリスは話題を変えてきた。 「それで日本にでも行こうかと思ったんだけどさ」 「・・・あぁ、良いよねーあの黒い瞳は神秘的だし髪も艶やかで。小柄だし腰とか細くて」 友達の少ない眉毛が声を掛けるとしたら、そりゃ俺か日本しかいないよな。そして長年仮想敵に位置付けられた俺はないだろうから、必然、日本に白羽の矢が立つのか。 「お前が言うとエロい。あいつが汚れる」 「ちょっ・・・失礼な!お前こそ日本を抱こうと思ったんだろ?誰でも良いのかよこのエロ大使!」 「思っただけだ。あいつに電話したらさ、今シュラバというヤツらしくて殺気立っててさ・・・ちょっと怖かったから止めた」 「あ、あぁ・・・シュラバ・・・そうか、そんな時期か」 目の前の眉毛と違って日頃穏やかで控えめなあの島国は、一年に二度だけは発狂したのかと思うようなテンションに陥る。ドージンは人を変えるとか言ってたっけ・・・今頃寝る間も惜しんで原稿とやらに向かって、綺麗な顔に隈を作っているのだろう。そんな時は触らぬ神に祟りなし、だ。以前聞いた、シュラバの日本にアメリカが無理難題を持ち込んで、刀を振り回して追い帰されたという話を思い出す。ちょうこわい。ぶるりと身震いする。 「まぁ、一夜の過ちの相手にするのは日本に対して失礼だしな。あいつは俺の大事な友人だし。仕方ねぇからてめぇで我慢してやる。ケツ貸せ」 「はぁ!?何さらっと言っちゃってんのお前!するなら逆でしょ!?」 俺はない、そう頭から決め込んでいたので思い掛けない台詞にぎょっとする。朝っぱらから押し掛けられてヤケ酒に付き合わされた挙句、愚痴を聞いてやって慰めてやって、更に掘られるとかどう考えても割に合わない。どうせならお前がケツ差し出せよ。いや、いらないけど。 「なんで俺がてめぇにヤられなきゃなんねぇんだよ。お前の存在意義は俺に掘られる以外ねぇだろうが」 「何それ酷い!!・・・ていうかお前、俺相手に勃つの?」 「ドーヴァーだって掘れたんだ、やってやれないことはない。あ、でも一応その面見てるとムカムカするから、髭は剃るからな。あとアイマスクでも付けとけ。あと最中に声出すな。あときもい胸毛も剃り落とせ。あと・・・」 「冗談じゃないよ!この髭はお兄さん大切に大切に育ててるんだから!」 なんなんだよその我儘ぶりは!付き合いきれないよ、ほんと。いくら俺が愛の国で愛の伝道師であっても、そこまで虚仮にされて言われるままはいどうぞ、なんて言う訳ねぇだろうが、ばか眉毛! 「ハロウィンの仮装ごときで剃れるんなら俺の為に剃れるだろう?つうか一日でにょきって生えるなら問題ねぇだろ!」 「問題大有りだよ!お前に敷かれるなんて御免だよ!それ以前にお兄さんアメリカに殺されちゃう・・・っ!」 「俺が、なんだって?」 俺の胸倉を掴んでにじり寄るイギリスに応戦するように奴の頭を両手で握り込んで。取っ組み合いになる寸前、その場にいるはずのない第三者の声が聞こえて――空気がぴしっと凍った。 「ああああアメめめめリりりり・・・」 二人揃ってがばっと玄関の方を振り返ると、見知った水色の瞳の青年が立っていた。誰だっけ、なんて思うはずもなく――それはどこからどう見てもアメリカで。なんでどうしてお前がここにいるんだ!そう言いたいのに舌が縺れたか言葉にならない。隣に立つ腐れ縁の眉毛も同様のようで、口をぱくぱくさせて意味のない音声を漏らしている。驚き過ぎて酔いが一気に冷めた。ていうかお前らなんなんだよ!気安くお兄さんのホームに土足で入って来ないでよ! 「インターホン鳴らしたんだけど応答がなくてさ。でも親切な人にお願いしたら中に入れてもらえたよ」 件の侵入者はにこりと笑って応じる。その余裕ぶりがムカつく。 「何その親切な人って!お前絶対合衆国の権力振りかざしたんでしょうが!!」 「やだなぁ、ちょっと長距離ミサイルの標的をこのアパートにしたらどうかなって言ってみただけだよ。ジョークだったんだけどなぁ」 「目が笑ってない!!」 「そんなことより――やっぱりフランスの処にいたね」 アメリカはすっと目を眇めると、イギリスを静かな瞳で見据える。静かだけどその奥に燻ぶる怒りの炎がちらちらと見えてめちゃくちゃ怖い。真正面からそれを見たイギリスは、ひっと悲鳴を上げるとあろうことか俺の背中にさっと隠れた。いや待てお前、俺を盾にするな。これ以上俺に迷惑掛けんな巻き込むな!! 「ななななんだよっ!!おおお前には関係ねぇだろ!?」 「関係ないだって?本気で言ってるのかい?」 上擦った声で喚く眉毛に、アメリカが引き攣ったような昏い笑みを浮かべる。何その嗤い方、怖すぎるんですけど!いつものあの馬鹿みたいに明るいアメリカはどこ行ったのよ!?なんだか背後に真っ黒で禍々しいオーラが見えるんだけど、気のせいじゃないよね?俺の背中に縋り付くイギリスががたがたと震えてるのがわかる。お兄さんも矢面に立たされてちょっと辛い。嘘、めちゃくちゃ辛い。 「おおお前が言ったんじゃねぇか、俺の好きにすればいいって!もう俺には付き合いきれないんだろ!?エロくて悪かったなばかぁっ!!!」 「そんなこと言ってないだろ!?どこまで悲観的なんだい君は!そもそも君が可笑しなことを言い出した挙句勝手に話を拗らせたんじゃないか」 「だってお前変態って言った!変態って!!」 「君だって言ったじゃないか!お互い様だろそれは!」 「先に言った方が罪が深いんだぞ!」 「何その理屈、意味わかんないよ!」 「わかんなくていいっ!もう俺に構うなっ!!」 「なんでそんなことが言えるんだい!?君は――結局俺のこと、少しも愛してくれてなかったのかい・・・?」 「はいはい、ストップ。坊ちゃんもアメリカも少しは落ち着きなさい」 アメリカがくしゃりと顔を歪ませたところで、仲裁に入る。いやもう、本音はお兄さんの家で痴話喧嘩するの止めてよってとこなんだけど。今すぐ出て行って他所でやって欲しいんだけど、俺は皆のお兄さんだからね、喧嘩の仲裁くらいやってあげましょうかね、涙を飲んで。 なのに、俺の優しさがわからない二人は口を揃えて。 「てめぇは引っ込んでろ!」 「君は関係ないだろ!?」 ・・・アメリカはともかく、そこの眉毛。せめて俺の後ろから出て来てアメリカと真正面から向き合ってからそういう台詞は吐きやがれ。イラっとしたのでテーブルの上にある物をトレーに載せると、すたすたとキッチンに向かう。イギリスをその場に残して。すると盾を失った眉毛は慌てて・・・俺を追い掛けて来た。ていうか、のこのこ付いて来んなばかっ!アメリカがまた妬くだろうが! 「何よ坊ちゃん、関係ない俺は引っ込んでればいいんでしょー?」 「う、うるせっいきなり俺を置き去りにするとかてめぇは鬼か、悪魔か!」 「君達何そこでいちゃいちゃしてんだいっ!!」 ほらみろ、またアメリカが怒り出したじゃねぇか。少しは俺の立場も汲めっつーの。パニクってるイギリスをじろりと睨みつけるが、アメリカの怒りに満ちた瞳の方が余程恐ろしいのか、俺のカーディガンの裾を握り締めて離さない。やだなぁもう、あいつの嫉妬深さときたら異常なんだから、これ以上お前に引っ付かれるとパリに血の雨が降っちゃうよ。そろりとリビングに佇むアメリカの顔色を窺うと・・・それはもう、憤怒の形相で怒っていらっしゃいました。ですよねー。 「おい眉毛、あいつが俺に無体を働く前にちゃっちゃと話し合って来い」 「んだよ、あいつの顔見ただろ!?あれが話し合う顔かよ!下手に出てったら俺殺されちまう!」 「ばかっ!殺られるのはお前じゃなくて俺だっ!頼むからこれ以上俺を巻き込まないでくれ!」 キッチンの片隅でどつき合っていたら、ゆらりとアメリカが近付いて来る気配を感じてひっと二人揃って首を竦める。そろそろと振り返った先のその表情は苦悶に満ちていて・・・あぁ本当にこいつイギリスが好きなのなぁ。どこが良いのかさっぱりだけど。 「イギリス・・・そんなにフランスがいいのかい・・・?彼とまさかもう、そんな関係に・・・?」 「「変な想像してんじゃねぇっ!身の毛がよだつ!」」 見事にイギリスとハモった。それだけでアメリカに言わせると仲が良いことになるのか、奴はこめかみをひくりと震わせる。いやいや、本当にないから!お兄さんを信じて!!そもそも腐れ縁の眉毛が俺の処にいるなんて今に始まったことじゃないでしょ。いつものお前のポジティブ精神発揮しなさいよ――! 「と、とにかく二人とも落ち着けって。ホットチョコレート淹れてやるからリビングに座って待ってろ。な」 ぐいぐいイギリスの背中を押してアメリカの方へ追い遣る。眉毛はひぃとかてめぇコロスとか喚いてるけど知るか、俺は己の身が一番可愛いの!あとお前ら本当に話し合えって。絶対何かお互い勘違いしてんだから。 ××× くそ髭に冷淡にもキッチンから追い払われて、仕方なくリビングのソファにアメリカと向き合って座る。あの野郎、よくも俺をこんな状態のアメリカと二人きりにしてくれやがって。後でぜってー締める。殺す。沈める。髭引っこ抜くなんて生温い。もう二度と髭が生えてこないように毛根焼き尽くしてやる。 「イギリス」 「べぁぁっ!!!」 俺がフランスに対する恨みつらみを呪詛のように呟いていると、アメリカに突然名を呼ばれた。思わず悲鳴を上げて飛び退って身体をちぢこませると、アメリカは不貞腐れたように頬を膨らませた。 「・・・君、いくらなんでも名前呼んだだけでその反応はないんじゃないかい?」 「い、いやだってお前・・・」 そういう台詞はその禍々しいオーラを消して穏やかな笑顔を向けてから言ってくれ。目がマジで怖いんだよ。身震いが先程から一向に止まらない。歯の根が合わず、かちかちと奥歯がぶつかる音がする。だってアメリカが怒ってる――腹の底から。・・・どうして? 「えっと・・・それで確認だけど、君はその、フランスと・・・・・・。――もう、寝たのかい?」 何事か俺に尋ねたいのだろうけど、躊躇われるのか視線を彷徨わせて、ゆっくりと言葉を選んでいる。そのくせ最後の単語ははっきりと、不穏な空気に満ち満ちていた。 「んな訳あるか、ばかぁっ!」 即座に否定する。いや、ヤろうとしてたのは確かだけど、今は言わない方が良さそうだ。俺の返答に満足したのか、少しアメリカの周囲の空気が和らいだ。 「そう――なら、良かった。君が誰彼構わず襲うようなことになっては、ヒーローとしては放っておけないからね」 ふふんと蔑むように言われて血管がぶちっと切れた。なんだよその言い草は、人を強姦魔みたいに言いやがって。 「俺があいつと寝ようがどうしようが俺の勝手だろうが!合意の上なら問題ねぇだろ!?」 いっそぶん殴ってやりてぇ、そう思いながら怒鳴りつけると、アメリカはぎょっと瞠目した。 「合意ってなんだいっ!?ま、まさか君達・・・付き合ってるのかい!?」 「そ、そういう訳じゃねぇけど・・・」 血走った目をひん剥いてアメリカはぶるぶる戦慄いている。その形相ときたら悪魔に取り憑かれたかのようだ。先程少し和らいだかに見えた闇のオーラは益々禍々しくとぐろを巻いている。ギラギラと光る苛烈な視線だけで、俺のピュアな心臓は止まってしまいそうだ。まったく、どこの魔王だお前は。 「フランスと付き合うなんて――許さないんだぞ」 「・・・なんでお前の許可がいるんだよ、俺達もう別れたんだ、浮気じゃねぇだろ?」 低い、腹の底から響く冷え冷えとした声でぼそりと言われ、思わず反論する。すると予想外の台詞が返ってきた。 「別れてないよ」 「あぁ!?お前が別れたいって・・・」 「言ってないよ!言う訳ないだろ!?」 「関係清算したいって言ったじゃねぇか!」 言いながらあの時のことを思い出して、心がズクズクと傷んだ。涙が勝手に浮かんでくる。ちくしょう、情けねぇな俺、どこまで女々しいんだ。けれど気がつけば目の前のアメリカも泣きそうな顔をしている。 「違うだろ!?俺は君が他の人を抱くなんて嫌なんだ!だから俺と別れたくないなら止めてくれって言ったのに・・・君ときたら、お、俺と別れてまで・・・っ!」 「それこそ違ぇよっ!俺だって他のヤツなんざ抱きたくねぇよっ!お前が良いに決まってんだろ!?なのにお前がさせてくれねぇから・・・」 なんかもう相当会話が擦れ違ってたんだな・・・今も成立してるとは言い難いが。どうしてこんなに想いが伝わらないんだろう?ずっと傍にいて身体も繋いできたのに。 「なんでそんなに挿れたい訳!?今までそんなこと言わなかったじゃないか、一言も!」 「だってお前、最近俺のこと・・・・・・いや、なんでもねぇ」 気掛かりだったことがぽろりと口から零れそうになって、思わず手で塞いで視線を逸らす。けれど隠し事が大嫌いなアメリカは、ぴくりとこめかみを震わせてじとりと睨んできた。 「何?言い掛けたのなら最後まで言いなよ」 俺の誤魔化しを見逃すまいと凝視してくる水色の瞳に、それでも二枚舌を以てして適当に言い繕うこともできるけど、なんだかヤケくそな気分だ。この際洗いざらいぶちまけてしまうか。言いたいこと全部言って終わらせてしまおう。そう思って、ずっと気になっていたことを口にする。 「お、お前・・・最中に、言うじゃねぇか・・・俺のこと、女みてぇだって・・・」 「はぁ?」 「だからっ!俺の身体女みてぇだって言うだろ!?眉しかめて顔背けてさ・・・ば、ばかにすんじゃねぇよっ!どうせ俺のこと気持ち悪ぃって思ってんだろ!?女みてぇな声出して女みてぇに反応して女みてぇに掘られて喘いで・・・」 「ちょ、ちょっ・・・ストップ、スト――ップ!!!ななな何なんだいそれっ!!被害妄想の極みだよ君っ!!」 「お前が言ってんだろうがっ!悪かったなこんな身体でっ!」 くそっ!やっぱり言うんじゃなかった。言いながら自分で傷ついて涙がぼろぼろ溢れて止まらない。アメリカの顔もぼやけて良く見えない。どうせ呆れた顔してんだろ、ばかにしてんだろ、ちくしょうわかってんだよそんなこと!俺だってこんな身体になっちまってどうしたらいいのかわかんねぇんだよ! 「いやいやいや違うよっそんな意味で言ってないよ!!ああもうどうして君って人はこんなに面倒くさいんだろう!?」 「面倒くさくて悪かったなばかぁっ!!」 「一々反論しないでくれないかい!?だからっ誤解だよ全部!君の身体をばかにするとか、そんなつもり一切ないから!!」 アメリカが両手をばたつかせながら言い訳してくる。俺を慰めようってのか、今更だろそんなの。 「じゃあなんであんなこと言うんだよ、気持ち悪ぃんでなけりゃなんなんだよ?」 「それはっその・・・つまり・・・」 「嬉しいんだろ?」 口篭るアメリカの代わりとばかりに、後ろから嫌味なフランス語が響いた。ぎっと振り向くとワイン野郎がマグカップを乗せたトレーを片手に、しなを作って壁に凭れている。いつからそこにいたのか、そしてその格好マジうぜぇ。ついでに余計な口を挟むんじゃねぇ。沈めんぞコラ。 ついカッとなってその辺に転がっていたワインボトルをぶんっと投げつける。ちっ・・・外したか。アメリカはにっこり笑顔を浮かべると一人掛けソファを持ち上げて投げつけた。俺より酷いなこいつ。 「お前らひどっ!ボトルは鈍器よ坊ちゃん!アメリカもソファなんて投げつけないで!お兄さん潰れちゃうっ」 「てめぇ入ってくんじゃねぇよ!空気読め!!」 「フランス、悪いんだけど少し外出していてくれないか」 「ちょっ窓からとか死んじゃうから!ごめんなさいもう口挟まないから大人しくしてるから落とさないで!待って待って待っ――ぎゃあああっ!!」 下に植栽あるから平気だろ、後で回収してやる。心の中でそう呟いて窓の下を眺めていると、アメリカはワイン野郎の存在をきっぱり頭の中から消去して、話の続きを始めた。 「つ、つまり・・・君が気持ち良さそうに反応してくれるのが・・・か、かわ、可愛いなって・・・っ」 「――――っ!」 アメリカの横顔が窓の外の夕日を浴びて朱に染まっている。その頬を更に真っ赤に染めて恥ずかしそうに言った。羞恥は伝染って俺までかぁっと顔に血が上る。思わず両手で頬を挟んで隠すけど、どうせバレバレなんだろうな。 「お、俺が君の身体をよくしてあげてるんだって思ったら、嬉しくて・・・」 「おおおお前、ばか・・・っ」 「・・・不安にさせてごめんね」 少し困ったように眉を下げてふわりと微笑みながら謝るアメリカに、じんと胸が熱くなる。率直なアメリカに釣られて俺も素直に心の中を曝け出す。 「お、俺・・・こんな感じやすくなっちまって・・・胸触られて感じるとか、女みてぇで・・・てっきりお前が俺の身体に呆れてると思って・・・」 「そんなこと考えていたのかい!?呆れる訳ないだろ、俺が君の身体をそうなるように変えてるのに」 そっと近付いて来て、アメリカは俺の頬に温かな手を添わす。その手に俺も手を重ねる。温もりに凝った蟠りがすべて溶かされ流れていく気がする。目を閉じて、全部最後まで言い切る。きっと、こいつは俺の想いをわかってくれるから・・・。 「じゃあなんで最中、嫌そうな顔して背けるんだ?幻滅してんじゃねぇの?」 「違うよっ!それは・・・その、君があんまりエロい顔してるから、すぐイキそうになっちゃって・・・こ、堪えてるんだよ!あぁもう、恥ずかしいこと言わせないでくれよっ」 喚き声を上げると同時に抱き寄せられて厚い胸に顔を容赦無く押し付けられる。俺の鼻が曲がったら絶対こいつのせいだ。力の限り後頭部を抑え込まれて息が苦しい。必死にくぐもった声で抗議しながら背中をバシバシ叩くと、ようやく腕の力を緩めてくれた。ほっと一息ついてから、ぎゅっと抱きつく。 「だから、だからお前に嫌われないように、俺も男らしくヤったらこんな身体じゃなくて元に戻るんじゃないかって・・・」 「ダメだよ、君は・・・そのままで良いんだ・・・そのままの君が良いんだよ」 「アメ・・・」 見上げて名を最後まで呼ぶ前に、柔らかなもので唇を塞がれた。少し湿って震えているそれが愛おしくて、ただ触れるだけのキスの甘さに思考は蕩けていった。 「あ、そういえばアレ、もう要らないかな・・・?」 ソファに二人並んで座ってくつろいでいると、アメリカが唐突に何かを思い出したように声を上げた。自分のバックをガサゴソとまさぐって、小さな細長い箱を取り出す。 「なんだそれ」 「君の為に日本に無理を言って作ってもらったんだけど・・・要る?」 「いや、パッケージされた状態で聞かれてもな・・・。そもそもあいつ今シュラバじゃねぇの?」 「君の使った感想を聞かせる条件で優先してもらったんだ」 「またお前はあいつに無茶言って・・・つうか、そういう条件ならきちんと使ってやらなきゃダメだろ。せっかく作ってくれた物だしな」 いつもアメリカに無茶な要求をされて、びくびく怯え青ざめながら頷く日本の顔が浮かぶ。子育てに失敗した責任を感じて申し訳なく思う。今度スコーンでも焼いてこの埋め合わせをしよう。そう思いながら箱を受け取る。 「それじゃこれを俺だと思って可愛がってくれよ」 「あぁ?どういう意味・・・ってなんだこれ!?」 箱から出て来たのはショッキングピンクのド派手でけばけばしくてセンスの欠片もない形をした樹脂素材の物体。アダルトグッズのオナホだ。 「君のことだから知ってるだろう?」 「そっちじゃなくて・・・いや、その件も後で真剣にてめぇの頭の中に聞いてやりてぇが、その前に何なんだよ、この憎たらしい顔の人形は・・・」 箱から転がり出てきたのはオナホだけじゃない、ローションと思しきボトルと手のひらサイズの人形も入っていた。その顔はどう見ても隣に座るこいつのドヤ顔で、実物を完全再現したかのようなメタボな身体が例のごとく決めポーズを取っている。その上、ご丁寧に歯の白さを際立たせたかったのかコーティングが施されていて、無駄にピカピカ光っている。はっきり言って可愛さからは程遠い。 「憎たらしいだなんて酷いよ!!わざわざカッコイイ俺を3Dカメラで撮って世界に誇る人形メーカーの造形師に頼んでフィギュアにしてもらったんだよ!?」 「そうかよ」 ばきんっ。 「あああああっ!!!俺がっ俺の身体が真っ二つにぃぃぃぃっ!!!」 アメリカの悲鳴を余所に、手の中の人形をポイっと後ろに投げ捨てる。 「ひどいっ!何するんだい!よくも恋人の姿形をしたフィギュアを折って捨てるようなことできるね!」 ドタバタと駆け寄って人形を抱えて戻って来るなり怒鳴られた。目尻に少し涙が浮かんでいる。 「何してんのか聞きてぇのはこっちだばかっ!オナホなんざ俺には用はねぇよ」 「だって君がどうしても挿れたいって言うから!でも俺は嫌だし君が他の人を抱くのはもっと嫌だから、俺の人形で我慢してもらおうと・・・」 「それならもう解決しただろ?俺は人形を愛でるよりお前に触れていたいんだよ。大体んな人形じゃ勃つもんも萎えちまう」 「・・・・・・っ、君って人は、本当に・・・」 ぱっと頬を染めたアメリカが溜息を漏らしながら俺に触れてくる。指先から熱と想いが伝わる。それだけでたまらなく幸せになれる。俺はもうこいつがいないとダメなんだろうな・・・別れるなんて、出来るはずねぇんだ。そんなことを思いながら近づく水色の瞳を吸い込まれるように眺めていたら。 玄関のドアがガチャンと音を立て、ドタドタと騒々しい足音が響いて部屋のドアがバタンっと開かれた。そこに立つのは予想通りボサボサ頭のくそ髭。いつも身だしなみに煩い奴が、今は薄汚れてあちこちに小さな葉を身に纏っている。 「おーまーえーらー・・・」 地獄から這い上がってきたゾンビみたいな顔付きで睨んできたが、まぁ所詮はワイン野郎だ、これっぽっちも怖くねぇ。ふふんと鼻でせせら笑う。 「やっぱり生きてたか」 「フランス・・・もう少し外出していて欲しかったんだけど」 「窓から人を突き落としておいて、まだそんなこと言うの!?ひどいっ酷すぎる!!あと俺の部屋でヤんな、最低っ!!」 欲情を滾らせていたアメリカは、至極不満そうに口を尖らせている。その頭をくしゃっと撫ぜてから、フランスに手の中の物を手渡した。 「ほら、詫びの品だ。とっとけ」 「何これ・・・て、お前ら何してたの!?」 「ばか、違ぇよ、まだ未使用だ」 「オナホなんて俺には用ないよ!」 「あ、それ、ちゃんと使い心地を日本に伝えてくれよ☆」 「何それ!?何の罰ゲームなの!?」 結局フランスにオナホの使用を断固拒否され、仕方なく俺とアメリカは謝罪がてら日本に赴いた。応対した日本はいつものこざっぱりとした姿ではなく、着古されたジャージを身に纏い目の下に青黒い隈を作っていた。あれが鬼という奴なんだろうか、アメリカには見えなかったようだが日本は頭上に2本の角を生やして物凄い眼光で睨んできた。命の危険を感じた俺達は、渋々あいつに言われるがままドージンの原稿とやらのアシスタントとして、こき使われたのだった。 〜終わり〜 |