USA 今日は2月14日バレンタインデー、聖バレンタインに由来する愛の誓いの日だ。世間では今頃あちこちで恋人達が想いを込めたプレゼントを渡して身体を密着させていることだろう。羨ましくなんかない。ないったらない。 そういう俺は今何をしているかと言えば、主要国メンバーと会議中だ。東洋の島国に男ばかり集って様々な問題提起に解決策を模索し議論を戦わせ熱弁を振るう。侘びしいだの可哀相だのという同情は要らない、国体である俺達に恋人なんて不要だ。愛する相手は国民で十分じゃないか。愛の誓いは国土と国民に贈ればいい。だからこの会議という場は俺にとって望ましい状況だ。女性の身体、特にたぷたぷと揺れる大きな胸が大好きだと豪語して憚らない自称紳士サマをこの部屋に留めておけるのだから。 彼のことだ、仕事でなければ今頃どこぞの誰とも知れない女性からのプレゼントを受け取って鼻の下を伸ばしながらその豊かな胸元に手を這わせているだろう。そんなふしだらな行い、神が許しても俺が許さない。禁欲的であれとまでは言わないが節度ある行動を求めたい。俺が誘ったんじゃない、女性から誘われたんだなどと戯言を言って誤魔化そうとするが、あちらこちらで偶然を装いながら女性にアタックしているのを知っている。あのぶっとい眉毛にも関わらず惑わされた女性達の目を幾度となく覚ましてやった俺が言うのだから確かだ。彼女達があの童顔太眉毛のどこに惹かれるのかまったくもって理解できない。 彼の魔の手から女性達を護るのもヒーローの役目だ。そんな訳で毎年この日には会議が入る。土曜日だろうと日曜日だろうとストが起きようと雹が降ってこようとハリケーンに見舞われようとも構わず開かれる。俺がそう決めて仕組んでいるんだ。ちなみに欠席は許されない。地球規模の問題を解決しようという有益で真摯な会議を不埒な理由で欠席する輩など、国体という立場の者にいるはずがない。いたとすれば俺が米国のすべての権限と技術と軍事力でひねり潰してやる。特にあの眉毛。 会議が毎年の恒例行事と化しているので、参加者も皆この日の過ごし方に慣れている。まず遅れて来たにも関わらず反省の色なくイタリアが議事進行を一切鑑みずに赤い薔薇のブーケを持ってドイツの傍に駆け寄る。 「ドイツーおはよー、これ俺からのヴァレンタインのプレゼントだよー」 「イタリア・・・今は会議中だ、私語は慎め。あと遅れてくるな!どうせまた寝坊したのだろう、仕方のない奴だな。だがまぁ・・・これは有難く頂こう。ありがとな」 にこりと曇りのない笑顔を浮かべて差し出されるそれをドイツは叱責しつつも嬉しそうに受け取って、照れ臭そうに自分が持って来たブーケをイタリアに渡した。 「わぁドイツ、このお花綺麗だねーありがとー!俺ドイツのこと好きだよー」 ごく自然にさらりと愛の告白をした。会議中の衆人環視の中で良くも照れもせず言えるものだ。戦争ではヘタレだがナンパ王国イタリアそのものである彼は、恋愛に関してはウワテということか。けれども羨ましい訳じゃない。ナンパの成功率が高くても本命をゲットできなければ意味はない。 ただイタリアの万分の一で良いから誰かさんも素直になってくれれば、とは思う。義理でも兄弟愛でもなんでもいい、俺に気持ちの篭ったプレゼントをしてくれれば――まぁ、素直に持って来たのが小麦粉の成れの果ての炭というのは遠慮するけどね。と言うかあれは俺に対する嫌がらせなのだろうか?独立した恨みを込めて作られたとしたら納得もいくあの黒さ。脳裏にこびりついて離れない食物兵器の色と味を思い出して溜息を吐く。 イタリアが今度はブーケを持って日本の傍へ行く。議長国の日本は戸惑いつつもそれを受け取って・・・議長までがそうなのだからもう良いだろうと、皆一斉に会議を放棄する。 「はい坊ちゃん、お前のお気に入りのアップルタルト焼いてきたよ」 早速今すぐにでもこの場から存在を抹殺したい第一人者、フランスの声が上がる。話し掛ける相手はもちろんイギリスだ。 「おう、お前の唯一の取り柄だからな、さっさと寄越せ」 俺には向けてくれない嬉しそうな顔でタルトの入った箱を受け取っている。タルト目掛けて銃撃しようかと懐に手を入れれば、隣の席の日本が血相を変えて俺の右腕に飛び付いた。 「アメリカさんダメですダメです此処は私の国の会議室です穴が開いたら補修費どうしてくれるんですか貴方が出してくれるんですか!?」 「大丈夫、フランスに当たって弾がめり込めば部屋が傷つくことはないよ」 「血が飛び散るじゃないですか!絨毯が汚れるじゃないですか!染み抜きって大変なんですよ!!」 「はいそこー、心配する方向性がおかしいですよー」 青ざめた日本とぎすぎすとした水面下の攻防を繰り広げていれば、フランスがによによ笑いながら近付いて来た。視線で殺すつもりで睨みつければ、余裕ぶって苦笑しながら肩を竦める。 「ほら、お前達にも焼いてきたから。これでご機嫌直してよ、――坊や」 厭味ったらしい鼻にかかったフランス語で「坊や」と言われれば、自分の脳の血管がブチっと切れる音が聞こえた。日本は青白い顔から更に血の気を引かせてあわあわと俺とフランスの顔を交互に見ている。数少ない友人である日本を困らせることは俺も本意でない、大人気ないおっさんの挑発に乗るまいと心掛けて息を一つ吐いて呼吸を落ち着かせる。 「流石、齢1000年を越すと一芸くらいは秀でるものだね。貧相な隣国をコマすことにしか役に立たないけど」 にこりと笑って言ってやれば、遠くからコマされてねぇ!と喚き声が聞こえて来た。コマされてないと言うなら証拠を見せろ、ベッドで。 「お前ねぇ・・・あの凶悪な眉毛をコマしてお兄さん何が楽しいの?俺は美しいものにしか興味ないよ?あぁでもお前はあれが良いんだっけね、相変わらず悪趣味ね」 ニヨリと笑う顔に今度こそキレた。がんと机を殴って立ち上がれば、日本がこそこそと遠ざかって行く。うん、君はそういう人だよね。火の粉が降りかかろうものなら速攻で逃れて遠巻きに眺めるよね。仲裁なんて期待してない、ちょっと賠償が必要になったらお願いするだけだ。 ぎろりと見据えて胸倉を掴もうと手を伸ばす瞬間、俺とフランスの間で流れる一触即発の空気を断ち切るように、茫洋とした声が背後から聞こえた。 「僕の分はないのかなぁ?」 がばっと上半身を捻って振り向けば、いつの間に移動したのかロシアが立っていた。にこにこと笑っているけれど心中は図れない。気配を消して背後に立つからには何か思惑があるのだろうと警戒する。冷たい戦争をした関係は簡単に修復などされない。けれどロシアは俺の方は見ずにフランスだけを紫の瞳に映してもう一度、僕の分は?と首を傾げて尋ねた。 「あぁ、もちろんロシアの分も焼いてきたよ。お兄さんは皆のお兄さんだからね」 チュッとフランスが投げキスを贈ればロシアは嬉しそうに笑った。おっさんの投げキスを貰って何が嬉しいんだか。それでも邪魔者と不穏分子が同時に姿を消してくれるなら有難いところだ。 二人の背中に向かって思い切りべーっと舌を出して見送れば、部屋の片隅で中国相手にイギリスが揉めているのが見えた。何をしているのだろう?と耳を澄ませると、買った買ってないの言葉の応酬。どうせまた中国にしてやられたのだろう。 「だぁらこれはお前が勧めたんだろうが!金取るとは聞いてねぇぞ!」 「タダと思う方が可笑しいあへん。ちゃんと此処に値段書いてあるよ。ちゃんと見ないおめーが悪いある」 「んなちっちぇえ文字でこんな隅に書いても誰も見ねぇよ!」 「タダ食いは犯罪あるよ、大英帝国サマは盗人あるか?あぁそう言えば犯罪スレスレで我の国を侵食したあるね」 「・・・・・・っ、昔の話を蒸し返すんじゃねぇっ!くそっ、払えばいいんだろ、払えば!つうかなんだよこの金額、ボッタクリじゃねぇか!!それこそ犯罪じゃねぇのか、あぁ!?」 「つべこべ言ってないでさっさと差し出すよろし」 「くっそ――っ!!」 あ、負けた。地団駄踏みながら財布を取り出すイギリスを呆れながら眺めていると、日本がささっと席に戻って来た。 「君ねぇ・・・」 俺の非難めいた視線を物ともせず、彼はにこりと笑って可愛いリボンが掛かった小箱を差し出す。 「どうぞ、我が国のチョコレートです。いつもお世話になっております今後共よろしくお願いします」 ぺこりと頭を下げて聞き慣れたテンプレ台詞を吐く日本の手から無造作に箱を受け取る。良く見れば日本は彼の国のデパートの名前の入った紙袋を腕に提げている。中には今俺が貰ったチョコレートの箱と同じ物がぎっしり入っている。 「またそんなに・・・この間も似たようなことしてなかったっけ?年末に・・・確か、オセーボとか言って物を配ってたよね」 「いつも皆様にはお世話になっておりますから、幾許かの感謝の気持ちです」 「君は変なところで真面目だよね、こういうのは意中の相手にだけ贈ればいいのに」 「私くらい年寄りともなれば、愛を誓ってもぼけて忘れてしまいますからね」 見た目は俺より年下に見えるのに中身はおじいちゃんの日本は、そんな枯れた台詞を放ってにこりと微笑むと、ドイツとイタリアの方に歩んで行った。 他のメンバーはどうしているかと部屋の方へ視線を遣れば、カナダがイギリスにチョコレートを渡していた。またあの兄弟は人畜無害な顔をしてあっさり俺を出し抜くのがうまいんだ!イギリスは彼からのプレゼントを嬉しそうに受け取っている。そんな無防備にへらっとした表情を浮かべて、ちょろ過ぎるだろう、少しは警戒しなよね!そもそも俺が相手だと顔を顰めるくせに同じ顔の兄弟から貰ったらあんな顔するなんてズルイんだぞ!兄弟と俺と何が違うって言うんだい!? じりじりと嫉妬に身を焦がして眺めているとイギリスもチョコレートが入っていると思しき箱をカナダに差し出す。イギリスのプレゼントなんて受け取るのは俺だけで十分なのに!!兄弟はメープルシロップが大好きなんだ、チョコレートなんか食べないよ!他の奴にばら撒いてないでチョコレートは全部俺に差し出すべきだぞ! 俺の殺意の篭った視線に気付いたか、カナダがこちらを向いてざーっと青ざめた。自分がどんな顔をしているか自覚はある。ついでに目を眇めて視線で射殺すように見てやれば、カナダは慌てたようにフランスの方へチョコレートを渡しに走り去って行った。残されたイギリスは寂しそうにカナダを見送る。寂しいと思うなら俺の処に来ればいいのに!! ともあれこれで皆出揃っただろうか。それじゃそろそろ俺もミッション開始するとしよう、その名も「イギリスからチョコレートを貰おう作戦」だ。うん、そのまんまだね。何故今までおとなしく見ていたかって?ヒーローは最後を飾るものだからさ! カナダから受け取ったチョコレートの箱を嬉しそうに見つめるイギリスの傍に気配を消して近付くと、背後からさっと手を伸ばして奪い取る。 「うわっ!お、お前いきなり後ろから来んじゃねぇよ!ビビるだろ!?」 「なんだい君、気付かなかったのかい?平和ボケして勘が鈍くなってるんじゃないか?それともおっさんだから鈍いのかな。一応俺の同盟国なんだからね、いざという時に使えないようじゃ困るよ」 「・・・・・・っ、好き勝手言ってくれるじゃねぇか!誰がおっさんだ、ばか!それ返せよ!」 そんなつもりはないのに、どうしてだかイギリス相手にはつるりと意地悪な台詞ばかり口を衝いて出る。もっと優しくしたいのにな、イギリスの笑う顔が見たいのにな。俺の思いと裏腹の言葉だとは少しも気付かずに、苛立ったイギリスがぎりっと睨んでくる。俺の手中に落ちた箱を取り返そうと手を伸ばしてくるから、べりべりっと一切の気遣いもなく包装紙を破いて中に鎮座していたチョコレートを無造作に掴むと口の中に放り込む。 「お腹空いたんだぞ、これ貰うよ」 「食ってから言うな!待て、それカナダから・・・っ」 知ってるよ、だから俺が食べてるんだろ?俺以外の奴からの贈り物をイギリスが口にするなんて許せない。フランスからのタルトだって日本からの義理チョコだって後から全部食べてやるんだ。決意を固めてモグモグとチョコレートを咀嚼していれば、イギリスは呆れたように溜息を吐いた。 「・・・腹減ってんなら、これ食うか?」 そう言って少し顔を赤らめながら差し出したのは市販のチョコレートの箱だ。 「いらない」 ぷいっとそっぽを向くと、お前なぁっ!と喚き出した。 「こ、これ英国では人気ブランドのチョコレートボンボンなんだぞ!?せ、せっかく並んで・・・っ」 ぼそぼそと言い連ねながらちょっと涙目になってる、無碍にし過ぎただろうか。でも君のことだから手作りだって用意してあるだろう?どこででも買えるような物を貰ったって嬉しくない。イギリスが俺の為に俺のことを思い浮かべながら作った物が欲しいんだ。あるよね?もちろん作ってくれてるよね?まさか俺の為に何も手作りしてない訳ないよね?普段から食物兵器を頑張って食べてあげてる俺に対して感謝の気持ちを込めたチョコレートを作って来てるよね!? だけど「いらない」とはっきり言い過ぎたのか、イギリスは俯いてぷるぷる震えている。両手に握り締めたチョコレートの箱が少し歪んでる。このままじゃ埒があかない、仕方なく先程の発言に補足を加える。 「君の手作りがいいんだぞ・・・」 こほんと一つ咳払いをした後小さな声で囁くと、イギリスはぱっと顔を上げた。潤んだ翠の瞳をきらきら輝かせながらどこからか黒い物体の入った袋をささっと取り出す。あぁそれはいつもの炭だよね? 「チョコレートがいいんだけど」 「チョコレートスコーンだ!!」 「一応入ってるんだ?黒くてわからなかったよ」 ばっと得意げに掲げられた透明な袋の中を、目を細めて凝視するけれどチョコチップらしき物がまるで見えない。何せ小麦粉の部分まで黒いのだから。確かに小麦粉にココアを混ぜて焼けば黒っぽくもなるだろう。でもゆらゆらと揺れる袋の中に入っている物は、チョコレートの濃茶ではなく、黒だ。見ていると吸い込まれそうなブラックホールの如き黒さ、禍々しいにも程がある。 「んだよ、チョコ入ってんだから黒くて当たり前だろ?」 「チョコ入ってなくてもいつも黒いよね」 「あれは単に少しばかり焼き過ぎただけだ。今日のはチョコが入ってるから黒いんだ。問題ねぇよ」 いや、そういう問題じゃないと思うんだぞ。 俺がいつまでも黒さに拘って受け取らないものだから、段々イギリスが不機嫌になっていく。でもね、人にプレゼントするならもう少し胃にやさしいモノにしてもらえないかな。うん、わかってるよ、イギリスに手作りを求める以上、まともなモノを期待するのが間違っているんだよね。大丈夫、俺の胃袋は君の手料理に育てられたお陰か滅多に壊れない。平気、食べられるよ。また泣き出されても面倒なのでさっさと受け取ってあげよう。 「・・・まぁ俺以外にそんな食物兵器食べる人いないからいいか。普通は捨てちゃうよね。でも捨てるなんて食べ物に対する冒涜だから俺が貰ってあげるよ」 照れ隠しにちょっとしたツンな言葉を吐きつつ手を伸ばすと、イギリスはさっと袋を後ろ手に仕舞い、背中に隠した。 「・・・ざけんなよ」 「え?」 「さっきから胸くそ悪ぃことばっか言いやがって!なんだよ、そんなに俺のプレゼントはいらねぇのかよ!日本のは受け取ったくせに!!悪かったな黒くて!だったらこっちこそお断りだ、ばーか!!」 翠の瞳を涙に沈めながら強い光を放って睨んでくる。堪らないとでもいうように身体を震わせて怒鳴ってる。 「ちょっ・・・何いきなりキレてるんだい!?いいからその誰にも食べてもらえない可哀相なスコーンをこっちに寄越しなよ!」 「はっ、食べてくれる奴ならいるさ!くそヒゲぇぇぇぇぇっ!!!」 言うなりイギリスは袋から取り出した黒い塊を手に掴むと、腕を振りかぶってフランス目掛けて投げた。メジャーリーグのピッチャー顔負けの豪速球は見事フランスの口の中に吸い込まれていく。 「ぐほぉっ!!?」 大量の小麦粉の塊であるそれは、小さくても結構な重量だ。衝撃でフランスの身体が吹っ飛ぶ。床の上にどしんと大きな音を立てて倒れたフランスの上に、イギリスは更に飛び掛って馬乗りになった。 「ふがふごふがが〜〜〜!!?」 「俺が手ずから作ってやったスコーンだ、有難く食え」 ギラリと凶暴な光を放つ瞳でフランスを見下ろしている。ヤンキー再臨だ。 「ぶほぉっ!!このくそ眉毛!!んな不味いもん食えるか!!」 「不味い言うな!吐き出すな!食え!!」 フランスが吐き出して床に転がったチョコレートスコーンを再び口の中に押し込む。フランスが抵抗してイギリスの頬を殴った。 「お前のスコーンは固すぎて歯が立たねぇんだよ!!折れんだよ!人の食いもんじゃねぇぇっ!!」 「知るかばかっ!!根性据えて噛みやがれ!」 スコーンを右手に持ってフランスの口の中に捩じ込もうとするイギリスとフランスは、がっちり両手を組んで火花を散らしている。本来なら上にいる方が重力を味方にして有利なのだろうけど、単純な腕力ではフランスが勝るので、結果力が拮抗してなかなか勝敗が付かないようだ。 当人達にもそれがわかっているらしく、イギリスは伸し掛かった体重を一瞬後ろに流してフランスの力を逃すと、手が離れた隙に鳩尾へ強烈な膝蹴りを入れて、身体を痙攣させるフランスの口の中へ素早く黒い物体を押し込んだ。そしてフランスが吐き出すより先に彼の髪と顎を掴んで無理矢理上下させる。がきっばきっごきっという食べ物を噛んでいるとは思えない音が部屋に響く。幾らかスコーンが噛み砕かれた頃合いを見計らって、イギリスは更に会議用に準備されていた机の上のペットボトルの水を手に取ると、迷わずフランスの口に逆さまにして突っ込んだ――ところで、フランスがイギリスの顔面に拳を叩き込み、呆気なく痩躯は床に沈んだ。 「お前なぁっ!!俺はくるみ割り人形じゃないよ!?いくらアメリカに受け取ってもらえなかったからって俺に当たるんじゃないの!不味いんだから当然でしょ、ばか眉毛!!」 「くっそ、どいつもこいつも失礼なことばっか言いやがって・・・俺のスコーンのどこが不味いんだよ!?」 「・・・・・・!!!」 イギリスが喚いた瞬間、この部屋にいる全員が、無言で可哀相な者を見るような眼差しを向けた。どこが不味いのか当人がわかっていないという事実に唖然とする。 「お前の味覚崩壊そこまでとは思わなかったよ・・・お兄さんかなしい」 「ざけんなボケっ!!俺はまともだ!」 「まともじゃないから黒い炭しか作れないんですぅーお兄さんの美しいタルトを御覧なさいよ、ほら俺の麗しい髪の如き艶やかさ・・・」 「気色悪ぃこと抜かしてんじゃねぇ!沈めんぞコラ!!」 放っておくといつまでも不毛な言い合い殴り合いを続けるおっさん二人に心底うんざりする。苛々は一気にMAXまで募り、性急な足取りで二人の元に行くとイギリスの首根っこをぐいっと掴んでフランスから引き剥がす。 「はいはい、いいから君はこっち来て。ねぇ日本、今日の会議はこれで解散で良いよね?」 「え、あ・・・はい!?」 「良いよね?」 突然話を振られて意味が分からないと慌てる日本に、にっこりと穏やかな笑顔を浮かべて念を押すと、彼はひくっと頬を引き攣らせた。無言でにこにこと笑みを深めれば、仕方ないと嘆息して、えぇ構いませんこれで解散ですお疲れ様でした、と呟いた。議長国による事実上の閉会宣言、これで仕事は終わり。予定が繰り上がったのでしばらくはフリーだ、勿論、イギリスも。 「じゃあ行くよ」 言いながらイギリスの腕を引っ張って会議室を出て行く。荷物は後でまとめて誰かに届けさせればいいや。ついでにイギリスが他の奴から貰ったプレゼントはすべて廃棄してもらおう。そう考えながらずんずん廊下を進んでいくと、イギリスは状況が掴めないのか戸惑う様子で俺を見上げてくる。 「おい、待てよ!急になんだよ・・・会議ってまだ話し合いの途中だったじゃねぇか。無理矢理終わらせるんじゃねぇよ、勝手過ぎるだろ」 「会議中に暴れた君に言われたくないよ、どうせこのまま話し合っていても建設的な意見は出そうにないからね、各自案を再考して出直して来るんだぞ」 「だからなんでお前が仕切ってんだよ!つうか何処行く気だっ放せ!」 両足で踏ん張ってその場に留まり無理矢理に腕を捻って振り解こうとするので、仕方なく手を放す。ぎっと睨んでくるイギリスに溜息を漏らしつつクイッと会議が行われたこのホテルの階上を指差す。 「君もこのホテルに泊まっているんだろう?部屋に行こう。そのスコーン、俺がちゃんと食べてあげるから」 部屋に誘いはしたけれど・・・べ、別に下心なんてないんだぞ?単に彼とのバレンタインデーを誰にも邪魔されたくないだけなんだぞ。決して彼が作った誰にも食べてもらえないスコーンを平らげて、嬉しそうに微笑むイギリスの甘さに付け込もうだなんて思ってないんだぞ。心の中で誰にともなく言い訳をしていると、イギリスは口をへの字に曲げてそっぽを向いた。 「・・・・・・っ、別に、無理に食ってもらわなくてもいい!どうせお前も不味いって思ってんだろ!?食いたくねぇならもういい!」 「誰も食べたくないだなんて一言も言ってないだろ!?どうしてすぐそうやって悲観的になるんだい、君は。なんでも悪い方に捉え過ぎなんだぞ」 「お前、自分の発言よぉく思い返してみろよな・・・」 不満気な顔のイギリスに言われて今日一日の発言を振り返ってみるが、思い当たる処がない。きょとんと首を傾げてみれば、彼はがっくりと肩を落とした。 イギリスの部屋に入ってからも、彼はスコーンの入った袋を持ったまま立ち尽くしてもじもじしてる。まさか本当に俺にプレゼントしないつもりじゃないだろうね?君のスコーンの味が壊滅的なのは今に始まったことじゃないんだから、ぐちゃぐちゃ余計なこと考えてないでさっさと渡してくれればいいのに。 「ほら、もう観念してその食物兵器・・・じゃなくてチョコレートスコーン、さっさと俺にプレゼントするんだぞ!今すぐ食べてあげるから」 「そんなに腹減ってたのかよ。だったらさっき食えば良かったじゃねぇか」 「・・・・・・。いいから、早く。あとそのスコーンに口の中の水分全部持っていかれちゃうから紅茶淹れてくれよ。どうせ君持って来てるだろ?」 「それが人に物を貰う態度かよ。ったくなんでこんな可愛げないメタボになっちまったかなぁ、昔は素直で可愛かったのに」 「つべこべ煩いんだぞ!メタボは関係ないだろ!?」 呆れ顔でそろりと差し出された袋をひったくるように受け取って、どかっと椅子に腰掛けると早速袋からスコーンを取り出す。 今日もいつも通りずっしり固い感触、表面は触れるとボロボロ崩れていく。これは完全に炭化していると言わないか?あぁでも食べなきゃ彼のご機嫌を損ねてしまう。ごくりと唾を呑み込んで呼吸を止める。目を閉じて心を落ち着かせるといつも通り自己暗示に入る。これはスコーン、甘い甘いスコーン、俺にだけ食べられる特別なスイーツ、イギリスの指でこねくり回されてイギリスの汗とか体臭とかを吸い込んだ素敵な宝物、ほら美味しそうだろ?食べれる、俺は食べられる。 目を閉じたままそれを一気に口に頬張る。瞬間口の中の水分がじゅわっと音を立てて消え去った気がするけど、我慢してごりごり噛み砕いてごくんと飲み込んだ。よし、一個なくなった、あと一個、頑張る。 「紅茶はまだかい!?俺の口の中が干からびちゃうんだぞ!」 「うるせぇっ!ちょっとはおとなしく待ってろ!今蒸らしてんだよ!」 やっと出て来た紅茶をぐいっと口に含む。本当にもう喋るのも辛いくらい水分が足りなかったんだ。上顎と下顎がくっついちゃうかと思ったよ!なんてジョークを言おうとしたら。 「・・・あれ?」 「・・・なんだよ」 「いや、この紅茶・・・、いつもと違うね」 「あ、あぁ・・・面白い茶葉が手に入ったんだ。たまには違うのも良いかと思ってな」 ごにょごにょ言いながらも視線を合さないイギリスの頬が真っ赤に染まってる。――あぁ、そういうことか。 驚いたのは口に含んだ紅茶が、普段イギリスが淹れてくれるすっきりとした香りではなくチョコレートの香りだったからだ。ホットチョコレートとも違う、少しとろりとしてるけど紅茶であることに違いないこれは、チョコレートティーというものなのだろう。 なんだ、彼ってば俺へのプレゼントをこんなに用意してたんだ。市販のチョコレートに手作りのチョコレートスコーン、もしそれらを受け取らなかったらこんな風にこっそりチョコレートティーを俺に淹れるつもりだったんだろう。素直じゃないのは俺だけじゃない・・・そしてたぶん、想ってるのも。 「あはっ、美味しいんだぞ」 にこっと笑っておかわりを強請ると、イギリスは照れ臭そうに俯いて嬉しそうに微笑んだ。あぁやっと笑ってくれた、俺は今日一日ずっとその顔が見たかったんだ。 「イギリス、手を出して」 「なんだ?」 「君にあげる。俺からのプレゼントなんだぞ!」 ポケットに忍ばせていたキャンディを出して手渡す。これは特別な物なんだぞ、なんたって俺の唯一のプレゼントなんだから。君にだけ。 「・・・サンキュ」 想いは伝わったのか、イギリスはニッと笑ってぎゅっとキャンディーを掌に握り込んだ。 これで今年のバレンタイン・・・お互いの想いを確認するというミッションは完了だ。いつか想いを伝えるのに理由を必要としない関係になるまで、毎年このミッションは続くんだ。 |