USA


 イギリスと恋人になった。信じられないけど本当だ。
 お互い素直じゃないし、イギリスは鈍くて説教ばかりで煩くて古臭くて頭堅くて話にならなかったんだけど、長年胸の奥底に仕舞いこんで来た想いをようやく彼に告げることができた。
「好きだよ、君のことが」
 ヒーローらしくカッコイイ台詞をあれこれ考えていたし、シチュエーションもバッチリ決めようと画策していたのに、告白した場所はどういう訳かトイレの中、口にした言葉もひどくシンプル。こんなはずじゃなかった。
 けど酔っ払って三時間も「お前は俺のことが嫌いだから独立したんだそうなんだうわああああん」と号泣されてみろ。「違うよ、そうじゃない」と何度言っても耳を貸してもらえず、挙句の果てには「どうせ俺なんか」とお決まりのネガティブモードにずるずる入り込まれて。トイレの中で吐きながら「あめりかに嫌われた、もう死にたい」とまで言われれば、俺の誠心誠意を伝えざるを得なかった。
「・・・・・・はへ?」
 目の前の酔っ払いは俺の言葉を聞くときょとんと目を瞬かせて、思い切り首を90度に傾げた。そしてそのまま気絶・・・じゃない、寝そうになった。ちょっと待て、寝るな。せめて俺の告白に対する返事を・・・うん、とりあえず口を濯ごうか、臭いよ君。
 強引に立たせたイギリスの顔面を洗面ボウルに放り込んでバシャバシャと洗い流してやった後、仕方なく背負って自宅に連れて帰った。そうして客間のベッドに寝かせて俺も自室で眠ろうとしたら・・・くいっと服の裾を引っ張られる。振り返ればふんにゃりと相好を崩したイギリスの顔。
「何?」
「一緒に寝よう」
「・・・は?」
 昔の夢でも見て寝惚けているんだろうか?やわらかな笑みを浮かべて、ベッドの自分の隣をぽんぽん叩いている。何その可愛い仕草、俺よりずっと年上のおっさんのくせに!ていうか一緒に寝るとか無理だろ。さっき告白した通り、俺は君のことが好きなんだよ?性的な対象として見ているんだ。その意味が男ならわかるだろ。無理。
「二人で寝るには狭いよ、俺は自分の部屋で寝るから」
 ベッドに乗りあげて隣どころかイギリスの上に跨りたい欲望を必死に押さえ込みながら言い聞かせると、イギリスはぶぅと頬を膨らませた。だからそういう仕草がさ・・・。
 溜息を漏らして「じゃあおやすみ」と踵を返そうすると、イギリスは少しだけ上半身を起こしてから俺の手を取った。憎たらしい程に可愛い無邪気な微笑みを浮かべながら。アルコールが入って体温が高くなっているからか、いつもより熱い掌が滑るように俺の手の甲を撫ぜる。
 薄暗い部屋の中、月光を浴びて浮かぶのは穏やかな表情にそぐわない、欲にまみれた翠の瞳。
 嘘。何これ。
「来いよ」
「ちょ、イギリス・・・え?うわっ!」
 繋いだ手を強引に引き寄せられ、同時に俺の身体にその長くてしなやかな脚が絡んでくる。二人もつれ合うようにベッドの上に倒れこみ、不意を突かれた俺は図らずも彼の上に覆い被さる格好になってしまった。顔をぶつけた拍子にずれた眼鏡を直しながら見下ろせば、肌蹴たシャツから覗く浮き出た鎖骨、細い首筋、色っぽく上気した頬、そして薄く開いて弧を描く唇・・・。
 ヤバイ、色々とヤバイ。
「あめりかぁ・・・」
 舌っ足らずな声音で名前を呼ばれて思考回路はショート寸前だ。熱い吐息が顔にかかって理性が飛んじゃいそう。ジーンズの中で膨れ上がったモノが窮屈そうに解放を求めている。いやわかってるけどちょっと待ってくれマイサン。
 なんでこうなった?そりゃ俺はこの人に好きだって言ったけど、まだ返事もらった訳じゃない。このまま雰囲気に流されてヤっちゃうなんてそんなのヒーローらしくないよ!ちゃんと想いが通じ合ってするものだろセックスは。
 だ、か、ら、下半身を擦りつけてくるの止めてくれよ!モロに反応しちゃうマイサンも落ち着いて!
「う、うぁ・・・・・・」
「えへへへへ」
「あ、あぅ・・・っ、この・・・エロ大使ぃぃぃっ!!!」
 がちんっ!!


 悶絶した。
 まぁ我に返って過ちを犯さずに済んだのは喜ばしいのだけど。
 結局誘惑に負けてキスしようとしたら思い切り歯がぶつかっちゃって。イギリスはその一撃で気絶、そのまま朝まで眠ることになった。俺は激痛を訴える歯と唇を抑えて自室に逃げ帰り、こうして膝を抱えて泣いている。
 イギリスの真意がわからない。もしかして酔っ払うと誰とでもセックスするのか?俺でなくても良かったの?あんな風に今までも俺の知らない誰かを誘って抱かれてきたの?
 心が痛い。あと歯も痛い。なんで俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ。最悪だよ、くたばれイギリス。
 気付けば朝になっていて、俺は部屋の隅に蹲ったまま寝ていた。シャワーを浴びてスッキリしてバスルームを出たところで、シーツお化け、もといシーツを頭から被ったイギリスとばったり出食わした。
「お、おぅ・・・アメリカ・・・」
「やぁ、昨日は相当飲んでいたけど気分はどうかい?」
「・・・しにたい」
「あっそ」
 二人そのまま視線を合わせずに立ち尽くす。気まずいのはお互い様。彼は深酒した挙句俺をベッドに誘ったことを後悔しているのだろう。誘われた俺は見事に引っ掛かってキスしようとして・・・失敗した。こんな最低な気分で迎える朝は初めてだよShit!!
「その・・・昨日は、俺、とんでもないことしちまった・・・よな?」
「そうだね、君があんなビッチだと知りたくなかったよ」
「ビッチって、お前・・・」
 イギリスはびくりと身体を震わせて、ぎょっと目を見開いた。そのムカつく顔から視線を逸らしたまま俺はスタスタと横を通り過ぎ、リビングの前に辿り着いてドアを開く。そうしてきつく彼の顔を睨め付けて言い放った。
「酔えば誰にでも脚を開くんだろ?ビッチじゃなかったらなんだって言うんだい!!」
 あんぐりと口を開けた彼の反論を許さずに、リビングへ足を踏み入れてバタンとドアを閉める。続いて廊下をどたどた走る音が響いたと思うと、後からイギリスが駆け込んできた。
「さっきの言葉取り消せばかっ!誰にでもあんなことする訳ねぇだろ!?ばかっ!!」
 青筋立てながら己の身を省みることなく短絡的に腹を立てた彼は、俺の胸倉を掴むなり唾を飛ばしながら暴言を吐く。さすがの俺も温厚に、とはいかない。すぅと息を吸うと一呼吸置いて。
「莫迦はどっちだい!毎回毎回同じ失敗繰り返しているくせに未だに自分の酒量もわきまえず深酒して!店の中でぎゃあぎゃあ騒ぎ立てて暴れて他のお客さんに絡みまくって迷惑かけて!かと思えば突然わぁわぁ泣いて!酒瓶は転がすしグラスは割るし椅子から転げ落ちるし挙句の果てに便器抱えて寝そうになって!そこまで醜態晒してたくせに人が会計してる隙にテーブルに零れた酒を舐めてて!いい加減放置して帰ろうかと何度も思ったけどいっぱいいっぱい我慢して背負って家に連れて帰ってあげたのに!あんな・・・あんな、誰を相手にしてるかもわかってないくせにベッドに誘ったりして・・・っ!!」
 思う様に怒鳴りつけてやった。昨晩の自分の所業が如何程かを知って、ようやく彼はばつが悪そうに視線を彷徨わせて手を放した。頭を掻きながらぼそぼそと謝罪の言葉を述べる。
「そ、そりゃ迷惑かけたな・・・悪かったよ。けど、酔ってたって傍にいるのがお前だってのはわかってんぞ!?俺は、お前だったから・・・っ!」
「俺なら欲求不満の解消相手に後腐れないって?それとも俺が可哀想で振る前にセックスでもしてやろうって!?」
「なんでそうなんだよくそったれ!!」
 叫ぶなりがんっと壁を烈しく蹴りあげた。この人は感情の発露イコール足技なのだろうか。本当にどうしようもない人だ。ピリピリする神経を宥めすかしながら、彼の顔から視線を逸らして言いたくもない疑念を口にする。
「どうせ君にとって俺なんかいつまで経っても子供のままなんだろ!?可愛いおねだりに応えてやるつもりだったんだろ!!」
「てめぇのどこが今も可愛いっつーんだこのメタボ!!んなデカイ図体したガキなんざ要らねぇよ!百歩譲ってもガキ相手に欲情しねぇよ俺は変態じゃねぇぞ!?」
「じゃあ昨日俺をベッドに誘ったのはなんでなんだい!?」
「んなの決まってんだろ、俺もお前のこと好きだからだろ!?」
「意味わかんない」
「わかれよ!!好きだっつってんだよ、ばかぁっ!!」
 地団駄踏んでいたイギリスは堪らないとばかりに俺の脛を蹴っ飛ばす。突然の衝撃にまぶたの裏で星が散り、思考がフリーズした瞬間、やわらかなもので唇を塞がれた。
「・・・・・・ん、んんっ!?」
 目の前には挑戦的に俺を睨み上げる翠の瞳。口内で傍若無人に暴れ回る舌。混乱して手足をばたつかせていると、きつく吸い上げられた後、名残惜しそうに唇をべろりと舐め上げられ、ようやく解放された。
「わかったかくそガキ」
 膝が抜けて思わず壁に背をつけた俺に向かって、憮然としていたイギリスはにやりと笑った。それはもう、可愛げの欠片もない、憎ったらしいしたり顔で。


 初めてする彼とのキスの味はアルコール臭かったけど、やわらかくてあったかくて仄かに紅茶の香りがして・・・すごく幸せだった。
 あれから2ヶ月、俺はもうあのキスの味を忘れそうだ。付き合い始めた当初はお互い頻繁に行き来してキスして身体を重ねた。ずっと好きだったイギリスが腕の中にいることが嬉しくて幸せで、天にも昇る気持ちだったのだけど。
 俺達は今、絶賛喧嘩中だ。ずっと会っていないし電話で声を聞くことすらしていない。そもそも連絡を取っていない。こんな時に限って仕事でもすれ違いばかり。なんで俺が英国に来ているのに彼は米国に出張しているんだ、くそったれ!わざとかい?わざと俺を避けてるの?そうとしか思えないよイギリス!
 喧嘩の理由はひどく単純。彼が許しがたい暴言を吐いたからだ。
「もうお前は目瞑って口だけ開けてろ。お前からはするな」
 何度目かの逢瀬でキスをした後、彼はそう言った。正しくは、俺がキスをしようとして歯をぶつけた後だ。
「なんだいそれっ!俺に君からされるのを待ってろって!?子供じゃないんだぞ!」
「ガキの方がマシだろこのへたくそっ!!毎回歯ぁぶつけやがって!いい加減うんざりなんだよ!」
「な・・・っ!!君、言っていいことと悪いことがあるんだぞ!?わざとじゃないのに!!」
「わざとだったら殴る、マジ許さねぇ」
 ぎろりと睨み上げるその顔に、ぷちんと理性の糸がキレた。
 そりゃ俺はキスが下手だよ、さすがに自覚あるよ。毎回歯をぶつけるかおでこぶつけるか見当違いのとこにキスしちゃうかで、まともに唇を重ねたことがない。そうだよへたくそだよ悪かったね!でもはっきり言われると俺だって傷つくんだぞ!?恋人がそんなひどい態度取っていいと思ってんのかい!?
「・・・・・・わかったよ、もう君にキスしない」
「おう、それでいい」
「その代わりセックスもしない」
「あ?」
 満足気に頷いていたイギリスは、俺の言葉にきょとんと目を瞬かせた。軽く首を傾げるその仕草、この口論が始まる前だったらものすごく可愛くてドキドキするんだけど、今の俺には苛立ちしか覚えない。はっきりムカつく。
 深く息を吸って思いっきり「はっ!」と鼻で哂ってやる。
「君のその貧相で薄っぺらい身体を抱くのだってうんざりしてたんだ。あちこち骨がごつごつぶつかって痛いったらないね。食生活が貧しいからそんな身体なんだよ、もっと俺の家の料理でも食べてふくよかに・・・ぶっ!!!」
 言ってる最中に拳が飛んで来た。わお、恋人の頬を殴るとか最低だね!傷害罪で訴えてもいいレベルだよっ!
「俺こそてめぇみたいなメタボなんざ願い下げなんだよ!乗られたら重いんだよ痩せろよ食事はベイクドビーンズだけにしろよばかぁっ!!!」
 叫ぶなりイギリスは俺の家を出て行った。俺はその背中から顔を背けていたけれど・・・彼はたぶん、泣いていた。
 言い過ぎたのは認める。けど先に言ってはいけないことを口にしたのはイギリスだ。だから俺は・・・俺、は。
 じわーっと涙が浮かんできた。イギリスのばか。ひどいじゃないか帰っちゃうだなんて。ずっとずっと会える日を指折り数えて楽しみにしてたのに。今日は一日たっぷりイチャイチャしてビデオ見たりゲームしたり愛し合ったりして過ごそうって思ってたのに。
「こんなのってないんだぞ・・・」
 ぽつりと呟く言葉は彼の耳には届かず、すべては後の祭りだった。


 あのエロ大使が欲求不満になって俺に謝罪してくればいいと思ったんだ。けど実際は若い俺の身体の方が堪える。想い人と愛し合う充足感を知ってしまっては、コールガールで発散するなんてもっての外だ。あの滑らかな白磁のような肌が恋しい。俺のより色素の薄い金糸がシーツに散って、綺麗な翠の瞳が欲に濡れて俺を見上げるのが見たい。もっと欲しいって――俺を煽るように囁く声が聞きたい。
 彼じゃなきゃ嫌だ。
 だから、少しばかり無理矢理に英国での仕事をもぎ取って来たのに。ちょっとばかり譲歩して謝ってあげよう、なんて思ったのに。
 当人は渡米しているとか、神様は意地悪だ。
「イギリスのばか。キスしたいんだぞ・・・」
 あの微かに紅茶の味のするキスを反芻しながらそっと人差し指を唇に充てる。彼の唇はもっと薄くて冷たい。ぺろりと舌を差し出して舐めるけど、当然紅茶の味なんかしやしない。こんな真似事していたって彼とのキスには程遠い。
 ふと、目を留めたのは街角の紅茶専門店。いつもならコーヒー党の俺は素通りするのだけど、今日はなんとなく気になった。
 手を伸ばして重いドアを開けるとカランと軽い音が鳴る。いらっしゃいませと声が掛かるのを無視して店内をぐるりと見廻した。店内には数十種類の紅茶の茶葉が置かれていて、カウンターの後ろの棚にもずらりと茶葉が入った容器が所狭しと並んでいる。入り口付近には簡単に飲めるティーバッグの類も豊富に揃えられていて、よくもまぁこんなに葉っぱだらけの店を構えられたなという印象だった。
「なにかご希望が御座いますか?」
 適当に幾つかの茶葉の入った容器を摘んでは置いてを繰り返していると、店員がにこりと微笑みながら尋ねてきた。別に目的なんかない、ただ気紛れに入ってみただけだ。俺は紅茶なんか飲まないからね。そう言おうとして、ふと手に取った茶葉の香りに・・・懐かしさを覚えて。じっとそれが入った缶から視線を外せない俺に、店員は試飲を勧めてきた。
「どうぞ、ディンブラです。薔薇のようなやさしい芳香とフルーツのようなみずみずしさが特徴なんですよ」
 小さなカップに入ったオレンジ色の液体を顔に近づけると、確かに花のような香りがする。口に含めば・・・あぁ間違いない、彼のキスの味――。
「これください」
 気付けば一袋購入して、再びからんとドアを鳴らしながら外に出ていた。
 えぇと俺はコーヒー党なんだけど・・・どうしようか。なんて、俺がこれからすべきことは決まっている。この紅茶を使ってイギリスのキスの味を反芻尚且つ堪能するんだ。これさえあれば好きな時好きな場所でイギリスのキスの味を愉しめる。なんて素敵なアイディア、グッジョブ俺!とはいえ後で茶葉の代金はきっちりイギリスに請求しよう。


 一刻も早くキス、もとい紅茶を楽しみたくて、仕事をさっさと終えると帰国して自宅に戻った。倉庫から昔イギリスが置いて行ったティーセットを取り出して、早速ケトルを火にかける。温めたポットに茶葉を入れると、それだけでふうわりと薔薇の香りが漂った。お湯を注いで店員に教わった蒸らし時間の通りに待ち、カップにやさしく注ぐ。透き通った綺麗なオレンジ色の水面はゆらゆらと揺れて、俺を誘惑しているようだ。
 カップを手に取りそっと目を瞑る。
 俺の目の前にいるのはイギリス。俺が丸い曲線を描く頬に触れるとびくりと肩を震わせて、困ったように視線を彷徨わせる。落ち着かない翠の瞳をじっと見つめ続けると、彼は一瞬だけ俺の顔を映す。頬を仄かなピンク色に染め、観念したようにぎゅっと瞳を閉じるイギリスに、俺はゆっくりと顔を近づけて・・・。
 かちんっ。
 カップに歯をぶつけた弾みに夢想から覚めてしまった。
「・・・ちぇ」
 拗ねて唇を尖らせながらカップの中の紅茶を含む。紅茶の渋みをまったく感じない、爽やかで少し甘いディンブラは、やはりイギリスのキスの味に似てる。カップじゃなくてもっとこう・・・唇の形状に似たモノで飲んだらもっとキスっぽくなるのに。
「そうだ!いいこと思いついたんだぞ!」
 唇の形状、それ即ち丸いってことだ。ディンブラはアイスティーでも美味しいって店員が言っていたし、試してみる価値はありそうだ!
 冷蔵庫からコーラの瓶を取り出すと、一気に飲み干して、空になった容器にさっきの紅茶を注ぐ。そうして再び瞑想してイギリスの姿を思い浮かべながら瓶に唇を寄せる。慣れ親しんだコーラの瓶との目測を誤ることはなく、んちゅ、と唇は瓶口に吸い付いた。
 僅かに顔を傾けると、やわらかな花の香りと共にフルーティーな液体が口内に侵入してくる。イギリスの唾液の味。ああ美味しい、もっともっと。貪るように口付けを深めれば香りは一層強まった。もっと欲しい、イギリスのすべてを味わい尽くしたい。無我夢中で舌を差し入れる。イギリスの口内を舐め回して舌を絡めて吸い取って・・・、・・・・・・あ。
「ひゃ、う?」
 舌が、抜けなくなった。
「んふ、ぅんんっ!」
 瓶を力の限りに引っ張っても抜けることはなく、ただ引き攣れた舌が痛むだけだった。
 ヤバイ、これはものすごーくヤバイ。コーラの瓶がこのまま合衆国の一部になるとか冗談じゃない。そんなことになった日には上司から向こう1年分のコーラ禁止令が出てしまう。舌を噛んでしまうので大好きなハンバーガーだって食べられないし、美味しいアイス・・・は舌の上に乗せればなんとかなるかな。
 いやいやその前にこんな醜態他国に見られる訳にはいかない。フランスは大笑いするだろうしロシアは俺の弱点見つけたとばかりに喜ぶだろうし、あのくそ眉毛は迷惑極まりない説教を始めるに違いない。絶対「お前は舌までメタボなのか」とか「コーラなんて不健康なもん飲んでないで俺の紅茶を飲め、そして買え」とか言い出すんだ。また海に沈められたいのか。
 どうしよう、どうしたらいいんだろう。パニックに陥った俺の思考はまともに働かず、あわあわと瓶を引っ張っては舌が痛んで諦めるという行為を繰り返す。
 そんな時、来客を知らせるチャイムが鳴った。インターホンに映し出されたのはぶっとい眉毛。
「イギリス・・・?」
 なんで。俺のこと避けていたくせに。ああそういえば彼は今日仕事で米国に来てたっけ。てっきり仕事終えてさっさと英国に帰ったと思っていた。渡米したついでにようやく自分の非を認めて謝りに来たのだろうか。よりによってこんな時に!!


 さて、どうしよう。今のこの状況を見られたら説教が始まる。自分でもばかなことしたとわかっているのにあのくそったれ眉毛に正論をぐだぐだまくし立てられたら心底ムカつく。見られる訳にはいかない――ので、居留守を決め込むことにした。
 がしゃん。
 いやだから俺は此処にいません。帰ってください。なんであの人この家の鍵持ってるんだ渡したの俺か、恋人になれて嬉しくてつい渡しちゃったよね合鍵Shit!!
 どこかに隠れなきゃ。慌ててリビングを彷徨っていると、どたどたと靴音高らかに鳴らしながらスーツ姿のイギリスが入ってきた。
「おいアメリカ、いるのはわかってんだぞ!なんで出てこねぇんだよまだ怒って・・・はぁっ!!?」
 俺の顔を見るなりきゃんきゃん吠え始めたイギリスの吊り上がった目は、ある一点に止まると大きく見開かれた。視線は俺の口元、正確に言えば伸びきった舌と一体化したコーラの瓶。
「お、おま・・・何、それ・・・」
 あんぐりと呆れたように口を開いて指をさす。ぷるぷると震えてるのは爆笑一歩手前だからだろうか。くそっ!だから見られたくなかったのに!!
「ひゃへっへ(帰って)」
 ぷいっと顔を背けるとダッシュで自室に逃げ込む。気分は完全にいじけモードだ。よりによってこんな間抜けな姿をイギリスに見られるなんて。彼にだけはカッコ悪いところ見せたくなかったのに。カッコ良くて頼り甲斐があってナイスでパーフェクトでヒーローな俺でありたかったのに!!こんな、こんな瓶に舌が入り込んで抜けない状況なんか・・・。
 ぽろぽろと涙が零れて頬を伝う。後悔先に立たずとはよく言ったものだ。いくらイギリスのキスの味を愉しみたかったとは言え瓶に舌を挿れるってのはさすがになかった。やり過ぎた。過去は振り返らないが信条の俺でも今回のコレは反省しよう。けど、それもこれも全部俺のキスを受け容れてくれないイギリスのせいだ!このまま舌が瓶から抜けなかったら賠償請求するんだぞ!
「おいアメリカ、こっち向けよ」
 ドアに背を向けたまま膝を抱えて蹲る俺に廊下からイギリスが声を掛ける。放っといてくれよ、説教なんか聞きたくないんだぞ。
「ひゃは(やだ)」
「こっち向けって」
「ひゃはっへ・・・んふっ!?」
 肩に手を置かれて苛ついた俺が振り返った瞬間、イギリスの顔が間近に迫って、やわらかなものが上唇に触れた。
「目ぇ瞑って力抜いとけ」
「・・・・・・っん!」
 イギリスは軽く上唇を啄むと、俺の口と瓶の隙間から自分の舌を差し入れてきて、チロチロと俺の舌の付け根を愛撫し始めた。やさしく何度も何度も往復して、たまに上顎を舐めたり歯列をなぞって俺の快感を引き出す。
「ふっ・・・ん、ぅんん・・・・っ」
 舌裏にも強引に割り入って、絡められるとぞわりと背筋を快楽が走った。イギリスのキスは上手い。本当に・・・いつも俺を悔しいくらい追い立てる。こんな風にどうしようもない気持ちにさせるんだ。
 口の周りが互いの零れた唾液でべたべたになった頃、堪らず彼の身体を抱きしめたその時、コロンと瓶が床に転がった。
「はふ・・・あ、れ・・・?」
「お、取れたな」
「・・・・・・え?」
 ぱちくりと目を瞬かせてイギリスに問うと、彼は呆れと安堵を綯い交ぜにした表情で微笑んだ。
「力抜けて外れたんだろ。ったく、コーラを一滴残さず飲もうなんざ意地汚ぇことしてんじゃねぇよ」
「そ、そんなんじゃないんだぞ!いや・・・そう、なんだけど・・・」
 俺はコーラを飲んでいた訳じゃない。でもまさか「君の唇の代わりにキスしてました」とも言えない。意地汚いと思われるのは心外だけど、ここはイギリスの勘違いに乗るしかない。不本意ながら渋々頷くと、「でもお前、コーラの味しねぇな」とイギリスが首を傾げた。ぎくっ。なんでこの人妙なところで敏いんだろう。そのスキルはもっと他に向けてくれ。
「そ、そうかい?君が紅茶ばかり飲み過ぎるから伝染ったんだぞ!」
「飲み過ぎってなんだよ、紅茶は身体にいいんだぞ?お前もちったぁ健康にだな」
「うるさいな、説教しにわざわざ来たのかい?それなら帰ってくれよ」
 うんざりとばかりに思い切り顔を顰めてふいっと背けると、イギリスはぺらぺらと文句ばかり垂れる口をうぐっと噤んだ。そのまま気まずそうに俯いて黙りこくってしまう。一体何しに来たんだ彼は。本当に文句を言いに来ただけなら帰って欲しい。イライラする。


「違う・・・お、俺は、お前に謝りたくて・・・」
「何を」
 俺がスマフォの画面を眺めること数十分、ようやく口を開いた彼はぼそぼそとはっきりしない言葉を紡ぐ。切り返すように尋ねれば、傷ついたような表情でまた俯いて黙ってしまった。そのうちぐすっと鼻を啜る音が聞こえてきた。え、もしかして泣いているのかい?なんだいそれ、俺がいじめたみたいじゃないか!
 苛立ちをなんとか深呼吸で抑えこんで、再びイギリスに向かい合う。頬に触れると案の定そこは濡れていた。
「どうして泣いてるんだい」
 溜息混じりに尋ねながら目尻に浮かんだ涙を掬い取れば、強情っぱりはぶんぶんと勢いよく首を振って涙を飛び散らせた。
「うるせ・・・泣いてなんか・・・」
「嘘、泣いてるだろ。なんで?」
 キッと睨んでくるけど瞳は潤んだまま。全然怖くない。その濡れた頬に唇を寄せてぺろりと舐めたらしょっぱかった。それでもぺろぺろと舐め続けると、イギリスはくすぐったそうに身体を捻って頬を朱に染めた。
「うう・・・くそ、あめりかのばかぁ・・・」
 喧嘩売りに来たのかいこの人。いや、そもそも喧嘩中だよね、じゃあどういうつもりなんだ。無言でじとりと眺めながらあれこれ考えていたら、彼はべそべそと本格的に泣き始めてしまった。そうして不明瞭な声でとんでもないことを言い出した。
「俺のこと、また捨てるのかよ・・・」
「は?」
「やっぱり男より女の方が良かったんだろ。俺みたいな面倒くさいの相手にするの嫌になったんだろ。・・・別れたいんだろ」
 はっきり傷つきましたと言わんばかりに顔を歪ませて、子供のように泣きじゃくりながら彼は、痴話喧嘩を――別れ話に擦り替えた。あぁ頭痛い。久しぶりだな彼のネガティブモード。付き合ってからは幸せそうだったのに。
「ちょっと待ってイギリス、何でそうなった?いつ俺がそんなこと言った!?」
「お前が言ったんだろ!俺なんか抱きたくない、骨ばってて抱きにくいし最中も煩いしうざいしみっともないし、女みてぇなやわらかい胸とか尻とかくびれとかねぇから気持ちよくねぇって」
「いやそれだいぶ脚色入ってるよね!?後半は君の好みだよね?俺そんなこと言わなかったよね!!」
「近いこと抜かしただろうが!どうせ俺なんか酔った勢いの気紛れで付き合ってみただけなんだろ。遊んでみただけなんだろ、もう飽きた・・・ふがっ!」
「ストップ!それ以上言ったら許さないんだぞ!!」
 聞くに堪えない暴言が飛び出したイギリスの口を、手のひらで覆って力任せに封じる。まったく――彼は今なんて言った?気紛れ?遊んでみた?ははっ、誰のことだいそれは。言っとくけど俺は生まれた時からイギリスしか目に入らない、欲望は彼にしか反応しない、初恋も精通もファーストキスも何もかも、すべて彼に捧げてきたんだ。そんな俺に対して「遊び」だなんて、侮辱だよね。
「ねぇイギリス、言い過ぎたのは俺も悪かったよ。君がキスするなって言うからついカッとなって意地悪言っちゃったんだ」
「お、俺の身体なんか貧相でみすぼらしいって、言われなくてもわかってんだよ・・・だから、もう」
「違うよイギリス、・・・ごめん、本気で言ったんじゃないんだ。君の身体は貧相なんかじゃないよ、ちゃんと筋肉ついてるし、無駄がなくて綺麗だよ。それにさ、俺は君じゃなきゃ嫌なんだ。別れたくない、君が別れたくてももう逃がしてあげないんだぞ」
「・・・けど、お前・・・」
「君が好きなんだ、キスして抱き締めたい。喧嘩して会えない間ずっとそればかり考えてた。もう我慢できないんだぞ。キスしていいよね?」
 彼の濡れた頬を両手で挟み込んで、ぎりぎりまで顔を近づけて尋ねる。綺麗な翠の瞳が戸惑いと不安に揺れながら、俺の真意を図ろうとしている。だから俺は絶対に目を逸らさない。視線を絡めて想いの丈をぶつけてやる。
 そうすれば、結局は俺に甘いイギリスは陥落して、こくんと頷いた。ちょろい。もとい、可愛い。
 OK、此処からは俺の練習の成果を見せるところだ。おでこをぶつけず鼻をぶつけず歯をぶつけることなく、唇と唇が重なるようにやさしく、それでいて男らしいキスをする。舌を入れるだとかのテクニックはその後だ。カップの時は失敗したけどコーラの瓶では成功したんだ。そうだ、彼の唇はコーラの瓶口。この距離この角度、そうして・・・。
 ちゅっ。
 吸い付くように彼のふにふにとやわらかい唇に、初めてキスした。





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