USA



 今年もやって来た、イギリスとの勝負の日が。
 夜更かし大好き早起きは年寄りがするもの、と豪語する俺が、今朝はいつもより2時間も早く起きた。というより楽しみ過ぎて眠れなかった。
 だって今日はハロウィンだ!あと数時間もすれば彼が俺の家にやって来る。今年はどんなことをしてくるのだろう?どうせまた妖精さんと言いながらマジックを仕掛けて来るんだろうな!でも、俺だって負けないんだぞ!だって俺はヒーローだからね☆
 片手を握り込みぐっと力こぶを作ると、今年こそ雪辱を晴らすべく気合を入れ、再度家の中の仕掛けに目を配る。
 玄関にはおどろおどろしい装飾が施された「WELCOM TO HELL」のプレート、ようこそ地獄へ、だ。入るとすぐにムービングゴーストのエアブロー、その他諸々ガシャガシャ動く玩具に驚かされ、居間に逃げ込めばぶら下がったリアルなスケルトン人形とご対面。廊下にはヌメヌメと纏わりつくスライムがあり、怯えて階段を駆け上がる途中には足首に巻き付く人の手を模した罠。血相を変えて飛び込んだ部屋の中には怪しげなポーションの瓶が転がり骸骨がバラバラになっている。隣の部屋にはゾンビの人形。そして最後の部屋に安置されている棺桶の中から・・・ドラキュラに扮した俺が飛び出す、という凝りようだ。
 うん、ぶっちゃけ俺自身が怖い。早くイギリス来ないかな、早くこの勝負に勝ってざっくり全部片付けてしまいたい。昨日から眠れなかったのは、実は俺の寝室に仕掛けた骸骨が怖いからとかそんなんじゃない。いやほんとにリアルで怖いんだぞ(泣)!!
 でもこれだけ仕掛ければあのイギリスだって驚くと思うんだ。下手したら泣き出しちゃうかもね、DDDDD!やっと0勝・・・何敗だっけ?50回は負けた気がする、うん。ヒーローは細かいことは気にしないから覚えてないけども。断じて悔しいからとかそんなんじゃないんだぞ。ともかく今日こそ連敗記録を止めるんだ!
 おっと、そうこうするうちに時間だ。棺桶に入ってスタンバイしなきゃ。さぁ来いイギリス!そして驚け!泣き叫べ!ハリウッド仕込みのドラキュラ伯爵の前に平伏すがいい――っ!!


「べははははっ!!相変わらずお前は怖がりだな、ぷくくくくっ」
「う、うるさいな!君のアレは反則なんだぞ!!」
 耳障りな高笑いを続けるイギリスに、ソファでクッションを抱えたままぎろりと睨みつけるけれど、先程醜態を演じてしまった後では効果もないらしい。腹を抱えてひーひー言ってる姿がかなりムカツク。けどギリギリと歯軋りをしてなんとか苛立ちを抑える。お遊びに本気で怒るなんて、そんなに俺は子供じゃないからね!ていうか大人気ないよねイギリスは!
 うん、なんてことはない、また負けた。だってだってびっくりしたんだぞ!物音が聞こえたから棺桶から出てガバっと襲いかかろうと思ったら誰もいなくて。でも薄暗い部屋の中、ぴちゃんぴちゃんて水の音が部屋の中に響いてきて。首筋につうっと冷たいものが走ったからぎょっとして上を仰ぎ見たら――長い髪の女が天井に張り付いていたんだ。
 そいつは全身濡れそぼっていて、どうしてだか心臓を中心に全身朱に染まっていた。首筋を伝ったものを手で拭って良く見ればそれも赤色をしていて。再び目を向けると赤い水が金の髪から滴っていた。そうしてゆっくりとした動作で顔を覆っていた髪を掻き上げると・・・ええとごめん、思い出したくない。とりあえずまともな人間の顔をしていなかったとだけ言っておこう。そいつは俺と目が合うと、にたり、と笑って・・・。
 ほらほらほら、怖いだろ?怖いだろう!!?絶叫を上げてその場に失神してしまったとしても可笑しくないだろう!?むしろこの寒い日に頭から色水を被って、わざわざ女装して化粧してウイッグまで付けて俺を驚かそうというイギリスが酷いと思わないかい!?思うよね!?決して俺が怖がりだとかそんなんじゃないと思うんだ!
 く、悔しい・・・これで連敗記録78回か・・・くそぅ、今回こそ勝てると思ったのになぁ・・・。
「お前まだいじけてんのかよ、いい加減機嫌直せって」
 にたにた笑いながら近付くイギリスからふいっと顔を背ける。機嫌を直せと言うなら笑うな。そして俺の心を弄んだことを謝れ。
「君なんか嫌いだ」
「なっ・・・!べ、別に俺だってお前のことなんか好きじゃねぇし!ばーかばーか!!」
 イラぁ・・・・・・。世界に誇るツンデレの言葉とわかっていてもムカツクものはムカツク。無言でテレビゲームを起動させると、強引に意識をゲーム世界に向けた。俺が操る主人公とその仲間達は敵をばったばったと倒しながら大ボスに向けて旅を続けている。軽快なBGMだけが部屋の中に鳴り響く重苦しい空気の中、ぐすっと鼻を啜る音が聞こえた。
 もしかして泣いているのかな?・・・泣いているんだろうな、泣き虫め!
 はぁと溜息を漏らすと、びくりと震える気配を感じる。がっくりと肩を落としてコントローラーを放り投げると、勢いよくぐるんと振り返った。そこには案の定べそをかいたイギリスの姿。
「トリック・オア・トリート」
「あ?」
「お菓子くれないと悪戯するぞ。どうせ持って来ているんだろう?早く出しなよ」
 仄かに熱を持つ頬が気恥ずかしくて顔を背けたまま手を差し出せば、イギリスはぐしっと鼻を啜って、ほっとしたように微かに笑った。


「それで?今回も君の勝ちだろう、俺は何をすればいいんだい?」
 ハロウィンの脅かし合いは一年に一度の大勝負。負けた方は勝った方の言うことを一つだけ聞く。もちろん、だからと言って国政に纏わることを言い出すのはルール違反だ。あくまでお遊び、願うことも遊びの範疇で。
 これまでイギリスが俺に願ったことは、自分が仕立てたスーツを着るだとか、一緒に米国のティールームに行くだとか、些細なことだ。俺にとっては至極面倒だけどね。どうせ今回も一緒にどこかに行きたいって話だろう。
「一緒にパーティーに出て欲しい」
 ほらね。
「パーティーなんかしょっちゅう一緒に出てるじゃないか」
「ばか、それはお互い仕事だろ?そうじゃなくて、俺の知己のパーティーに個人として同行して欲しいんだ」
「プライベートで、てこと?何それ、一人じゃ行けないとか?」
「ダンスパーティーなんだよ。ついでにお前にダンス指南してやるよ」
 対面のソファに身体を預けてにやりと笑うイギリスに、心底呆れてしまう。まったく、独立して何年経っていると思っているのかな、この人。未だに保護者気分とは。
 俺だって生まれて二百年以上生きているんだから、ダンスなんてとっくの昔にマスターしている。そりゃ堅苦しい社交ダンスは好きじゃないから上手いとは言えないけど、周囲に失礼のない程度には踊れる。イギリスだって知っているはずなのに。
 思わずじとりと見遣ってしまうと、俺の心の内を読んでイギリスがうっと言葉を詰まらせた。
「わ、わかってる・・・けど、この前ステップ間違えていただろ?あーゆーミスがあるうちは一人前とは言えねぇぜ」
 ぼそぼそと俺のご機嫌を窺いながらも鬱陶しいことこの上ない台詞を吐く。そういえばイギリスも招待されていた上司主催のパーティーで俺、ミスったね。でもあれは君が会場の中でも一際目立った美人の豊かな胸を凝視しているのに気付いて、思わず呆れ果てたからだよ。つまり君のせいだ!
「偶々犯してしまったミスまで論うのかい?君はそんなミスをしないとでも?絶対に?」
 ハッと鼻で嗤ってやれば、イギリスは更にごにょごにょと何事かを口の中で呟いた。そうして逡巡する様子を見せ、仕舞いにははぁと深い溜息を吐きながらガシガシと頭を掻き毟った。
「いや・・・その、違うんだ。正直に言えば、お前を紹介しろと言われちまったんだ」
「誰に」
「そのダンスパーティーを主催する女主人にさ」
 イギリスが言うには、刺繍の展覧会で親しくなったその女性に俺のことをあれこれ話すうちに、是非会わせて欲しいと頼まれたらしい。まぁ彼のことだからどうせ自分の弟はどんなに可愛くて天使みたいだったか、夢幻を滔々と語り聞かせたのだろう。それを真に受けた女性が、そんなに素晴らしいご自慢の弟君なら是非紹介を、とでも言ったか。
 けれど独立して袂を分かった俺に、「弟」として同行してくれとは言えない。散々「弟じゃない」と俺に怒られているのだから。それでハロウィンの勝負の後、賭けに勝てば「一緒にダンスパーティーへ」という言い訳を思いついたのか。
「まったく莫迦だね、君は」
 ズルリとソファに身体を沈ませて、天井を眺めながら深々と溜息を零せば、イギリスは大袈裟な程に肩を震わせて翠の瞳を潤ませた。
「わ、悪かったな!どうせお前はもう、おぉぉ弟じゃねぇよ・・・わかってんだよ、俺なんか及ばない立派な超大国サマだよド畜生!!」
「何、被害妄想に走っているんだい。俺が言っているのは、そんなことなら早く言えば良かったのに、てことだよ」
「あ?」
「国ではなく人として会うんだろう?それもきっと君にとって大切な友人に。それなら俺も弟を演じてあげるよ」
 にこりと笑いかけながら言えば、イギリスは予想外だったのか、呆気にとられてゆるゆると瞳を見開いた。
「あ、アメリカ・・・いい、のか?」
「いいよ。約束したならそれは守られるべきだ。パーティーはいつだい?」
「・・・来週の土曜日だ」
「オーケイ、その日はちょうど何も入っていないし仕事も詰まっていないから大丈夫だよ」
 手帳を捲って予定が空いていることを確認すると俺は大きく頷いて請け負った。彼は安心したのか全身から力を抜いてソファにぽふっと倒れ込み、はぁと長い息を吐き出した。そうして嬉しそうに微笑んで俺を見つめる。
「サンキュ・・・」
 小さな呟きだったけれど、それははっきりと聞こえた。いつも素直じゃないイギリスが感謝の意を述べている。きっと律儀なイギリスのことだ、約束を反故にすることを思い悩んでいたのだろう。やわらかな空気の中、陽光を受けてキラキラと輝く翠の瞳がとても綺麗で、つい見惚れてしまった。


「あれ、でも待って」
 ふと思い至る。俺の待ったの声にイギリスはなんだよと身を起こす。手帳をテーブルに置いてそちらを向くと、少し首を傾げて懸案事項を尋ねる。
「ダンスパーティーなら女性同伴じゃなきゃいけないんじゃないかい?」
「あぁ、まぁな。確かにそうなんだけどさ、絶対って訳じゃねぇし彼女に話通しておけば大丈夫だろう。どっちにしろ俺はお前にダンス教えてやらなきゃなんねぇし」
「なんだいそれ、教えてもらわなくて結構だよ・・・ていうか、何?君ってば俺と踊るつもりなのかい?」
「直接踊る方が覚えられるだろ?」
 きょとんと見返してくるその顔が可愛い・・・いやいやそうじゃない、そうじゃないぞ俺。ふっくらとした白い頬だとか、男の癖に長い金の睫毛だとか、くるくると表情を変える翠玉のような大きな瞳だとか、柔らかそうな薄い唇だとか、そんなの俺にとってはどうでもいいんだぞ!
 そんなことよりも、当然のように言う台詞の意味、わかっているのかな。ダンスパーティーだぞ?俺達だけじゃない、他にも招待客が大勢いるんだろ?詳しいことは知らないけど。そんな場所で・・・。
「男同士で踊るの?」
「あ?・・・いや、まぁ・・・」
 ようやく自分の発想の可笑しさに気付いたか、イギリスは罰が悪そうに顔を逸らしてぽりぽりと頬を掻く。誤魔化そうとしているけど俺は誤魔化されないよ。むしろ想像してみる、イギリスと俺がダンスをしている場面を。手を取り身体を寄り添わせ顔をキスができそうなくらい近付けて、仲良く・・・。・・・・・・。
「気持ち悪い人だな!」
「う、うるせ!お前に足を踏まれるレディが気の毒なんだよ!俺にしとけばか!」
「そりゃ君なら容赦なく踏めるけどね、男の腰を抱く趣味はないぞ」
「なんでお前がエスコートすることになってんだよ!?」
「だって教えてくれるんだろう?女性側で踊ったって意味ない――あ、いいこと思いついた」
 ポンと手を打って最高の笑顔を浮かべてみせると、イギリスは嫌な予感を覚えたのか、ひくっと頬を引き攣らせた。ずりっとソファに腰掛けたまま後ずさるけれど、すぐに背もたれに阻まれる。
「な、なんだよ?」
「君が女装して行けばノープロブレムさ☆」
「は・・・ああああああっ!!?ふざけんなよ!なんで俺が!!」
 びしっと指差ししてナイスアイディアを提供すれば、イギリスは目をひん剥いて勢いよく立ち上がり、俺を見下ろしながらがなり立てた。けど、今は着替えていつものコットンシャツにスラックスという出で立ちだけど、さっきまで女性用のワンピースを着ていたじゃないか。
「別に女装くらいどうってことないだろう?いつものことじゃないか。今日のウイッグを結いあげてドレスを着ればパーフェクトさ!誰も君だとは思わないよ」
 そのぶっとい特徴的な眉毛さえ見えなければね、という言葉は心の中に留めておく。
「語弊のある言い方すんじゃねぇ!どこがパーフェクトなんだよ!てめぇが女装しやがれ!」
「だからそれじゃ意味がないんだってば」
 イギリスとプライベートでダンスパーティーに行く、それはとても愉しそうだ。俺一人なら気軽なパーティーに遊びに行くことはあるけれど、其処にもちろんイギリスの姿はない。イギリスと人に成りすまして、しかも彼は女装で、なんていつもの堅苦しい国としての付き合いとはまた違うだろう。
 彼は果たしてどんな風に振る舞うのだろうか?想像するだけでも面白すぎる。決してハロウィン勝負に負けた腹いせの嫌がらせとかそんなんじゃない。俺はそんなに器の小さい男じゃないぞ。
 さて、衣装はどうしよう?俺はいつものタキシードで良いとして、彼はどんなドレスがいいかな?イギリスに似合う色、男の骨格をうまく隠せて尚且つキュートなドレス・・・。パソコンを取り出し検索を掛けて眺めていると、イギリスが苛立ちをぶつけるようにどすっとクッションを殴った。
「くっそ、止めた!教えんのは止めだ!!この話はなかったことに・・・」
「俺のエスコートじゃ不満かい?君が同伴してくれないならパーティーには行かないよ」
 パソコンの画面から目を離さずにさらりと言い放つ。彼はあんぐりと口を開けて絶句したようだった。
「なっ・・・それとこれとは話が・・・」
「俺としても君が紳士にあるまじき不義理をしでかさないよう、全面的に協力してあげたいと思うんだ。もちろん君に恥じない立派な弟としての姿をお目にかけてあげるよ。けど、ね?」
 にっこりと、画面越しに彼が大好きな天使の微笑みを敢えて向けてから、すっと目を細めると、イギリスはびくりと震えた。ぶるぶると身体を戦慄かせてひとしきり葛藤すると。
「――――っ!!わぁったよ、女装すりゃいいんだろくそったれぇぇぇっ!!!」
 投げ遣りに叫んでソファを蹴り倒して、結局彼は俺の出した条件を飲んだ。


 イギリスに連れられて向かった先はこじんまりとした邸宅だった。けれど広々とした庭園は自然の姿を模しながらも多くの花が咲き誇り、手入れが行き届いていることを窺わせた。とりわけ芳しい香りを放つ薔薇のアプローチを抜けて邸宅に近づくと、音もなく執事がドアを開いて出迎える。
 執事はイギリスを見ると、はて、と戸惑う様子を見せたけれど、彼がしぶしぶと前髪を軽く掻き分けて見せると、あぁと合点がいったように頷き、俺達の案内に立つ。
「ぶはっ、君ってば顔パスじゃなくて眉パスなんだね」
 先を行く執事に聞こえないようにひぃひぃ笑いを堪えて呟くと、俺の腕に手を置いて半歩後ろを歩くイギリスは、ちっと軽く舌打ちをして不貞腐れたように睨んできた。
「くっそ、覚えてろ・・・」
「ほら、そんな言葉遣いじゃダメだよ?今日の君はレディなんだから」
「るっせーな、わぁってるよ!」
 なんとか笑いを収めて宥めるように微笑んでみせるけれど、イギリスはムスッと唇を尖らせて投げ遣りに言い放った――一見、男とは誰にもわからないような愛らしい姿で。
 あの日、互いが準備するものを確認して別れると、俺はすぐにプロジェクトを立ち上げた。その名も「彼を最高の女性に!」だ。うん、そのままだね。女性秘書だけでなく、ありとあらゆる伝手を使ってイギリスに似合うドレスをデザインし、全権力をもってして制作に取り掛かった・・・主に、オーダーメイドの期日について。
 そうして出来上がったドレスは最高にキュートだった。
 彼の瞳の色に合わせたリーフグリーンのシフォン生地は柔らかな光沢を放ち、愛らしさと上品さを兼ね備えている。それをスレンダーラインに仕立て、ハイウエストからのロング丈のスカートがたっぷりのドレープでふわりと翻る。両肩は僅かに布で覆い、胸元には重ねたフリル、ウェストを可愛らしいリボンが飾る。もちろん生地全体にもたくさんのビーズやクリスタルが散りばめられ、キラキラと輝いている。
 こうしてエスコートしながら横目で眺めれば、本当にイギリスによく似合っている。さすが女性達のアドバイスを受けて工夫されただけある。男らしい筋肉は隠し、わざとらしくない小さめの胸パッドを装着、華奢な身体をより女性らしく見せ、くびれも誤魔化すという、見事なものだったのだ。
 背中が開きすぎていると、イギリスは今更な恥じらいを見せたけれど、せっかく滑らかな白い肌をしているのだからちょっとサービスしてもらった。均整の取れた細い首からのラインがとても綺麗だ。他の男に見せるのが嫌になるくらい。
 イギリスが用意したウイッグはサイドの高い位置で纏められ、ゆるやかなウェーブを描く毛先が華やかに散っている。紳士の証らしいぶっとい眉毛が前髪に隠されているのは前述の通りだ。華やかなドレスを身に纏い、姿勢よくすらりと立つ女性に声を掛けたら目に入るのがぶっとい眉毛では気の毒だからね。
 化粧ははじめ女性秘書に教わって来た俺が施したのだけど、濃すぎると彼に一蹴され、結局彼自身の手で施された。出来上がったのは可憐な少女の顔。詐欺だ。
 確かに元から童顔だったけれど!金の睫毛に縁取られた大きな翠の瞳も、ふっくらした頬のラインも、薄く色付いた小さめの唇も、何もかも可愛くて美味しそうだったけれど!でもさっきまで男だったのに!
 一瞬、紅を差した薔薇色の唇にむしゃぶりつきたい、なんて思ったのは内緒なんだぞ。
 なんで化粧のやり方なんか知っているんだい、とバクバク煩く鳴る心臓を抑えて誤魔化すように呆れた風を装って聞けば、昔から王女様達の練習相手をしているからと返された。そういえば君の国は女性君主が多かったね・・・。でも国体とは言え男相手に練習というのは建前で、きっと遊ばれていたのだろう。こんなに可愛くなるから!
 まったくもってひどいんだぞ。なんでイギリスの顔で俺のマイサンは臨戦態勢になっちゃって、あまつさえ抜かなきゃならなかったんだろうね!屈辱だ!


 天井の高いホールを進んでレセプションルームに入ると、既に多くの人が集っていた。
 部屋の中は落ち着いた濃紺の絨毯が敷き詰められ、上等なアンティークの調度品が品よく配されている。壁紙やカーテンなども豪奢で、シャンデリアの灯りに照らされて絵画などの美術品が煌めく。
 招待客がいくつかの輪になって談笑しているのを眺めていると、主と思しき婦人が俺達に、というよりイギリスに向かって歩を進めてきた。
「まぁまぁ、可愛らしいお嬢さんだこと。アーサー・・・いえ、ローザ?遠いところをはるばるようこそいらしてくださったわね」
「こちらこそ、お招きに預かり光栄ですわ」
 イギリスは気色悪いくらい丁寧な言葉で挨拶をし、優雅に頭を垂れるとゆったりと微笑む。そして俺を視線で示すと、女主人に紹介した。
「こちらが例の弟です」
「はじめまして、今宵はお招き頂きありがとうございます」
「ふふ、お噂はかねてより伺っておりましてよ。まぁ立派な若者だこと!ローザが自慢するのも頷けるわ」
 丁寧なお辞儀をして敬意を表した俺に、さらりと身なりに視線を走らせた女主人は満足そうに微笑んだ。その表情から鑑みるに及第点といったところか。
 当たり前だ、俺だって生まれて200年以上経っているんだ。きちんとした身だしなみも礼儀作法も心得ている。着崩れた格好でイギリスの前をうろつくのはわざとだ。そうすれば彼は怒りながらも俺の傍に寄って来て、元弟の世話を嬉しそうにするから。
 少しばかり世間話をすると、婦人は愉しんでいってくださいね、と言い残して他の客の挨拶へと向かった。その後姿を見遣りながらイギリスにどうだった?と尋ねれば、無関心な顔して、まぁまぁだなと嘯く。それってイギリス流の褒め言葉、だよね?まったくこの人は素直じゃない。
 食事の後リビングルームへ移動すると歓談に入る者、葉巻やグラスを片手にゆったりと寛ぐ者、ダンスを愉しむ者とそれぞれ自由に過ごし始める。室内楽が優美で流麗な曲を演奏する中、俺はイギリスに向かってすっと腰を折りお辞儀をした。
「一曲踊って頂けますか」
「喜んで」
 俺が差し出す手を取ってイギリスが花ほころぶように咲う。指先が触れ合う。手袋を通してもひやりと冷たいそれをきゅっと握り込んで、どちらからともなく身体を寄せた。胸が触れるか触れないかのギリギリの距離を保って、男の割に細い腰へと左手を廻すと、目の前の可憐な少女は俺の肩にそっと手を置く。視線が絡んで呼吸を合わせると――俺達はキラキラと透き通った音の粒が奏でる旋律に身を委ねた。
「痛ぇっ!」
 レディらしからぬ声を聞くまでに、5分と掛からなかった。


「このへたくそ!」
「うるさいな、君の足がそこにあるのが悪いんだろう!?」
「てめぇはステップ覚え直せ!今すぐ頭に叩き込めぇっ!!」
 途中から不機嫌丸出しのイギリスと喧嘩腰のダンスを踊った後、テラスに出てひたすら喚く彼を宥めることになった。仁王立ちになって汚いスラングを吐く彼は自分の姿をすっかり忘れているとしか思えない。誰か鏡を持って来てくれ。周囲の視線が痛いったらない。
 耳栓をして、あー聞こえない聞こえなーいとすっとぼければ、尚の事ヒートアップする。ほんと煩い。
 ふと、イギリスのお説教に混ざって聞こえてくるアクティブなメロディ。堅苦しくない自由な音楽。あ、これなら踊れる。
「イギリス、もういいから踊ろうよ」
「もういいってなんだ!俺はまだ話を・・・」
「お説教は後で聞くよ、今日は踊りに来たんだろう?」
 彼の話を遮って手を差し出せば、パシンと払われた。
「てめぇに踏まれまくって俺の足は腫れ上がってんだよ!痛くてもう歩けねぇよ!」
 イギリスはずいっとスカートをたくし上げてパンプスを履いた足を見せるけれど・・・ねぇちょっと、いきなりスカートに隠れていた生っ白い足なんか見せないでくれよ。こ、興奮するとかそういうんじゃないんだぞ?ただレディとしてそんなはしたない行為は慎むべきで・・・うん、俺のマイサンの為にもスカート捲るとかやめてください。
「もう踏んだりしないから一曲だけ踊ってくれよ、この曲なら大丈夫だから」
 網膜に焼き付いたイギリスの白い脚を必死に脳裏から追い出そうと努力しながら、もう一度ダンスに誘う。イギリスはきょとんと首を傾げて部屋の中から漏れ聞こえる音楽に耳を澄ます。気付いて僅かに眉を潜めた――前髪に隠れて見えなかったけれど。
「・・・ジャイブか。俺は苦手なんだけどな・・・」
「俺がリードするから大丈夫だよ。ねぇ、俺と踊ってください」
 彼の手を取り甲にそっとキスを落として強請ると、突然のことに目を瞬かせたイギリスはかぁっと頬を赤らめてこくんと頷いた。ちょろい。
 モダンジャイブは自由度の高いダンスでステップに決まりなどない。その分表現力で魅せることになる。つまり俺の得意技だ!これでイギリスにいいところを見せてやるんだぞ!
 腰に手を廻して強引に部屋へ連れ戻すと、軽快な曲に合わせて力強く踏み出す。引き摺られる格好のイギリスはたたらを踏んで俺に倒れ込んで来た。そのまま身体を密着させて抱き込んだままステップを踏みターンを回る。
 弦楽器が奏でる音と、俺とイギリスの心臓の鼓動が重なって響く。リズムに乗って愉しく軽やかに跳ねる。至近距離の少女の顔が激しい踊りに朱に染まり、透明な雫を散らす。熱っぽい吐息が首筋に掛かって、なんでだかクラクラする。
「お、おい・・・あめ、アルフレッド・・・っ!」
 後半に近づいて曲のテンポは早まり、俺のテンションもMAXへと向かう。より一層激しくなるダンスに、最早俺にしがみついているだけのイギリスが掠れた声で悲鳴をあげた。
「ははっなんだいアーサー、愉しいんだぞーっ!」
「ま、待て、お前、速すぎ・・・っ!」
「へーきへーき、俺に任せて!ほらここで、一気に――」
 イギリスの腰をぐいっと掴んで抱き上げると、ひ、と息を飲む彼に構わず力任せにハイスピードのスピンターンを決める。
 目まぐるしく廻る視界に、キラリと輝く何か・・・金色毛虫のような塊が飛んでいくのが見えた。
 それは恐らく今のイギリスを淑女にする為に必要なパーツであり、紳士の証らしいぶっとい眉毛を隠すものであって――。
 バッと片腕を振り上げてポーズを決めたその時。俺の腕の中、可憐な少女だったはずの存在は・・・ボサボサの短い金の髪を振り乱して、見慣れた白目を剥いて卒倒していた。





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