Arthur


 薄暗い路地裏を全速力で駆け抜ける。乱れた荒い息と足音が反響して鼓膜を震わす中、間違いなく唯一の本物だけを追い続ける。何度も複雑に入り組んだ路地を曲がり行くと、袋小路の壁を背に、一人の男が立っていた。
「此処までだ、もう逃げ場はねぇぞ」
 低い声で唸るように語りかけながら右手に持つ銃を向ける。ドミネーター、公安局の監視官と執行官だけが持つことを許される特殊拳銃。対象に向ければ瞬時に犯罪係数を読み取り、その数値によって引き金を引いた後の効果が変更される。通常はパラライザーでしかないそれが危険人物に対峙した時、完全排除するべく変形するのを俺は幾度となく見てきた。
 目の前の荒い息を吐きながら血走った眼で俺を睨んでくる男の数値は200オーバー。街頭スキャンによる色相チェックに引っ掛かった不審人物がいるとの通報からわかってはいたが、予想以上に高い。既に罪を犯したか、そうでなくても犯罪者になる素質が高い人物。即座にドミネーターはセーフティを解除し、執行モード、リーサル・エリミネーターに切り替わる。
 指向性音声案内を聞くまでもなく、俺は照準を定める。ゆっくりと引き金に掛けた指を動かす――その時、目の前を茶色のフライトジャケットが翻った。
「なっ・・・・・・!」
「ドミネーターなんか、必要、ないんだぞ!」
 脳天気でお気楽で莫迦みたいに明るい声が、張り詰めたその場の空気を変える。銃声が響き、見当違いの方角で穴が穿たれるのと同時に、ばきっと派手に骨が折れる音が聞こえた。いや違う、砕けた音だ。  
 俺が持つエリミネーターの前に何の厭いもなく晒されたのは、無駄なく引き締まった筋肉質な長身。その身体が繰り出す足技の威力など、他の誰よりも知っている。
 案の定、排除対象の男は呻き声をあげながらもんどり打って倒れ込んだ。その腹へと容赦なく靴底がめり込むと、奴は白目を剥き、泡を吹いて失神した。
「やったぞアーサー、捕獲成功なんだぞ!」
 手際よく気絶している男を拘束すると、アルフレッドは喜色満面で俺を振り返った。その顔はバカ犬が「褒めて」と尻尾振っているようにしか見えない。思わずひくりと口元を歪ませると、あぁそうだなと顔面に笑みを貼り付かせてゆっくりと歩み寄る。ドヤ顔で待ち構えるアルフレッドの目の前に立つと、にこりと微笑みかけて、ぐっと握り込んだ拳をその頬に叩き込んだ。
「いっ・・・痛ぁ〜〜〜!!何するんだい!?」
「それはこっちの台詞だ、バカ!いい加減に命令を守れ!!」
 怒られるとは露程も思わなかったのか、不貞腐れるアルフレッドに更に怒鳴りつける。毎回同じことを繰り返しているのに、何故怒られるとわからない。わからないから繰り返すのか。どこの莫迦だくそったれ!
「こいつの色相は限りなく黒に近かった。シビュラシステムが叩き出した犯罪係数は200を超えていた。だからエリミネーターに変形したんだろうが、それだけ危険ってことだろ!銃を隠し持つ可能性に気付くべきだ!なんで撃たなかった!」
 腹立ち紛れにアルフレッドの腰にぶら下がったホルスターをぺちんと叩く。その中には俺が持つのと同じドミネーターが仕舞われている。執行官――それが奴の肩書きだからだ。本来なら危険人物に生身で相対するのではなく、俺と同様ドミネーターを構え、引き金を引けば良かったのだ。なのに。
「君は簡単に言ってくれるけど、彼は色相チェックに引っ掛かっただけで罪を犯したかどうかすらわからないんだ。なのに数値だけで執行――殺すなんて、間違ってないかい?」
 不満気に言い募るアルフレッドの空色の瞳は、曇りなく透き通っている。弱き者を助けるヒーローだと自称する莫迦は、こんな綺麗な瞳を持ちながら犯罪係数175だ。潜在犯であり、執行官の任を解かれれば再び隔離施設に放り込まれてしまう。
 潜在犯に同情してシビュラシステムに異を唱えたくなるのもわかるが、だからと言って度重なる命令違反を許せる訳ではない。何より、我が身を省みない遣り方が気に食わない。
「どうせこいつは黒だ、あの数値でまともな市民な訳がない。そもそもこの街のシステムが脅威と判断したんだ、捕まえたって行末は決まっている。お前は無駄に自分を危険に晒しただけだ」
「それなら問題ないんだぞ、俺の肉体はパーフェクトだからね!ヒーローは銃弾ごときでやられたりしないんだぞぉ!」
「普通の人間は銃で撃たれたら死ぬんだよ!覚えとけこのばかっ!・・・ったく、お前良く試験パスできたな」
 べちんと麦穂のような金の頭を叩いてから、げんなりして項垂れる。この問答も一体何度目だ。脳天気なアルフレッド坊や、そう少々皮肉っぽく言えば、俺はパーフェクトで合格したぞ?と真面目に返された。
 知っているよ、てめぇの成績が前代未聞のパーフェクトだったってことは。もちろん試験内容には射撃も含まれる。だ・か・ら、なんでその射撃の腕を使わないんだと言いたいんだ、ど畜生!
 思わず溜息が零れたのを見咎めたアルフレッドが、幸せが逃げるんだぞ、なんて抜かしやがったけど、全部お前のせいだお前の!監視官舐めんな!


 この時代、人間の心理状態や性格傾向はシビュラシステムによって数値化され、記録、管理されている。その数値――サイコパスを指標として大衆はメンタルケアを日常的に受け、理想の精神状態を追求する。逆に言えば、サイコパスが悪化、ないしは元より異常な人間は社会から隔離されてしまう。
 一つのパラメーターである犯罪係数が一定基準を超えている者は潜在犯と呼ばれ、犯罪者と同様に扱われて罪を犯していなくても社会から排除される。
 アルフレッドは10歳でサイコパスチェックに引っ掛かり、隔離施設に送られた。


 ばたん、と多少乱暴にドアを閉めて室内に入れば、先に帰宅していたアルフレッドは僅かに肩を跳ね上げてこちらを向いた。
 犯罪捜査の実働刑事である執行官は、同時に潜在犯でもある為、常に監視官の監視下にいなければならない。アルフレッドの場合は、俺だ。職場だけでなく生活の場においても寝食を共にし、外出する時も俺が同伴するのが原則。隔離施設から解放されたとしても決して自由の身という訳ではないのだ。
 彼等はただ、その高い犯罪計数によって犯罪を理解し、予測、解決する能力がある者として、鎖に繋がれ使役されているだけだ。
 ネクタイを緩めながら見遣れば、アルフレッドはパーカーにジーンズという身軽な出立ちに着替えて寛いでいた。仕事着のスーツはジャケットと共に薄暗い寝室のベッドに放置したまま、スナック菓子を足元にいくつも広げ、その手に握る物は最新のゲーム機。まったくいいご身分だな、こちらは管理下のお前がまた命令違反してくれたお蔭で始末書書かされていたってのに。
 沸々と怒りがこみ上げながらも色相が濁ることを怖れ、顔を背けると二度深呼吸をする。目に入った冷蔵庫からエールを取り出して一気に飲み干した。
「空きっ腹に一気飲みしたら悪酔いするんだぞ」
 背後から呑気な声が聞こえてきて、思わず缶をぐしゃっと潰してしまった。振り返ればへらっと笑う人懐こい顔。金糸のようなブロンドがふわりと揺れ、澄んだ水色の瞳が室内灯を受けてキラキラと光る。
 ぐっと言葉に詰まって固まる俺にアルフレッドは口元を緩めると、再びテレビ画面で繰り広げるゲームの世界へと戻って行った。
 ――どうしてこいつが執行官なんだ。
 潰した缶をゴミ箱に放り込み、泡だらけとなった自分の手を洗いながら、幾度となく繰り返してきた疑問にまた思いを巡らす。
 アルフレッドに出会ってからまだ一年と経たない。昨年の人事異動の際、俺が以前組んでいた乱暴者な癖に意気地がなく、女癖が悪くて生活がだらしなく時間にルーズな執行官に対する文句を上司にぶちまけた結果、新たに辞令を受けて来たのがアルフレッドだった。
 確かにもっとマシな奴と組ませろと言い過ぎたのかもしれない、脅迫に近かったのは否めない。だけどここまで清廉潔白な奴を寄越せと言った訳ではない。
 自分達を犬のように扱う俺達監視官を嫌う奴が多い中、アルフレッドは爽やかな笑顔で俺に握手を求めてきた。これからよろしく、なんて、一瞬どこのティーンが職場体験に紛れ込んだのかと思ったものだ。
 明るくポジティブで愛嬌たっぷり。誰にでも愛想が良く、困っている人を見ればすぐさま助けに駆け寄り、感謝されても「ヒーローだから当然なんだぞ☆」と意味はわからないがあっけらかんと笑顔で応える。凶悪な犯罪者を追い詰めても殺せない、我が身を傷つけられても銃を向けることすらできない、人を殺すことが怖い――そんな奴が。
 犯罪係数だけ見れば立派な犯罪予備軍、社会不適合者だ。
 まったくもって理解し難い。こんなのナンセンスだ。僅か10歳で潜在犯として捕まり隔離施設で育ち、執行官になるまで外を歩くことすら許されなかった男が、どうしてこれだけ澄んだ瞳をしていられるのだろう?どうして笑っていられるのだろう。
 執行官のことなどわかろうとすればこちらの色相が濁る、入れ込むことなく、あくまで道具として使えとは、監視官の間の暗黙のルールだ。わかっている。アルフレッドの人格など気にせず、ただの潜在犯だと見ればいい。執行官としての試験をパスして俺の監視下に連れて来られた、捜査の実働を担うだけの犬だ。
 なのに・・・こいつは綺麗な空色の瞳で世界を見つめ、楽しそうに笑い、俺に身を預ける。信じているとばかりに俺が持つ銃口の前に立ち、おまけに始末書まで書かせる。こんな執行官、初めて見た。これまで組んだ誰よりも明るくて眩しくて、理解できない。なのに、気になって仕方ない。
 わかっている。監視官としてこれは最悪の状況だ。有り体に言えば俺は、アルフレッドに惚れている。


「まだ、怒っているのかい?」
 手に握っていたエールを、いつの間にか後ろに立っていたアルフレッドに奪われた。飲み過ぎなんだぞ、と呆れる声に我に返れば、流しに幾つも缶が転がっていた。やべぇ明日も仕事なのに。けどこれくらいじゃ酔い潰れたりしないだろう、俺は酒に強い。恨めしげに奪われた缶へと手を伸ばせば、アルフレッドはあっさりと躱してそれを自分の口元に持っていき、ぐびっと一口飲んだ。
 その、喉の動きに胸がときめく。すっきりとした首筋とパーカーの胸元に浮かぶ窪みから目が離せない。もしかして今のは間接キス・・・なんて、どこの処女だ俺は。対するアルフレッドは缶から口を離して不味そうに顔を顰めると、あっさり残る琥珀の液体を流しに捨てた。
「あっ、てめぇ!」
「お腹すいたんだぞ、ご飯食べようよ」
「散々菓子食っていただろうが」
「あれはおやつ。どうする?TVディナーを何か温めるかい?」
 缶を処分するなり冷凍庫の中をがさごそと漁り出すアルフレッドに呆れつつ、それならと、傍に掛けておいたエプロンを身に纏う。
「TVディナーって何か味気ねぇ、俺が作ってやるよ。別にお前の為じゃなくて俺の為にだな・・・」
「君の為に作ったとしても、それを俺も食べなきゃならないんだろう?いいよ、たまには破壊工作しないで穏やかな夕食を取ろうよ」
「誰が破壊工作だ、ばかぁっ!」
「破壊工作でなければ爆弾処理?俺の頑丈な胃袋じゃなきゃ食べられたものじゃないんだぞ」
 今日はこれにしよう、とミートローフがメインのトレイを嬉しそうに取り出したアルフレッドの背中をギリギリと睨む。あぁくそ、また色相濁っちまった。後でセラピー受けねぇと。
 怒りのあまり涙を浮かべる俺をアルフレッドはちらりと見て、大仰に溜息を吐いた。
「大体君、いい年したおっさんがそんなレースひらひらのエプロンとか、反則なんだぞ」
「誰がおっさんだばか!悪かったな、似合ってねぇのはわかってんだよ!けどそんなに顔真っ赤にして怒ることねぇだろ!?せっかくレース編んだし、いい生地あったから」
「なにそれ、まさかそのエプロン、君が作ったのかい・・・?」
 うんざりとばかりに顔を背けていたアルフレッドが物凄い勢いで振り返るのを見て、失言に気付く。呆れ果てた眼差しでじーっと全身隈なく舐め回されて、かっと羞恥に血が上る。
「な、なんだよその目、どうせ根暗な趣味だとか思ってんだろ畜生!これは俺なりのセラピーなんだよ、犯罪捜査でピリピリした神経落ち着かせるには好きなことに集中している方がいいんだ!」
「好きなこと・・・・・・、君、ほんと、詐欺なんだぞ・・・」
「うううるせーな、別にお前に迷惑掛けてる訳じゃねぇだろ」
 額に手を充てて天を仰ぐアルフレッドの脛に思い切り蹴りを入れてやると、案外簡単に転がすことができた。盛大に文句を吐き散らすアルフレッドを見下ろしながら、ついうっかり、これっぽっちも意図していなかったにも関わらず、ざっと目測で採寸してしまった。意外に腹が・・・いや、なんでもない。
 これから寒くなるし、今度セーターでも編んでやろうと思ったのは秘密だ。ぷ、プレゼントとかそういうんじゃないからな!偶々毛糸が余っているからついでにだな!


「・・・あ」
 その日は当直で、酔っぱらいの喧嘩の仲裁に駆り出された帰りだった。相手が逆上して包丁を振り回していたことから少々手こずったものの、なんとか場を収めて局に戻る途中、アルフレッドは何処かを見て小さく声を上げた。
「どうした?」
 立ち止まったアルフレッドを振り返って声を掛けると、少しばかり顔を曇らせながらも俺を見てにこりと微笑み、なんでもないと応える。
「知り合いがいたんだ。借りているものがあってね、返さなきゃって思っていた――ずっと連絡取れなかったんだけど、良かった。見つけた」
「どいつだ?」
「向こうの路地にいたんだ。ごめん、アーサー、先に戻っていてくれるかい?連絡先だけ聞いたらすぐに帰るから」
 言うなり走り出すアルフレッドの背を見送って、俺は再び局に向けて歩を進めた。そうして数歩行ってから何かが意識に引っ掛かり足を止めた。再び背後を見返しても、当然のようにアルフレッドの姿はない。それが、焦燥を生む。嫌な予感が胸を締め付ける。
 アルフレッドは言っていた、知り合いがいたと。けれど・・・知り合い?あいつに?10歳で隔離された奴に?たとえ施設に入る前の知り合いだったとして、10年近く見ていない顔でわかるものか?それとも施設で出会ったのだろうか、セラピーを受けて社会に復帰する者もいる。だとすれば何も可笑しなことはない。だけど、俺の直感がけたたましく警告を発している。
 ――もしあいつが言ったことが嘘だとしたら。あいつが見たのは誰だ?何故俺に嘘をついた?
 冷水を頭から浴びせられたかのように全身が硬直する。ぎしりと軋む身体を無理やり動かして踵を返すと、アルフレッドの姿を求めて夕闇の中を走り出す。
 周囲は帰路に就く会社員や学生で溢れている。ぶつかって文句を言われながらも必死に路地へ、明かりがついたビルへと視線を走らせていく。大通りはホロに覆われて綺麗な景観が保たれていても、一歩奥へ進めば入り組んだ迷路のような街。あてもなく走ったとして、アルフレッドを見つけ出す可能性など限りなく低い。
 だけど諦められない、諦めてはいけない。アルフレッドを見つけて一緒に庁舎へと戻らなければ一生俺は後悔するだろう。
 油断していた。本来なら別行動など許してはいけなかったのだ。アルフレッドの明るさ、やさしさ、眩い笑顔にうっかり忘れかけていた。あいつは他の執行官とは違うと高をくくっていた。犯罪係数が異常値を示す潜在犯であることを――俺は望んで失念していた。
 それもこれも、俺があいつを好きだからだよ、畜生!


 彼方で銃声が轟く。
 衝撃に心臓が凍りついた。思うように息ができず、はくはくと酸素を求めて口を開閉する。絶望感に打ちひしがれ留まろうとする足を叱咤して、銃声が聞こえた方へ向かう。
 アルフレッドが誰かを撃ったのか、それとも誰かに撃たれたのか。どちらにしても最悪な事態でしかない。あいつを喪うのは嫌だ。けれど無事だとしても、執行官が無辜の民を殺したとなれば処刑は免れない。結末は変わらないのだ。
 監視下の執行官が紛れも無い犯罪者に堕ちたのであれば、俺は監視官として始末しなければならない。この手の中にあるドミネーターで。そしてそれはきっと、エリミネーターへと変貌を遂げるのだろう。
 ただ祈るしかない――俺が現場に着くまで、どちらも無事であることを。


 角を曲がった先に、アルフレッドの姿を見つけた。こちらに背を向ける形で立っている。そしてその傍に男が一人、倒れていた。
「ある・・・ふれっど・・・」
 掠れた声でその名を呼ばわると、薄闇の中、アルフレッドは僅かに身動ぎした。けれどその表情は窺えず、視線も俺と交わらない。あくまで地面に倒れ伏している男へと注がれている。指一本、ぴくりともしない男。アルフレッドの手の中にドミネーターがあるのを、俺は初めて見た。
「アルフレッド――お前が、撃ったのか」
 現場を見ればわかることを、それでも微かな希望を求めて尋ねる。違う、と言って欲しい。あの銃声はアルフレッドから発せられたものではなく、男はただ一人倒れていたのだと。自分は発見しただけだと言って欲しい。
「そうだよ」
 だけど。
「俺が撃った」
 アルフレッドはあっさりと己の罪を認めた。ゆっくりと今度こそ俺の方へと顔を向ける。清けき月明かりに照らし出されたその顔は、人を殺めたと思えない程、穏やかに微笑んでいた。
「どう、して――・・・どうして、アルフレッド、違う、そんな訳ない、お前がそんなこと・・・」
「俺に人殺しなんてできる訳ないって?・・・莫迦だね」
 明るく透き通る空の色が、ギラギラと底光る青に変じている。熱に浮かされたような瞳でアルフレッドは俺を嗤った。潜在犯に恋して盲目になっていた俺を、莫迦だと、嗤った・・・。
 裏切られた悔しさと失望と自己嫌悪、色んな負の感情が爆発して綯い交ぜになり、俺の胸を掻き乱す。だって好きだった、好きだったんだ。初めてこの年で恋をした。相手が男だということに自分でも驚きつつ、アルフレッドならいいと思っていた。底抜けに明るくて自分をヒーローだと豪語するこいつなら、ひっそりと想いを寄せても嫌がらないんじゃないかって。俺はただ、恋しているだけで幸せだったんだ。
 けれどアルフレッドは浅はかな監視官の隙を突いて罪を犯してしまった。高い犯罪計数が示したのは、紛れも無いこいつの殺人衝動だったのだろう。俺はそれを留まらせなければならなかったのに、ほんの一時だけでも離れてしまった自分の愚かしさに腹が立つ。
 罪のない民間人だけでなくアルフレッドの未来までも、俺は奪ってしまった。だからこれは俺の罪だ。全部俺のせいだ。
 無言のままドミネーターを構え、アルフレッドへと照準を合わせる。自動的に読み取った犯罪係数は240。アルフレッドの高揚した心を表すかのような高い数値。ドミネーターは即座に唸りをあげて装甲を変じ、リーサル・エリミネーターの姿を取った。
 こうなってしまったからには俺にできることは唯一つ。せめてアルフレッドが苦しまないよう、殺してやるだけだ。そして俺もアルフレッドの後を追う。自分勝手な心中のようで心苦しいけれど。
 生暖かい風が頬を撫でていく。銃口を向けられたアルフレッドは忌々しげに目を眇めた。チッと乱暴に舌打ちをすると一歩、また一歩、俺の方へと歩み寄って来る。撃てるものなら撃ってみろと言わんばかりの挑発的な態度に、じんわりと額に汗が浮かぶ。引き金に掛けた指に力を込めようとした瞬間、立ち止まったアルフレッドは大仰に肩を竦めてみせた。
「君は本当に莫迦だな」
「あ!?」
 はぁとわざとらしい溜息まで吐いた。いつも通りのムカつく仕草にカチンときて反射的に声を荒げると、更にアルフレッドは額に指を充ててやれやれと首を振った。
「俺は君のパートナーだろう?俺は君を信頼しているし、君も俺を信じていたはずだ。なら、最後まで信じるべきだよ、アーサー。俺は殺していない」
 あっさりと放たれた言葉を理解するのに幾許かの時間を要した。あんぐりと口を開けたまま身動ぎ一つできずに立ち尽くす俺を、アルフレッドは透き通る空色の瞳で面白そうに見つめる。背を冷たいものが走っていった。
「なん、だって・・・?」
 ようやく振り絞るように声を出せば、アルフレッドはこくりと頷いた。
「正しく言えば、殺そうとしたけれど撃てなかった。・・・君のせいだよ」
「俺?」
「あいつを殺すことだけが俺の望みだったのに、君と出会って全部メチャクチャになっちゃったんだぞ」
 アルフレッドは投げ遣りに意味のわからないことを言うと、手に握っていたドミネーターをがしゃんと乱暴にその辺へ放った。首を傾けて地面に倒れ伏している男を示し、パラライザーで気絶しているだけさ、と呟く。
 その言葉を確認する為、アルフレッドへ銃口と意識を向けたまま、じりじりと男の方へと近付く。血溜まりかと思ったそこは、冷たく薄汚いアスファルトが広がるだけだった。男は白目を剥いているが、確かに息をしている。アルフレッドは殺していない、そのことに安堵し銃を下ろすと、強張っていた全身の力を抜いて深く息を吐いた。
 未だ落ち着かない心臓の辺りをぎゅっと握り締める。身体の震えが収まらない。だって、一歩間違えば冤罪でアルフレッドを殺すところだった――。
「彼は麻薬の密売人さ、犯罪者だということに違いはない。ドローンを呼んで連れて帰ろう。俺達も、局に戻ろう、アーサー」
 ぽんと肩に置かれた手の温もりに、不覚にも泣きそうになった。


「俺が執行官になると決めたのは、あの男のせいで母が自殺したからなんだ」
 当直を終えて宿舎に戻った俺達は、無言のままに横に並んでソファに身を沈めた。手に持つエールの缶を弄んで言葉を待つと、アルフレッドはぽつりと零した。憑き物が落ちたような穏やかな顔で。
「俺が施設に入っても、母親と兄弟はいつも会いに来てくれたんだ。家族から潜在犯が出たことで辛い思いをしていただろうに、変わらず俺を愛してくれた。俺の身を案じて、だけどいつも笑顔を見せてくれた。嬉しかったよ・・・家族のお蔭で俺は腐らずに済んだんだ。だけどね、3年前、母が死んだと告げられたんだ」
 ぎしっと奥歯が軋む音が聞こえた。耐え難い記憶に顔を歪め、懺悔するように組んだ両手へ額を充てる。そうして表情は見えなくなったけれど、震える声がアルフレッドの悔しさと激情を伝えてきた。
「兄弟がハイスクールで麻薬の密売をしていたって、捕まったんだ。けどあの兄弟にそんなことができるはずない、おっとりしていてのんびり屋でやさしくて・・・法を犯すようなこと、できる奴じゃないんだ。だけど証拠が、マシューのロッカーから出てきて。警察は俺のことも引き合いに出して、双子の片割れが潜在犯ならもう一人が犯罪者でもおかしくないって。母は周囲から責められて鬱になって自殺してしまったんだ・・・」
 アルフレッドが語る言葉に耳を澄ませながら、捜査をした暗愚な警察を殴りたい衝動に駆られた。同時に、その警察の考え方を理解できる自分に反吐が出る。潜在犯は犯罪者と同類――俺もずっとそう考えてきた。本当は、罪を犯していない彼等は一般市民と変わらないはずなのに。
 不意に、アルフレッドの足元にぽたりと赤いものが落ちた。何かとぼんやり見ていれば、また一滴、絨毯に落ちて染みを作る。慌ててアルフレッドの身体を強引に引き起こせば、その唇は噛み締めすぎて切れていた。
「やめろ、唇が傷ついて・・・」
「俺のせいなんだ、俺のせいで、俺がいたから」
「違う、お前のせいじゃない」
「俺が・・・俺が、くそっ!畜生・・・!」
「アルフレッド、お前は悪くない、悪くない・・・」
 譫言のように自分を責めるアルフレッドの頬を両手で挟み込んで、繰り返し言い聞かせる。空色の瞳が涙に沈み、伝う温かな雫が俺の手を濡らした。
「お前のせいじゃない、アルフレッド。悪いのは本当に密売していた奴だ。さっき捕まえた奴がそうなんだな?」
 確認の為に問えば、アルフレッドは苦しげに目を伏せてこくりと頷いた。そうか、と俺も相槌を打つ。ゆっくりと後頭部に腕を回して抱き込むと、強い力で腰を引き寄せられた。俺にしがみついて声もなく慟哭するアルフレッドのギリギリの心境を思って、胸が痛んだ。
「・・・良く、思い止まったな」
「殺そうと思ったよ。その為にずっとあいつを探していたし、執行官になったんだ。だけど・・・撃てなかった。エリミネーターに変形させようと思うのに、できなかった」
「お前に人殺しはできないさ」
「違う、俺は今からだってあいつを殺せる。――君のことを忘れられればね」
 アルフレッドの言葉に、やわらかな金糸を悪戯に掬う手が止まる。そういえばさっきもそんなことを言っていた、俺のせいだと。・・・なんでだ?
「俺、何かしたか?」
 顔を合わせようにもぎゅうぎゅうと締め付けられて身動きできず、仕方なく横目で様子を窺う。俺の肩口に顔を伏せたままなので、その表情は良く見えない。
「アルフレッド?」
「・・・君と、まだ一緒にいたいって思ったんだ」
 名を呼んで質問に答えるよう促すと、渋々といった風に口を開いて小さな声で呟いた。その言葉の意味がわからず続きを待てど、アルフレッドは再び黙り込んでしまう。仕方なく首を捻って考えて、ようやく思い至った。
「そっか、ヒーローだもんな。まだ執行官を続けたかったんだな」
 よしよしと頭を撫でてやると、ものすごい勢いで身を起こしたアルフレッドの手にはたかれた。違うよ!と顔を真っ赤にして怒っている。沸騰したケトルのようにぽこぽこと湯気が見える気がする。・・・違うのか、だからってそんなに怒るなよ。首を傾げて更に考える。
「施設の中はそんなに辛かったのか」
「そうじゃないよ・・・そもそも執行官が私怨でエリミネーターを使えば、その場で処分されるだろう」
「だよな・・・そうか、俺に撃たれるのはムカつくか」
「君、ほんっとーに莫迦だよね!!」
 傍にあったクッションをぼふんと殴るアルフレッドに困惑していると、ぜーはーと深呼吸をして落ち着いたのか、真正面から向き合う空の色に絡め取られた。するりと伸びてきた大きくて温かな手が俺の頬を這う。視界いっぱいに広がる空に影が差し、揺らめく青の炎のようだと思った瞬間、やわらかなものが唇に触れた。
「わかったかい?」
「え?」
 ぱちぱちと瞬きすれば、ほんのりと頬を上気させたアルフレッドの顔がすぐ傍にあった。照れ臭そうに目を逸らして、でもちらちらとこちらの反応を窺う様子をただ呆然と見ていると、アルフレッドは困ったようにくすっと笑った。
「君ってば、紅を差したみたいなんだぞ。・・・ごめんね、血が付いちゃった」
 そう言って俺の唇をゆっくりとした仕草で拭ってくれた。離れていくその指には目が醒めるような鮮やかな赤。それは元を辿れば――。
「・・・・・・っ!?ば、おまっ、今・・・っ!」
「ははっ、アーサーの顔、ゆでダコみたいなんだぞ!」
 けらけらと楽しそうに笑うアルフレッドをわけもわからず睨みつければ、再び素早く唇が押し付けられ、一瞬でまた離れていく。
「――――っ!!!」
「ね、これでもうわかっただろう?君が好きなんだ」
 にっこりと満面の笑みで告げられた言葉に、俺は失神しそうになった。


 つうか、失神していたらしい。
 気付けば明かりを点けていない薄暗い部屋でベッドに寝かされていた。俺が目を開くとすぐ横に腰掛けていたアルフレッドはふわりと微笑んで、またキスされた。体重が俺の頭の横にバランス悪く掛かって、ぎしりと軋む。ぼんやりと見上げるアルフレッドの顔は、いつもの脳天気な明るさがなりを潜めて、やけに大人びていた。
 そっと精悍な顔立ちなのにふっくらとした頬へと手を伸ばせば、大きな手に包まれて、指先に唇が触れる。先程血に濡れていたそこは俺が気を失っている間に傷口が塞がったのか、かさぶたができて少し引攣れている。
 これ程の壮絶な憎悪を、アルフレッドは俺を思い出すことで抑えたのか。
 複雑な心境が顔に出てしまったのか、アルフレッドは微かに自嘲するように笑った。
「俺は君に触れたいが為に復讐を思い止まってしまったんだ。まったく親不孝者だよね」
「人殺しする方が親不孝だろ・・・」
「うーん、あいつは死ぬべきだと今でも思っているよ。あいつのせいで俺の家族は不幸になったんだから、罪は償ってもらわなきゃ」
「どうせ犯罪歴さえ白日のもとに晒せばあいつも終わりだ。お前のことだから証拠だって掴んでいるんだろう?なら、堂々と刑罰を下せばいい。お前は手を汚すな」
「そうすれば、君に触れることを許してくれる?」
 じっとりと雄の色香を纏わせながら低い声で囁く。掴んだままの俺の手を引いてベッドに押し付ける。拘束するかのように。けれど、もう片方の手は自由に。俺はゆるゆると左手を持ち上げてアルフレッドの僅かに汗ばんだ頭をやさしく撫ぜた。
「もうとっくに触ってんだろ・・・ばぁか」
 首に腕を絡ませて引き寄せると、そっと唇を重ねた。


 何度も啄むように触れるだけのキスをする。アルフレッドが焦れたように舌を差し出すけれど、傷口に障るのを怖れて拒めば、やや乱暴に吸われた。顎を掴まれ強引に割り入れられた舌先からは微かに血の味がして、思わず顔を顰めるとアルフレッドは嬉しそうに目を細めた。
 傍若無人に口内を荒らす分厚い舌に俺も情熱的に絡めながら、この関係は今夜だけと心の中で密かに誓った。
 もう二度とこんな風に触れない、明日には執行官の変更も願おう。そうすれば配属も部屋も変わる。もしかすると二度と会えなくなるかもしれないけれど、それでいい。たった一度でも愛されたような記憶があれば、俺はこの恋心を抱えていける。それはきっと幸せな未来だ。
 だってもう、俺にはアルフレッドに想いを告げる資格がない。傍にいることはできない。こいつを信じられなかった――殺そうとした、俺は。
 アルフレッドは俺のことを好きだと言ったけれど、それは単にセラピーを必要としているだけ、ベッドに至るまでの口説き文句と変わらないだろう。長年探し続けた犯人と対峙して精神は極限状態、初めてエリミネーターを撃とうとしたのだから、まともに寝られるはずもない。そういう場合、単純な肉欲の解消でストレスを発散させるのが手っ取り早い。
 疲れただろう、色相も濁ってしまっている、だから俺を使えばいい。こんな貧相な身体でも役に立てるなら好きにしていい。
「んん・・・っ、ぅん・・・」
 熱く敏感な粘膜が擦れては離れ、突いて吸って、息苦しい程に深く深く求め合う。互いの唾液と血が入り混じったそれをこくんと飲み干せば、体内にアルフレッドが浸透していった。
 頭の奥が痺れるような幸福感。酸欠寸前でようやく唇を離すと、リビングから漏れる明かりに照らされた銀糸がつぅっと伝った。はぁはぁと荒い息を吐いてなんとか呼吸を整える。覆い被さる男も肩で息をしながら熱い吐息を漏らし、それが首筋に掛かってくすぐったい。避けるように僅かに首を反らせば、獣が餌に食いつくように噛み付かれた。
「――――っ!」
 びくりと震えて本能的に逃げようとする俺の身体を、アルフレッドの大きな手がベッドに縫い付ける。そのまま乱雑に撫で回し、スラックスから引っ張り出したシャツの裾から侵入してきた。火傷しそうなくらいに熱い掌が俺の身体の線をなぞる。同時に首筋をぬめっとした舌が這い回る。
 背筋がぞわぞわとするような感覚に襲われた俺は、ただ目を瞑り歯を食い縛って耐えるしかなかった。
「・・・・・・っく、ふ・・・はぁんっ!」
 自分でも聞いたことのないような高い声が口を突いて出た。びくんと身体が跳ねて思わず目を見開く。動揺する俺の視界の先には嬉しそうに笑うアルフレッドの顔。ぎらぎらと底光る獣のような青の瞳が俺を見下ろしていた。
「アーサー、可愛い」
「ばっ・・・んな訳、あっ、ぁんんっ!」
 ばかげたことを言うアルフレッドに反論しようにも、少しかさついた指先に胸の頂きを触られると、電流が走ったかのように身体がびくびく震えて頭が真っ白になってしまう。
「乳首感じるんだ・・・」
「ち、違・・・俺、男・・・だからぁ、ひゃ、あぅっ!」
「男なのに感じちゃうんだね、君、こっちの素質あるんじゃないかい?」
「んな訳・・・あ、やだっ、両方・・・んぁ、やっ・・・」
 乱暴にシャツの袷を引き千切ったアルフレッドは、俺の制止の声にも関わらず容赦なく両胸をきゅうっと摘み上げた。指の腹で擦り合わされ摘まれ押し潰されぴんと弾かれる。その度に女みたいな喘ぎ声が漏れて腰が跳ねる。どうしようもなく恥ずかしくて、とうとう俺は顔を両腕で覆った。
「こらダメだぞ、顔が見えないだろう?」
「やだっ、見んな、ばかぁ・・・っ」
「どうして、君ってばすっごくキュートなんだぞ」
「お、男が可愛いとか、嬉しくねぇ・・・どわっ!?」
 俺の腕を外そうとするアルフレッドに必死に抵抗していたら、呆れたような溜息とカチャカチャという金属音が鳴り、そのままずるりとスラックスが下着ごと引き抜かれた。いきなり冷たい外気に晒されて下半身が竦み上がる。
 あまりのことに絶句して反応できずにいると、アルフレッドは俺の両膝の裏に手を入れてそのままぐいっと持ち上げた。
「べあああああっ!!」
「その声は色っぽくないんだぞ・・・」
「ばっ、待て、ぎゃああ、アルフレッドぉっ!!やだそれやだぁっ!」
「ふっひゃひふはほ」
「咥えながらしゃべんな・・・あ、うあぁっ!」
 アルフレッドの熱い口内にペニスが迎え入れられて、俺は完全にパニックに陥った。誰にも見せたことのないような恥部を突然暴かれて、挙句に口淫だなんて。そんな、愛し合うセックスじゃないんだから前戯なんていらない。そもそもシャワーも浴びていないそこは汚いし臭いはずで、決して口に含むような代物じゃないんだ。
 すぐに止めさせなければと思うのに、同じ性を持つからか、手際よく弱い処を責め立てられ一気に容積は増し射精感が募る。なのにアルフレッドは焦らすように根本を握ったまま。巧みな愛撫に俺のペニスは充血して反り返っているのに解放を許されない。行き場のない熱が逆流するように全身をぐるぐる駆け巡る。バチバチと火花が散って瞼の裏が真っ赤に染まる。なんだこの拷問、つらいだろう、ばかっ!
「ぁっ・・・ひゃ、やらぁっ!放して・・・っ」
「・・・言って」
「も、無理ぃ・・・ひ・・・んっ!」
 ぎゅうぎゅう握り潰す気かと思うくらい握られながら、先端をちゅぱちゅぱと舐め回される。ひくひく震える尿道口に舌先が捩じ込まれて、俺は出したいんだ、入れんなばかぁっ!と盛大に叫んだ。つもりだったけれど言葉になるはずもなく、ただ甲高い喘ぎ声でばかみたいによがる。アルフレッドの髪をぐちゃぐちゃに握り締めて絶望的な快楽に身を震わす。
 アルフレッドの漏らす言葉など、まともに耳に入っていなかった。
「言ってよアーサー、君の気持ち」
「ひっ・・・うぁ、あ・・・やら、イク、イきたい・・・っ」
「俺のことが好きだって、言って」
「や・・・お願・・・ぃ、あるぅ・・・」
「好きって言ってくれたら放してあげるんだぞ」
「あ、あぅ・・・す、すき、すきぃ、す・・・きゃうっ!んあっあああっ!!」
 自分が何を口走ったのかもわからない、ただ言われた通りの言葉を復唱しただけ。思考はとうに働いていなかった。
 だけどアルフレッドは満足したのか手の力を緩め、唐突に締め付けから解放された俺のペニスは、軽く上下に扱かれただけで呆気無く果てた。堰き止められた分ねっとりと粘度の高くなった白濁を、びゅくびゅく吐き散らす。自分の腹や胸が汚れたのを感じたけれど、今まで感じたことのない壮絶な快感と倦怠感に、俺はぐったりと身体を弛緩させて目を閉じた。
「俺も好きだぞ・・・だから、全部俺にちょうだい」
 低く蠱惑的に響く音の粒がやさしく降りてきて、俺の心を震わせた。


 ちゅっと再び唇が触れ合う。瞳を開けるのも億劫でされるに任せていれば、大きく足を開かされ、尻の間にぬるりとしたものを塗り込められた。ローションなんかこいつ持っていたのか、そんなどうでもいいことを考えながら必死に力を抜こうと努めれば、ぬちぬちとアルフレッドの太い指が俺の中に侵入してきた。
 肉襞を掻き分けるように突き入れられたそれが、緩慢な仕草でぐるりと円を描く。想像以上の違和感に吐き気まで催しながら、ぎゅっと目を瞑って耐える。指が二本に増え、ぐちゃぐちゃとあられもない水音を立てながら自由に動き回る頃には、俺は全身びっしょりと汗を掻いていた。
「もう、いいかな・・・」
 独り言のようにアルフレッドがぼそりと呟く。ずるりと指が抜けていき、ひくひくと収縮して閉じようとするそこに硬く張り詰めたものが押し当てられた。思わず息を呑んで強張る俺に構わず、熱い肉棒が狭い入り口を強引に開いていく。
「ひっ・・・ぐ・・・うぁ、い、痛ぃ・・・」
「ごめんね、ちょっと我慢して」
「うぅ・・・や、痛ぁい、待っ・・・アルぅ・・・」
「うん、ごめんなんだぞ」
 これっぽっちも悪いなんて思ってねぇだろ!全身ガチガチに強張って息もできず、この年で涙まで浮かべて痛みに喘いでるっつーのに、お前は少しも待てないのか!痛ぇよ、ものすごく痛ぇ!!さっきの寸止めプレイといい、こいつサドかもしれない。ちなみに俺はマゾじゃねぇ、相性最悪だな畜生!
 ぎゅうぎゅう目の前のがっしりとした肩にしがみついて獣みたいに呻く。もしかすると爪を立てていたのかもしれないけれど、それくらい余裕のない俺にアルフレッドも辛そうに眉を寄せて。それでも決して抜くことも止まることもしなかった。
「は・・・いっ、た・・・・・・」
 アルフレッドの吐息混じりの声が降ってきた頃には、俺はひゅーひゅーと声を枯らして精魂果てていた。無事に挿入ったらしい、けど、限界すぎんだろこれ。少しでも動いたら切れそうなくらいに俺のそこの皮膚は薄く広げられている。脈動一つでぷつりといきそうで怖い。怖いっつってんのに。
「アーサー・・・も、動いていい?」
「だ、ダメっ!!」
「うっ・・・で、でも、俺もう限界で・・・ね、動くよ?いいよね?」
 ダメだっつってんだろ、ばかぁっ!
 へらりと誤魔化すような笑みを浮かべた後、ぬちゃぬちゃ、なんて卑猥すぎる音をたてながらアルフレッドのペニスが外に出ていく。内臓を持っていかれそうなその感覚に、背筋がぞわぞわと震える。あと少しで離れるギリギリで止まると、勢い良くぱちんっと腰を打ち付けられた。一気に貫かれる衝撃に甲高い悲鳴が零れる。
「あぁ・・・っ!うあぁっ!」
「中、すご・・・熱くて、うねってる・・・」
「あっ、ひぃ!・・・うあっ、あ、やぁぁっ!!」
「はぁ、・・・きもち、いい・・・すごく、いいよ・・・」
 容赦なく腰を振りたくるアルフレッドに、俺の身体は翻弄されるがままだ。
 気持ちいいか、そうか、それは良かったな。俺も身体を差し出した甲斐があったよ。けど俺は痛ぇし違和感半端ねぇし、はっきり言って辛いんだよ!AVの女のやさしくして、なんて台詞、ばっかじゃねぇのって思っていたけど今ならわかる。やさしくしろ、ばかぁっ!そりゃ好きな男に抱かれて満足なんだけど、気持ちいいのはやっぱり突っ込む側ばっかなんだな、なんて。投げ遣りに考えていた時だった。
「あっ・・・ひ、あああんっ!!」
 目の前で星がちかちかと瞬いて脳髄が痺れるような感覚に襲われた。圧迫から押し出される声とは違う、紛れもない嬌声が口を突いて出る。
「あ・・・あぁ・・・・・・」
「大丈夫かい?アーサー」
 訳が分からず荒い息を吐いて瞠目する俺に、アルフレッドが心配そうな顔をして声を掛ける。やさしい。やっぱりサドなんかじゃねぇよな、俺の勘違いだ。悪かったなヒーロー。なんて心の中で反省していたら。
「此処かい?」
「んやぁああっ!!」
「此処だね?此処がイイんだね?」
「きゃああっやだそこぉっ!!」
「イイんだろう?」
「あふっ、や、あ、あっ!あぁん・・・やらぁっ!」
 ごりごりと内側の一点を抉られる度、全身を凄まじい快楽が駆け巡る。息をするのを忘れるくらい感じて甘い声で喘いで、こんなのおかしい。男に突っ込まれてよがるなんて、気持ちいい、なんて。・・・つうか、このサド野郎ぉ!!
 感じることが辛くていやいやするように首を振り、やめてと懇願するのに、アルフレッドは嬉しそうに笑ってむしろ酷く責め立てる。逃げるように腰をずり上げれば、逃がさないとばかりに掴まれて更に密着を深めた。指が食い込んで痛い、でもそれ以上に気持ちいい。
 思う様に揺さぶられて掻き混ぜられれば、ぐちゃぐちゃとはしたない猥音が部屋に響く。滑りが良くなったからか、抽送のピッチがどんどん速くなる。速すぎて目眩がする。
 敏感になりすぎた身体はシーツに擦れるだけでぶわりと肌が粟立つし、心臓は壊れそうなくらいに早鐘を打っている。俺をぺちゃんこにする気かと思うくらい真っ二つに折り畳まれ、ひっきりなしに啼いて涙を流して、脳天を突くような衝撃にひたすら耐える。
「・・・っく、君、すご・・・」
「あんっ、や、ぁ、ある、あるぅ・・・っ!」
「ほんと、やらしい身体・・・絡みついて、きて・・・」
 持っていかれそう、なんて余裕のない声で呟くアルフレッドに、俺はうっそりと微笑んだ。
 こんな貧相な男の身体でもアルフレッドが悦んでくれている。貪るように腰を振って嬉しそうに笑っている。もっと感じて気持よくなって、そうして俺の身体にお前を刻みつけて。全部残らず注いで。お前が欲しい・・・これっきり、だから。
「はぁ、アーサー・・・も、イキそ・・・」
「あん・・・っ、いい、出して・・・俺、に、ひぅ!」
「イク・・・イクよ、君の、中に・・・うぁ、で、出る・・・っ」
 耳元で上擦った声が囁く。ぞくぞくしてきゅうっと締め付ければごくんと喉が鳴るのが聞こえた。腰を掴み直されて容赦なく内壁を抉られて、ずるりと前立腺を掠めながら引き抜かれた肉棒が大きくグラインドして最奥を突く。
「ひぁっ!あああんっ!」
「・・・・・っく!」
 目の前が真っ白になって背をしならすと、胸の頂きにがぶりと噛み付かれた。一瞬の後、ドクンッと熱い飛沫が俺の中で迸り溢れていく。脈動を感じながら俺も同時に精を吐き出して。
 遠のく意識の中、そっと慈しむようなやさしいキスを額に受けた。


「アルフレッド!この大馬鹿野郎!命令守れっつってんだろ!」
「ほんっとうに君はうるさいな!犯人捕まえたんだから問題ないだろ!?」
「捕まえる為にてめぇは何使ったかわかってんのか!?時価数億の壺だばか!それ取り戻すのが任務なのに壊してんじゃねぇぇぇぇっ!!」


 結局、あれからも俺達は監視官と執行官としてコンビを組み続けている。なんでって俺が寝ている間にアルフレッドが全部決めちまったからだ。
 気怠く口にするのも憚られる場所の痛みを抱えながら出勤し、監視官だけの会議を終えた後に上司を引き止めて執行官の変更を願った。そうしたら。
「あぁ、その件はアルフレッドから聞いているよ。許可できない」
 さらりと流されてしまった。おまけに良い部下を持って良かったな、なんてにこやかに言われてぽんと肩を叩かれた。意味がわからねぇ。慌てて局に入りアルフレッドを取っ捕まえて詰問した結果、上司はアルフレッドに買収されていた。
 曰く、上司の奥さんが今をときめくアイドル歌手の大ファンで、チケットなどとうに手に入らないのにアルフレッドが調達したのだと。なんだそれ!
「マシューのライヴチケットなんか、幾らでもゲットできるんだぞ☆兄弟だからね!」
 ばちんっとウィンクを決めて笑顔を見せるアルフレッドに、俺は絶句した。
「おまっ・・・なんで、そんなこと・・・!」
「なんでって、君が俺の気持ちわかってくれないからじゃないか」
 ティーンのようにぷぅっと頬を膨らませて、でも瞳の奥は楽しそうにキラキラと輝いている。まるで子供が悪戯に成功して喜ぶように。そうして大袈裟なくらいの身振り手振りを混じえながら、事の次第を説明し始めた。
「君の気持ちなんかとっくに知っていたよ、毎日あれだけ熱っぽい視線くれていたらね、気付くよ。だから俺達は相思相愛なのさ!けど君ってば昨日のことで俺と距離を置こうとしただろう?どうせ俺に銃を向けたことを気にしているんだろうけど、俺は君を手放す気なんかないんだ。だから君が寝ている間に先手を打たせてもらったのさ。あの管理官が奥さんの尻に敷かれている俗物で、その奥さんがマシューの熱狂的なファンだってのは調べてすぐわかったしね。それで兄弟に連絡してチケットをね・・・あ、マシューってのは俺のこの世で唯一の肉親さ。例の密売で逮捕された後刑務所の慰問でスカウトされて、出所後歌手デビューしたんだ。すごいだろう!?」
「そ、そうか・・・すごいな・・・」
 一気にべらべらと捲し立てられて、俺はそうとしか口を挟めなかった。
 呆れるくらいハイテンションのアルフレッドに、俺はただ呆然と立ち尽くした。アルフレッドの思考と機転についていけない。そうか、この辺がアルフレッドの犯罪係数の高さの所以か。殺人衝動などではなく、極めて利己的な自己実現への異常な執着。
 そうして気付けば結婚の約束までさせられていて、マジでお前ちょっと落ち着け!と叫んで暴れる俺をアルフレッドはいともたやすく拘束した。逞しい両腕にぎゅうぎゅうと苦しいくらいに抱き締められ、愛してるよダーリン、なんて腰に響くような甘ったるい声で耳打ちされてしまえば。
「ば、ばかぁ・・・っ」
 身も心も陥落せざるを得なかった。


 だからこうして今日も俺達は一緒にいる。監視官と執行官として。――かけがえのない恋人として。




おわり!



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