USA


 今年の世界会議はカナダで開かれた。その一週間の日程は滞りなく消化され、今日恙無く閉会を告げた。議長国を務めた兄弟は、良く頑張ったと思う。会期中、兄弟は俺に向けて何度となく溜息を吐いた。きっと良い意見が出なくて困って、俺に助けを求めたんだろう。そこで俺はナイスでグレイトな意見をバンバン出してあげた。何たって俺はヒーローだからね!感謝の言葉はいらないんだぞ☆
 ともあれ世界会議が終わったので、これから自国たる合衆国に戻る。でもその前に。机の上の書類を纏めながら、ちらりと視線をカナダと話しているイギリスに向ける。かつての宗主国で俺を育ててくれて、親とも兄とも思い慕った人。独立に際して断絶し、長年の擦れ違いの末ようやく心を通わせて、晴れて恋人となった・・・愛しい人。せっかくはるばる大西洋を渡って北米に来てるんだ。このままあの島国に帰すつもりはない。荷物を鞄に詰め込んで席を立ち、二人の元へ向かう。
「やぁカナダ、ご苦労だったね」
「あ、アメリカ・・・お蔭様でね。無事に済んでほっとしてるよ」
「君は無駄に気を遣うからね、俺も心配してたんだぞ」
 溜息混じりに言うカナダを笑顔で労う。カナダはまた溜息漏らしたけど、そちらは気にせずにイギリスへ目を向ける。
「ねぇイギリス、せっかく北米に来てるんだ。まさかこのまま帰ったりしないよね?」
 そう言って彼の腕を取ると、やんわりと掴んだ手を外された。
「悪いな、アメリカ。俺達はこれから連邦会議なんだ」
「・・・へ?」
 予想外の言葉に目を丸くすると、横に立つ兄弟が補足するように言葉を繋ぐ。
「世界会議で英連邦の国が揃ってるからね、このままうちで連邦会議もしちゃおうって話になってるんだ」
「・・・でも疲れてるだろう?日を改めた方がスムーズに進むんじゃないかい?」
 暗に今日は止めて欲しいと圧力を掛けると、カナダは困ったような顔をして。
「別にさして重要な問題が抱えてる訳じゃないし、顔を合わせて友好を深めるだけだから平気だよ」
「でも」
 発言が少なく影が薄い割に、言う時ははっきりきっぱり言い切る兄弟に、俺が言葉を重ねようとしたら。妨げるように遠くから二人を呼ぶ声が聞こえる。
「イギリスー、カナダー、会議って何時から始めるんだ?」
 振り返ると・・・えぇと誰だっけ。確か南の方の・・・そう、オーストラリアとニュージーランドだ。二人がこちらに向かって歩いて来る。彼等も俺とカナダと同じ様に、イギリスに世話をされて育った国達だ。
「あぁお前らか。休憩と場所移動兼ねて、2時間後だ」
「あれ、このままここですんじゃないの?」
 イギリスの答えにオーストラリアが首を傾げる。
「ここは広すぎるだろ?清掃入るし。ホテルの会議室取ったから、場所変えよう」
 カナダが言うとニュージーランドはキラっと目を輝かせた。
「ホテルならお腹空いてもすぐご飯食べられるね〜」
「そんな事言って、議場に顔出さずにレストラン直行とかすんなよな」
「あはは、君じゃないんだから」
「俺は平気さ!早食いだから!」
「僕だってすぐ食べ終わるよ」
「ちゃんと真面目に会議出てよね!会議後の食事も用意してるから!」
 オーストラリアとニュージーランドの会議逃亡計画に、慌てたようにカナダが口を挟むと。あははと愉しそうな笑い声が上がった。


 そこから少し離れて、俺は何となく場を離れる機会を逸して立ち尽くす。そっとイギリスを見遣ると、彼は英連邦の連中のやり取りを、目を細めて慈しむように眺めていた。――やだな。遣る瀬ない想いが込み上げて来て、ぐっと唾を飲み込む。
 俺と彼等の間には線が引かれている。英連邦とそうでない者と。そして今、イギリスは間違いなく英連邦側にいる。俺の傍にいるのに、心は英連邦の国々に寄り添っている。・・・どうして彼は俺だけのモノじゃないんだろう。深々と溜息を吐く。
 決して彼等と同じ立場になりたい訳じゃない――そんなのは死んでもゴメンだ。俺は彼の背に負われ庇護されるのでなく、対等な立場で向き合いたかったのだから。兄弟としてではなく、俺を一個人として見て欲しかった。だから、その為に独立して力を得た。彼に銃を向けることになっても、彼を傷つける事になったとしても、それは必要なプロセスだった。・・・彼を手に入れる為の。そして俺は、今では世界が無視できない程の影響力を持つ超大国となった。彼も俺の存在を認め、頼りにしてくれている。ここまでがむしゃらに頑張って来た甲斐があるというものだ。
 それでも。欲深い俺は・・・家族として常に彼と共に在って、彼の心の柔らかい処に踏み込む事を許された彼等に・・・嫉妬していた。
 英領のままでは彼を手に入れる事は不可能だった。彼は他人になった今でさえ、元兄弟の禁忌を完全には払拭できていない。兄弟のままで、こんな関係にはなり得なかった。だから袂を分かった事を後悔していない。していないけど・・・。
 奥歯を噛み締めて平静を装いながら彼等を眺めると、話題は変わってて、今はどうやら会議後の飲み会の話で盛り上がっているようだ。
「なぁなぁ食事の後、うちのワイン飲もうぜ!イギリスにお土産と思って持って来たんだけどさ、どうせなら皆で一緒に飲んだ方が良いよな!?」
「それなら僕も持って来たよ。良い機会だから飲み比べてもらおうか?」
「お、勝負する気か?負けても文句言うなよ!?」
「あはは、笑えないジョークだね!僕のワインが負けるはずないじゃない」
「そ、それなら僕も・・・」
「「カナダは入って来なくていいよ!」」
 オーストラリアとニュージーランドが張り合うのにカナダが参戦しようとした瞬間、兄弟は二人から同時に拒否られた。「えぇー・・・」とちょっと涙ぐんでる。
「まぁまぁお前ら、美味いものは一つとは限らないんだからさ、皆で愉しく飲もうぜ」
 とほほと肩を落とす兄弟の背をぽんぽんと軽く叩きながら、イギリスが取り成すように言うと。
「またそうやって、いつもイギリスははぐらかすんだよなー」
「きっちり決着つけてくださいよ〜イギリス兄さん」
 子供のように口を尖らすオーストラリアの隣から、その音が聞こえた。音は鼓膜を通って脳で言葉に変換される。その単語を認識した瞬間、心臓にナイフを突き立てられたかのように胸がずくんと痛んだ。
「・・・にい、さ、ん?」
 ぽつりと漏らした俺の声を拾った面々が、こちらを振り向く。
「あ、アメリカさんお疲れ様でした!」
「お疲れ様です〜」
 二人からの挨拶に何も返さず、ただニュージーランドの顔をじっと見ていると、彼等は怯えたようにオロオロし始めた。――俺の機嫌を損ねたら後が怖いもんね。でも俺はどこかの北国と違って理由なく虐めたりしないんだぞ?だからそんな風に怯えなくたって良いのに。俺はただ、君が発した言葉をどう処理すれば良いのかわからないだけなんだ。
「あ、そろそろ移動しなきゃ。休憩する時間なくなっちゃうよ!」
 凍りついた空気と俺の心中を察したらしい兄弟が、慌てて場を収めようと話を振ってくれて。オーストラリアとニュージーランドは、「じゃあまた後で」と言ってそそくさと踵を返した。その背中を見送っていたカナダも、俺を気遣うような表情を浮かべつつ、「それじゃ僕も行くね」と二人を追うように出て行く。残ったのは俺とイギリスだけだ。
「アメリカ、どうした?」
 意気消沈している俺を、イギリスは怪訝そうに見上げてくる。その顔をまともに見ることができず、視線を合わせないまま尋ねる。
「君、ニュージーランドから兄さんて呼ばれてるの?」
「あぁ、まぁ・・・」
「どうして?」
「どうしてって・・・あいつ等も俺にとっては弟みたいなもんだし」
「でもっ・・・」
 続く言葉を無理矢理飲み込む。言ってはいけない。言えば彼は混乱する。きっと変な意味に捉えて・・・俺との関係を終わらせようとする。そんなのは嫌だ!だから言ってはいけない、絶対に・・・。ぎりっと歯を軋ませて、努めて落ち着いた声音で言う。
「・・・君も早く行った方が良いんじゃないかい?規律に厳しい英国が遅刻したら笑われるよ」
「でもお前・・・」
 そっと腕に触れてくる手にぞわりと怖気立って、思わず振り払うと。彼はびくりと震えて翠の瞳を見開いた。しまった、と思うけど後の祭りだ。臍を噛む。戸惑うイギリスから顔を背けて簡潔に言い放つ。
「俺のことなんか気にしてないで、早く可愛い弟達の所に行ってあげなよね!俺も帰るよ!じゃっ!」
 そうしてついっと背を向けると、そのまま振り返ることなく議場を後にした。


 何がこんなに悔しいのか。何がこんなに哀しいのか・・・。理由はわかっている。馬鹿馬鹿しい理由だ。単に、俺が許されなかった「兄さん」という呼び方をするニュージーランドに嫉妬してるんだ。
 イギリスは兄と呼ばれる事を嫌がった。――彼は実の兄達とうまくいってないから、彼等に疎まれていたから、その兄達と同じ様に呼ばれたくなかったのだろう。自分は三人の兄達とは違う、弟を大切に育てるという決意の表れでもあったのかも知れない。実際他の英連邦の国々は、カナダにしろオーストラリアにしろ、「兄」と呼んでいない。俺と同じくイギリス本人から拒まれたのだろう。だから俺は「イギリス」と呼んだ。・・・彼がそう望んだから。なのに、どうしてニュージーランドだけ「兄さん」と呼ぶ事を許されているんだ?彼が・・・特別な存在だからだろうか。弟の中でも一番愛おしいからだろうか。
 迫り上がって来る苦いものをぐっと堪える。嫌だ、悔しい・・・馬鹿馬鹿しい。呼び方なんかどうだって良いじゃないか。そもそも彼を「兄」と呼ぶ関係を、俺も望んではいなかったはずだ。俺は彼と兄弟でいるのが嫌で独立したのに。彼を傷付けて泣かせてまで手に入れた恋人関係。なのに、今になって家族でいるのが羨ましく思うなんて、おかしいじゃないか。
 それとも。彼が俺に「兄さん」と呼ぶ事を許していたら、こんな複雑な想いを抱いたりしなかったのだろうか。素直に兄を慕う弟・・・カナダのように、英連邦の一員として彼の傍にいられたのだろうか。
 歴史にIfはない。俺が彼の元にいたいと思ったとしても、あの時の民意は独立を望んでいた。民意の具現たる俺は、それに従うしかない。俺達国の存在とはそういうものだ。意思を持ってはいるものの、民意には逆らえない。最終的には兄と慕う存在からの独立を決意しただろう。呼び方など何の意味もない。歴史は変わらない。だから、過去を振り返ったところで意味はない。
 わかっている。わかっているのだけど・・・どうして彼だけ「兄さん」と呼ばれる事を許されているのか、それが気になって仕方ない。イギリスにとって、ニュージーランドの存在は一体何なんだろう?・・・もしかして俺よりも特別な存在?


 自宅に戻り、さっとシャワーを浴びるとすぐにベッドに身を沈めた。連日の会議で身体は疲れている。早く寝てしまおうと思うのに、意識はぴりぴりとして眠れない。ベッドの上でゴロゴロのたうち回ること2時間、眠りはまったく訪れず、逆に頭の芯がぼうっとしつつも冴えてきた。
 仕方なく眠ることを諦めて寝室を出て、リビングのソファに腰を下ろし、苛立ち紛れに適当なDVDをデッキに突っ込んで再生する。画面に映ったのはありきたりなヒューマンドラマ。ぼんやり眺めていると、携帯電話が着信を知らせる。こんな深夜に電話を寄越すのは緊急時の上司か気の置けない関係のイギリスのみ。・・・どちらかというと、後者の可能性の方が高い。というかそんなに頻繁に緊急事態が発生してくれても困る。
 僅かに躊躇いつつ携帯の表示を見ると、案の定というかイギリスから。でも、今はまだ俺自身が混乱していて話したくないし、英連邦の連中と楽しく過ごした後の彼の弾んだ声なんか聞きたくない。携帯を放って画面に集中する。着信音がふつりと途切れる。けれど、すぐに再び鳴り始める。俺は携帯をクッションの下に敷く。小さくなった着信音が途切れる。そしてまた鳴り始める。相変わらずしつこい。俺が出たくなくて無視してるとわかってて、敢えて繰り返しコールして来るんだから性質悪い。少しは俺の心中も慮って欲しいよ!幾度目かのコールに、流石に近所迷惑だと感じて渋々応答ボタンを押すと、息を呑む音が聞こえた。
「・・・寝てたか?」
「寝てるかも知れないと思う割には些かしつこすぎるね。・・・起きてたよ」
「そっか」
 不機嫌を隠すつもりは更々なく、冷たい口調で言うと、イギリスは気落ちしたような声で応えた。
「・・・英連邦の連中と一緒だったんだろ?楽しかったかい?」
「まぁ、な」
「そう。仲良くて何よりだよ」
 我ながら子供じみてるとわかってはいるものの、どうしても面白くなくてつっけんどんに言う。彼はそれが気に食わないらしく、ムスッとした様子で文句を言ってきた。
「・・・なんでそんな冷たい言い方すんだよ」
「別に。眠いから不機嫌なだけだよ」
「もう、寝る・・・のか?」
「そうだね、疲れてるからもう寝るよ。用がないなら切っていいかい?」
 さっさと通話を終わらせたい。思いを言葉に滲ませると、彼は惑うように逡巡してから小さな声で頷いた。
「・・・あぁ」
「じゃあね、おやすみ」
「おやす・・・」
 彼の挨拶の途中と知りながらブチっと通話を切って、携帯を放り投げる。ほらね、今は話さない方が良かったんだ。お互い後味悪い会話。吐き気がする。――どうせ俺が何を考え、何に苛立っているのか、彼にわかりはしないんだ。彼はただ俺が不機嫌だったのを気にしてるだけ。俺がこんな風に・・・泣いてるなんて、知りもしないんだ。
「・・・う・・・っく・・・」
 自分でも良くわからない感情。彼が好きで、弟として見られるのが嫌で、兄弟であることを止めたのに。彼が欲しくて、恋人として触れられる今の関係に幸せを感じているのに。今更。今になってまだ、俺の中に家族を求める感情が残っていたなんて。彼を「兄」と呼びたかった昔の自分・・・そんなの、思い出したくなかった!ひどい、こんなのはひどいよ。
 イギリスに会いたい。今すぐ会いたい。英連邦の連中から引っぺがして俺だけのモノにしたい。あんな家族ごっこ、反吐が出る。俺は恋人なんだ・・・兄弟より、大事にされるべきだろう?優先されるべきだろう?それなのに・・・どうして彼は、俺の傍にいないんだ?どうして俺は一人で・・・泣いているんだ。
 再び携帯が鳴る。十中八九イギリスからの着信だろう。そう思うと、どうしても手が携帯に伸びない。だって今俺は声を聞きたいんじゃない。遠い場所からの慰めなんか要らないんだ。それより彼に傍にいて欲しい。彼の温もりに触れて・・・抱き締めたい。家族よりも近い存在である事を確認したい。それが叶わないなら――もう、放っといてくれ!
 耳を塞いでも聞こえてくる着信音。一向に鳴り止まない携帯にぷちんっと堪忍袋の緒が切れた。おもむろに床に放置していた携帯を手に取り、即座に電源をぶちっと切る。これで緊急時の上司からの電話すら繋がらなくなるが、こちらも緊急事態だ。仕方ない。
 ようやく静寂を取り戻した部屋で、ほっと溜息を吐くと、妙に耳に障った。誰かさんのお蔭で神経がピリピリしている。・・・これでは朝になっても眠れそうにない。あまり酒の力を借りるのは好きじゃないけど、最後の手段だ。キッチンの奥に少しだけ買い置いてあるビールの缶を手に取る。プルトップを引くと、プシュッと小気味良い音がして、シュワッと泡が弾けた。それに口を付けようとした瞬間、ピンポーンという音が静かな部屋中に響き渡る。インターホンが来客を知らせた。
 時計を見ると午前2時。常識的に人を訪ねるには有り得ない時間だ。友人だとしたら即座に縁を切る。上司の遣いだとしたら・・・そういえば携帯の電源落としたっけ。直接来る手間を掛けさせた事を怒っているだろう。でも、もしかしたら――いや、まさか。思わずぶっとい眉毛の恋人の顔が浮かぶけど、まさかね、それこそないよね。だって同じ北米にいるとはいえ、彼は英連邦の国々に囲まれての会議と飲み会に出席してたんだ。時間的に俺の処に来れる訳がない。だから、きっと違う――。
 ピンポーン。再びインターホンが鳴る。オカルトも含めて様々な可能性を考えてる最中だったので、びくりと飛び上がってしまった。躊躇いつつもそろそろとインターホンの画面を見ると。そこに映っているのは、紛れも無いぶっとい眉毛・・・。もとい、イギリス、だった。


「ど、ど、ど、どうしたんだい・・・!?」
 慌ててドアを開くと、非っ常ーに不機嫌な顔のイギリスと目が合った。途端、ぎろりと睨みつけられる。
「遅い!!!」
 言うなりキャリーケースをがらがらと引き摺りながら、ずかずかと部屋に上がりこんで来る。ドアの内鍵を掛けてから、慌ててその背中を追ってリビングに入る。
「いや、遅いと言われても・・・」
「最初の電話から何時間経ってると思ってんだ!どれだけ俺を寒空に放って置く気だよ!風邪引くぞ!」
 相当に怒っている様子のイギリスは、リビングで向き合うなり、ぎゃんぎゃんと喚き出した。
「いやだって、君、カナダにいたはずじゃ・・・」
「会議終わったらすぐ飛行機跳び乗ったよ!悪いか、あぁ!?」
 フランスが言うところの元ヤンを彷彿とさせる形相に、思わずぞっとする。
「わ、悪いなんて一言も言ってないよ!そうじゃなくて、君、英連邦との食事と飲み会は・・・?」
「飯は飛行機ん中で食った。ワインは英国に送ってもらう」
 俺の疑問に対してきっぱりとした口調で簡潔に答える。
「え、でも・・・どうして?」
「お前がわけわかんねぇ態度取るからだろ!?」
 うがぁっと人と思えない唸り声を上げてる。まぁ人じゃないんだけども。えぇと、俺の、態度?それってつまり・・・。
「俺のこと、気にしてくれたの?」
「・・・っべ、別にお前が落ち込んでるとかどうでもいいんだけどな、おお俺がたまたま用事があったから来ただけで・・・」
「用事って?」
「えっと、だからそれは・・・その・・・って、うわぁっ!」
 顔を真っ赤にしてもごもごと口篭るイギリスが、あまりにも可愛くて愛おしくて・・・嬉しくて。感情が爆発して、ぎゅっと抱き締めた。
「おおお前っいきなり、何す・・・は、離せっ!」
「やだよ、君だってわかってて来たくせに」
 照れて腕の中から逃げ出そうともがくイギリスを、力で封じ込める。
「違っ・・・俺はただ、お前が・・・」
「――淋しかったよ、イギリス」
 するりと胸の内が言葉になって出た。イギリスが息を呑む。・・・そうだ。俺はただ、彼と一緒にいられなかったのが、寂しかっただけなんだ。ヒーローとしたことが、情けないけども。母親に留守番を頼まれた子供みたいな心細さを感じるなんて、何百年も生きてるのにみっともないけども。
 俺の心情の吐露を聞いて、彼は抵抗を止めて躊躇いがちに俺の背中に手を回す。きゅっと俺を受け入れる仕草に、先程までブリザードが吹き荒れていた俺の胸の中がほわっと温かくなるのを感じる。
「イギリス・・・来てくれて、ありがとう」
 素直に感謝の意を述べると。彼は益々照れて、「甘えん坊のガキめ」と悪態を吐いた。


 ひとしきり抱き合ってお互いの熱を交換して。どちらからともなくキスをした。俺の身体は素直に熱を持ち始めたのだけど、彼は皺になるから待てと言って俺をあっさり押しやって。着ていたコートやらスーツの上着やらをハンガーに掛け始めた。仕方なく俺は彼の為にビールをキッチンから取って来て、ソファの前のテーブルに置いてあげる。そこに腰を下ろし、その横に俺も座ったところで、彼は実に不愉快な事を言い出した。
「で、だ。何をお前はそんなにしょぼくれてたんだ」
「・・・失礼なこと言わないでくれよ。誰もしょぼくれてなんかいないよっ!」
「そうかよ」
 言いながら彼は手を伸ばして来て、俺の目元にそっと指先を這わす。
「・・・涙の痕」
 くくっと苦笑しながら指摘された。泣いていた事がバレて、かぁっと顔が熱くなる。慌てて袖で目元をごしごしと擦ると。
「こら、止めろって。怪我する。もう乾いてるから擦ったって消えねぇよ」
 そう言って俺の手を掴んだ。何もかも見透かされてる気がして急に恥ずかしくなって、ぷいっと顔を背けた。
「何で泣いてたんだ?」
「・・・・・・」
「俺、何か気に障ること、したか?」
「そんなんじゃ、ないよ。ただ・・・」
「ただ?」
 あの時彼の腕を振り払ってしまったから、イギリスは自分のせいで俺が傷ついたと思ってるのだろう。ネガティブな彼に誤解させちゃいけない。本当のことを言わなきゃ。だけどそれはぐちゃぐちゃでみっともない、ドス黒い嫉妬の塊だ。それを曝け出すのも嫌だ。きつく唇を噛み締めていると、そっと彼の指が俺の唇に触れた。
「なんだよ、アメリカ。言えよ」
 誤魔化しを許さない、強い光を湛えた翠の双眸に間近で見据えられて、仕方なく観念する。ふぅっと息を一つ吐いて、真っ直ぐ彼の顔を見ながら尋ねる。
「どうして・・・どうして、ニュージーランドだけ、君を兄と呼べるんだい?」
 すると彼は、すっと目を眇めて俺の顔をまじまじと見つめたかと思うと、はぁぁぁっと深い溜息を吐いた。
「やっぱり、か」
「やっぱりって?」
「その質問して来たの、お前だけじゃねぇんだ。カナダも、昔にな」
「カナダも?」
「・・・呼び方なんかどうでも良いと思ってた、俺が悪いんだろうな」
 頭をぽりぽり掻きながら、彼はソファの背もたれに身体を預けた。昔話を語るように視線を遠くに投げて、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
「俺はさ、お前に会うまで周りにいたのがスコ兄とかワイン野郎とか・・・兄貴分ばっかでさ。弟欲しいなーってずっと思ってたんだ。けどさ、いざお前に・・・その、呼ばれてみたら、なんかすげぇ気恥ずかしくなっちまって・・・」
 あの時の事を思い出しているのだろうか・・・俺が、彼に「お兄ちゃんと呼ぶね」と言った、あの時を。そしてその後、彼は拒んだ――。
「深い意味はなかったんだ。ただ、兄さんとか兄ちゃんとかはさ、照れ臭いからイギリスでいいって言ってしまったんだ」
 こちらを向いてふわりと微笑む。「それだけだ」と。
「でも、それじゃニュージーランドだけに兄と呼ばせるのはどうして?」
「呼ばせてる訳じゃねぇ。あいつにもイギリスでいいって言ってある。それこそ何っっ回もな。けど、あいつな・・・」
 ニュージーランドの顔を思い浮かべているのか、目を半眼に据えて虚空をじっと睨む。そして、がっくりと項垂れて、小さな声で「忘れっぽいんだ」と零した。
「・・・へ?」
「俺の言うこと、右から左に抜けちまう。大らかっつーか天然っつーか、どうでも良いことは覚えてるくせにな」
 深い深い溜息と共に語られる言葉。え、忘れっぽい?それってつまり・・・。
「イギリスって呼ぶように言われたのを、忘れちゃうの?」
「そーいうことだ」
 はぁっとまた溜息を吐く。そんなに溜息ばかり吐いてたら幸せが逃げるよ。でも、それだけ彼の物忘れに苦労して来たのか。
「・・・つくづく英連邦に対する君の影響力の大きさときたら、閉口するよ」
「どーいう意味だよ」
 じろりと睨み上げてくる顔に、ひょいっと肩を竦めて言ってやる。君は気付いてないみたいだから。
「そのまんまだよ。忘れっぽいなんて、君譲りじゃないか」
「俺は忘れてるんじゃねぇ!そこに置いて来てるだけだっ!」
「遭難した先でせっかく見つけたランプを置いて来る目的はなんだい?」
「ううううるせぇっ!昔のことを蒸し返すんじゃねぇ!!」
 真っ赤になって唾を飛ばしてくる彼の顔を、止めてくれよと押し返すと。ふんっと鼻を鳴らして腕組しながら偉そうに座り直した。
「とにかく、別にあいつが特別とかそういうんじゃねぇからな」
「え」
「どうせくだんねぇ事考えてたんだろ」
「くだらないとか言わないでくれよ、失敬だな君は」
 呆れたような表情を浮かべるイギリスを、ぎっと睨みつける。これでも真剣に悩んで苦しかったんだぞ。――もちろんそれが、単なる俺の我儘だってのも承知の上だ。俺はただ、家族の輪に囲まれた君を・・・外から見てるのが、辛かったんだ。


 家族である事を捨てたのは俺の方だ。それなのに家族として傍にいる彼等に嫉妬した。そんな自分も嫌だった。俺は、恋人なのに・・・そんな余裕もないなんて。だけどさ、恋人って家族以上の、特別な存在じゃないのか?誰よりも愛してるって事だろ?それなのにどうしてこんなに疎外感を感じなきゃならないんだい?俺はただ、君の特別な存在でいたいだけなのに。
「なんだか納得いかなかっただけだよ」
 ぶーっと口を尖らせて拗ねていると、「お前は昔から欲張りだよな」と笑われた。くそ、余裕ぶっててムカつく。
「要するにお前は俺と家族なのが嫌なくせに、英連邦の連中が羨ましかった訳か」
「そうだよ!欲張りで悪かったね!!」
 そこまではっきりずばっと言われるなら、いっそ開き直ってやる。どうせガキだなんだと言って笑うんだろ?いいさ、好きなように笑えよ!その代わり後でたっぷり身体に仕返ししてやるんだからな!覚悟してろよっ!
「そんなに家族が嫌か?」
「君にまた弟扱いされるのは死んでも御免だよ!」
 ぎりっと睨みつけて言い放つと、流石に少し傷ついたような顔をした。でもその顔にほだされたりしない。本当に弟に戻りたくはないんだ、お互い辛い思いをしてやっと手に入れたのに。
「んじゃ親子は?」
「・・・・・・っ!?冗談じゃないよ!!」
 ただでさえフランスにマザーファッカーなんて揶揄されてムカついてるのに、事実にするつもりは毛頭ない。
「家族の形って、もう一つあるよな?」
「?」
「それじゃ、ダメか?」
「もう一つって・・・」
 それって・・・。ごくりと唾を飲み込む。彼は頬をピンク色に染めて俯いている。その肩にそっと手を置くと、びくっと身体を震わせて益々深く俯いてしまった。そのせいで彼の表情は窺い知れない。
 でもこの流れはあれだよね?間違いないよね?プロポーズ、そんな単語が脳裏に閃いて消えない。俺がしようと思っていたのに、とか女役でも結局は男なんだな、とかそもそも何で急にこんな話になってるんだっけ、などと思考が纏まらない。
 うん、今俺素晴らしくパニクってる。だってこんな展開想像もしてなかった。今のこの恋人関係だって、ざっと300年の片想いの末、やっとの思いで掴んだんだ。もう十分幸せなのに、そこから・・・まさか先に進めるだなんて、夢みたいだ。あれ、夢じゃないよね?夢かも?有りがちな不安に陥って頬をギュッと抓ってみる。うん、なんとなく痛い。大丈夫、現実だ。それじゃやっぱり・・・期待に満ちて鼓動が高鳴る。
 いやでも待って、相手は超がつく鈍感のフラグクラッシャーだ。これまで俺の再三に渡る告白や誘いを、木っ端みじんに砕いて来た。その彼がプロポーズなんてするか?しないよね。実は爺と孫とか、そーゆーのかも。なんか段々テンションが低くなって来た。疑念はぽろりと口から零れる。
「・・・それって、何?」
「ばっ・・・お前、わかるだろ!?」
 彼はぎょっとして真っ赤な顔で俺を振り見る。
「うん、わかるようなわからないような・・・」
「なんでだよっもう一つって言ったらアレしかないだろ!?」
「そうなんだけど・・・君の口から聞きたいな」
 勘違いだったりしたら、絶対立ち直れない。ここはきちんとイギリスに言ってもらおう。そう思って、にっこり笑いながらおねだりすると。彼は口をパクパクさせて身体を戦慄かせた。
「・・・・・・っ!だ、から・・・そのっ」
「うん、何?」
「は・・・は、ひ・・・ふ、Foster、とか?」
「・・・成る程ね。そういえば俺のミドルネームにそれ付けたの君だったね」
 Foster、意味は実子でない子供を実子のように養育する。そうだね、確かにそれも家族の形かもね。舞い上がっていたテンションが一気に急降下して地面に叩き付けられてしまった。うん、それでこそイギリスだ。俺はそんな君が好きだよ・・・なんて嘘。ちょっと強がってみたけど無理。どうしてそんなに残酷なのかな君は・・・。もう泣きたい。がっくりと項垂れる。
「ばかっ!真に受けんじゃねぇっ」
 イギリスがあわあわと俺の身体を揺さぶる。あー今俺魂抜けちゃってるかもー・・・。あはははは・・・。天井を眺めながら心は血の涙を流してる。でも大丈夫、明日にはきっと今の恋人関係で満足って思えるから。ちょっと先走ってしまっただけ。今夜は優しくできないかもしれないけど、それ位は許してね。呆然と遠い目をしていると。
「おいっアメリカ!だから違うって!その、俺が言いたいのは・・・」
 涙目になって必死に訴えて来る。なんだい?これ以上期待なんかしないよ。どうせ俺は君にとって・・・。
「は、伴侶・・・って意味、で・・・」
 そう伴侶、君にとってはその程度・・・。
 ・・・・・・。
 ・・・え?


 ゆるゆると目を見開く。信じられない思いでイギリスの顔を見ると、彼は上気した顔に瞳を潤ませて、じっと睨むように俺を見つめていた。
「え、今・・・君、なんて・・・?」
「い、嫌とか言うなよっ!?べ、別にお前の為じゃなくて俺が・・・っ」
「ほんとに・・・?」
「んな事で嘘なんかつかねぇよ!」
 今度こそ夢なんじゃないかと思う。力の限り頬を抓るとめちゃくちゃ痛くて涙が出た。・・・夢じゃない。本当に?本当に?繰り返し尋ねると、イギリスは赤い顔でこくこくと頷く。じわじわと喜びが胸いっぱいに広がっていき、自分の頬が緩むのがわかる。
「イギリス・・・嬉しい、嬉しいよっ!」
 無我夢中で彼に抱きついて、この喜びを伝えようとぎゅうぎゅう締め付けると。
「だぁぁっ痛ぇっ!抱き潰す気かっ!離せばかぁっ!」
 ムードもへったくれもない声で抗議されてしまった。仕方なく少しだけ力を緩めて、それでも抱き締めることは止めずに、彼の耳元に囁きかける。
「・・・そうだね、それも家族の形だよね。嬉しいよ、イギリス・・・」
 彼はぴくんと震えて、「くすぐってぇ」と文句を言いながらも、俺の背に手を回して応えてくれた。
「国同士だからさ、おおっぴらにどうこうはできねぇし、変な事して経済的にヤバいのかとか疑われてもまずいし。けどさ、気持ちはそのつもりで・・・さ」
「うん、十分だよ・・・ありがとう」
 そっと身体を離して手に手を重ねたら、彼は指を絡めてきた。翠の瞳を見つめると、彼も俺を真っ直ぐ見返してくる。やさしく微笑むと・・・なんだよと睨んできた。
「愛してるよ、イギリス・・・」
 そう言うと、微かにこくんと頷く。その照れ屋で素直じゃなくて意地っ張りな愛しい人に、永遠の愛を誓って、唇を重ねた。






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