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Alfred


「アルフレッド!!」
 バタンと激しい音を立てて玄関のドアが開かれ、次いでドタドタと廊下を走る足音が響いた後、リビングに姿を現したのはイギリスだった。此処まで走って来たのか、ぜぇはぁと荒い息を吐き血相を変えた様子に、何事か異常があったのだと悟る。そして彼が一人で戻って来たことに嫌な予感がぶわりと胸に広がり、鼓動が早鐘を打つようにドクドクと高鳴る。
「イギリス・・・アーサーは?探しに行ったんだろう?」
 不安を抑えきれず掠れた声で尋ねれば、彼はきつく唇を噛み締めて「悪ぃ」と謝った。ただの一言が俺の胸を刺す。カタカタと自分の身体が震えているのがわかる。
「どうして謝るんだい・・・?アーサーは見つからなかったのかい?まったく彼ときたら勝手に出て行って、何処かで食事でもして――」
「悪い、アル。俺のせいで・・・アーサーは悪魔に捕まった」
 どうにか最悪の事態を避けようとする俺の言葉を遮って、イギリスは受け入れ難いことを告げた。ひくりと喉が震える。呼吸が止まり視界が暗転して、気がつけばアメリカの腕に支えられていた。
「大丈夫かい?アル」
 心配そうに見下ろすアメリカには何も答えず、沈痛な面持ちで傍に佇むイギリスをぼんやりと見上げる。
「どういうことだい?イギリス、彼の身に・・・何があったんだい?」
 責めるように睨みつけて詰問すれば、イギリスはぎゅっと拳を固めてもう一度謝罪を述べてから説明してくれた。アーサーを見つけたこと。黒髪緑眼の悪魔に襲われたこと。魔力で拘束されて無抵抗なアーサーはその悪魔に嬲られたこと。そして意識を失ったところを連れ去られたこと。
「アントーニョ・・・」
 声変わり前の子供の声で出せる限界の低い声で唸るようにその名を呟けば、イギリスは「アーサーも確かそう呼んでいた」と言う。間違い無いだろう、俺とアーサーを狙うとすれば彼しかいない。俺の兄弟を産み育て、魔王の座を巡って対立する淫魔。
 後悔の念が身の内から溢れ出す。どうしてあの時アーサーから離れてしまったのだろう、俺が傍にいて護らなきゃいけなかったのに。
 魔力を失い彼と俺のオーラが消えたことはすぐに魔界に伝わっただろう。そして結晶を身の内に宿す彼が狙われるのはわかっていたはずなのに。ほんの些細な喧嘩が気まずくて離れてしまった・・・その隙をアントーニョが見逃すはずがなかったんだ。
 今すぐ魔界に戻って彼を取り戻さなければ。きっと心細くて泣いているに違いない――早く助けてあげなければ。ぎゅっと拳を固めて決然とイギリスの瞳を捉える。
「イギリス、今すぐ俺の身体を元に戻してくれ」
 半ば睨むようにして言えば、彼は少しだけ目を瞠ってすぐさま首肯した。
「わかった、・・・いくぞ、ほ・あ・た☆」
 再び彼の手に星のステッキが握られ、呪文の詠唱が始まる。シャラララランと可愛い音が鳴ったと思ったら、昨日と同じようにぼふんっと何かが大きく爆ぜ、白煙の中で俺の身体は緩やかに変化していく。一瞬失った意識を取り戻して目を開けば、俺は元の姿に戻っていた。


「・・・っと、うわ!!」
 突然伸びた自分の手足の感覚に馴染めず、身体のバランスを失ってその場に崩れ落ちてしまう。床に蹲ってなんとか手足を動かそうともがいていると、聞き覚えのある明るい鼻に掛かった声が頭上に降ってきた。
「へぇーデカいのが並ぶと見事にそっくりだな」
 見上げれば、ひょこっとイギリスの後ろから見知った顔が出てきた。
 それは俺達の敵とも言う存在で、自らを聖なる存在と詭弁を弄し、悪魔を蔑み殲滅することを目論んでいる・・・天使だ。けれど、目の前にいる彼はどういう訳かやけに馴れ馴れしく肩を組んできたり、人生相談請け負うよと胡散臭い言葉を掛けて来る。考えてることがまったく理解できない、むしろ何も考えていないのかもしれないけど、単純に敵意を向けてくる他の天使とは違う分、余計に扱い難い相手だ。
「フランシス!?君こんな所で何してるんだい!」
「・・・は?誰?」
 牽制の意味も込めて思い切り顔を顰めて睨み上げれば、彼はきょとんと目を瞬かせて首を傾げた。
「あぁ、こいつは違うんだ。フランスと言って俺たちの同類だ」
 発言が噛み合わずに顔を見合わせて困っている俺達の横から、イギリスが肩を竦めながら訂正する。
 フランス?フランシスとは違うのか。良く見れば真白な羽根がない。頭上に戴く金の環もない。鬱陶しい髭面は変わらないけれど、纏う空気が確かに違う。
「え、何、どゆこと?もしかしてお兄さんにそっくりな悪魔もいる訳?」
「いや、フランシスは天使だよ」
 俺が言えば場の空気がぴしっと凍った。
「はぁっ!!?フランスに似た天使!?世も末だね!!」
「ちょっ、アメリカそれ酷くない!?お兄さんに似た天使だなんて麗しいじゃない!こう・・・お兄さんの美しい顔を見ながら皆祈りを捧げる訳でしょ?お兄さんは慈愛に満ちた瞳で罪を赦す訳でしょ?いやんぴったりー・・・ぐほっ!!」
「黙れクソ髭!!てめぇのムカつく顔見ながら誰が祈るってんだよ!!祈ったって効果の程も知れるわ!どうせ面倒くさいだのぐちゃぐちゃ言ってスト起こすんだろ!?有り得ねぇよ!!」
 クネクネとしなを作って悦に浸るフランスの横っ面に思い切り拳を叩き込んだ上、倒れた身体をげしげしと容赦無く踏みつけながらイギリスが叫ぶ。その内容に思わず納得してしまった。
「顔だけじゃなくて中身の残念さもそっくりなんだね。イギリスの言う通り、フランシスは今行方知れずだ」
「は!?」
「ほら見ろ!!」
「ジーザス」
 あんぐりと口を開けたまま固まったフランスを相手にイギリスとアメリカが冷たい視線を投げる。
「待て待て待て!!行方知れずってのは別にストライキとは限らねぇだろ!?仕事が忙しくて外に出れな・・・」
「フランシスのことはどうでもいいよ。俺はもう行くね」
 納得できないとあれこれ捲し立てるフランスの声を遮って言うなり踵を返せば、イギリスが慌てて俺の腕を掴んで引き止めた。
「アル・・・その、本当に、すまなかったな」
 申し訳なさそうに顔を歪ませて俯いてるイギリスに、俺も「悪かったよ」と謝る。まぁ一番悪いのは俺の言うことを聞かずに人間界に来たアーサーだけどね!
「じゃあまたね」
 そう言って、俺は自らが生み出した闇の中へと身体を滑り込ませる。どろりとした次元の狭間を潜り抜け、魔界の空へと身を翻した。


 目指すはアントーニョの屋敷。一直線に向かい、真下に見下ろす。アーサーの気配は窺えないけれど、間違い無いだろう。もしいないとしてもアントーニョへの牽制にはなる。というかとにかく一発ぶち込まないと腹立ちが収まらない。猛烈な破壊衝動が身の内に渦巻いていて気が狂いそうだ。アーサーを拐ったあのくそ悪魔をぶん殴りたいぶっ殺したい、手始めに全部ぶっ壊す。
 両の手にぶおんぶおんと唸る雷光を生み出しこれでもかというくらいに凝縮させ、制御もできない程に暴れさせると頭上で一つに纏め、一気に振り下ろす。
 ぴしゃ―――ん、ずががががっ!!
 怒りに任せて放った電撃は、見事なまでに宙を切り裂き迸る。視界を灼く白光と共に轟音が大気にうねり、アントーニョの屋敷は木っ端微塵に吹き飛んだ。
 ふう、ちょっとすっきりしたんだぞ。
 爽やかな汗を拭って深呼吸をした後、気を取り直して屋敷の跡を見下ろす。そこには結界に包まれながらも僅かに傷を負ったロヴィーノとアントーニョ、そして檻に入れられたアーサーの姿があった。
 彼等の傍に降り立つと、呆気に取られたアントーニョのバカ面をぎろりと睨みつけ、水の檻の中のアーサーへと視線を向ける。アーサーは未だ子供の姿のままで、アントーニョに暴行でもされたのか青白い顔でぐったりとしている。その姿に再び怒りが身の内に荒れ狂う。
「よくもアーサーを傷付けてくれたね・・・彼が受けた痛み、何倍にもして返してあげるよ」
 獰猛な獣が威嚇するように静かに低い声で報復を宣言すると、アントーニョはきょとんと目を瞠った。自分がやらかしたことがどれ程重い罪かわかっていないらしい、まったく腹立たしい。
「無力な子供相手に暴行を加えるなんて、いくらなんでも卑怯じゃないかい?気絶するまで暴力を振るうだなんて、それが仮にも魔王の子を生み育てた者のすることかい?」
「へ?何言うてんのや、これは自分がしたんやないか」
「この期に及んで言い訳?みっともな・・・」
「ちゃうちゃう、俺らは何もしてへんよ、邪魔されんように単に檻の中に囲っとっただけや。やのに自分が電撃なんかぶちかますから水の中に居たこいつは感電したんやないか」
「か、んでん・・・?」
「そや。つうかアーサーいるかもしれへんのによーまーあんな攻撃できたなぁ、巻き添えなるとは思わんかったんかい。変なとこで抜けとるよなー自分」
 ケタケタと笑うアントーニョの言葉を何度も頭の中で反芻して意味を噛み砕く。そして、サーッと青ざめた。もしかして、俺の放った電撃のせい・・・?
 ・・・・・・。
 いやいやいや、そもそもアーサーを拐ったアントーニョが悪い。彼を水の檻に入れたりするのが悪い。俺は彼を助けに来たんだ、助けに来ることくらいわかっていたはずなんだ。俺の得意攻撃が電撃だということを彼等だって知っているはずなんだ。その上で水の檻を選択したのであれば、それはアントーニョの罪だ。そうだ、彼が悪い。
「とにかく君の犯した罪は重いぞ!!その身でもって贖うんだ、消えてもらうよ!!」
「へぇ?せやけど俺らおらんと自分困るんちゃう?」
「うるさい!!」
 光球を掌に生み出し、アントーニョに向けて放つ。けれどそれはロヴィーノの結界に阻まれて光を散らして消滅した。再び光球を作って立て続けに放つけど同じことの繰り返しだ。苛立ちが募ってちっと舌打ちをする。
 ロヴィーノに対して別に遺恨はないけども、邪魔立てするなら容赦しない。重心を落として片手を地に付け、もう一度光球を放つと同時に彼等の足元へ魔力を送り込む。唐突に地が裂け牙を剥いたことに驚いたロヴィーノの隙をついて結界をぶち壊すと、即座に走り込んで距離を縮める。慌てて体勢を整えようとするのを許さずアントーニョの頭部を蹴り上げた。
「うぉっ!」
 彼の唸り声と共にチリっと皮膚が裂ける音がする。めり込んで重みを感じる筈が、蹴りは僅かに逸らされたらしくこめかみの辺りを掠めて宙を薙いだ。再び蹴り込もうとするがアントーニョはくるりと反転して逃げる。・・・逃がすものか、ボコボコにしてギッタギタに切り裂いてやらなきゃ気が済まない。 
 ひゅんと小気味良い音を立てながら集めた空気中の粒子を無数の刃に変えて、アントーニョの目に向けて放つ。逃げようとした先にも回り込むように放つ。
 逃げ場を失い、両腕で顔を覆い急所への被害を防ごうと身を屈めた彼の左肩に重い蹴りを入れると、ぼきっと鈍い音が響いた。構わず鳩尾を鋭く拳で抉れば、アントーニョは息を詰めて立ち竦んだ。その首筋に止めとばかりに回し蹴りを叩き込むと、衝撃のままに前方へ吹っ飛んだ。


 呻きながらのたうち回るアントーニョの身体を乱暴に転がし、逃げられないよう右手の甲を靴で踏みつけ見下ろせば、その顔色は蒼白で苦痛と恐怖に歪んでいた。緑の瞳に映る俺の顔は、心が凍るような冷たく怒りに満ちた嗤いを浮かべている。
「ちょ、ちょお待ちや、自分勘違いしてるんや!俺はガキの姿で彷徨いてたアーサーを保護したっただけやで!?」
「・・・そんな嘘を」
「嘘ちゃうて、俺ほんまはお前らと仲良うしたいんや。せっかく魔王様から同じモン貰うてガキこさえたんや。仲間やないか、協力した方がええやろ!?」
 髪を振り乱しながら必死な形相で切々と語るアントーニョに、ひっそりと溜息を漏らして大袈裟に肩を竦める。
「どうかなぁ?君みたいなのと協力とか虫唾が走るんだけど」
「そない冷たいこと言わんといて!俺がロヴィ魔王にせんと、いつまで経っても自分は想い遂げられへんのやろ?手ぇ組んだ方が都合ええやないか!」
「・・・それじゃ、君はアーサーを害する気はこれっぽっちもなかったと言うんだね?」
「せや、ガキの姿で人間界迷子なっとったから連れて帰ったんや。親分はガキには優しいんやで?知っとるやろ?」
 ふふんと鼻息荒くニッと笑った顔を、ロヴィーノが胡乱気に眺めているのを視界の片隅に映して、もう一度深く溜息を零す。そうしてからおもむろにアントーニョの右手を踏んでいる足に体重をかけ、ぐりぐりと踵で踏みつけながら突き放すように詰問する。
「じゃあなんで檻に入れてるんだい?仲良くおままごとでもしていれば良かったじゃないか」
「ちょっ、アル、痛いやんかっ!!おままごと!?凶悪くそ眉毛と!?ないわー身の毛よだつわーむしろちびで抵抗できんうちにナイフで切り刻んで料理したな、る・・・」
「へ―――え?」
「ばか・・・」
 ぎゃんぎゃんと喚く声はにっこりと笑う俺の顔を見るうちに少しずつ小さくなって、最後は口の中に消えていった。代わりにロヴィーノの呆れたような呟きが風に乗って届く。
「ちゃう!ちゃうて、冗談やて!!いだだだだっ!!折れる!骨砕けてまう!!ちょぉロヴィ助けてー!!」
 踏み潰すつもりで捻りながら全体重をかけようとした瞬間、ぐいっと後ろから腕を掴まれて思わずたたらを踏んだ。振り返れば案の定アントーニョの悲鳴に喚ばれたロヴィーノがいた。
「もう止めてやってくれ」
「邪魔立てするなら君にも容赦しないよ?ロヴィ」
 鋭く射殺すように睨みつけるとびくりと怯えて震えた。けれど俺を止めようと掴んだ手の力を緩めることはなく、ふるふると首を横に振って「頼む」と呟く。
「このバカはマジ最低な野郎だ。えげつないし卑怯だしペドだし変態だし空気読めないし自分勝手で我儘で自己中でどうしようもねぇバカヤロウだ」
「ちょ、ロヴィ、ひどっ!!親分傷つくわー!!」
「ああやってすぐわざとらしく泣くし笑うとうざいしキレると面倒だし、マジ最悪なんだけどさ。こんなんでも一応俺の大事な奴なんだ」
 ロヴィーノは仕方ないとでも言うように肩を竦めてさらりと言い放った。口調はぶっきらぼうな癖に、俺を真っ直ぐ見据えるその双眸には真摯な光が宿っている。それは、俺がアーサーを想う時と同じ顔だ。
「今回は何時になく暴走しちまって悪かった。もう二度とこんな真似させねぇから勘弁してやってくれ。アーサーは解放する」
「・・・わかった、今回は君に免じて許してあげる。けど次は命がないと思ってくれよ」
 低い声で脅すように、けれど彼が求める放免を約束すれば、ロヴィーノは安心したように大きく息を吐き強張った身体から力を抜いて、ようやく俺の腕を離した。余程怒りに燃えた俺が怖かったのか、少しばかり放心状態だったロヴィーノは、端と何かを思い出したかのように顔を上げて付け加えた。
「あと、俺は魔王になる気はないからな。お前がなれよ、アル」
「ロヴィ!?」
 魔王の座を放棄する言葉を聞いてアントーニョが不満気な声で叫ぶ。途端にロヴィーノはぎっとそちらを向いて吠えた。
「ならねぇっつってんだろ!?しつこいんだよてめぇはよ!!これ以上ぐだぐだ抜かすならてめぇのケツの穴貫通させんぞ、あぁ!?」
 ビクッとアントーニョが金縛りにあったかのように固まって瞠目する。俺も、思わず固まった。
「まだ何か文句あんなら――潰すぞ」
 何を、とは言わない。けど聞けない。怖すぎる。
 いつもマイペースでのんびりだらだら、俺やアーサーに睨まれたらぶるぶる震えて怯えるようなロヴィーノに、こんな何者をも従えるような凄みがあったなんて。彼の纏う圧倒的な空気に、俺とアントーニョは完全に飲まれてしまった。
「でだ、そもそもなんでお前は魔王なるのを嫌がるんだ?お前なら素質あると思うけどな」
 くるんと向き直ったロヴィーノはいつものちょっと怠惰な表情に戻っていて、内心ほっとした。知らず浮かべていた冷や汗をさり気なく拭いながら、笑いを無理矢理浮かべて応える。
「俺だって魔王の器だと思うよ。けど魔王になる為の儀式をすれば・・・アーサーは意思のない人形になっちゃうだろ?そんなの、俺・・・」
「――前から思ってたんだけどさ、それ、何のことだ?」
「え?」
「ロヴィ!!言っちゃあかん!それは――」
 ロヴィーノが首を傾げて不可解なことを漏らした。意味が掴めず俺が聞き返すのにアントーニョの制止の声が重なって。
「人形になんかならねぇぞ?」
 あっさりと、俺の呪縛を解き放つ言葉を、ロヴィーノは口にした。


「・・・は?え、・・・うん?」
 笑みを貼り付かせたまま首を傾げて尋ねれば、ロヴィーノも不思議そうな顔をして首を傾げた。
「魔王になったら淫魔を人形にできるかって話だろ?なんねぇよ、単に主従契約結ぶだけだ」
「・・・けどっ、彼が言ったんだ!俺の望む儘に動く手駒になるって!」
「そりゃあいつの覚悟じゃねぇの?」
「けどアントーニョだって・・・っ!」
「――そりゃお前、丸め込まれたんだ」
 呆れと憐憫の眼差しを俺に向けて、ロヴィーノはふぅと溜息を零した。俺は言葉もなく瞠目して、ただ立ち尽くした。
 足元がぐらつく。心が冷えてじんじんと痛む。脳が沸騰して何も考えられない。ただロヴィーノの言葉だけがぐるぐると頭の中で繰り返される。人形になることはない?そんな、それじゃ・・・これまでの俺の迷いは、苦悩は、一体なんだったんだ――?
 瞼がじんわり熱くなって涙が浮かんできた、その滲む視界に、よっこらせと起き上がるアントーニョの姿が入った。
「あーあ、バレてもうたかー」
 悪びれなくけろっとした口調で呟く彼を恨みがましく睨んでも、にへらと笑われるだけだ。
 ぷちんと何かが切れた音がした。衝動のまま身体が動く。ロヴィーノの慌てた声が耳を掠めアントーニョの見開かれた緑の瞳が近付く。その顔面に思い切り拳を叩き込んだ。
「・・・今すぐアーサーを出すんだ。いいね?」
 血を流して地に倒れた身体を、眇めた目で見下ろし冷たく言い放つ。「あいたたた」と呻くアントーニョがこくこくと頷いてぱちんと指を弾いた。同時に水の檻は消え失せ、アーサーの身体は重力のままに落ちていく。地面に叩きつけられる前にその稚い身体を腕に抱き留める。
「アル・・・?」
 ゆるりと瞼をあげ目を瞬かせて呟くアーサーの頬を撫で、その身体をぎゅっと握り締める。温もりを味わいながら彼の無事に心の底から安堵して、詰めていた息を漏らした。実際離れていた時間は僅かなのだけど、きょとんと俺を見返す翠の色を懐かしく思う程に、俺はアーサーを失うことを怖れていた。
「ねぇアーサー、早く元の姿に戻ってよ。今すぐ抱きたい」
「・・・え?」
 こみ上げる想いに声が震える。
 ずっとずっと求めていた。彼が欲しくて堪らなかった。けれど望む形にならないと我慢して目を逸らして・・・逸らせなくて、自分でもどうしたらいいのかわからなくなっていた。でも、もう我慢する必要はない、望む儘に求めていいんだ。一刻も早くこの溢れんばかりの想いを伝えたい。そして彼と繋がりたい。
 戸惑うアーサーに微笑みかけて、大切な言葉を紡ぐ。
「抱くよ、俺は君を。そして――」
 けれど。
 すべてを口にする前に空間が弾け、俺達は怖ろしい程に眩い白光に覆われた。


 世界が純白の真綿に包まれる。
 ゆらゆらと溶けて混ざり合って、そうしてまた泡になって浮かび上がり形になる。
 清冽な光が視界だけでなく脳の中にも及び、思考を灼き尽くしながらそっとやさしく撫でていった。
 煌々とした灯りに照らされ、皆茫然と空を見上げている。
 天が攻めて来たのかと思った。けれどこれは違う、圧倒的な魔の力。
 白魔の力に支えられて魔界の崩壊は止まり、新たに構築されていく。
 すべてのものが穏やかに包み込まれながら傲慢に作り替えられる・・・偉大な存在によって。
 ――新たな魔王が、誕生した。


 ピンポンパンポーン。
 唐突に、厳かな静寂を壊すような底抜けに明るいアナウンス音が魔界中に鳴り響く。続いて聞こえてきたのは現魔王の淫魔、エリザベータの声だ。
「魔王様からの呼び出しです。ロヴィーノ、アルフレッド、アントーニョ、アーサー、4名は至急城に来なさい。以上でーす」
 ピンポンパンポーン。
 再び訪れた微妙な静けさの中、俺達は顔を見合わせる。状況がうまく掴めないけれど、俺でなくロヴィーノでもない何者かが魔王となったことだけは確かだ。現魔王からの呼び出しとは、恐らく事の顛末を説明するつもりなのだろう。
「ちっ・・・あの魔王、喰えへんやっちゃ。ロヴィとアル以外にもガキこさえてたんかい」
「三人目の候補者がいたってことかい・・・」
「そういうこっちゃな。・・・これが次期魔王の力かい。けったいな力やな」
 アントーニョが盛大に顔を顰める。彼の言葉に素直に同意はしたくないけれど、俺も思う処は同じだ。
 白魔の力は傍若無人に俺自身の根幹を破壊した癖に、遠慮がちに癒して元の姿に戻した。結果、俺の身体は精気が漲っているし、ボロボロにしたはずのアントーニョはケロッとした顔で胡座を掻いている。そして、子供に変えられていたアーサーは元の姿に戻り放心状態で立ち尽くしている。
「アーサー?」
「・・・アル、これは一体」
「うん、新しい魔王が誕生したみたいだね」
「みたいって・・・お前、じゃないのか・・・?」
 驚愕に見開かれた翠の瞳がふるりと揺れて失望と哀しみに染まっていく。それを見ていたくなくてそっと視線を逸らせば、強い力で掴みかかってきた。俺の腕にしがみついて身体を戦慄かせて・・・ぽろぽろと大きな涙の粒を零す。
「魔王からの呼び出しだよ、行こう。誰が次の魔王なのか、わかる筈だから」
 声を上げずに泣き続けるアーサーの背をやさしく撫ぜて、子供に言い聞かせるように耳元で囁く。彼は頑なにいやいやするように首を振ってその場を動こうとしなかったけど、俺が抱き締めて温もりを分け合っていれば、最後には諦めてこくんと頷いた。
 そうして二人、魔王の城へ向かった。


「そやから、どーゆーことかて聞いてんのや」
「どーもこーもねぇよ、お前が不甲斐ないからこんな事態になっちまったんだろーが」
 城に着くと、先に来ていたアントーニョが魔王に食って掛かっていた。ロヴィーノは他人事のようにエリザベータと仲良くお茶を飲んでいる。うんざりした顔の魔王は、ふと俺達二人に目を留めるとあっさり手招きした。
「アルとアーサーも来たな。全員揃ったところでちゃんと説明してやっから、耳の穴かっぽじって俺様の言葉よーく聞きやがれ」
 ふふんと鼻息荒く尊大に笑うと、魔王ギルベルトは仁王立ちになって俺達4人の顔を見回した。
「お前らも気付いたと思うが、次期魔王が誕生した」
 そう言ってギルベルトはぱちんと指を鳴らす。するとエリザベータがはいはいと言いながら立ち上がって別室へと向かう。連れ立って入って来たのは二人、白い羽根を背に負う者。但し、片方の羽根は純白の羽毛に覆われていて、もう片方の羽根は艶やかな真白の飛膜だ。
 先に入って来た方は顔見知りなのでわかる。ここ一ヶ月程行方が知れなかったフランシスだ。けれど彼の後ろに立つ者は、誰?
 一瞬彼も天使かと思った。でも飛膜の翼は悪魔のもの。彼の頭上には金の環がない・・・角もないけど。先の尖った悪魔の尻尾はある・・・白いけど。纏うオーラは清冽で、けれど間違いなく魔だ。一体なんだ?この存在は――天使なのか悪魔なのか、わからない。
 俺達が戸惑う様に満足したのか、ギルベルトはニヤリと笑って彼を傍に招いた。そして白い悪魔の翼者の肩に手を置いて、宣言した。
「こいつが俺の跡を継ぐ、マシューだ」
「え、えっと・・・マシューです・・・よろしくお願いします」
 おどおどしながらぺこーとお辞儀をしたけれど、正体不明の存在を魔王として崇めるなんてナンセンスだ。認められないと睨みつければ、彼は困ったような顔をして縮こまった。
「そう睨んでやるなよ、仮にもお前らの上に立つ魔王様になるんだぜ?」
「だとするなら彼の身なりはおかしいよね、白い悪魔なんて聞いたことがない。角もないじゃないか」
「せや、どこに魔力あるんや!?魔力ない魔王なんかいらんで!」
 取りなすギルベルトの言葉にはっきりと不満を漏らす。アントーニョも怒気を露わにして文句を垂れた。するとマシューは益々困った風に眉を下げ、身体を丸めてこちらを窺うようにぼそぼそと呟く。耳を澄ませなければ聞き取りにくい程の小さな声だったけど、恐らくは言い訳だ。
「その・・・角はいつもは消えてしまうんです。魔力を行使する時だけ生えてくるんですけど・・・」
「なんやそれ!中途半端やないか。角ない時はどないなんねん?まさか魔力なくなってるのとちゃうやろな!」
「力がなくなってる訳じゃないんですけど・・・えぇと、その・・・」
「うるせぇなぁ・・・ガタガタ言うなよ!俺の采配に文句あんのかよ!?」
「あるからこうして言うてんねんやろが!なんやねん、こいつ!天使か悪魔かようわからんわ!」
 アントーニョの言葉に全員が頷いた。・・・いや、アーサーだけは放心状態のまま、どこか遠くを見ている。その様子が気がかりではあったけれど、まずは目の前の彼だ。この魔界を任せ、俺達を支配するという存在に納得がいかない。
 マシューは益々俯いて小さくなっていき、ギルベルトはぽりぽりと頬を掻いて何事か思案している。そして、とんでもないことを暴露した。
「あー・・・確かにこいつは純粋な悪魔じゃねぇ。天使と悪魔双方の力を継いでいる」
「は!?」
 あまりにも予想外な台詞に、全員呆気にとられて目を瞠った。
「ちょっ・・・なんだい、それ!純粋な悪魔じゃないって、どういうことかい!?」
 つい責める口調になってしまったけれど仕方ないだろう。とてもじゃないけど容認できない言葉だ。俺達に睨まれてギルベルトはバツが悪そうな顔をしていたけれど、最後は開き直ったように鼻を鳴らしてふんぞり返った。
「言っとくけどな、こうなったのは全部お前らのせいだぞ」
「はっ、責任転嫁かい?魔王ともあろう者が?」
「転嫁してんじゃねぇよ、事実だ。お前らがいつまでも争って魔界の勢力を二分しちまった。天が攻めてくる機会を作っちまったんだ」
「・・・え?」
「天界の奴等が付け込む隙をお前らが作っちまったんだよ。・・・悪魔同士で争ってる間に攻めちまおうってな」
「――――っ!」
 苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てられたギルベルトの言葉に、俺達は皆絶句した。だってそんな、魔界の弱体化の原因になっているだなんて、思いもしなかった。
「けど、天使の中にもそろそろ悪魔と戦うことを止めようって連中もいるんだ。フランシスみたいにな」


 ギルベルトが告げた名に、俺達は慌てて彼へと目を向けた。フランシスはテーブルに座ってエリザベータ相手に一生懸命愛の言葉を囁いていた。・・・軽くあしらわれた挙句に手の甲をぎゅうぎゅう抓られ、高いピンヒールで足を踏みつけられていたけれど。
 痛みに顔を顰めていたフランシスは俺達の注目を浴びて軽く肩を竦めた。
「いい加減争ってばかりってのも美しくないからね。お兄さんは別にお前らのこと嫌いじゃないし。けど天界の上層部は今回の魔界のドタバタ劇を千載一遇の好機と見てね、暴走寸前な訳。で、ギルと話し合って俺の力とギルの力を撚り合わせた子供を作ったんだよ。それがマシュー」
 椅子から立ち上がってマシューの肩にぽんと手を置いて微笑むフランシスに、マシューも安心したようににこりと笑った。仲の良い親子のような雰囲気を出す二人に、こちらは返す言葉がない。
 じりじりとした苛立ちに胸を灼かれながら立ち尽くしていれば、諦めの悪いアントーニョが「せやけど」と呟いた。
「その、角が消えるんはどうなんや。角ないちゅーのは魔力あらへんてことやろ?んな時に攻められたらやばいんちゃうか!?」
 確かに魔界の王が魔力を失うなどという事態は死活問題だ。俺とアントーニョが固唾を呑んで返答を待つと、ギルベルトとフランシスは顔を見合わせてから、にこりと微笑んだ。
「問題ないよ、角が消えている時は聖の力を放出しているんだ。今もそれで魔界を支えている。・・・マシューは天魔の子だ。天使の力を併せ持つ子供が魔王となれば、俺達は下手に手を出せない。いい加減他の連中も悪魔殲滅とか夢みたいなこと、諦めると思うよ」
「・・・その、聖の力が魔界に悪い影響を及ぼすことはないのかい?」
「ない。こいつの本質は魔だ。代々受け継がれてきた魔王の力が核になっている。魔界を支えることに不都合はねぇよ。お前らだって普通に息してんだろ?」
「・・・・・・」
「つー訳だ。アントーニョとアーサーの中に入れた結晶は返してもらうぜ。マシューに纏めたら一層強い魔力になる。これで安泰だ、俺もようやく安心して消えられるぜ」
 そう言ってギルベルトは淫魔二人へと手を伸ばした。アーサーは素直に・・・というか諦観して腹から結晶が取り出されるのをぼんやりと眺めていた。
「俺は嫌やっ!これはロヴィの為のもんや!こんなん認められへん!」
 アントーニョは喚きながら暴れたけれど、当のロヴィーノに羽交い絞めにされ、結局複雑そうな表情のギルベルトの手で彼の腹からも結晶が抜き取られた。喪失のショックにアントーニョは崩れ落ちて泣き出した。その頭をぽんぽんと労るようにロヴィーノが撫でる。
「ったく、もうちょっと穏便にできないの?そもそもあんたが二人も子供作るからこんなことになったんでしょうが!なんで二人も作ったのよ、最初から一人にしとけばこの子達だって覚悟決めたでしょうに」
 マシューへと結晶を送り込むギルベルトに向かって、エリザベータが呆れ混じりに呟く。もっともな台詞にギルベルトは「あのなぁ」と頭をがしがし掻きながら応えた。
「魔王っつーのはめちゃくちゃ孤独なんだぜ?一人で全部背負い込まなきゃならねぇんだ。確かに淫魔が下僕になって傍にいるけど、それもお前みたいな暴力女じゃ心底辛い・・・」
「――あ?なんか言ったか?」
「・・・いえ、何も」
 花が咲き誇るような笑顔のエリザベータは、どこからか取り出したフライパン片手に地獄の底から響くような低い声でギルベルトを恫喝した。慌てて視線を逸らして誤魔化すギルベルトを半眼で睨めつけてから、満足したようににこりと微笑んだ。この淫魔は何気に魔王より怖い。
 冷や汗をかいたギルベルトはこそこそとマシューの後ろに逃げ隠れ、彼の肩越しに俺とロヴィーノを指さした。
「マシュー、お前には下僕になる淫魔がいない。むしろあんなのはいない方がいい。嘘ですなんでもありません。――けどな、兄弟がいる。お前と同じ魔王の血を継ぐ奴等だ。いいか、お前は独りじゃない。こいつらに協力してもらって頑張れよ」
「――はい」
 ギルベルトの言葉に姿勢を正しながらマシューはこくんと頷いた。そして俺達の方へと向き直って。
「・・・よろしくね」
 にこりと、彼が纏うオーラと同じ穏やか微笑みを浮かべて、ぺこりと頭を下げた。


 ギルベルトの話が終わり、解散の声が掛かると同時にアーサーは飛び出して行った。もしかすると泣いてるのかも――そう、横目で見ながら俺は少し思案する。そして心に浮かんだ想いを口にした。
 しばらくしてアーサーを探す。たぶん彼がいるのは森の奥の湖の畔だ。魔界にしては透明度の高いあの湖が、彼は好きだった。湖面を見ていると落ち着くのだと。カサカサと草木を踏みしめながら探し回れば、案の定、低木の向こうに深紅の髪が風に靡いているのが見えた。
 ぱきんと折れた枯木を踏んだ音にアーサーは顔を上げ、俺に目を留めると哀しげに顔を歪ませた。
「・・・なんだよ、もう俺に用はないだろ」
「アーサー」
「良かったな、もう俺なんかと関わる必要もなくなった。お前は自由だ」
 掠れた声で辛そうに言いながら、アーサーは無理矢理笑った。その痛々しい姿に心が痛む。
 本当は彼が求めるように魔王になってあげたかった。彼はその為の教育を俺に施したし、注がれた愛情の分、期待に応えたかった。けど俺はアーサーを失うことが怖かったんだ。・・・まさかそれが勘違いだとは思わなかったから。
 もう何もかも手遅れだけど。
「違うよ、アーサー、俺は・・・」
「言うなよ、わかってる。お前は本当は魔王になりたかったんだ。なのに儀式の相手が俺だったから・・・悪かったな、俺を抱くのが嫌で、お前は・・・」
「違うってば!聞いてくれよ、アーサー!俺、勘違いしていたんだよ」
 捲し立てるアーサーの言葉を遮るように声を荒げると、彼は訝しげに俺を見上げてきた。
「勘違い?」
「き、君だって悪いんだからね!?君があんな言い方するから俺は」
「んだよ、意味わかんねぇ。お前は俺が嫌いなんだろ?ならもうどっか行けよ、一人にしてくれ」
 肩を竦めて淡々と呟くと、アーサーは俺から顔を背けて再び静かな湖面へと目を向けた。もう俺は此処にいないものと、意識から排除して。
 ずくんと胸が痛む。アーサーが俺を見てくれない。俺の気持ちわかってくれない。そんなの、嫌だ。
 どうしてだろう?なんで俺の気持ち、伝わらないんだろう?わかってくれないんだろう?こんなに愛してるのに。彼を大切に想っているのに。これまでたっぷり愛を囁いてきた・・・、・・・・・・よね?たぶん。
 ええと。
 好き、と言った覚えはない。
 愛してる、と言った覚えもない。
 大嫌い・・・とは何度か言ったかも。彼が他の人とキスする度に。
 えーと。
 もしかして、今まで「嫌い」としか言ってない?
 いやでもわかるよね?俺の態度から気付くよね?なんでわざわざ人間界に出向いてまで彼の食事を邪魔してるとか、そんなの妬いてるからに決まってるだろ?考えたらわかりそうなものじゃないか。・・・ダメだ、この人ものっすごい鈍感だった。


「嫌い、じゃないよ?」
 ひくりと震える喉から絞りだすように囁けば、アーサーは胡乱げに俺の方を向いた。その瞳を覗くと、澄んだ翠が陽光を受けてキラキラと輝いている。宝石を散りばめたような双眸が綺麗だ。昔から俺は彼のこの瞳が好きだった。
 瞳だけじゃない、深紅の艶やかな髪も、儚げに震える睫毛も、丸い曲線を描く頬も、白磁のような滑らかな肌も、薄いピンク色の唇も・・・ぶっとくて自己主張の激しい眉毛でさえも。全部好き。
 純粋でやさしくて強くて・・・でも本当は脆くて傷つきやすい心も。全部。
「・・・好きだよ」
「・・・・・・あ?」
「好きだよ」
 ありったけの想いをたったひとつの言葉に乗せる。アーサーはゆるゆると目を見開いて、凍りついたように固まってしまった。
「――だって、お前は俺のことが嫌で・・・」
「違うよ、好き、愛してる」
「だって、だってお前・・・俺のこと嫌いだって・・・抱きたくないって・・・」
「だから違うんだってば。勘違いしてただけ。君が主従契約結んだら意思はなくなるとか言うから、そんな、君が人形みたいになるのが俺は嫌だったんだ」
 ふるふると身体を強張らせて信じるものかと首を横に振り続けるアーサーに、何度も何度もやさしく愛を囁く。戸惑いながらもぶわりと翠の双眸に涙が浮かぶのを眺めながら、俺が儀式を、彼を抱くことを拒んだ理由を伝えると、アーサーはきょとんと目を瞬かせた。
「・・・人形?なんだそれ、俺は従属の意思を示しただけだぞ?」
「うん、もうわかってる。ただ、君の言い方が重すぎたんだよ」
 重い忠誠を捧げたアーサー、言葉通りを真に受けた俺。ただそれだけで、随分とバカバカしい茶番劇になったものだ。
「それで、お前は魔王になりそこねたってことか。――はは、バカみてぇ」
「アーサー・・・」
 高らかな声で軽薄に哂い飛ばしてから、アーサーはぎゅっと血が滲む程に唇を噛み締めた。そうして肩をがくりと落として、悲痛な様相で涙をぽろぽろ零した。
「莫迦だ・・・俺・・・」
「・・・ごめんよ、アーサー。でも俺は今の状況も悪くないって思ってる。俺が魔王の座を望んだのは、ただ欲しい場所を手に入れたかっただけだから」
「欲しい場所?」
「うん、見てて」
 目を閉じて一呼吸の後、心から望む。脳裏に想いを描く。すると身体の奥にぽっと熱い何かが宿った。それは一瞬のうちに溢れんばかりに漲り、全身を駆け巡って手のひらに集約される。
 うっそりと目を開けば内側から荒れ狂う熱が光に変じ、手のひらを包んでいる。光は今、と心を決めた瞬間七色の虹となって迸った。次から次へと紡がれ風に乗って空へと舞い上がり、遠く高みを目指す。そして、肉眼で追えない程遙か彼方へと飛んでいった七色の光はぱぁんと弾けて世界を覆った。
 眩い七色の光がシャンシャンという鈴の音と共に降り注ぐ。光は草木に、大地に、生き物に宿るとその色を鮮やかに染めていく。形を変え俺の思いのままに作り変えられる。
 そして目の前に広がったのは透けるような青の空、豊かに広がる大地、明るい陽の光を浴びて輝く湖水。・・・懐かしい故郷の情景。
 アーサーが俺を育てた夢の世界が周囲に広がった。


「此処は・・・」
 茫然と瞳を見開いたアーサーはきょろきょろと辺りを見回す。躊躇いがちに一歩、また一歩と歩を進めては空を、大地を、森を見つめる。さやさやと草木が風に揺れ、湖面は優雅に波紋を描く。美しい緑の森からは小鳥のさえずりが聞こえてくる。その奥にはアーサーと俺が暮らした家も記憶のままに建っている。
「俺が作った世界だよ。俺の欲しかった場所」
「お前が・・・?でも、どうして・・・」
「厳密に言えば此処もマシューの力に拠って成り立ってる。けど魔王の力の一部を俺とロヴィに譲ってもらって、魔界の一部に俺達なりの世界を構築することにしたんだ。今頃ロヴィも彼の世界を作っているはずだよ」
 素敵だろ?と笑えばアーサーは顔をくしゃりと歪ませた。面白い顔。ドッキリ大成功なんだぞ!
「ねぇ、この世界と俺、全部君にあげるから君のすべてを俺に頂戴」
「アル・・・」
「愛してるよ、アーサー。一緒にいたい、ずっと」
 そう言って彼の両の手を取り真っ直ぐ見つめれば、アーサーは顔をみるみる真っ赤に染めて、翠の瞳に涙を浮かべた。いっぱいいっぱいという風に小刻みに震えて、可愛らしくこくんと頷く。
 俺の想い、届いた。通じた。受け容れてもらえた。――嬉しい。
 嬉しい嬉しい嬉しい!!「ひゃっほー」と喜びのままにアーサーに飛び付いたら、「うわ、ばか・・・」と焦った声と共に彼は体勢を崩し、俺達はどさっとその場に倒れこんでしまった。慌てて身体を起こすと、すんと鼻につく青々とした草の香り漂う中、アーサーが俺の下で真っ赤な顔してあわあわと狼狽えている。可愛い、食べちゃいたい。
 ちゅ、と真っ赤に色づいた頬にキスを落とすと、それだけでびくりと肩を震わせる。ほんとに可愛い。ピンク色の耳朶にもキスをして軽く食む。ぺろりと首筋を舐めたらアーサーは切なげに甘い息を漏らした。
「抱くよ、アーサー、俺のものになって。俺を君のものにして。魔王にはもうなれないけど一人の悪魔として、愛して」
 薄い膜を張った翠の瞳を覗きこんで告げる。もう我慢出来ない。余裕がないところを見せるのはカッコ悪くて嫌だけど、ほんとはずっと欲しかったんだ。我慢なら十分にしてきた。だからもう、いいよね?
 熱く固くなった俺の中心を彼の下腹に擦りつけると、怯えたように目を瞠った。今の俺は欲情に滾った眼をしているのだろう。受け身になることへの本能的な恐怖からか、アーサーは微かに震えながら、それでも俺の背に手を回した。
「・・・魔王じゃなくたって、アルはアルだろ。とっくの昔から愛してんだよ、ばかぁっ!」
 可愛くない言葉を紡ぐその唇に、思わずくすっと笑ってから、ゆっくりと自分のそれを重ねた。

 君はあの夢の世界で俺を育んだ。
 今度はこの世界で二人の愛を育もう。




 おわり




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