France


 どうしたもんかな・・・。廊下の壁に背中を預け、顎を人差し指で軽く掻きながら、心の中で一人ごちる。街のバーでのんびり飲んだ後、別荘に戻ってみたらリビングにまだ明かりがついていて。どうせイギリスとアメリカがまだ飲んでいるのだろうと思い、参戦しようとドアノブに手を掛けたところで・・・見たくもないド修羅場に遭遇してしまった。
 何やってんだか、あいつら。お子様はどーしようもないねぇ。呆れ半分で溜息を漏らしつつ天を仰ぐ。アメリカの気持ちは昔からわかってた。本人はひたすら目を背けていたようだけど、結局認めたか。対するイギリスの気持ちも・・・わかってる。素直じゃないからひた隠しにしてるし、余計な事も考えていそうだけど、たぶん間違いないだろう。なのに、だからこそ、どうしてこーなっちゃうのかねぇ。冷静な第三者の目で見ると、哀れでしかない顛末。
 とうとう泥沼にはまり込んだらしく、二人して無言で泣いている。もう二人では事態の膠着を打開できないだろう。誰かが状況を掬い上げて解放してやらなければ。とは言え誰か、と言ってもここには俺しかいないし、自分にはそれが出来る自負もある。――面倒くさい事この上ないが。思い切り息を吸った後重い重い溜息に変えて。背を壁から離すと、ドアの前に立った。


 カタンと物音を敢えて立ててやると、二人はビクッと肩を震わせて振り向いた。
「どーしたの、お前ら」
 眉をひょいと上げながらさらりと言うと、アメリカは我に返ったか、顔を背けて袖で乱暴に涙を拭った。イギリスは、うわ、お前・・・と青ざめたかと思うと瞬間真っ赤になって。
「おま、お前っ何見てんだよ!つうかい、いつからそこに・・・!」
「んー?酔ってなんかない、の辺りから?」
「そそそそれっほとんど全部じゃねぇかっ!」
 悲鳴に近い声を上げた。
「・・・立ち聞きだなんて悪趣味だね」
 アメリカの方はつっめたーい声で責めてくる。
「仕方ないだろ?別に聞きたくもなかったけどさ、お兄さんはお前達が心配だったのよ」
「――何の心配かい?」
 途端、剣呑な目で睨んで来た。
「こらこら、邪推は良くないよ?」
 慌てて両手を振って否定するが、アメリカは疑り深く目を眇める。やだねぇ独占欲丸出しで。全く美しくないよ。一方イギリスはというと。
「てっめぇっ聞いてたにしろ入ってくんじゃねーよ!ちったぁ気ぃ遣え、ワイン野郎死ね!」
 ちょっと逆ギレ?照れ隠しにしても酷くない?
「お前らだけじゃどーしようもなさそうだから、入って来たの。とにかく二人共落ち着けって」
「よ、余計なお世話だばかぁ!いいから忘れろ!今すぐ忘れろ!でなきゃてめぇの脳みそ掃除機で吸い取ってぐちょんぐちょんにして海に放り込んでやる!」
 言うなり俺の襟を掴んでぎりぎり締め上げてくる。
「ちょっ・・・苦しいって!忘れる以前にお兄さんブラックアウトしちゃうよ!?」
「それはそれでいーじゃねぇか。沈めぇぇえっ!!」
「おまっちょっ・・・やばいって!マジやばいっ」
 こいつの意識を散らす事には成功したけど、それが全部八つ当たり的に俺に向けられてしまった。何て凶悪な顔してんのこの坊ちゃん。ああ今お兄さんはこの部屋に入って助け舟を出してあげた事を心底後悔してるよ。どうして俺の博愛精神てばこんな奴にも注いじゃうのかしら。
「いい加減にしてくれないか!おっさん達のじゃれ合いなんか見たくもないよ!」
 アメリカが間に割り込んで来た。その顔を見れば・・・うわこっちも。視線だけで殺されそう。集中砲火もいいところだ。お兄さん可哀相過ぎる。
「・・・っ、あ・・・・・・」
 そのアメリカの顔を見て先程のやり取りを思い出したのか、羞恥に死にそうな顔をしたイギリスは、くそっと捨て台詞を吐いて部屋から出て行った。アメリカはその背中を見送って舌打ち一つした後、ソファにドカッと腰を下ろす。その様を一瞥してから、俺はイギリスを追い掛けた。


 廊下の少し先にいたイギリスの腕を掴んで強引に振り向かせると、また目にいっぱいの涙を浮かべていて。
「なんだよ離せくそ髭」
 などと可愛くない台詞を吐く。
「お前ね・・・」
「何やってんだよ馬鹿」
 心配そうに言うと、ぐじっと鼻を啜りながら怒られた。
「大丈夫か?お前」
「心配ならあいつにしてやれよ。・・・一人にして来てんじゃねぇよ」
「・・・・・・」
「俺は大丈夫だ」
 潤んだ瞳で、だけどきっぱりとした口調で言う。
「イギリス・・・」
 そんな苦しそうな顔してるのに。傷ついた顔してるのに。それでも。
「あいつ頼むよ。あいつ今、泣いてる。俺がどうにかしてやりたいけど、今は無理だから。頼む」
 真摯な表情で、コイツにとっては自分より大切なお子様のお守りを任されてしまった。
「・・・お前らほんとに厄介ね」
 眉を顰めて言うと。悪戯っぽく、くつりと笑って。
「皆のお兄さんなんだろ?」
 憎たらしい事この上ない口を利く。
「都合の良い時だけそんな言われてもなー」
 言いつつ踵を返すと。
「サンキュ」
 イギリスは苦しげに微笑んで部屋に戻って行った。俺は溜息を吐きつつアメリカの所に戻る。仕方ねぇから頼まれてやるよ。これはきっちり貸しだからな。


 ドアのノックをすると、ソファに座り込んだアメリカが気だるげにこちらを見遣る。顔を背けて気まずそうに涙を拭くアメリカの傍に立ち、肩を竦めてみせる。
「・・・なんだい?文句があるなら言えば?今なら聞いてあげるよ」
「文句って訳じゃねぇけどさ」
 横柄な態度のアメリカに対して、再び肩を竦めながら鷹揚に応えると。
「――怒ってるんだろ?俺がイギリスに・・・キスしたから」
「・・・・・・」
 頬を真っ赤に染めながらあまりに青臭いことを言うので、盛大な溜息をお見舞いしてやる。
「あのな、そんなんでいちいち怒んねぇよ」
「へぇ・・・余裕だね。自分はとっくに経験済みだから?」
「だからやってねーって・・・たぶん」
 言いながらも相当前の酒の席での事を思い出して、ついうっかり余計な一言を付け足してしまったら。
「――――っ!」
 途端、スクッと立ち上がって物凄い眼光で睨まれた。
「いや、やってない!うん、たぶんやってないっ」
 慌てて両手を振り回しながら言い募るが、アメリカは憤怒の形相でゆらりと一歩踏み出して来る。怖ぇよ!思わず後退っちゃったよ!
「・・・君達は本当に、俺の事いつも馬鹿にして・・・」
「してないっしてないよ!?」
 狂気を思わせる表情で躙り寄られて、必死に誤解を解こうとするけれど。
「してるよ!!隣国だ腐れ縁だと言っていつもイチャイチャ!」
「違ぇよ馬鹿!そんな変な目で俺達見てんなよ!そこは否定するよお兄さんは!」
「じゃあなんだい今のイギリスは!君が入って来た途端安心しきった顔して!」
「あの悪魔の顔のどこ見て言ってんだよっ」
 もうやだこいつ。フィルター掛かりまくってて話が通じねぇ。
「とにかく落ち着けって!」
 なんとかアメリカを押し留めて無理矢理ソファに座らせる。見上げてくる眼光の鋭さは相変わらずだけど、そこは見ないようにして。
「なんか飲むか?」
 努めて冷静を装って話を逸らす。
「コールド・ストーンのシェイクが飲みたい」
「んなモノあるわけないでしょ。一緒にワインはどう?」
「未成年に酒を勧めちゃいけないんだぞ」
「あっそ」
 飲みたい時には自分はもう200歳過ぎてるんだ!とかなんとか言って飲むくせに。俺と一緒には飲みたくないわけね。別にいいけどね。自分勝手な子供っぽさに呆れつつも、冷蔵庫からコーラの瓶を取り出して詮を抜き、グラスを添えてアメリカの前のテーブルに置いてやる。自分もボトルとグラスを持って対面のソファに座る。
 グラスを軽く持ち上げてからくいっと傾けて口に含むと。
「・・・祝杯かい?」
「あん?」
「これで彼が自分のものになるとでも?」
「・・・何の話だ?」
 本気で何の話か掴めずに、眉を寄せて見返すと。はは、と暗い笑い声を上げる。
「とぼけなくていいよ、俺がフラれて満足なんだろ?」
「へっ、お前フラれたの!?」
「・・・聞いていたならわかるだろ」
 心底びっくりして素っ頓狂な声を出すと、苛立ったように舌打ちして睨み返された。
「あ、いや・・・聞いてたけど・・・」
 確かに聞いていたけども。軽く思い返してみるが、決定的な台詞はなかったはずだ。
「彼は俺のこと拒んだんだ。俺じゃ、ダメってさ」
「いやーあいつはお前のこと好きだと思うぞ?」
「元弟としてね!」
 俺なりの推測を述べるが、ダンっとグラスをテーブルに叩きつけて、吐き捨てるように言い返される。テーブルの上に飛び散ったコーラの泡をちらりと見ながら。
「そうじゃなくて・・・」
「でなきゃ俺に女の子紹介したりしないよ!!」
「あいつそんなことしたの!?」
 どう宥めたものか考えているところに驚愕の事実を突き付けられる。もうびっくりだ。驚き過ぎて開いた口が塞がらない。アメリカはその時の事を思い出したのか、泣きそうになるのを必死に堪えている。
 ほんと、なぁにやってんだか。あいつも切羽詰まってるのかねぇ。


「君はイギリスのことが好きなんだろ?」
 長い沈黙が続いて、やっと口を開いたと思ったらこれ。もういい加減うんざりだ。盛大に溜息を吐いてから否定の言葉を紡ぐ。
「いやだから」
「少なくとも嫌いじゃないよね?」
「そりゃまぁねぇ・・・」
 心ここに在らずといった感じだ。どうしたんだこいつ。
「君はイギリスに戦争で負けたよね」
「勝った事もいっぱいあるけどね!ていうか何なのいきなり!?お兄さんの古傷抉る気!?」
 まだ延々イギリスが好きだなんだと疑念を掛けられるとばかり思って警戒していたところに、思いも寄らない方向からボディブローを見舞われた。くそっ痛ぇよ、あいつの凶悪面なんか思い出したくもねぇ。つい先程見たばかりな気もするが。
「負けて、たくさんの・・・」
「?」
 ヤケクソ気味にワインを呷っていると、アメリカがぽつりと零す声が耳に入る。
「それでも平気なわけ?」
「あん?」
「イギリスを好きでいられるの?」
 真正面から真剣な顔で聞かれる。えぇと、話の前後からすると――あれだな、戦争した相手を好きになれるかってことだよな。そういう意味で言うならば、答えは決まってる。
「――嫌いだよ?」
「でも君達は結局協調路線で仲良しじゃないか」
「まぁねぇ」
「どうして平気なの」
 曖昧に応えると、水色の澄んだ瞳を向けられる。答えを渇望する――瞳。それでも。
「お前の方こそどうなんだよ」
「え?」
「あいつと血みどろの戦いしたんだろ?なのに何であの眉毛がそんなにいいんだ?」
 逆に質問を返してやると、戸惑ったように俯いて視線を彷徨わせる。
「それは・・・お、俺の場合は」
 ジーンズに手のひらを擦り付けながら、途切れ途切れに話す。
「元々独立しようと思ったのも、イギリスと対等になりたかったわけで・・・今思えば、弟として可愛がられるよりは、こ、こ、恋人として愛し合いたかったというか・・・。いつも会いに来てもらうのを待ってるんじゃなくて、俺の方が会いに行けるようになりたかったし。じゃなくて、ずっと一緒にいたかったんだよな・・・。彼に護られるんじゃなくて一緒に戦いたかったというか・・・あ、でもそれでイギリスと戦うのは可笑しな話なんだけど、そうしないと彼、俺が一人前だって認めてくれなかったし・・・」
「成程ねぇ」
 なんだ、結局惚気かよ。ゴチソウサマ。砂を吐く気分で右から左へ聞き流していると。
「て、俺が先に聞いてたんだよ!?君の方はどうなんだいっ!?」
 恥ずかしい事を言っていると気付いたか、かぁっと赤面して慌てて話を戻した。
「だから嫌いだって」
「・・・そんなの信じられるものか」
 いやそこは信じようよ。もう面倒くさいから。
「嫌いだと言う割に随分気に掛けてるよね。さっきだってわざわざ助けたりしてさ」
 またもや嫉妬心をメラメラと露わにしてくる。流石にうっとうしいっつーの。
「腐れ縁だから仕方ないでしょ。それにさっきのはお前も助けたでしょーが」
 あのまま泣き続けるイギリスを、こいつがどうにかできたとは思えない。
「・・・それは感謝してるけどさ」
 むすっとした表情で口を尖らせて、ぼそりと言う。そういうところがガキなんだ。でも一応感謝という言葉が出たからには、真面目に答えてあげましょうかね。
「俺とイギリスはそりゃ、ずーっと喧嘩してたけどさ。戦って、お互い大切な人も大事な物も奪い合って壊し合って無茶苦茶に・・・。そりゃ憎いよ」
「・・・・・・」
「でもさ、近いからさ。・・・ほんとに近すぎて、喧嘩する理由に事欠かないのと同じくらい、協力する理由もたくさんあるんだよ」
「・・・それだけ?」
「そ」
 さらりと語り終えてあっさり口を閉じる。暫くして半信半疑といった表情で、じーっと俺を見るアメリカに、素っ気なく首を竦める。
「そっか。それじゃ良い事思いついたんだぞ☆」
「んん?」
 何やらアメリカのテキサスが突然キラリと光った。あどけない表情でにこりと笑う。あれ、なんだ、急に悪寒がするぞ?ぶるりと身震いを一つすると、アメリカがスクっと立ち上がって俺を指さしながらでかい声でのたまった。
「君のとこも俺の一部になっちゃえばいいんだよ!アメリカ合衆国フランス州だ。そしたら俺が君の代わりに彼の隣国として仲良くしてあげるんだぞ☆」
「・・・そういうえげつない冗談は止めなさいね」
 俺偉い!ナイスアイディアだよ!などとガッツポーズでほざくアメリカに、お兄さんはドン引きだよ。あぁ絶対こいつの育て方間違えたよあの眉毛。ったく、あの時お兄さんを選んでくれてたら・・・。
 頭を抱える俺に向かってアメリカは、すっと真顔になると。テーブルの上に身を乗り出して、俺の目を覗き込むようにして言う。
「隣国だから、てだけじゃないだろ?どうして平気なの?・・・どうして好きでいられるの?」
「・・・・・・」
 やけにそこに拘るのな。本当にどうしたんだ?こいつ。あまりにしつこく食い下がってくるので、いい加減問答に飽きてきた。仕方ねぇから言いたくない事も適当に言ってやる。それでこの話は終いだ。
「好きだなんだってのはこの際置いといて、だ」
 グラスを手に取り、軽く揺らして色を愉しみながら、想い出を語るように言葉を紡ぐ。
「・・・憎めないんだよな、あいつ。散々煮え湯を飲まされたけどさ。面倒を押し付けられた事も山ほどあるし。でもあいつに助けられた事もたくさんあるからね」
「・・・・・・」
 俺の言葉を一つも聞き漏らすまいとするかのように静かな瞳を向けてくるアメリカに、ふわりと笑い掛ける。
「俺だって平気なわけじゃない。でも、憎んでばかりいられないじゃない。そんなことしたって失われた人も物も・・・何も戻りはしない。還って来るわけじゃない――。どれ程恨んだって失った空虚な穴は埋まらない。代わりなんて、ありはしないのだから。だったら、憎み続けるのって不毛でしょ?」
「・・・そう、だね」
 アメリカはアメリカなりに失って来たモノがある。それを思ってか、苦しげに唇を噛んで手を握り締めている。それは一つの国の姿。自国の行く末を真剣に模索して来た者。これからもそうするであろう・・・民意の塊として。それは俺もだ。同じ、国を体現する仲間。
 ――それだけで、愛おしいと思うんだけどね?お兄さんは。
 心のうちは言葉にせずに、ただ一言、付け加える。常の、麗しい表情を浮かべながら。
「それに、憎むより愛する方が素敵でしょ」





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