USA


 静かに目を開く。目の前には見慣れたイギリスの家の門扉。辺りは薄暗い。イギリスの気質を映してか、空はどんよりとした黒い雲に覆われて、ぱらぱらと冷たい雨が先程から降り続いている。
 ここに立って、既に2時間は経過している。何度もベルを鳴らそうと思うのに、結局指はそれに触れず、だらりと腿の横に下ろされたままだ。迷いに迷って、それでも決断して此処に来たんだ。なのにどうしても一歩が踏み出せない。何か見えない膜に絡み取られているかのように指一本動かせない。息苦しくて堪らなく辛い。いっそこの場を離れてしまえば楽になれるのかもしれない。
 それでも・・・会いたい。彼に、会いたい。会いたい会いたい会いたい。だから、やっとの思いで、此処まで来たんだ。このまま帰るなんて選択肢はないんだ。会いたい会いたい会いたい・・・でも怖い。拒絶されるだろうか、罵詈雑言で詰られるだろうか。責めて怒って・・・それともまだ、彼は泣いてるのだろうか?あの日のまま・・・。


 ――違う。彼はもう泣いてない。俺を拒絶していない。未だにしつこく責めたりもするけど、もう怒ってるわけじゃない。俺の独立を受け入れてくれている。あぁ、これは夢だ。いつもの、夢。目が覚めればイギリスは親しく傍にいる。大丈夫。だから目を覚まさなきゃ。夢の中のイギリスの家に入っちゃいけない。見ちゃダメだ。ダメだダメだ――。
 頭の片隅ではわかっているのに、夢の中の俺はイギリスの家のベルを鳴らす。応答はない、知ってる。そっと門扉を押す。かしゃんと金属が擦れる音がして、静かに向こう側に開いていく。招かれるように足を踏み入れる。玄関に向かうアプローチの横にはイギリスが愛する庭が広がる。彼に慈しまれて育ち花開く者達。今は何の生きる色も見出だせない。枯れて、荒れ果ててしまっている。彼の心のままに・・・。玄関に辿り着く。此処まで来て、また迷う。・・・今ならまだ間に合う、引き返せば良い。なのに、ノブに手を掛ける。軋んだ音に眉を顰めながらドアを開く。――ダメなのに。行ってはいけない・・・俺は見たくない会いたくない知りたくない。


 違う。会いたい。彼に会って話がしたい。俺の気持ちをわかって欲しいんだ。決して彼を嫌って独立したわけじゃないってことを・・・知って欲しいんだ。そうしたら、きっと彼はもう俺を無視したりしない。俺を見てくれるはずなんだ。以前のように、微笑みかけてくれると思うんだ。だから、行かなきゃ。会って話をしなきゃ。
 ギシギシと踏む度に床が鳴る薄暗い廊下を進む。彼の姿を求めて屋敷の中を進む。次から次へと部屋を渡り歩く。彼はどこにいるんだろう?これが最後、最奥の部屋。頭の奥がじぃんと痺れる。警鐘が鳴り響く。目を覚ませ、これは夢だ・・・。それでも俺の手は扉を押し開く。部屋の中を見回す・・・が、いない。彼が見つからない事に落胆する。そして・・・黒い塊を視界に入れる。


 何だろう?薄暗い部屋に凝った闇。近付くと、それは毛布の塊であると気付く。・・・否、毛布を被った人。捜し求めたイギリスが、そこに蹲っていた。
「い、イギリス・・・?」
 声を掛けるが微動だにしない。
「イギリスだよね?何してるんだい、こんな所で。そんな、毛布被って」
 疑問を投げ掛けても応えない。
「ねぇちょっと、聞いてる?この部屋空気入れ換えた方が良いと思うんだぞ。カーテン締め切ってるからじめじめしてるし」
 苛立ちを含んだ声音で責めるように言っても返事はない。
「・・・ねぇったら、イギリス?」
 彼の傍に跪いて頭から被っている毛布を剥ぎ取る。そして見た――感情のない仮面のような顔。昏い闇に彩られた、虚ろな瞳。
 ごくりと息を呑む。こんな精彩を欠いたイギリスの顔を初めて見た。いつも大陸に来てくれる時は優しい微笑みを浮かべていて。対峙した時は苦悩しながらも戦いにギラギラした顔付きだった。調印前後は冷たいけれど誇り高い表情をしていた。なのにこのイギリスは・・・人形のような空虚さだ。
 言葉を失ってその顔を見つめていると、不意にイギリスの瞳が俺を捕らえる。瞳の中に俺の姿を映す。――そして。瞬間、狂暴な光が宿った。怨念。憎悪。昏い昏い情念。ぞわりと怖気立つ。背筋が凍る。イギリスに、こんな視線を送られるなんて思いもしなかった。戦っている最中だって・・・銃口を向けた時でさえ、彼はこんな目で俺を見なかった。ただ哀しそうに泣いていただけなのに。憎まれるなんて、思わなかったんだ。でも、彼の瞳が語る。赦さない赦さない・・・絶対に、赦さない――。
 どうやってその場を後にしたのか覚えていない。気が付いたら空港に走り込んでいた。この国に、これ以上いたくない。ガクガク震える身体を自身の両腕で抱きしめて。涙も出ない程傷ついて混乱して恐怖に怯えて。アメリカの、自分の部屋に戻ってから。声の限りに泣いた。


 目を開くと、見慣れない天井。あれ、ここどこだっけ?涙を拭ってから枕元のテキサスを掛けて辺りを見回す。あぁそういえば昨日、イタリアの上司の別荘に泊まったんだっけ・・・。はぁと重い溜息を吐き出す。久しぶりに見たな、あの夢。WW1後は見なくなっていたのに。イギリスとあんな事になっちゃったからかな・・・。
 夢として繰り返し見てきたそれは、現実にあった事だ。独立してから数十年、必死に頑張ってようやく国の進む道が決まって。数多の戦争を経てやっと内政が落ち着いて来た頃。イギリスが恋しくてこっそり会いに行った。子供みたいに追い掛けた結果が、あの様だ。・・・会いになど行かなければ良かったのに。あの時会わなければ、彼の本音など知らずに済んだのに。そうしたら俺に笑いかける彼を、素直に受け入れられただろうに。
 後に、彼にそれとなく聞いたら。イギリスは俺と会った事を覚えていなかった。


 イギリスは結局のところ、未だに俺のことを恨んでいるんだ。気安く接してくれるようになったけど、心の奥深いところでは赦していない。彼と戦って独立した俺を――。だから、俺の気持ちを受け入れるはずがないんだ・・・。
 こんな・・・こんなはずじゃ、なかったんだ。一時袂を分かち合っても、きっと彼ならわかってくれると思ってた。国政が落ち着いたら、ちゃんと会いに行って話そうって思ってた。会って、ごめんって謝って。そしたらきっと彼は、気にするなって言ってくれて。君が好きだって告白したら・・・嬉しそうに笑って、イエスって言ってくれると思ってたんだ。
 戦争がどんなものか、知らなかったから簡単に決断できた。いつも彼に護られてばかりで、彼の傷すら見たことなかったから。だって彼はいつも過保護で、俺には何も教えてくれなかった。何も何も――。でも、辛そうなのはわかった。平気なフリしても、苦しんでるのがわかった。子供にだって、それくらいわかるんだ。だから、護りたかった。俺が助けたかった、彼の苦しみを取り除いてあげたかった。
 なのに、どうしてあんな事になってしまったのか――。戦場は、あまりにおぞましい場所だった。真っ赤に血塗られた自分の手。それは、彼の愛する人々が流した血。恨みが恨みを呼んで、淀んだ空気に押し潰されそうに息苦しかった。彼の手も朱に染まっていた。俺の大切な国民が、その手によって失われていった。
 だけど、それでも・・・俺は、イギリスを嫌いになれなかった。それはもう理屈じゃないんだ、好きで好きでどうしようもなく好きで・・・手に入れたかった。諦められない。彼に一度拒まれて諦められるくらいなら、今こうしてここにいない。


 昨晩のフランスとのやり取りを思い返す。彼はいつもの気障ったらしい顔で「憎むより愛する方が素敵でしょ」と言った。とても――簡単なことのように、さらりと。
「・・・イギリスも、そんな風に考えられたらいいのにな」
 グラスに入ったコーラを啜りながら愚痴るように言うと。
「いやーあいつには無理でしょ。基本ネガティブだし」
 からりと一笑に付された。他人事だと思っていい気なもんだ。なんだかむかつくんだぞ。
「なぁんであんな面倒くさい人を好きになっちゃったのかなー」
 あーあ、と溜息混じりに言いながら、ぼすんとソファに背中を預けてずりずりと姿勢を崩す。
「ほんと趣味悪いよねーだからお兄さんにしとけば良かったのに」
「やーなこった」
「・・・本当に眉毛に似て可愛くなく育っちゃって。お兄さん悲しいわー」
「うるさいよ」
 わざとらしい泣き真似をじろりと睨むと、ははっと明るく笑って。
「それで?諦めるか?」
「そんなわけないんだぞ」
 優しく微笑みながら尋ねるフランスに、俺は即答した。
「だよな、諦められないよな。ずっと・・・お前はずっと好きだったんだものな」
「・・・そうはっきり言われると恥ずかしいんだぞ」
 ぷぅっと頬を膨らませてむくれると、フランスはにこにこ笑ってる。
「ふふっお前は素直でいいねぇ」
「子供扱いはよしてくれよ」
「してねぇよ。純粋ににお兄さんは褒めてんの」
「だからそーゆーところがさ」
 益々むくれる俺にまぁまぁなんて制する仕草をしてから、ふっと遠くを見るような目をして。
「あいつだけ、吹っ切れないんだよな。ハリネズミみたいになっちゃってさ。自分を守る為に毛逆立てて。そのくせ愛されたがってるんだよな」
「まったく、狡いよ」
「そうだな。狡いし・・・臆病だ。でもさ、その原因を作ったのは」
「・・・俺、か」
 やるせない思いで胸が苦しくなる。泣きそうになるのを堪えていると、フランスは同情するかのような憐憫の眼差しを向けてきた。
「もちろんお前だけのせいじゃないけどさ。でも相手がお前だから、好きな相手だから、余計に吹っ切れないんだろうよ」
「好きな、相手?」
「そ。あいつはさ、お前のこと好きだと思うよ」
「適当なこと言わないでくれよ」
「適当じゃないって。お前の気持ちだってお兄さん知ってたでしょ?」
 むぅ。そう言えば、だ。そんなに俺ってわかりやすい態度だったのかな?
「お兄さんはなんでもお見通しなの」
 にこりと笑うフランスの顔は、確かにお兄さんて顔をしていた。・・・本人には口が裂けても言わないけどね、絶対調子に乗るから。だけど、そんなすべてを包み込むように微笑まれたからか。ついっと口が滑るように、思わず胸の内を曝け出してしまった。
「でも、イギリスは・・・俺のこと、憎んでるんだぞ・・・」
 ずっと自分の心の中に仕舞っていた事実を、一人で抱えるにはあまりに重くて辛いそれを、とうとうフランスに漏らしてしまった。そうしたら。
「そりゃ憎むでしょ」
 さも当然のことのようにさらりと言われてしまって、思わず涙ぐむ。
「こらこら、話はちゃんと最後まで聞きなさい」
「・・・どうせ俺が悪いって言いたいんだろ」
「そんな事言わないよ。俺にそれを言う権利ないし」
 ぐずりと鼻を啜りながら恨めしげに呟くと、フランスは肩を竦めながらいなすように言う。
「じゃあ、何」
「あいつは今でも戦った相手を憎んでるかもしれない。恨んでるかもしれない。それでもお前のことは、やっぱり好きだし・・・愛してると思うよ」
「・・・弟として?」
「一個の存在として。――人だって愛憎どちらも抱えながら生きてるんだ。俺達だって同じだよ。絶対の愛も絶対の憎しみもない。どちらにも振り子のように揺れながら、生きていくんだ」
「・・・・・・」
「できるだけ、愛だけで生きたいと、もがきながらね」
 真面目に聞いていれば最後にウィンクをされて、一気にげんなりしてしまった。
「・・・なんで君がそんなこと言うの」
「あいつが泣いてるの、見たくないんだよね。・・・ほら、お兄さんてば博愛精神の塊でしょ?」
 ようやくフランスの本音に触れたと思ったら、またおどけたように言って誤魔化された気がする。でも続く言葉は、とても優しくて・・・嬉しかった。
「だからさ、頑張れ」

 イギリスが本当に・・・フランスが言うように、俺のことを好きだといいのに。
 でも彼は俺を拒んだんだ。傷ついて泣いて、拒絶した。
 わからない。彼の心が見えない。イギリスは何も言ってくれない。
 俺はずっと君が心を開くのを待ってたんだぞ。待って待って・・・ずっと待ってた。
 でももう待つのは止める。
 だから。そろそろ本音、ぶつけ合おう。





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