UK


 その日は暑かった。ひっじょーに暑かった。
 今年の世界会議の議長国はイタリアで、地球温暖化がテーマだった。いつものようにアメリカの馬鹿が非現実的かつ阿呆な提案をして、それに常識的な意見を述べたに過ぎないのにやたらと突っ掛かって来て。隣のくそ髭がまた適当なこと言って事態を混乱させるから、ちょっと諌めたら言ってはならない言葉を吐きやがって。仕方なく鉄拳制裁食らわしたら懲りずに殴り掛かって来て。奴の自慢の髪を軽く引っ張りながら足蹴を腹にぶち込んでやったところで、ドイツがいい加減にしろと吠えた。結局話し合いはうまく纏まらずに初日を終えた。まったく困った連中だ。騒いだ中に自分も含まれるのはこの際置いておく。
 その晩の国同士の交流を目的とした立食パーティーで、日本がイタリアに頼んでいたのを小耳に挟んだのがきっかけだった。
「ですから、現状を知りたいのです」
「ん〜まだ平気だと思うけどね〜気になるなら行ってみる?」
「は、はいっ是非・・・!」
 何事かは知らないが、日本がイタリアに頼みごととは珍しい。あのヘタレでも何か役に立つ事があるのか。会話の初めを聞き損じたので内容まではわからないが、気になったので耳をそばだてる。意識を楽しそうに会話する二人の方に集中させていると、突然背後からがしっと肩に腕を回された。ちっと舌打ちしつつ後ろを見遣ると、案の定フランスだった。
「なぁに〜盗み聞き?」
「るせぇな、邪魔すんじゃねぇよ」
 にやにや笑う顔を寄せて来るフランスを睨みながら、静かにしろ、というジェスチャーを送る。
「何が面白いのよ?あの二人が仲良いのなんて今更でしょ」
 妬けるよねーなどという戯言が邪魔して良く聞こえないが、まだ日本がヘタレ野郎に何事か頼んでいる様子だ。
「すみません、ほんとについでで結構ですのでお願いします」
「いいよ〜日本のお願いだもん。でもそれ、俺じゃないかもなぁ」
「あああっそうですよね!私としたことが・・・」
 どうしたのか、今度は二人して困り顔を見合わせている。ほら見ろ。日本は頼る相手を間違えたんだ。何か困っているなら俺に言えば良いものを――。などと考えていると。
「どうしたの?二人とも。何か困ってるならお兄さんに相談してみない?」
 気がつけば横にいたはずのワイン野郎がいねぇ。くそっ先を越されたか。
「どうしたんだ、日本。何か困ってるのか?」
 慌ててフランスの横に並び、二人には気付かれないような角度でさりげなく奴の脇に肘鉄を食らわす。うぐっという呻き声が聞こえて、少し溜飲を下げた。
「あ、いえ、困っているというか・・・」
 日本が訝しげな顔でフランスを見つつ、俺の質問に答えようとする。
「南に行きたいらしいんだぁ」
 ヘタレ野郎が答えるが、お前には聞いてないし恐らくありとあらゆる大事な部分を無視した答えでは意味がさっぱりわからない。
「それで許可を頂きたかったのですが、良く考えたらイタリアくんではなく・・・本当に私としたらとんだ失礼を・・・」
「いいって、俺だってどっからどこまでか良く覚えてないし」
「そそそれはそれで問題では・・・」
「ちょっと待てお前ら。話が見えないだろ」
 また二人で会話を始めてしまったので、なんとか留め置くと。あぁすみません、と前置きをした上で日本が説明してくれた。
 どうやら日本は地球温暖化によって水没の危機に瀕するベニスを視察に行きたいらしい。以前そのニュースを見て気になっていたようだ。ついでに昔観光した時に行けなかったという南イタリアにも足を運びたいとか。それはつまり視察という名目の観光なんじゃ・・・と思ったが、日本が必死な顔で言うので黙っておいた。
「ふぅん、じゃあロマーノに言えばいいんじゃん」
「南イタリア行くなら俺はポンペイに行きたいんだぞー」
 フランスが横から口を挟む。そこに空気を読まないごーいんぐまいうぇいな声が更に割って入る。振り返ると、大量のピザが乗った皿を片手に持ったアメリカが口の周りを油でべったべたにしながら立っていた。
「お前、きったねぇなー。もっと綺麗に食えないのかよ」
「ほんと、お兄さんだったらちゃんとしたマナー教えたのに・・・眉毛なんかに育てられたせいで・・・」
 よよよと泣き真似するフランスの爪先を思い切り踏み潰してやると、いてぇっと跳び上がった。
「うるさいよ、君達。ピザはこうやって豪快に食べるのが正解だろ?」
「そうだね〜兄ちゃんの、南ではね」
「え、君の所では違うのかい?」
「いやだからピザ談義は置いとけよ。つうか何でお前も来るんだよ」
「そういう君も行くんだろ?」
「まぁな」
「え、あ、あの?皆さん?」
 日本が慌ててその場に集った顔をきょろきょろと見渡す。
「もちろん俺も一緒に行くんだぞー」
 アメリカがにこりと日本に言う。
「面白そうだからお兄さんも一緒に行こうかな」
 フランスが鼻歌交じりに言う。
「こいつら一緒だと大変だろ。俺も付いて行ってやるからな」
 俺がそう言うと。
「――どうせならこの世界会議が終わってから行くか?二日くらいなら何とかオフを取れると思うが・・・」
「あ、ドイツさんも一緒にいらしてくださりますか」
 て、何でドイツが同行すると聞いてそんなに喜ぶんだよ日本。


 結局その場のノリで、会議終了後に6人で行く事になった。ワイン野郎やクラウツの野郎と一緒なのははっきり言って嫌だが、まぁ日本のたってのお願いときては仕方ない。一週間の会議中の空いた時間に仕事を詰めるだけ詰め込んで、なんとか二日間のオフを取った。ドイツと日本も連日必死に仕事をこなしたようだ。イタリアは・・・まぁ、ホストだから何とかなったんだろう。ちなみにアメリカは部下を振り切って行方をくらました上で合流、フランスはストライキだとか言って仕事から逃げて来た。奴らはちったぁ俺を見習うべきだ。
 まず初日は会議が行われたローマに近い南イタリアに向かった。
「何お前らいきなり来てんだよコノヤロー!!」
 南イタリアの案内を頼んだロマーノが往来のど真ん中で泣き喚く。こいつら兄弟は昔から泣き虫のままだな。
「だって兄ちゃん詳しく話したら絶対来てくれないじゃん」
「当たり前だろバカ弟!なんなんだよこのメンバーはよぉ」
「俺にも良くわかんないけどいつの間にかこうなっちゃったんだ。でもでも安心して。ドイツもいるから平気だよ〜」
「ジャガイモ野郎のどこが安心なんだバカヤロー!」
 ヘタレではあるが憎めない連中だ。ちょっと、いやかなり失礼だけどな。
「あーっと・・・急に押し掛けてすまなかったな」
 ドイツが素直に詫びると、仕方ねぇなと、ようやくロマーノが落ち着いた。
「やっと兄弟コント終わったかい?早く遺跡観に行きたいんだぞー」
 それまで退屈そうに眺めていたアメリカが急かす。
「何お前、遺跡とか興味あったっけか?」
「ちょっと、今更何言ってんだい。俺は昔から遺跡とか考古学大好きなんだぞ?ロマンじゃないか」
 そうだっけか・・・?あぁそう言えばこいつが宇宙人と友達になったのも、発端は考古学的な好奇心だったっけ。ぼんやりあのトミーとか言う奴との出会いを思い出していると、突然ロマーノが叫んだ。
「おい日本!カメラをこんな所で出すな!」
「え?」
 と日本がロマーノを振り向いた瞬間、あっという間に日本の手の中にあったカメラが消えた。正しく言えば、盗まれた。
「あぁーほらみろ。ったく、んな所で出すなよなー」
「わわわ私のカメラが・・・あ、あの中には大事な大事なデータがぁああああっ!!!」
 余程重要な物を撮っていたのか、いつも落ち着いている日本が珍しく錯乱している。盗人は既に人混みに紛れてしまって、姿形も見えない。まいったな。俺のとこの諜報部員を使えば見つけられるかもしれないが、その頃には転売されてデータを消去されているような気もする。などとつらつら思案していると、ロマーノがけろっとした口調で言う。
「まぁ安心しろ、10分後にはその辺で売られてるから。俺がそれとなく連中に繋ぎある奴に言って捜させとくよ」
「ていうかお前のとこもっと治安良くしなさいよー。昔スペインが綺麗にしてやったってのに、またゴミ溜めみたいになっちゃって」
 せっかのく美しい街並みがもったいないでしょ、とフランスが呆れたように言った。そう言うお前の所の治安も随分なモンだけどな。栄光あるスコットランドヤードの爪の垢でも煎じて飲めばいい。
「う、うるせぇな、これくらいの方が落ち着くんだ・・・」
 フランス相手で怖いのか、ロマーノは弟の後ろに隠れて、それでもきっちり文句を零した。
「そういやスペインも誘えば良かったなー。今からでも声掛けてみるか」
 そんなロマーノをあっさり無視して、フランスが呑気に余計な事を言いながら携帯を取り出す。
「スペイン兄ちゃんなら俺、誘ったんだよー。でも今内職で忙しいから無理って」
「へー、でもあいつん家、今は内職する程キツくないでしょうに」
「なんかー100年契約してるから、まだ当分やらなきゃいけないんだって」
「・・・何その詐欺みたいな契約。あいつ騙されてるんじゃないの」
 イタリアはのんびり首を傾げているが、フランスの言う通り正しく騙されているんだろう。まぁ、俺には関係ないけどな。
「ちょっとーいつまでここでダラダラ話をしてるんだい?時間がもったいないじゃないか」
 アメリカがイライラして腕組みしながら足を小刻みにゆすっている。その顔色を伺ってまずいと察したのか、日本が慌てて同意した。
「あ、はい、そうですね。そろそろ出発しませんと・・・」
「それじゃ戻って来るまでカメラは俺のを使えばいい。・・・日本、残念だがあまり気を落とすな。これから良い写真をたくさん撮ろう」
「あ、ありがとうございます。では行きましょうか」
 ドイツの慰めに微笑みを返した日本の呼び掛けで、ようやく目的地に向けて動き出した。


「ポンペイ遺跡というのは、1世紀までナポリ近郊にあった商業都市だが、ヴェスヴィオ火山の噴火の火砕流によって地中に埋没してしまったんだ。18世紀に発掘されて今は一般公開されている。当時の人々の暮らしぶりを見ることができる貴重な遺跡だ」
「成程。とても興味深いですね」
「て、何でジャガイモ野郎が説明してんだよ!俺ん家だろーがっ」
 道すがらドイツが日本に遺跡の説明をすると、ロマーノが後ろから喚いた。チケットを購入して門を潜ると、真っ直ぐに道路が走っている。きちんと歩道まで付いていて、その両脇に商家が連なる姿は現代の街と何ら変わらない。
「うわぁー広いですねぇー」
「すごいじゃないか、1世紀に既にこんな出来上がった都市があったなんて!」
 初心者二人が目をキラキラ輝かせて歓声を上げた。ちなみに俺は一度訪れた事がある。世界遺産だし、都市機能や災害対策の意味でも学ぶことはたくさんある。フランスも来た事があるのだろう、遺跡をというよりは、はしゃぐ子供のような日本とアメリカを楽しげに眺めている。
「日本、アメリカ、これを見てみろ。この時代に既に水道管を地面に敷いて、各所に公共の飲料設備を設けているんだ」
「水道管ですか!?」
「わお!グレイトだよ!!」
 何故かドイツがガイドを務めていて、案内係に連れて来たロマーノはぼんやり突っ立っている。こいつ要らないんじゃないか?今更だけど。
「後は・・・ほら、道路の石畳にたまに白い石が散らばっているだろう?」
「あぁ・・・そうですね」
「なんだい?これ」
 首を傾げる二人に、ふっと笑ってドイツが答える。
「この時代電灯なんてないだろう?その代わりにこの白い石が月明かりを受けて煌めいて、足元を照らす仕組みになっているんだ」
「す、すごいですね・・・私感動しました!!」
「ロマンティックじゃないかー今度アメリカにそういう道作りたいんだぞー!!」
 日本とアメリカが興奮している。ドイツは良い先生になれそうだな・・・ていうか何でそんなに詳しいんだコイツ。イタリア好きなのは伊達じゃないって事か。ドイツに付いてぞろぞろ先に進むと、ある店に到達する。おいドイツ、日本にアレ見せる気か?ワイン野郎は既にニヤニヤしてるし。
「ここはポンペイの中でも人気スポットだ」
「え?」
「まぁ、中を見てみろ」
 ドイツにしても抑え切れない好奇心に満ちた顔で、日本とアメリカを店の中へと促している。なんだかんだ言ってコイツも好きなんだな。怪訝な顔を見合わせた二人を先頭にして、俺達も中に入る。さぁ、どんな反応するか?
「ここは何のお店、・・・・・・っっ!!」
「ちょっ、ににににほん・・・・・・・っっ!!」
 ソレを目にした途端、絶句した二人はくるりと踵を返して俺達に猛烈にぶつかって来た。その顔は二人仲良く真っ赤だ。
「ななななんなんですかアレは!!!」
「ななななんだい、アレ!!何なんだいここはっ!!」
「見ての通り、売春宿だ」
「ばばば!?」
 面白ぇなコイツら。思わず噴き出してしまった。二人が見たものは売春宿に描かれたフレスコ画、それもとびっきりエロい類の、だ。文字通り様々な体位でまぐわう男女のセックスシーンが壁一面に描かれている。
「ちょっと止めて下さいよ・・・あ、あんな破廉恥な絵を見せるなんて・・・っ」
 日本は顔を伏せて両手で覆って、ぶるぶる震えながら喚いている。アメリカの方は好奇心の方が勝るのか赤い顔のままチラチラ見ている。
「ま、この時代は色々とオープンだったってことだねぇ」
 フランスがによによ笑いながら言うと、不道徳です――!!と日本が叫んで、皆一斉に笑った。


 ポンペイ遺跡で見られるのはもちろん売春宿だけでなく酒屋やパン屋など一般的な店もあるし、当時の富豪の家もある。そこらを巡った後、最後にスタビア浴場へ入った。
「ここはポンペイの中で最も古く大きな公共浴場だ。床は二重構造で蒸気による暖房装置になっている。男女別なだけでなく温水と冷水の風呂まで備わっているんだから、なかなか豪勢だな」
「オープンな割に混浴じゃないんだよねー」
「まぁな」
 茶化すようなフランスにドイツが苦笑する。ぐるりと施設を見た後、脱衣所にあたる場所に入る。そこには。
「――なんだい、これ」
「これは一体・・・」
 アメリカと日本がそれを見て眉を顰める。知っている俺達は皆神妙な顔をしてそれを眺める。そこにあるのは。
「ポンペイ人の遺骸だ」
 正しく言えば、遺骸の石膏像。
「・・・え?」
 呆気に取られた顔でアメリカがドイツを振り見た。ドイツが異様な姿の石膏像について説明する。
「お前も考古学が好きなら、ポンペイがどのような末路を辿ったのかは知ってるのだろう?」
「うん、火砕流に呑み込まれたって」
「そう、ポンペイは長い年月火山灰に埋もれたままだった。発掘作業が始まった頃には既に身体のほとんどが失われていた。だが、その形だけはくっきりと遺されていたから、こうやって石膏を流すと当時の人の姿が現れたんだ」
「そんな・・・」
 アメリカは言葉を失って、その石膏像を眺めた。俺もじっとそれを見つめる。気がつけばロマーノの姿がない。そっと浴場を出て捜すと、道の端に座り込んでいた。
「どうした?」
「なんだ、イギリスかよ」
「お前、顔色悪いけど大丈夫か?」
 思えばこいつは遺跡に入ってからというもの、ずっと無言で後ろを付いて歩いていた。良く考えればひどく億劫そうに。
「具合悪いのか?」
「そうじゃねぇ」
 否定するが身体を丸めて蹲るその顔には、冷や汗のようなものがびっしりと浮いている。
「――もしかして」
 一つの可能性が浮かんだ。
「聞こえるのか?」
「・・・・・・」
「声が」
 鈍い動きで俺を見上げるロマーノの目には昏い色が滲んでいた。はぁっと溜息をつきながら、ロマーノはけだるげに答える。
「聞こえねぇよ。俺じゃなくてじじいん時だろ?聞こえるわけないだろチクショーめ」
「・・・そうか」
「でも、感じる。・・・子孫だからかな」
「そっか」
 感じる。灰に呑み込まれたこの国の、この地に生きた人の、声。
「・・・時が経てば平気になるのかな」
「どうだろうな」
 それは俺の方が聞きたい。知りたい。――時が経てば、聞こえなくなるのか?


 ポンペイ遺跡を出た後ナポリの観光をして、日本は写真を山ほど撮って満足げだ。
「イタリアって素敵ですねーまた来たいですねー」
「良かったな日本」
「はい、皆さんと一緒にこんな風に観光できて、とても楽しいです」
 にこりと無邪気に笑う日本を見ると、こちらも気持ちが和む。夕食を取った後、ナポリにあるイタリアの上司の別荘に宿泊した。





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