UK


 辺り一面に立ち込めた煙が少しずつ晴れていく。アメリカと共に警戒を怠ることなく爆発の中心地を注視していれば、けほこほと咳き込む声が聞こえて来た。悪魔二人が漏らす音だ。次第に奴等の輪郭がうっすらと見えてくる。深紅と漆黒の髪が、煙をかき消す風に吹かれ靡いている。その等身に俺は満足してくっと口角を上げた。
「あ――――っ!!!」
 悪魔二人は互いの姿を見て悲鳴を上げた。それもそのはず、奴等はガキの姿になっている。
「へっ、ざまあみやがれ」
「・・・相変わらず君の魔法はろくでもないね」
 すっかり煙が晴れてちょこんと地面に座り込んでいる悪魔二人の姿を見出すと、アメリカは眉を顰めて呟いた。
「んだよ、これで少なくとも奴等の攻撃力は抑えられると思うぜ?」
「子供の姿でも魔力は変わらないんじゃないかい?むしろ怒りに燃えた彼等がどんな手段に出るかわからないじゃないか」
「確かにな、油断するなよアメリカ」
 改めて銀のナイフを構え、アメリカも懐に忍ばせていた銃を取り出すと奴等に照準を合わせる。すると黒髪の方の悪魔はびくりと震えてみるみるうちに瞳を潤ませたかと思えば、ぴゃーっと激しく泣き出した。
「・・・え?」
 先程のふてぶてしい態度が嘘のような狼狽え振りに、思わず口を開けて唖然としてしまう。
「うわーん、ひどいよーせっかく大きくなったのに、またちびになっちゃったよーっ!!角がないと力も出ないじゃないかぁーっ!!」
「うわ、ばかお前・・・っ!!」
 赤毛の悪魔が慌てて片割れの口を塞ぐが、俺にはしっかり聞こえた。角がないと力が出ない・・・それはつまり、角にこそ魔力が宿っているということだ。禍々しく鈍い光を放っていた漆黒の角は、ガキの姿に戻った奴等の頭部に今は見当たらない。角というものは悪魔と言えど持って生まれる訳ではなく、成長と共に生えるものなのだろう。そして魔力を失えばただの人間のガキと同じだ。
「成程な・・・今の奴等は魔術を使えないということか・・・くくく・・・」
「イギリス、今の君の顔、元ヤンじゃなくて現役だよ。悪魔より悪魔らしいよ」
 悪魔の力を封じることに成功して安堵しただけなのに、アメリカはこの上なく失礼なことを抜かした。
「うるせぇな、お前俺の現役時代知らねぇだろ」
「知らなくても簡単に想像できるんだぞ」
 憎まれ口を利いてDDDDDと笑うアメリカを軽く小突いて悪魔の方へ歩み寄る。黒髪の方はわぁわぁ泣いているけど、赤毛の方はぎりぎりと俺を睨み付けて視線を外さない。さり気なく黒髪の悪魔を護るように前へ出て仁王立ちになっている。
「来るな!こいつに何かしたらタダじゃおかねぇ」
「別に何もしねぇよ、お前らがおとなしくしていれば害をなすつもりはない」
 言いながらもきらりと陽の光を受けて煌めく銀の刃をちらつかせる。こちらは散々な目に遭わされたんだ。油断は禁物だし少しばかり脅しておいた方が良いだろう。そう思ったのだが――。
「お、俺達を殺すのかい・・・?」
 黒髪の悪魔は水色のつぶらな瞳をうりゅっと潤ませると、顔をくしゃくしゃにしてとても悲しそうにぽろぽろと涙を零した。その姿は遠い昔、俺が大陸を離れて自国に帰る時の幼いアメリカの姿を彷彿とさせて・・・心が痛んだ。とてもじゃないがこいつに酷い仕打ちなどできない。慌てて護身用のナイフをぱちんと仕舞い、ついでにブリタニアエンジェルの衣装も脱ぎ捨てた。
「大丈夫だ、ほらほら、もう怖いもの持ってないぞー怖くないぞー」
 両腕を広げて敵意のないことを示せば黒髪の悪魔――アルフレッドはぱぁっと眩しい笑顔を見せ、うんと頷いた。なんだこいつ、めちゃくちゃ可愛い・・・悪魔だなんて嘘だ、こいつは天使だ。一瞬でハートを撃ちぬかれた俺がアルフレッドの天使の笑顔に悩殺されていると、がしっと背後から首に腕を回された。横目で後ろを窺えば、アメリカがひくりとこめかみを震わせて立っていた。
「――真っ昼間から玄関先で全裸になるとか、ねぇ、何してんだい君」
「いやだってこいつ昔のお前そっくりでさ・・・可愛い過ぎんだよ。やべぇ、鼻血出そう」
「相変わらず君は変態だね!!いいから服着なよ、英国の国民にその貧相な裸見られたくなかったらね!あと一つ確認したいことがあるんだけど、こっちの赤毛の彼は君が幼い頃にそっくりなのかい?」
「あ?まぁ・・・こんな感じだったかもな」
 言われて慌ててシャツやらスラックスやらその辺に脱ぎ捨てていた服を拾って身につける。相変わらずこちらを睨んでる可愛げのない悪魔をちらりと見遣ってから適当に応えれば、アメリカは残念そうな表情を浮かべて俺を見た。
「こんな小さな頃から可哀相な眉毛だったのかい・・・」
「てめぇが確認したいことはそれかよっ!?」
 誰が可哀相な眉毛だ、これは紳士の証だっつーの!ぎりぎりと歯軋りしながら睨み付けてもアメリカはバカにしたように笑うだけだ。なんでこんなに可愛くなく育っちまったんだ、俺の子育てそんなに不味かったか?
「とにかくいつまでも外にいるのもなんだな、家の中に入ろうぜ」
 そう言って玄関の鍵を開けてアメリカとちび二人を家の中に通した。


 リビングのソファに悪魔二人を座らせて、お茶の用意をすると言い置くとキッチンへ向かう。アメリカも手伝うと言いながら付いて来た。
「それで、どうするつもりかい?」
 キッチンの奥の壁に凭れながら聞いてくるアメリカに、そっと三本立てた指を一瞬だけ見せる。三日という意味を載せて。
「これがリミットだ。それまでに俺は奴等をあちらに送る方法がないか魔術書を調べる。お前はできるだけ奴等の近くで見張っていてくれ」
「わかった」
 紅茶を蒸らしながらリビングの様子を窺えば、何やら話し込んでいる。俺達に抵抗する算段でもしているのかと耳を澄ませれば、どうやら違うらしい・・・揉めてるのか?

『――また勝手に人間界に来たりして・・・精気がいるなら俺に言ってくれればいいのに』
『だぁら何度も言ってんだろ!それじゃ意味ねぇんだよ』
『意味ならあるよ、君の空腹が満たされて力が回復するだろう』
『お前の力が減るだろうが!俺が何の為にいるかわかってんのか!?』
『わかってるよ、けど君からの施しなんて要らないよ』
『・・・・・・っ、わかってねぇじゃねーか、ばかっ!!』
『君こそわかってくれないじゃないか、俺の気持ち。他の奴とキスしないでくれってずっと言い続けてるのに』
『・・・そういやお前言ってたよな、俺がキスした奴は生かして置かないって。まさか――』
『殺しはしてないよ、ちょっと懲らしめたけどね』
『――――っ!!まさかあの、亜麻色の髪の子も、か?』
『・・・あぁ、彼は君のお気に入りだったね。何度も会いに行ってたろう?だからこれ以上ないくらいに痛めつけてあげたよ』
『お、お前なんでだよ・・・あいつは人間だけど俺と仲良くしてくれたのに・・・、そんなに、俺のことが嫌いなのか・・・?』
『・・・嫌いだよ、大っ嫌いだ!!』

 かつんとアメリカが足音を立ててリビングに入れば、悪魔二人はびくりと身体を震わせてこちらを向いた。その顔を見ればどちらも傷ついた表情をしている。アルフレッドは哀しげに水色の瞳を揺らしているし、アーサーの方も大きな翠の瞳に涙を浮かべている。どこか他人事と思えないそれをちらりと見ながら俺とアメリカはティーセットをテーブルの上に置いた。
「ほら、紅茶が入ったぞ。飲んで少し落ち着け。あ、別に毒なんざ入ってねぇからな」
 勧めれば悪魔二人はおずおずとソーサーを手に取った。カップを持ってゆっくり口に運び、少しだけ含む。
「・・・美味しい」
 アルフレッドがふわりと笑った。アーサーも紅茶の香りに強張っていた身体から力を抜くように息を吐く。その様子に俺とアメリカは顔を見合わせて軽く頷いた。
「お菓子もあるぞ、俺が焼いたんだ。すっげー美味いからびっくりするなよ!」
「この世のものと思えない味だからきっとびっくりするよ。無理に食べなくてもいいからね」
「どういう意味だ、ばかぁっ!」
 俺の得意レパートリーのスコーンを盛った皿を差し出せば、アメリカが余計なことを抜かした。ちょっと焼き過ぎたけど美味しく仕上がってるそれを、いつも文句言いながら全部平らげるのはどこのどいつだ。
「えっと・・・じゃあ、頂くよ・・・」
 にこりとぎこちない笑みを浮かべたアルフレッドが、少しばかり黒いスコーンを手にとって齧る。途端にぽろりと涙を零した。
「え、え、え・・・?」
「ほら、言ったじゃないか」
 慌てふためく俺にアメリカが非難めいた視線を寄越してくる。いやだって俺のスコーンだぞ?なんで泣くんだ?ぽろぽろと涙を零すアルフレッドの横でアーサーもスコーンを齧る。こいつにまで泣かれたらどうしよう、ちょっと自信なくすかもしれない。そう思ってじーっと見ていれば。
「うまい」
「よしっ!!」
「は!!?」
 思わずがっつポーズを取る俺の横でアメリカが唖然とした声を上げた。君達顔だけじゃなくて味覚崩壊も似てるんだね、とか失礼なこと抜かしたけど、自信を取り戻した俺にはどうだっていい。やっぱり俺のスコーンは最高だな!


 二人のぎこちない様子が気掛かりではあったけど、四人で食事を取った。・・・アメリカの強硬なリクエストによってデリバリーのピザだ。くそっ、美味そうな肉があったのに。食後の紅茶を飲んだ後、アメリカがガキ二人を風呂に入れてやって客間のベッドに寝かしつける。俺は屋敷の奥の部屋で魔術書を漁った。
 悪魔を召喚する方法はあちこちに書いてあるのだが、契約していない悪魔を強制送還する方法はなかなか見つからない。タイムリミットは残り二日、奴等が元の身体に戻って力を取り戻すまでになんとかしなければ。強制送還が無理なら結界を張って魔力の無効化を図るか――そう、迷い始めた時。かちゃっと廊下に続くドアが開かれた。そろりと顔を覗かせたのは、アルフレッドだった。
「どうした?眠れないのか?」
「あ、えぇと・・・その、迷子になっちゃって・・・」
 ドアの傍に立ち尽くしているアルフレッドの傍に歩み寄ると、しゃがんで視線を合わせて尋ねる。アルフレッドは恥ずかしそうに俯きながら、何やら膝を擦り上げてもじもじしている。
「迷子?あぁもしかしてトイレに行きたいのか?アメリカはどうした、あいつに言えば良かったのに」
「彼なら寝てるよ。それで君を探して・・・」
 あの野郎、見張りを頼んだのに寝ちまったのか。溜息を一つ吐いてアルフレッドの手を取りトイレへ連れて行ってやる。きっと迷子というのは嘘で、怖くて一人で行けなかったのだろう・・・幼い頃のアメリカのように。
 この感じ、なんだか懐かしいな。あの頃孤独だった俺は、アメリカに純粋無垢な信頼を寄せられることで確かに満たされたんだ。初めて無条件に愛されて幸せを感じた・・・。アルフレッドの手はアメリカと同じで温かかった。こいつが悪魔だとしても俺を頼ってくれたことが嬉しい。――強制送還とかじゃなくて、分かり合えないだろうか?
 感慨に耽っていれば用を足したアルフレッドが再び俺の手を取った。客間へ向かおうとしたら首を横に振る。
「眠くない。君の傍にいていいかい?邪魔はしないから」
「構わねぇけど・・・寝なくて大丈夫か?」
「俺達は元々人間程眠りを必要としないからね。それに今・・・アーサーと喧嘩してて気まずいんだ。一緒にいたくない」
 沈痛な面持ちで呟くアルフレッドの頭をくしゃりと撫ぜてやって部屋に戻った。強制送還ではなく魔力の無効化の方法を探す為に魔術書を読み耽っていれば、こてんと俺の身体に凭れてくる。稚い顔を覗き込めば既に眠りに落ちてすぅすぅと規則正しい寝息を立てている。思わず苦笑してアルフレッドの小さな身体を膝の上に導いて寝かしつけたところで、アメリカが顔を出した。
「あ、イギリス・・・ごめん、アルフレッドがいなくなって・・・」
「アルなら此処にいる。寝てるから静かにしろ」
「へっ!?なんで君の処に・・・」
 素っ頓狂な声を上げるアメリカにしっとジェスチャーで訴えれば、むぐっと口を塞いで傍にやって来た。眠っているアルフレッドの身体を抱えようとするから、首を横に振ってこのままでいいと囁く。アメリカは少し首を傾げると、俺の横に腰を下ろした。
「・・・そんなに可愛いかい?」
「あぁ、昔のお前みたいですげぇ可愛い」
 膝の上に散らばる漆黒の艶やかな髪を撫でながら正直な気持ちを言えば、アメリカは憮然として唇を尖らせた。
「相手は悪魔だってのに、やけに気を許してるんだね。俺に似てるから?そんなに昔の俺の方が良かった?」
「そんなんじゃねぇよ、ただやさしくしてやりたいんだ。自己満足だけどさ」
「なにそれ」
 ずっと心の奥底に抱えていた悔恨の淵を覗くように思い巡らせれば、当然のように胸がつきんと痛む。けれど俺の想いなど知りもしないアメリカはきょとんとして首を傾げた。真っ直ぐに向けられるその曇りのない綺麗な水色の瞳に一瞬吸い込まれて、思わず苦笑する。
「お前はでかくなるの早かったからなぁ」
「なんだい、いきなり藪から棒に」
「出会った頃のお前はさ、今のアル以上に小さかったのにちゃんと国という存在の意味を自覚しててさ、すげぇって思った」
「・・・別に、普通のことだぞ。国なんだから」
 訝しげなアメリカに構わず思い浮かぶ言葉を口にすれば、滅多にない俺の褒め言葉が余程意外だったのか少し頬を赤らめて、君熱でもあるのかい?と聞いてくる。俺も大概素直じゃないがこいつも素直じゃない、俺の影響と言えばそうなのかも知れないが。
「熱なんかねぇよ、ずっと思っていたことだ。・・・昔話は聞きたくねぇか?」
「別に、年寄りの回想を邪魔する程野暮じゃないんだぞ。聞いてあげるから言いなよ」
「ほんっとお前、かわいくなくなっちまって・・・」
 わざとらしく溜息を吐けばぷうっと頬を膨らませる。その膨らんだ両頬を人差し指で啄けばぷすっと空気が漏れた。呆気に取られたのも束の間、顔を真っ赤にして益々むくれるアメリカにくつくつと笑えば思い切り頭を叩かれた。――今でも可愛いと言ってやろうと思ったのに止めよう、やっぱりかわいくねぇ。


「それで、なんだい?さっさと言わないと俺寝ちゃうよ」
「急かすなよ。えぇとなんだったっけな・・・今のアルみたいにお前ちっちゃくて・・・でも強くなろうってすっげー頑張ってて。俺も頑張れ、なんて言ってさ。そしたらお前、益々頑張って急にでかくなっちまって・・・」
「そりゃまぁ・・・あの頃は無我夢中だったからね」
 当然のことだろう?と首を傾げるアメリカの実直さが眩しくて目を細める。同時に、殺してきた哀しみが緩やかに心に浸潤する。
「当たり前だけどさ。国だからのんびりとはいかねぇし、弱いままじゃ他国に潰されちまうから強くならなきゃ生きていけないけど。でも俺は・・・もっとこの幼い時間を大切にして欲しかった」
「・・・・・・」
「子供だから許されること、たくさんあるだろ?甘えて泣いて我儘言って・・・けど、お前は俺が会いに行った何度目かには、もう甘えることも泣くことも我儘を言うこともしなくなっていた」
「そりゃね、成長したんだから・・・」
 アメリカが戸惑うように呟く。それに頷きながら、脳裏にはなんのてらいもなく手を繋ぎ膝の上に座ってハグを求めてきた幼い頃のアメリカを思い浮かべる。
「でも、思うんだ・・・お前が急いででかくなったのは、俺のせいなんじゃねぇかって」
「・・・は?」
「俺がお前に干渉し過ぎたからか度重なる要求が許せなかったからか、単に俺が鬱陶しかったからか・・・お前は早くでかくならなきゃならなかった・・・俺から独立する為に」
 ぽつぽつと胸の奥に仕舞い込んできた思いを、かつて見たのと同じあどけない寝顔を見下ろしながら言えば、アメリカは驚いたように両目を見開いて身体を強張らせた。
「違うよ!」
「あ?」
「そんなんじゃない、君のせいだとか独立する為だとか・・・違うよ!」
「おい、大きな声出すな・・・」
 アルフレッドがううんと呻って眉を顰めるのを見て、慌ててアメリカを嗜める。アメリカはぱっと顔を逸らすと不機嫌そうに唇をきつく噛み締めた。
「・・・そんな風に思ってたんだ?俺は君の為に頑張って大きくなったのに。――アルフレッドがアーサーに自分の気持ちわかってないって言ってたけど、君も俺の気持ちわかってないんだね。鈍感な処まで似てなくてもいいのに!」
「あ・・・アメリカ?」
 顔を背けたままのアメリカが泣いているような気がして肩に手を遣れば、勢い良く振り返ってぎりっと睨みつけられた。その苛烈な瞳に思わず息を呑む。いつもと様子が違うアメリカに混乱して固まっていると、不意に顔が寄せられた。頭突きでもされるのかと思って目を瞑った瞬間、柔らかいものが唇に触れた。
「・・・え?」
 一瞬掠めるように触れてすぐに離れたそれが何なのか・・・わからない訳ではないが、唐突過ぎて理解に苦しむ。きょとんと目を瞬かせて首を傾げると、耳まで真っ赤に染めているアメリカはムスッと不貞腐れた。
「え、って何?まさかキスもわからないくらい鈍感なのかい?君は」
「いや、キスされたのはわかる・・・けどキス!?なんで!?」
「なんでって聞く!?普通わかるだろ!?」
「・・・・・・へ?」
 ぎゃんぎゃんアメリカはまくし立てるけど、パニックに陥っている俺には状況がさっぱり読めない。誤魔化すように笑いを浮かべて伺いを立てれば、アメリカはこめかみをぴくっと震わせた。
「くたばれイギリス」
「んだよ、喧嘩売ってんのか、あぁっ!?」
「悪口にだけ反応するのは止めてくれよ!OK、君が果てしなく鈍感なのはわかったよ。ちゃんと君にもわかるように言ってあげるからその年代物の頭をフル回転させて理解してくれよ」
「誰が年代物だ、ばかぁっ!」
「いちいちうるさいなっ!黙って聞きなよ!」
 苛立たしげに床をバンッと叩く音に思わず姿勢を正す。
「・・・はい」
 そうと返事するしかなかった。


「さっき君は自分のせいで俺が早く成長したんじゃないかって言ったよね。でも違うんだ、君のせいじゃなくて君の為なんだよ」
 アメリカは少し眉を寄せていつになく真剣な表情で話し始める。微妙な言葉の変化に何が違うかと俺が問えば、全然違うよと呆れたように笑った。
「君ときたら昔から喧嘩っ早くて狡猾で周りから嫌われて孤立してるくせに寂しがり屋ですぐ泣いて、皮肉屋で面倒くさい性格だし、したたかで二枚舌どころか三枚舌外交だなんて揶揄されてて」
「・・・おい」
「幼い俺はすっかり騙されたけど、ちょっと成長すればすぐに君を取り巻く情勢は見えたんだ。まぁ、フランスが教えてくれたってのもあるけどね」
「あの野郎」
 言いたい放題のアメリカをじとりと睨めつければ、ぺろっと舌を出して誤魔化すようにワイン野郎の名を出した。責任転嫁するこいつもいい根性しているが、あのくそ髭いつかシメる。そう心の中で誓いを立てればアメリカはふと表情を改めて、真摯な光を瞳に浮かべて俺を真っ直ぐに射抜いた。
「君を助けるヒーローになりたかった。強くて誰の助けも要らないように見える、けど内実は孤独な君を支えたかった。だから早く俺はおとなになろうって決めたんだ――君の為に」
「・・・・・・」
「まぁ、結果的には独立することで君を傷付けてしまったんだけどね。ずっと・・・ずっと好きだった。君のことが好きなんだ」
「アメリカ・・・」
 視線を逸らすことなくアメリカは、神妙な面持ちで俺の手を取って握り締める。いつもより僅かに高まっている体温と微かな震えが、どれだけ俺のことを真剣に想ってくれているかを伝える。その想いに揺さぶられるように、俺の胸にもただ愛おしいという感情だけが満ちる。
「恋人に、なって欲しい。イギリス・・・さっきみたいにキスしたい。それ以上のことも、したい」
 求められて攫われる、全部、俺のすべて。この世でただ一人、俺が愛した子供・・・愛する男に。
「ダメかい・・・?」
 胸がいっぱいで苦しくて言葉が出ない俺に、アメリカは不安に駆られたのか哀しげに唇を震わせた。悄然と金の睫毛を伏せるアメリカに、慌てて首を横に振って想いを言葉にしようと口を開く。
「お、俺も・・・あい、してる・・・愛してる、アメリカ」
 ゆるゆると目を見開くアメリカに必死にこくこくと頷けば、ぱぁっと顔を綻ばせて嬉しそうに笑った。昔から変わらない輝くようなアメリカの笑顔、俺が一番好きな顔だ。
「キスしてもいいかい?」
 そっと頬に手を添えて聞かれてかぁっと頬が熱くなる。恥ずかしい、けど嬉しい。迷わずこくんと頷けば、アメリカの顔が近付いてきて・・・唇が重なった。


 気がつけば朝だった。結局縺れ合うように三人並んで眠ってしまっていた。柔らかな絨毯が敷かれているとはいえ、床の上で寝てしまった為に身体が痛い。首をぽきぽきと鳴らして強張りを除いてから、未だ眠っているアルフレッドを抱えて寝室へ向かう。アーサーの横に寝かせようと思ってベッドに近付けば・・・そこはもぬけの殻だった。
「アーサー?」
 ひとまずアルフレッドをベッドに寝かせれば、肌に触れるシーツはひんやりと冷たい。トイレなどで抜け出したとは思えない温度、慌てて家の中を探してみるけれど姿はない。子供のままでは魔力もなく魔界に帰ることもできないだろう。一体何処へ行ったのか。
 アメリカを叩き起して状況を説明し、アルフレッドの世話と見張りを頼んで俺は外を探し始めた。付近にはもういない、ベッドの冷たさから言えば数時間前に出たと思われる。けど子供の足だ、そう遠くにも行けないはず。きっとこの街からは出ていないだろう。
 闇雲に探しても仕方ない、スコットランド・ヤードの力を借りるかと携帯を取り出せば、ちょうど着信が入った。相手は・・・フランスだった。
「なんだくそ髭俺は忙しいんだ後にしろ」
 応答ボタンを押すなり有無を言わさずこちらの都合だけ述べて通話を切る。即座にまた携帯が着信を知らせた。
『ねぇちょっと、せめて一言だけでも聞いて、お願い切らないで!!』
「んだよ、忙しいっつったろ、聞いてやるから用件は手短に言え」
『なぁ坊ちゃん、お前子供作ったの?』
 ぶちっ。不愉快だったので切ってやった。俺に子供?国にガキが作れるかよ、ばーか。くそ髭のヤツ顎だけじゃ飽きたらず脳にまで髭生やしやがったのか。けれど再びアーサーを探そうと一歩踏み出したところで、何か引っ掛かりを覚える。――子供?
「おい、さっきの子供ってなんのことだ?」
 一方的に切った通話を再び繋いでやれば、電話口のフランスはいじけモード全開でぶちぶち文句を呟いている。
『お兄さんせっかくの休日だってのに急ぎの書類だって言うからはるばる海峡渡ってこんなどんより薄暗くてジメジメしてる国に来てやったのに、いきなり凶悪眉毛に飛び掛られてお兄さん自慢の麗しい髭毟られて』
「うっせぇな、俺の国の天気に文句つけんじゃねぇ・・・っ、凶悪眉毛!?」
『そう、お前に似た凶悪まゆ・・・ちょ、痛たたたたっ!!!』
 頷く言葉は途中で悲鳴に変わり、電話口でぎゃあぎゃあ誰かと揉めている。漏れ聞こえる相手の声は、良く聞こえないが自分の声に似ている。フランスのわざとらしい泣き声にちっと舌打ちを一つして、携帯を持ち直すと再び応答を求める。
「おいフランス、そいつ俺のガキの頃に似てて赤毛・・・って、聞け――っ!!てめぇの髭なんざどうでもいい、むしろ汚物がなくなってすっきりするだろ!!」
『汚物とか酷い!!これでもちゃんと毎日櫛で梳かしてるし長さだって拘ってるんだから!』
「んな心底どうでもいい情報なんざ要らねぇよ!そこにアーサーがいるんだな!?」
 律儀に言い返してくるフランスの顔を足蹴にしたい衝動をぐっと堪えながら尋ねれば、ちょっと待ってろと断りが入ってがちゃがちゃっと雑音が響く。しばらく待っていると、落ち着きを取り戻したような静けさの中に甘ったるく嫌味なフランス語が聞こえた。
『そのアーサーってのは、このぶっとい凶悪眉毛の下の翠の瞳は綺麗なのにもったいない程目付きが悪くて性格とか根性とか諸々がねじ曲がってる凶暴なちんちくりんのことか?』
「てっめぇ!!それは俺のことか、あぁっ!?」
『自覚あるなら直してよ。今のはここにいるお前に似てるけど髪の色は赤い子のことを言ったんだけど』
 やはりフランスの傍にいる子供とはアーサーのようだ。ひとまず居場所がわかって安堵する。
「あとで覚えてろ、ガムテでてめぇの全身の毛を毟り取ってやる。とにかく今から迎えに行くからアーサーを捕まえておいてくれ。ぜってー逃すなよ!?」
『その理不尽な暴力を振るわないって約束してくれるなら捕まえておいてやるよ。早く来い、・・・お兄さんの髭が全部毟られる前に』


 二人がいたのは俺の家から数キロ程離れた駅の傍に広がる公園だった。フランスの上着でぐるぐるに巻かれたアーサーは、俺を見るなり舌打ちして顔を背けた。
「ったく、手間取らせやがって。なんで逃げたんだよ」
「お前嫌いだ、ムカつく、死ね」
「あぁっ!?喧嘩売ってんのかてめぇっ!なんで逃げたか聞いてんだよ、素直に吐きやがれ!」
 誤魔化しを許すまいと鋭く睨みつければ、アーサーはしばらく視線を彷徨わせていたが肩を落としてはぁと溜息を漏らす。腹をくくったか、ぽつりと零したその言葉は――唐突過ぎて意図が読めなかった。
「・・・お前、あいつのことが好きなのか?」
「は?」
「アメリカってヤツ。昨日キスしてただろ」
「――――っ!?」
 質問の意味がわからず眉を寄せて聞き返せば、予想外の台詞が返ってきた。キス、した。確かに間違いなくした、何度も。けど、それを見られていたとは思いも寄らなかった。つうか恥ずかしいだろっ!!見てんじゃねぇっ!!
「え、何?お前らとうとうそういう関係になっちゃった訳!?」
 によりと気色悪い笑みを浮かべて近付いたフランスの顔を、反射的に殴って黙らせる。
「・・・・・・っ、おまえ、見て・・・!?」
「アル探してて、あの部屋から光が漏れてたから覗いた。お前ら真剣に話してたから入りそびれて・・・そしたら、キスした」
 完全に現場を見られてしまった。恥ずかしさのあまりへなへなと脱力して頭を抱える。しゃがみ込んだ俺に、アーサーの沈鬱な声が降ってくる。
「好きなのか?あいつが・・・あいつもお前のことが好きなのか?だからキスしたんだろ?俺達みたいに精気の受け渡しの為じゃない。ちゃんと・・・」
 哀しげに睫毛を震わせて唇を噛み締めるアーサーを見上げて、ぼんやり考える。昨日一日のこいつとアルフレッドのやり取りを見ればなんとなくわかる。
「お前だってアルフレッドのことが好きなんだろ?アルだってお前のことが好きだと思うぜ?」
「あいつは違う、俺のことが嫌いなんだ」
「好きだからお前が他の奴とキスしたら妬いてんじゃねぇか。嫌いならあんな反応しねぇと思うぜ?」
「・・・違う、でなきゃ俺を拒んだりしないだろ」
 唇を歪めて自嘲気味に哂うアーサーに首を傾げる。距離を置いてるのはアーサーの方だと思っていたのだが、違うのだろうか?たった一日傍にいただけでは事情がわからない。俺がこれ以上言ったところでアーサーは納得しないだろう。肩を竦めて立ち上がると、何故逃げたのかを問うた。
「別に逃げた訳じゃねぇ。ただ同じ顔なのに愛されているお前が羨ましくて・・・気がついたら外に出てた。戻ろうと思ったけど道がわかんなくてさ。偶然こいつを見つけて道案内させようと思ったんだけど・・・フランシスとは違うんだな」
 そう言ってアーサーは、俺が急所に拳を叩きこんで気絶させたフランスを指差す。
「フランシス?まさかこいつに似た顔の悪魔もいるのか!?」
「いや、フランシスは天使だ」
「・・・あ?」
 俺とアメリカと同じ顔の奴らは悪魔でフランスは天使。不愉快極まりない、つうかありえねぇ。くそ髭の顔で清らかに十字を切るとかないだろ、ない。ふるりと頭を振って今聞いたばかりの情報を記憶から消去する。
 フランスの腹を踏みつけて目を覚ましてやってから、アメリカとアルフレッドが待つ俺の家に戻ろうと踵を返したその時、頭上から妙に明るい、けれど悪意に満ちた声が降ってきた。
「・・・へぇ、ほんまにガキの姿になってんのや」
 三人同時にがばっと空を見上げれば、そこには漆黒の悪魔が浮いていた。黒い羽根や角の形はアーサーに似ている。けれど黒髪緑眼のその顔は・・・。
「スペイン!?」
 俺とフランスが思い浮かべた名前は同じだった。瞠目して叫ぶ俺達の横で、アーサーだけは違う名を呼んだ。恐らく、この悪魔の正しい名前を、苦々しげに。
「アントーニョ・・・」
 敵意で燃える瞳で睨み上げる様子から、アーサーとアントーニョという悪魔は敵対しているのだろう・・・俺とスペインのように。――どこまでリンクしているのだろうか、こいつらと俺達は。フランスを除いて。
 空に浮かぶ悪魔はくつくつと愉しげに笑う。そして、よく通る声で宣言した。
「ほな、今のうちに借りを返して貰おか?アーサー」




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